薔薇の下で
彼女を見かけたのは偶然だった。
校舎の裏へと歩く彼女。
そっちへは行ったことがない。
一体何があるのだろう?
疑問に思いながら、そっと後をつけた。
そうして行き着いたのは小さな温室だった。
こんな場所があったなんて、知らなかった。
彼女は中に入り薔薇の世話を始める。
その楽しそうな顔をしばらくぼーっと見つめていた。
それからだ、彼女のことが気になり始めたのは。
いつも楽しそうにしている彼女。
どうしてそんなに楽しそうなのだろう?
目で追ってしまう。
その彼女は今日、教壇に立っている。
「何か質問はありませんか?」
美化委員長である彼女、安藤梢は教室にいる美化委員たちに向かって質問をした。
「はい、どうして委員長はいつも楽しそうなのですか?」
「…委員会以外の質問は控えて下さい。
他にないようでしたら終わりにしたいと思います」
さりげなく無視され、思わず舌打ちをした。
「足利君は少し残って下さい」
梢に言われ、結城は口を尖らせた。
立ち去る委員たちとは逆流をして、結城は梢に近づいた。
「何ですか、委員長?」
「…委員会でふざけるのは止めて」
にらんだ顔が可愛くて、思わずからかいたくなる。
「ふざけてないよ。
俺は本気だよ。
ねえ、どうしてそんなに楽しそうなの?」
意味が分からない、と梢は眉をひそめた。
「裏庭の温室にいる時なんか特に」
穏やかな顔をしている。
壊してしまいたくなるくらいに。
梢はため息をついて結城を見つめた。
「別に普通でしょう?
好きなことをやっているから楽しいのよ。
足利君にはないの?」
ないね、と結城は即答した。
「そう。だからって委員会中にあんなことはしないで」
梢は困った顔をした。
その顔が可愛いので、結城は肩をすくめて承諾した。
委員会が終わった後、梢は裏庭にある温室に向かった。
まさか結城が温室の存在を知っているとは思わなかった。
ただでさえ、裏庭には人が来ない。
だから存在を知っている人は少なかった。
梢は園芸部に所属していた。
温室は小さいが、そこでは薔薇を育てている。
温室には誰もいなかった。
ここは落ち着く場所だ。
薔薇の甘い香りは梢の心を軽くさせた。
今日、結城がした質問が気になった。
どうしていつも楽しそうなの?
そんなこと言われても分からない。
こっちこそ聞きたい。
どうしていつも退屈そうなの?と。
梢はアーチを作っている薔薇に手を伸ばし触れた。
思わず笑みがこぼれる。
「ほら、やっぱり楽しそう。どうして?」
結城が温室に入ってきて、聞いた。
梢は結城を見て言った。
「じゃあ、私も聞くわ。
どうしていつも退屈そうにしているの?
何がそんなに不満なの?」
結城は眉をひそめて梢を見た。
「不満?俺が?」
「そうよ。欲しいものが手に入らなくて、拗ねている子供みたい。
足利君は何がしたいの?
何が欲しいの?」
結城は首をかしげた。
何がしたい?
何が欲しい?
目の前には梢の顔。
そうして背後には匂い立つ薔薇。
何が欲しいのか、唐突に分かって結城は右手で顔を覆った。
「あー、ちょっと待って。
今、頭の中を整理するから」
結城は左手を梢の前に突き出し、考えこんだ。
つまり、欲しいのは梢なのだ。
薔薇に向ける笑顔が欲しいのだ。
まったく、本当に子供だ。
欲しくて、駄々をこねて、意地悪をした。
クッと結城は笑った。
今更分かるなんて。
今更自覚するなんて。
結城は右手を下ろし、梢を見た。
小首をかしげている梢。
そんな梢が無性に愛おしくて、抱き寄せた。
「ちょっと…!」
驚き、暴れる梢をなだめて耳にささやく。
「俺、委員長が好きみたいだ」
え?と梢は動きを止める。
そうして緩んだ結城の腕から顔を上げた。
その頬はほんのり赤く染まっている。
「under the roseって知ってる?」
「薔薇の下で?」
「そう、薔薇の下での行いは二人だけの秘密なんだよ」
結城はそう言うと梢にそっと口付けた。
今日は美化委員会の緊急集会があった。
梢に告白してから二日後のことだった。
「何か質問はありませんか?」
梢は教壇に立ち、委員たちに問いかけた。
誰一人何も言うこともなく、終わるはずだった。
結城が手を上げて質問をするまでは。
「はい、委員長!この前の返事を聞かせて下さい」
結城が楽しそうに梢を見ている。
まったく、あんなに楽しそうな顔も出来るじゃないの。
「…委員会以外の質問は控えて下さい。
他にないようでしたら終わりにしたいと思います。
足利君は少し残ってください」
梢がそう告げると委員たちは席を立ち、教室を出て行った。
「足利君、委員会でふざけるのは止めてと言ったでしょう?」
梢は結城をにらみ付けた。
「ねぇ、返事は?」
「返事って?」
結城は肩をすくめた。
「俺は好きだと告白したんだけど?
それに対する返事をもらってないよ」
「…何のこと?」
梢は仕返し、とばかりに結城を見て微笑んだ。
「これから薔薇の世話をしなくてはいけないの。
暇なら足利君も来ていいわよ」
じゃあね、と梢は結城に手を振り、教室を出て行った。
薔薇の下での行いは秘密なのだ。
そう、二人だけの秘密。
だから返事は温室でしか答えてあげない。
突然の言葉に少し呆然としていた結城は、我に返り慌てて梢を追いかけた。
「委員長!ちょっと、待って!」
バタバタと結城が走る音が廊下に響いた。