10月15日-6
「ん? なに?」
「あ………」
言いかけて僕は、やっぱり聞くのをやめた。今はそれはたいして重要な情報じゃないように思えたからだ。そんなことより聞きたいことは、まだ山ほどあるのだから。
「…いや、なんでもない。でもおまえがこれを使って変身…『錬装』…だっけ? それをしてるってことは、父さんもあんな格好で戦ってたってことか…」
顔も覚えていない父さんだけど、頭の中でぼんやり組み合わせてみた絵面は、息子としてはちょっと受け入れがたいものがあるな…。
「は? そんなわけないじゃん。バカなのお兄ちゃん?」
「ば、バカっておまえ…。だってヒーローがベルトとかで変身する時ってそうだろ?」
「…知らないよそんなの。見ててわかんなかった?」
「あ………」
そう言われて、脳裏にさっきまでの…悪夢のようだった光景が蘇る。
怖くて恐ろしくて、これ以上ないぐらい混乱していたけれど、あの時のシーンだけは頭に焼き付いている。
ぐにゃぐにゃ、ぱきぱきと、絵依子のゴスロリ服が奇妙な音を立てながら変形し、次第次第に『ヨロイ』へと変化していったことを、僕はくっきりと思い出した。
「…わかった? あのヨロイ…『錬装衣』は、服が変化して出来るの。わたしと、わたしの服だから、あの形になってるだけ。違う人が違う服でやったらぜーんぜん違う形になるよ」
「そ…そうなんだ。…ちょっと安心した」
「…? いろいろ試したけど、あの服が一番いい感じだったんだよね~」
…しょっちゅうパンツ丸見えになるけどな。
「……まぁとにかくだ、しかしこんなのを持ってたなんて、父さんっていったい何者だったんだ…?」
「それは…わたしもわかんない。その辺りのことは何も書いてなかったし」
「…絵依子。その手紙…僕にも見せてくれるか?」
僕がそういうと、絵依子の表情がみるみるうちに曇っていった。
「…ごめん。パパの手紙には、読んだらすぐに燃やすかして消せって書いてあったの。だから……もうないの。ごめん…」
「……! そう…なのか……」
…父さんの遺品なんかは、家にはほとんどない。せいぜいがあの写真と、いつだったかに見た、押し入れに大事そうに仕舞ってあった、よれよれのくたびれた白衣ぐらいなものだ。だから父さんのことを知る絶好の機会だったと思うと、少し…というか、かなり残念だ。
「ほんとにごめんね…お兄ちゃん……」
よほど僕が落胆してるように見えたのか、すまなさそうに絵依子が何度も謝りの言葉を口にする。でも仕方ない。絵依子が悪い訳じゃない。
考えてみれば、うっかり僕か母さんにでも見つかったら大ごとだもんな。
…父さんが何者だったのかは気になるけれど、とりあえず今は先に進もう。
「……分かった。じゃあ次だ。…さっきのあの『怪物』は一体何なんだ? どう見ても普通の生き物なんかじゃなかったあいつらは……」
「うん…あいつらのこともよく判んないの。ただ、人間を…今日のお兄ちゃんみたいに襲って、何かエネルギーみたいなのを吸い取ってるんだって。パパの手紙にはそう書いてあったよ」
「人を襲うってことは…つまり…悪いヤツってことか…?」
「うん。そうだと思う」
「やっぱりか……。色も真っ黒だったし、いかにも悪役っぽい感じだったもんな」
「だからやっつけるのに抵抗はなかったよ。形もいろいろあってね、ホントにオバケみたいなのもいるし、今日のヤツみたいにはっきりとしてないのもいたし。そういえばね、前にこんな……」
…どこか得意げに絵依子が話を続けた。でもそれは、今まで絵依子が、どれほど孤独に戦い続けてきたかの証しでもあるということだ…。
知らず知らずのうちに僕は、拳を強く…固く握り締めていた。
きっと今日みたいな修羅場も、10やそこらの数じゃなかったに違いない。でも僕は何も知らなかった。何も知らずに…ただのうのうと生きていた。
知らなかったとは言え、何もしなかった自分に怒りさえ覚える…!
「でね、その時は…って、お兄ちゃん、聞いてる?」
「…すまなかった…ごめんな、絵依子…おまえ一人にこんな…辛い事を…」
「ちょっ…お…お兄ちゃん…?! ど、どうしたの? なんで謝るの?」
ふと気づくと、僕の目からは涙が零れそうになっていた。にじむ景色の向こう側で、絵依子が僕をぽかんと見つめている。
「だって…今日みたいな…あんな危ない目におまえが何度も何度もあっていた時、僕は…何もしてやれなかった…。気づいてやる事さえ出来なかった…! 僕は…僕は自分が情けない…っ!!」
思わず、どん! と僕はテーブルを握り締めた拳で叩いていた。その衝撃ですっかり冷え切った紅茶が少しだけこぼれた。
「……知られたらきっと心配かけちゃうって思ってた。だから内緒にしてたんだ……ごめんね…。でも、そう言ってくれて…嬉しい…な」
「絵依子……」
「でもでも、お兄ちゃんが思ってるほど、危ない訳じゃないんだよ? 今日みたいなのはめったにないの。今日はその…ちょっと事情があって…」
僕を安心させようとしてか、絵依子が明るい調子で再び口を開いた。でもどこか…なにか少し歯切れが悪い。
「…? 事情って? あぁ、あれか、保健体育の時間に習った生……」
「だ・か・ら! 女の子にそおいう事言わない!! ほんっとデリバリーないよね! お兄ちゃんは! バカ! 無神経!!」
最後まで言い終わらないうちに、絵依子の指が僕の頬を思いっきりギリギリとつねり上げた。
「うぎ……っい……! な、なんで…?! ちょ、す、ストップ…!」
「うっさい死ね! この変態!!!!」
せっかく乾いてきたのに、また涙が溢れそうになった。今度は痛みで。
僕は真面目に聞いたつもりだったのだけど…。
…本当に妹というか、女の子ってワケが分からない……。
ふっ、と頬っぺたから力が抜けたかと思うと、ふう、とため息を一つついて、真剣な表情に戻った絵依子が再び『オービス』とやらに触れた。
何やらカチカチと操作していると、かちゃり、と蓋のような部分が開き、中からトランプカードのようなものがこぼれ出た。
ばさりとテーブルの上に広げられたそれは、全部で10……、いや、12枚の、ハガキよりは小さく、ゲームのカードやトランプよりはわずかに大きなカードだった。
ただ、トランプなんかと違って、ほとんどは白紙だ。絵らしきものが描かれてあるのも中にはいくつかあるものの、それも異常に色が薄い。
裏面には不思議な、魔法陣のような幾何学模様のような意匠が施されていて、中央には目のようなものが描かれていた。
「……じゃあ説明するよ。この『オービス』っていうのは『錬装』するだけの物じゃないんだよ。このカードを使って、いろんな戦い方ができるようになってるの。例えばカードに剣の絵が描いてあれば、手とか足をそう言う風に変化させられるんだよ。…でも…」
そう言いながら絵依子が一枚を僕に差し出した。
「このカードは「見る」事で効果を発揮するの。でもそのたびに、少しづつ絵は薄くなってくの。使わずに時間をしばらく置けば、まただんだん元に戻るんだけど、完全に消えちゃったら……そのカードはもう使えなくなっちゃうんだ」
そこまで言ってから再び絵依子は口ごもり、視線を下に落とした。僕もテーブルに広げられたカードを一枚一枚手に取り、まじまじと見てみた。
オービスと同じで、これもやっぱり何で出来てるのか分からない。紙でもなく、プラスチックでもないけど、普通に曲がるぐらいは弾力もある。裏はツルツルだけど、表面の感触はかすかにザラついている。
絵の具の乗りは悪くなさそうだ、などと思いながら、別の一枚を手に取った時。
「………ん?」
…なるほど、確かにどれもこれも一見白紙に見えるものの、よく見ればかすかに絵らしきものが描かれているのが判る。これは剣…、これは…お城か?
しかし、薄ぼやけてはいるが、このカードに描かれてある絵はどれもまともっぽいものばかりだ。尋常ならざる不器用さを誇る絵依子の「作品」とはとても思えない。
「……この絵、まさかおまえが描いたのか?」
「うぅん、違うよ。最初から全部描いてあったの。たぶんお父さんが描いてくれてたんじゃないかなぁ」
「………!…」
絵依子の言葉に…僕は衝撃を受けた。
…遺品もさることながら、父さんが描いたという絵も一枚も家には残っていない。残っていないはずだった。だったらこれは…父さんの『遺作』ということになる……。
絵を描いていた頃は、絵が上手だったという父さんの絵を、ずっと一目見たいと思っていた。でもまさかこんな風に、こんな形で見ることになるなんて…。
……運命のいたずらとは…まさにこういうことなんだろうか…。
「…ね? カードは今ほとんどがこんな感じだから、武器に変化させる『錬兵装』が使えないの。うっかり使って完全に消えちゃったら、もう取り返しがつかないもん」
「それで今日はあんな風にパンチラ……ごほんんっ、パンチやキックだけで戦ってたのか…」
「………お兄ちゃん…?」
「い、いや、ごほん。つまり、カードを回復させる暇もないぐらい今までずっと戦ってきたんだな。もしかして……昨日もそうだったのか?」
小さく、こくん、と絵依子が頷く。ここ最近、前よりも絵依子が朝に弱くなったのも、深夜番組のせいじゃなかったのか。勘違いしてバカ呼ばわりしてたことを、僕は思わず心の中で詫びた。
「そうか。でも、なんでそこまでして……」
「……わかんない。本当は…自分でもよくわかんないの。でも、やらなきゃいけないって…思うの。パパの遺志とか、人を守るとか、理由もいろいろあるんだけど…本当はただ、わたしがそうしたいから、かな」
「………!!」
…絵依子の答えに驚き、次いで思わず僕は苦笑した。だって。
「もぉ! ここ笑うとこ?!」
「…ごめんごめん。でもさ、やっぱり僕たちは兄妹なんだなぁってさ」
「………?」
怪訝そうな表情の絵依子が首をひねる。まぁ当然だろう。でも。
そうだよな。そうしたいのなら、やりたいんなら仕方ない。
だって、それは僕も同じだもの。
「…ともかく、今日の苦戦は今まで頑張りすぎたツケが回ってきた、ってことか」
「まぁ…そういうことになるかな。『錬装』すれば力も強くなるし、服もヨロイみたいになるから、弱いやつなら素手でも何とかなるんだけどね」
「ってことは…今日のヤツは結構強かったってことか?」
「ちゃんと使えるカードがいっぱいあれば、今日ぐらいのヤツならそんなに怖くないんだよ。だからカードを回復させるために、あいつらと戦うのは、しばらくお休みしようと思ってたんだよ。でも……」
…そこまで言うと、じろり、と突然僕を見る絵依子の見る目つきが変わった。
「…なのにどっかのバカ兄貴が、かわいい妹のお誘いを無視してくれたせいで、しなくていい戦いをするハメになっちゃったんだけどね!! 早く帰ってきてって、あんなに念を押したのに!!」
…なるほど、珍しく僕と帰ろうと言い出したのはそういう事だったのか。早く帰ってこいというのも、ほんとにフリじゃなかったのか。それならそうと言ってくれれば、僕だって何も……ん…?
「…ちょっと待った。と言う事は、あの怪物が僕を襲おうとしてたのを、おまえは知ってたのか?」
んー、と少し考える様な素振りをした後、つぶやくように小さく絵依子が口を開いた。
「……知ってた訳じゃないよ。でも、今日はあの怪物の気配が近くにあったから、もしかしたらぐらいには思ってたけど」
「…………」
「…あいつらはね、すごく強い意志を持ってる人や、お兄ちゃんみたいに絵を描く人を襲う事が多いみたいなの。少し前から学校の近くに来るようになったんだけど、はっきり言ってあいつの狙いはお兄ちゃんだと思う。今日戦ってみて…そう感じた」
「は……ぁ……!?」
…絵依子の言葉にびっくりすると同時に、とっさに反論の言葉が僕の口をついて出る。
「絵を描いてる人って…僕はもう違うぞ。だって僕はもう何ヶ月も描いてないんだぞ…?!」
「さっき言ったじゃん。あいつらは人を襲って、なんかエネルギーみたいなのを奪うんだよ。お兄ちゃんは描けなくなった訳じゃないでしょ?だからそのエネルギーみたいなのはまだあるんじゃないの?」
…なるほど。スポーツ選手が引退してからって、そうそうすぐに一般人レベルにまで体力が落ちたりしないようなもんか。絵依子の言葉に納得しかけた瞬間、僕は…さっきの絵依子のセリフをふいに思い出し、そこに妙な引っ掛かりを覚えた。
あの怪物が僕を狙っている?
少し前から学校に現れた?
絵を描く人間を襲う?
まさか・・・・・・。
「絵依子…美術の前川先生は知ってるか…?」
僕の問いに一瞬、絵依子の表情が強張ったように見えたが、すぐに淡々とした調子で口を開いた。
「…知ってる。話も聞いてるよ。たぶん…うぅん、間違いなくあいつの仕業だよ。先生は…お兄ちゃんに間違われて襲われたんだと思う」
「そ……んな……」
……すぅっ、と目の前が急に暗くなったような気がした。
『知らないほうがいい』という絵依子の言葉が、今になって重く…重く僕にのしかかってきた……。
つまり先生が倒れたのは、先生が入院して、今も意識が戻らないのは、僕のせい……僕の身代わりになったせいだって言うのか…?!
…真実を教えて欲しいと言った自分の言葉を、僕は今頃になって……後悔した。でも今さらだ。今さら過ぎる……!!
「…………っ……」
いろんな感情がごっちゃになって、まるで上手く頭が働かない。
だからなのか、ぐちゃぐちゃな思考のまま、僕の口から…自分でも信じられないような言葉が飛び出した。
「……絵依子。あの怪物をやっつける手伝いを僕にさせてくれ。今日みたいなやり方でもいいし、他に方法があるなら何だっていい。僕にできる事なら…!」
「…………」
真剣な僕の顔を見て、絵依子は一瞬目を丸くした。
でも、すぐに怒ったような顔になって僕を見たあと、小さく首を横に振った。
「……お兄ちゃんには無理だよ」
「どうしてだよ! あんなに上手くいったじゃないか! さっきは逃げられたけど、あの時とどめを刺してれば…やっつけられたんじゃないのか?!」
ぎし、と絵依子が椅子の背もたれに深く身体を預け直す。そして大きく息をつくと改めて僕を真っ直ぐに見据えて言った。
「…あの時も言ったけど、あんなのはたまたまだよ」
「………っ!」
あまりに冷ややかな態度で言い放たれた絵依子の言葉に、さすがの僕も少々カチンときた。だから、あの時とっさに思いついた作戦……あの怪物の戦い方を観察し、『実体化』と『霧体化』の使い分けを
見破り、それを逆手に取っての最後の一撃までの流れを力の限りまくし立ててやると、多少は驚いた様子だった。
それでも……絵依子の首が縦に振られることは…なかった。
そして……もう一度深くため息をつき、僕を突き放すように言った。
「……とにかく、あの怪物はわたしに任せて。それと、さっきも言ったけど、あいつはお兄ちゃんを狙ってるの。だから当分は学校を休んで。お兄ちゃんに出来ることは…それだけだよ」
「…それは…、おまえのカードが回復するまでって…事か……?」
僕の言葉に絵依子が小さく頷く。カードさえ回復すれば、あんな奴らには負けないから、とも。
「………っ…」
「…お母さんと学校には、お兄ちゃんは風邪って言っておくよ。それでいいよね?」
「………」
僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、絵依子はまた溜息を一つついて、テーブルに散らばったカードを集め始めた。
それを『オービス』とやらに納め直し、大事そうにカバンにしまい込むと、お風呂沸かしてくる、と言って立ち上がり、ダイニングを後にした。
一人残された部屋で僕はずっと考えていた。僕に出来ること。いや、僕がやるべきこと。それは絵依子の言ったこと以外に、本当に何もないのかと。




