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Realita reboot 第一幕  作者: 北江あきひろ
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Realita reboot 第一幕プロローグ

 ざわざわとぬるく湿った夜気を、乾いた甲高い音…金属とも石ともつかない物質のぶつかり合う残響の音が切り裂いていく。


 今や完全に人通りの無くなった駅前の駐車場からアーケード、そして大通りを抜け、音はより広く静かな世界を求めるがごとく移動を続ける。


 ギッ・・・・・・・・・ッッンンン!!!


 すでに街は闇に覆われていた。漆黒にさらなる音を響かせながら、二つの影が飛ぶように一瞬交差し、そしてまた離れる。


「あはははは…! やるじゃない!!」


「…あんたもね。ふ…ッッ!!」


 一人、いや、二つの声が少し離れた場所からほぼ同時に飛んだ。

 その声の主たちを、わずかな雲の切れ間から差し込んだ月の光が微かに照らす。


 それは少女だった。いや、少女たち、だった。

 わずかな間の後、再び少女たちが交錯する。


 激しくぶつかり合うたび、月の光を受けた二人の少女の長い髪が、きらきらとした淡い光を放つ。

 ごく薄い、ブロンドとも赤毛とも見える髪の色は同じ。150センチにも満たない、小柄な体格もほぼ同じだ


 再び距離を置いて見合う二人の姿は、まるで鏡を合わせたかのようだった。


 だが彼女たちがまとう服には違いがあった。暗闇の中に浮かび上がるシルエットに、それを見る事が出来る。


 もっとも、服とはとうてい呼べないフォルムを持った「それ」は現実に存在する、いかなる物とも異なっていた。


 あたかも空想の世界から抜け出てきたかのような異形は、中世の騎士がまとっていた鎧のようでもあり、かつ近代的なラインをも内包している。


 わずかな光の元では、両者のまとう「鎧」のデザインに、明確な違いを見つける事は困難だ。

 しかし、この闇の中でも分かるほどに、はっきりと異なる部分がもう一つ存在している。



 それは色だった。



 一人は黒、もう一人は白の「鎧」をその身にまとっている。だが何より異様なのは二人の「右腕」だった。

 両者の右腕には明らかな「武装」が施されていた。しかもその武器は鎧から伸びるようにして形作られている。

 一方は細く長い、槍の先端とも長刀ともつかない、しかし凶悪な殺意だけは明確に感じられる刃。

 そしてもう一方はといえば、こちらも殺意を剥き出しにしたような刀剣を、あたかもヒトの腕の形に叩き上げたような凶暴な拳。


 白と黒という対照的な色をまとった異形の少女たち。

 その右腕同士の奏でる音が、いよいよ激しさを増していく。


 黒い少女の側には同じく黒い影が三体寄り添うように蠢いていた。彼女の異形の腕、そして掌からの号令に従い、影が白い少女に一斉に襲い掛かる。

 その襲撃を避ける白。そこに黒も迫る。影と少女の「4人がかり」の攻撃に先ほどとは打って変わって白の少女は防戦を余儀なくされていた。


「なるほどぉ。そういえばあんたは絵が上手かったっけね…?」

 黒と影の攻撃を避けながら、少し鼻を鳴らしながら白がつぶやく。



 ぶん、と一際大きくその拳が振れた。あたかも巨人の力そのものをも得たような黒く強大な拳が、唸りを上げて「白」に迫る。


「………ッッ!!!」


 だが、白の少女は空中で、およそ有り得ないはずの体勢の変化を見せた。


 何もない虚空を蹴るように足を伸ばした瞬間、そこにまるで見えない壁が存在していたかのように、あるはずのない反動を得て、くるりと空中で身を翻し、黒い拳を避けてみせたのだ。


 それはこの世界に存在する、原理、原則、法則、自然…、その他ありとあらゆる「摂理」を否定したような機動だった。


 やがて両者ともに音も無く地面に降り立ち、再びお互いを正面に捉え向き合うと、薄い笑みを浮かべながら、黒の少女がゆっくりと口を開いた。


「えぇ。その通り。出来合いのカードに頼るあんた達とは次元が違うってことに、頭の悪いあなたでもようやく気がついたのかしら…?」


 その黒の言葉に、白の少女の口元が歪む。だがそれはおよそこの状況とは相容れないものだった。

「さぁ……それはどうなのかな…?」

 歪んだ口元…いや、微笑むような口元から出てきた言葉と同時に、白が黒に背を向け、走り出した。


「…なっ! に、逃げる気!?」

 黒の声を背に受けながら走る白が左腕を構える。箱のようなものが取り付けられている左腕のレバーのような棒を手首の方に引き倒すと、箱の中から一枚のカード、ハガキよりも一回りほど小さなカードが箱から頭を出した。そのカードを引き抜き眼の前にかざした白の口が、今度ははっきりと笑みを浮かべた。


「今さら逃げられると思って…?」

 黒の異形の腕が、ぶん、と振り下ろされた。それが合図だったかのように彼女の周りにいた影が弾けるように白に追いすがり、迫る。しかし次の瞬間。


 黒の少女の髪を何かがかすめていった。そしてやや遅れて、影の断末魔の声が二つ、小さく上がった。


「な……?」

「や~れやれ。こんな単純な手に引っかかるなんて、ね。バカみたい!

 あははっ!」

 見れば白の少女はすでに立ち止まり、その右手は先程とは異なる形を成していた。手の甲の両側から長く張り出し、わずかに湾曲したそれは、「弓」の形状そのものだった。


「…わたしが逃げたと思ったあんたは、メディウムにソッコー追わせた。あんたのメディウムはあんたに似てバカだから、合理的に最短にまっすぐにわたしを追うと分かってた。だから振り向いて一発撃てばご覧の通りってこと」


 致命的な一撃を受け、二体の影が霧散していく。

「あっ……! ま、待ちなさ……」

 残った一体も先の司令を実行すべく、白に攻撃を仕掛けたが、黒い少女の静止の声は間に合わず、白の『弓』…洋弓、アーチェリーでいうところの『リム』に当たる部分に「斬られ」、同じく霧散していった。

「……くっ……なんてこと……」

 苦々しく、絞り出すような小さな声で黒が呻いた。それが聞こえたのか、白の口元があざ笑うかのように歪み、愉快そうにつぶやいた。


「さぁて…そこそこ楽しかったけど、そろそろ終わりにしようかな…?」

「ま…まだよッ! メディウムがいなくてもッ……!」

 言うなり、黒い少女が異形の腕を振りかざし白に迫る。

「ハハッ! いちかばちかのトッコーってやつ? そんなの……っ!?」

 ぶん、と振り下ろされたその拳を白は跳躍して避けるが、彼女の『鎧』にはわずかにかすめた跡がくっきりと残されていた。

「……っ?!」


 やや怯んだように見えた白に、黒が二発、三発と追撃する。かろうじて攻撃を避けながらも、白い少女は違和感を覚えた。先程の攻撃よりも、はるかに拳の速度が増しているのだ。

『どうなってんの…? なんで見切れない……?』

 白い少女は直撃こそ避けているものの、すでに彼女の「鎧」には幾重もの痕跡が刻まれ始めていた。


 ギャリィィッ………ッッンン!!!!!!


 ついに凶拳の直撃を受け、白い少女が弾かれるように吹き飛ぶ。が、空中でくるりと身を翻して着地した。身体に当たる直前に手の掌で拳を受け止め、なおかつ自ら後ろに飛んだことで致命傷を避けたのだろうが、衝撃でその両手はかすかに震えていた。


「…今のはちょっとヤバかったかも。でも何? なーんかヘンだな……?」

「ちぃ……っ……」

 決めきれなかったことに対してなのか、黒が舌打ちをする。しかし。


『…あの子のカードがオリジナルのままなのは、これまでの戦いを考えればほぼ間違いない。残りの枚数から弓のカードを引く確率は4割ほどだったが、上手く当たってくれた』


『…そしてカードを引かせて「錬兵装(レアルム)」を変えるスキは与えない。先程の剣ならいざしらず、今の弓のままなら私の拳が打ち負けることはない…! それに…』


 ここまでの経緯と戦略を振り返り、白い少女の手の動きに注意を払いながら、じわじわと距離を詰める黒は半ば勝利を確信していた。そう、先程までの戦いはすべて、この時のための布石だったのだ。

 わざと序盤から速度を抑え、接戦を演じたのも、メディウムを倒されたのも、情けない声を上げ、捨て鉢になったかのように見せたのも、すべて計算したものだった。


 だが。



「なるほどなるほどぉ…あんたごときのスピードについていけないなんて、何かおかしいと思ったけどそーいうことか」

「……っ?!」


「なーんか違和感があったんだけど、やっと分かったよ。あんたの腕……さっきよりめっちゃ黒くなってね?」

「………!」

「…さっきのメディウムは倒されるとあんたの腕に再吸収されて、その分だけ腕が黒くなる。黒くなった腕はこの暗さに紛れて見えづらくなって、ほんとのスピードよりも見切りにくくなる……ってのが、あんたのこの技の正体なんでしょ?」

「…………ッ!!」


 己の技の秘部を看破され、黒い少女の表情に一瞬動揺の色が浮かぶ。

「……もしそうだとしても、判っただけじゃどうしようもないんじゃない?」

 声色はあくまで冷静だ。それが本心からのものなのか、虚勢を張っているのかは今の表情からは伺えない。


「さぁて……どうかな?」

 言うやいなや、白い少女が瞬時に弓をつがえる。その速さはこれまでとは別物だ。しかし放たれた光の矢は黒い拳にあっけなく弾かれる。


 2発、3発と放たれたものの、その全てを弾いた腕から黒が顔をのぞかせた。

「ふふ……残念だったわね。あなたのその攻撃では私にダメージは与えられない。だから言ったでしょ? 判っただけじゃどうしようもないって」


 黒い少女の言う通り、白の矢はほとんど何の効果もないように見えた。

「弓」はロングレンジからの攻撃を可能にするが、その分、一撃の攻撃力は剣や槍、斧という直接の打撃には及ばないのだろう。かすかな傷をつけただけで、黒い拳が秘める威力、威容は、いささかの衰えも感じさせなかった。



「ふぅ……さっきのあなたの言葉じゃないけれど…、そろそろ終わりにしましょうか」

「……ふん…」

 今度こそ勝利を確信した黒が、大きく拳を構える。対する白も光の矢をつがえておよそ5メートルほどの距離で向き合う。

 しばらくして、だん、と地面を蹴る音が鳴ると同時に、黒い少女の身体がその場から消えた。そしてまた同時に、白が光の矢を放つ。


『…前回も今回も狙いは急所の頭。こんな程度の威力では、私の錬装衣(イニティミア)を貫くことは出来ない以上は頭に狙いを集中するのは当然なのだろうけど、これでは弾いてくれと言ってるようなものよ』

 またもたやすく矢を弾き、白に迫る黒だったが、ふっと先程の自分自身の思考に対して疑念が一瞬よぎる。


『…この程度の威力…? いえ、確かに弱い。むしろ弱すぎる…? なら、それはどういう…』

 走りながら思考を巡らせたものの、白を射程内に収めた黒い少女は考えるのをやめ、渾身の一撃を繰り出した。狙いはがら空きの腹部だ。例えどうであれ完全に夜の闇に同化した拳、不可視の拳を避けることは誰にもできないのだから。


 そのはずだった。


 全力で放った一撃は、白い少女の身体に風穴を開けるはずだった。しかし実際はその拳は、ただ虚空を貫いただけだった。

「そ……んな…バカな…っ」

 予想外の事態に狼狽を隠せない黒だったが、すぐ側にある白にすかさず二撃目を放つ。しかしこれもあっさりと避けられてしまった。


「バカな……こんな…こんなことっ!」

 上中下段、あらゆる部位に向けて拳を振るうが、黒のそれはすべて、完全に見切られているようだった。

 そして一瞬、黒が息をついたその瞬間、白い少女の手が彼女の喉に伸びた。


「が……ぐっ!」

「…あんたもつくづくバカだねぇ。わたしが何も考えずに攻撃してたと思った?」

「ぐぐ……な…何……?」

「あんたのその腕、見てみ?」

「………?」


 白の右腕で首を絞め上げられながら、黒の少女が掴まれている自分の右腕に視線を落とす。次の瞬間、黒の顔に恐れとも畏れともつかない色が浮かんだ。

 白い少女が放った光の矢。その痕跡とも、傷跡ともつかない、うっすらとした光を放つ幾重もの筋が、黒い腕と拳に浮かんでいた。


「見えないんなら見えるようにすればいいだけっしょ? あははははっっ!!!!」


 …不可視であるはずの闇の拳は、すでにその力を失っていたのだ。


 完全に一枚、上を行かれたと黒い少女が顔色を失う。あるいはそれは白の手による喉元への圧迫のせいなのかもしれないが。

 しかし黒の目はまだ勝負を捨てた色ではなかった。なぜならば。


「ぐぐっ…! くっ……!」

「っち……うざいなぁ…」

 拘束されている右腕に力を込め、少々わざとらしく暴れてみせる。苛立った白が黒の右腕を後ろ手に捻り上げる。


『…これが最後の切り札…。まさかここまで追い込まれるとはね……』

 後ろ手にされた右腕は白からは見えない。その隠された指が、かすかに動いた。その刹那、付近の茂みに潜んでいたと思われるメディウムが二体、姿を現すやいなや白い少女を背後から強襲した。


 しかし次の瞬間。黒を掴んだままの白が、くるりと反転した。まるで後ろに目がついているかのように。 

 いかに自分が作り出したものとはいえ、攻撃の意思を持たされたメディウムとまともにぶつかればダメージは免れない。とっさに停止の命令、指示を送り、寸前にメディウムは動きを止めた。


「ま、こんなことだろうと予想してたよ。あんたほど用心深くて頭が悪い奴なら、何体かそのへんに「保険」を置いとくだろうってね」

「……?! …くっ……で…でもどうして……」

 完全に動きを止めたメディウムを刈るように蹴ると、二体は呆気ないほど霧散した。


「あのメディウム、指で操ってんでしょ? だからあんたはわざと暴れて、わたしから右手を見えなくした。それで安心したあんたが指を動かす瞬間を、腕の腱の動きから読み取っただけなんだけど?」

「………っっ…!!」


「い…いったいどうやって…誰と出会ってここまでの力を……っ?」

 もはや一枚どころではない。二枚も三枚も白い少女が自分の上を行っていることを認めざるを得なかった。


「もうさすがに打つ手なしっしょ? んじゃあ……そろそろ死んどく?」

「この私が…こんなっ…そんなバカなことっ……!」

「バカはそっちよ。まーだ力の差がわかんないのかな…?」

 ギリギリと首を締め付ける白の握力が増していく。みしみし、めきめき。痛みよりも不快なその音に、たまらず黒が絶叫する。


「……ま…まっでぇぇッ!! ゆる…許じでぇッッ!! こ…殺さないで…ぇッッ…!!」


 痛みか屈辱か、あるいはその両方か。少女の顔はとめどなく流れゆく涙に塗れ、ぐしゃぐしゃだった。


「あははははっ! 今更なに言ってんの? …そっか。あんた……死ぬのが怖いんだ?ねぇ、なんで? どうして? あはは! あははははっ!!」

「た…助けてくれたら…見逃してくれたら……何でもするわ!」


「……へぇ…?」

「あ、あなたのお手伝いもしてあげる! ねぇ…悪い話じゃ…ないでしょっ!?」

「………」

 黒い少女の命乞いの言葉に心を動かされたのか、ふいに白の手が首から離れた。どすん、と地面に尻もちをつき、黒が咳き込みながら喉を押さえるのを白が冷たく見下ろす。


「ねぇ…さっきの台詞、ほんと?」

「え……も……もちろんよ? あ…あなたの願いが叶うのをお手伝いするわ! 私たち二人で他の連中を倒して…」

「じゃあ、あんたの願いはどうすんの? あんたにもあるんでしょ?」

「そ……それは……」

 言い淀みながら、黒が少しづつ後ずさる。それと同時に呼吸を整える。一か八かの口からのでまかせが、意外にも功を奏したのだ。しかし黒に戦う意志はもはやない。この場からどうやって逃げ切るか。それだけを黒は考えていた。


「わ。私の願いはたいしたものじゃないから! そ、そう! あなたの願いのついででいいの!」

「ふ~~ん……ほんとかなぁ…?」

「わ…私は母様と……ママといっしょに暮らせればそれでいいの! 誰からも詮索もされずに…誰からも邪魔されずに居られれば……それでいいの! だから…!」


 次の瞬間、充分に距離を稼ぎ、呼吸も元に戻ったと察した黒が、バネ仕掛けの人形のように飛び起き、脱兎のごとく駆け出した。だが。


 数歩も進まぬ間に、黒い少女はまるで見えない壁に弾かれるように行く手を阻まれた。

「……な……っ」

 ぶつかった箇所からの鈍い痛みに、不可視の壁が目の前に存在していることを理解した黒が呻く。

「これは…まさか……でもいつの間に……っ?」


「…あ~ぁ。やっぱり嘘じゃん。まったくどいつもこいつも人間ってのは…って、わたしら人間じゃなかったっけか。あはは!」

 ふらふらとかろうじて立ち上がった黒の少女に、ずんずんと大股で白が迫る。

 振り向いた先の少女の目に浮かぶ尋常ならざる色を見て、黒は今度こそはっきりと逃げられないことを悟った。


「わたしの『アウト・ロゥ』はわたしの絶対空間。誰も逃げられないし誰も入れない。さて…今度こそサヨナラだね」


 ズ・・・・・・バァ・・・ッッ・・・!!



 白が右腕を振り下ろすと同時に、黒い少女の肩口から鮮血がほとばしった。それが二人の少女の鎧を赤く赤く染めていく。


「ひ…ぎぃあああぁあーーーーーーッッ?!!」


 とっさにガードしたはずだった。しかし、絶対の強度と硬度を誇るはずの黒の右腕はバターに熱したナイフを入れるかのごとく、何の抵抗にもなっていなかった。


「あがぁっ??!! ……なんでっ…なんでぇぇ……ッッ???!!!」


 白の少女がいま自分を切り裂いたのは、『弓』だ。剣でもなければ槍や斧でもない。『弓』にそんな力も強度もあるはずがない。右腕ごと左腕を根元から切断された激痛に絶叫しながら、鮮血をまるで噴水のように撒き散らしながら、黒はただ混乱し、恐怖していた。


 いつの間にか彼女のまとっていた鎧は、ごく普通の黒いワンピースドレスに変わっていた。だが、止め処なくどくどくと溢れ出す鮮血が、高価そうなドレスを異様な色へと徐々に変えていく。

 落ちた腕にも、少女らしく派手ではないが、一目で高価なものと分かるアクセサリーが着けられていた。爪も美しく整えられ、この少女が暮らす家の豊かさがうかがえる。


 そのほっそりとした腕を、返り血を浴び、白と赤のまだらに染まった少女が、ごり、と無造作に踏みつけ、再び黒の首を掴む。


「さーて、放っておいても死にそうだけど、せっかくだからとどめ刺してあげるよ。ね、どこがいい? 首? 心臓? それとも…アジかホッケみたいに、キレイに真ん中から開いてあげよっか? ふふふっ……!」


 まるで親しい友人や家族に、夕食の相談をしているかのような気安い口調で少女が問いかける。楽しげに微笑みすら浮かべながら「黒」に迫る姿は、しかし明らかに常軌を逸している。


「ごろざないで……おねがい…っっ!」

「リクエストがないならこっちで決めるよ? あぁ、せっかくだからもう一つ種明かししてあげようか?」


「あんたはわたしの今の武器を『弓』だと思ってたみたいだけど、実は違うんだよ。ほんとはね……」


 黒の細い首を締め上げる白い少女の右腕…その甲から左右に長く伸びた『弓』が90度回転する。と同時に、『リム』が内側に折り畳まれていく。

「……っ! ッッ…!」

「これはね、ほんとは『ハサミ』なんだよ。途中で気づいてたら、あんたにもチャンスがあったかもね。でも……もうオシマイだよ」


 少しづつ、少しづつ折り畳まれていく『リム』…いや、二枚の凶刃が、黒の少女の喉元に迫る。

「ゆるじで……母様が…ママがッ……まっで……」


 その言葉が最後まで発せられることは、無かった。


 じょりん。ごりっ。


 金属同士が擦れるような音と、硬質な何かを切断した音が同時に鳴った。少し遅れて、ごとり、と重みのある物体が地面に落ちる音がした。

 やがてそれは、びちゃびちゃ、と変化し、周囲には生臭い匂いが立ち込めていった。



「…あはははは…! ばーか! 残念だったね!!あはははははは!!!」


 狂ったように白い少女が哂う。その前に横たわる、つい先ほどまで「少女だったモノ」は、肩と首からどくどくと地面に赤い花を咲かせていた。

 もうぴくりとも動かないそれを見て、さらに白い少女が大きく大きく哂う。




「あーーっはっはっ!! やったよ! お兄ちゃん! もうすぐ! もうすぐかなうよ!! 全てが!! あひゃひゃひゃひゃっ!!! あひゃーーーーーーーーーーーーーっひゃっひゃっひゃッッ!!!!!」


 静まり返った夜の公園に、いつ果てるともなく狂気に満ちた笑い声が響いていた。


 いつまでも、いつまでも。



「號帥、こちらです…」

「……ん…」

 がっしりとした体格の男性が声を発した。和装に坊主頭、さらには一般に錫杖(しゃくじょう)と呼ばれている棒のようなものを手にしたその出で立ちは、日本伝統の仏教の僧侶のように見える。

 その僧侶から『號帥(ごうすい)』と呼ばれた少女が、わずかに顔をしかめた。報告を受け、やって来た公園からは、かすかな血の匂いが嗅ぎ取れた。


「……ほんで? 『これ』がウチに見せたいもんなんか?」

 じろり、と僧侶を見やるの表情と声は、明らかに不愉快そうだった。血の匂いがあるということは、ここで誰かが戦っていたのか、あるいは殺されたのだろう。

 だがそんなことは珍しいことでもなんでもない。そしてその戦いの後始末は、彼女の部下たちの仕事なのだ。なのに呼び立てられたことに、少女は苛立っていた。


 いまだ憮然とした表情の主は、まだ少女と言って差し支えない、およそ十代後半ほどの年の頃だろうか。

 身長はおよそ160センチ半ばほどと、平均よりはやや高いものの、すぐ横の男僧の胸ほどしかない。しかし、その少女の態度にわずかに男僧の声が怯んだ色を見せる。


「いっ、いえ…。見て頂きたいのは…中です」

「ったく…こんな時間まで引っ張り回しおって…。朝課までもう何時間もあらへんやないか。師兄に言うて懈怠(けたい)させてもらお…」

 ぶつぶつと小さく愚痴をこぼしながら、ゆったりとした(たもと)と衣の裾をひるがえして少女が公園の入口に向かう。少女の出で立ちもまた男僧と同じ和装ではあったが、こちらは有髪である。

 錫杖も手にしてはいるが、その形状は男僧のものとはやや異なっていた。


「んで…? 何がどうや……ッッ?!」

 入り口に立った瞬間、公園から放たれている異様な空気に、少女が声を失う。

 彼女の経験の中で、かつて感じたことのないレベルの、「妖気」とでも表現すべき異常な空気が公園内に立ち込めていた。さらには公園内の遊具はいくつか破壊され、原型を留めていないものもあった。


「な…なんやこれ……いったい……」

「…お分かり頂けましたか。むろん我々もすぐに、今夜出ているこの区域担当の全員で『修復』を試みました。しかし……数十人がかりでもこの有様なのです……」


「……なん…やて…?! そんな…アホな……」

「…つきましてはこの件、堂長並びに本山へのご報告をお願い致したく、ご足労賜りました」

「あ……う、うん。わ、わかった……。ほな帰ったらすぐにやるわ……」


 あまりの事態の異常さに、先程までの不遜な態度は鳴りを潜め、少女はうろたえたままの顔と声でどうにか男僧に返事をしながらも、無意識なのか、そうでないのか、じり、じり、と後ずさる。


 ここにいればいるほど、「妖気」に精神をやられて頭がどうにかなりそうだった。横に「部下」がいるおかげで、かろうじて逃げ出さずにいられているだけで、もし自分一人だけならとっくにこの場から走り去っているだろう、とさえ少女は思った。


「では…この後の処置はいかが致しましょう…?」

  ようやく帰れる、と思った次の瞬間、男僧の声が少女の耳を叩く。

「そ、そやな……、とりあえず…物理的にこの公園は隔離や。誰も近づけんようにな…」

「……っ! ここの『修復』が終わるまでですか…? いえ、承知致しました…」


「…スマンな。キツイ仕事やと思うけど、他にどうしようもあらへん。ほな後は頼んだで…」

 衣の裾をひるがえし、今度こそ少女は駆け出した。

 『その場所』から離れることで安堵の気持ちが膨らむ一方で、逆にその心中には得体の知れない不安と恐怖が湧き上がりつつあった。


『分からん…何が起きてるんや…。それとも何か…何かとんでもないことが始まったんか…?』


 夜明け前の薄暗闇の中を、切り裂くように走りながら、『號帥』と呼ばれた少女は自問した。しかし答えなどあるはずもなく、ただ少女は走り続ける。


 ごく近い将来に、自分がその運命の渦中に投げ込まれることも知らずに。






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