表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編作品

サルでも分かる国家機密

作者: あさままさA

 中学校に入って慣れない一年目を終えた俺には疑問がある。

 日本では計算上、二十秒に一人くらい人間が死んでいる計算になるらしいのだが、一向に俺の目の前でドラマのような殺人事件が起こらない。加えて、俺の親族で不幸があったという事もなく、近所で葬式が開かれていたとはいえ、死というものを俺が目の当たりにしたわけではない。死体だって本物か分からない。

 だから俺の疑問はこうだ。


 本当に、人間は死ぬのか――?


 もっと言ってしまえば、実際は「死にはしない」という事実を隠ぺいするための工作が行われているのではないのかと思っているだ。

 そもそも、殺人事件という生物にとって忌避すべき事情を題材にした作品が世に送り出されているのがおかしいと思っていた。自分達の同族が殺されていく様をパズルゲームみたいに爽快感と共に味わう、サスペンス。

 こんなもので喜ぶ生き物はきっと人間くらいだ。

 だが、そんな創作物が敢えて出版されたり、放送される理由。

 そうだ――。

 誰もが手軽に恨みや憤りを他人にぶつけぬよう、存在しない「死」を宣伝しているのだ。俺はそういった作品の存在意義をそのように捉えている。

 刃物を体に刺せば肉を貫き、突き刺さる、血が出る。それは分かる。物理的に理解できる。しかし、どうして人間の命は失われるのか。教科書を探したけれど、どこにも「命」と書かれた臓器やその役割を成す器官であったり、体液は存在しなかった。

 つまり、失われるべき命、などそもそも存在しない――だからこそ、死というものは言うまでもなく幻想だ。

 憤れば相手を傷付ける事を知っていて、腹が減れば目の前の生物を切り裂いて食する事を躊躇わない「生き物」だから。そんな生き物の中で知能を与えられてしまった人間は、不用意な事で傷害事件が起きぬように、死を隠蔽する事にしている。命が失われるという重篤さを持って、恨みや憤りを話しあい等の解決に持っていく。理性的で、理知的な方法で物事を解決するために、「死」という偽りの概念を生み出したのだ。

 誰も――殺さず、殺されぬように、と。

 テレビドラマを見て、自分も刃物を突き刺せば動かなくなる、意識もなくなる。それは怖い事だと教育しているのだ。あまりにも深層心理に刻まれているため、何とも思わなくなった人々が娯楽として楽しんでいるが、実際に死の恐怖はある。恐怖した親が幼い子供に教えるからこそ、それは三つ子の魂百まで的に伝染していく。

 血を見て怖がる人種がいる。

 臓器を見て気持ち悪いと言う人種がいる。

 だが、あれは教育の賜物だ。動物が、獲物を殺して貪る時に「グロテスクだ」などと忌避したりするだろうか? そういう状況を「人間対人間」という状況で忌避できるように擦り込まれた人種の中でも、特に強く暗示されているものが「グロテスク」という感想を口にするのだ。

 人間は身を守るために――「死」を作りだした。

 全ては偽りで、本当は人間が死ぬことなどない。

 ただ、傷付いてどうにもならなくなる事はあるだろう。動けなくなったり、喋れなくなったり……そんな存在を捕食するわけでもない人間にとっては「死」という概念が必要だった。そう、本当は獲物として狩られた動物にも意識はあって、でも動けないだけなのだ。それを食い、食われる。

 ――他にこうも言えるだろう。

 死を信用させるために歴史が存在するのであって、実際にこの世界は今と寸分違わぬ状態で作り出されて、変化なく続いているのだ。父さんも母さんも、これから先ずっと死ぬ事無く存在し続けるはずなのだ。

だから、無用な傷付け合いを避けるためにこの世界は「死」という嘘をついている。

 ならば――そんな真理に触れたならば、答えは一つ。

 俺はこの世界が必死に吹聴する死の真実を解き明かすべく、淡々とした気持ちで両親の「胸に包丁を突き刺す」という行動を行ってみた。これは殺めるという行いではない。何故なら、死は存在しないからだ。血が大量に溢れて、苦しみ悶えた後に両親は動かなくなった。これは殺めるという行いではない。何故なら、死は存在しないからだ。でも、それは心臓が破損して血液が循環しなくなった事で体に不備が起きたからで、死でも何でもない。これは殺めるという行いではない。何故なら、死は存在しないからだ。

 そう思うと俺は気分が明るくなって家から出て、通行人を立て続けに刃物で襲った。首筋を刃物で掻ききったり、閉じていたヘソを開いてやったり……そんな最中に、一抹の不安を抱えて内部から「命」を探ったが見当たらなかった。

 小説は嘘だった。

 殺しに伴う緊張? 恐怖?

 そんな気持ちになったりはしない。

 殺しに伴う悦楽? 快感?

 そんな気持ちになったりはしない。

 殺しに伴う後悔? 悔恨?

 そんな気持ちになったりはしない。

 数人を襲った所で警察がやって来た。抵抗する事無く俺は彼らに従った。もう、十分に真実を解き明かす殺しは行ったからだ。それに、彼らに恨みがあるわけではないのだし。

 殺人の現行犯と言われて俺は「本格的に情報操作が擦り込まれているらしいな」と思った。警察の人間はやはり、そうでなくては。

 犯行の動機を聞かれて、俺はこの国が隠蔽している「死」の概念を解き明かすのだと豪語する。その回答に、警察の奴らは首を傾げて「何を言っているんだ?」という表情をしており、流石は盲目的に生きてきた秩序の構成員だと見下しながら、持論を話した。

 命はどこにも存在しなかった。

 つまり――、失われないのだ。

 捕食を必要とせず、生きる上で傷害を恐れるがあまり「死」を流行させて、秩序を形成した。それが罪に問われるだとか、自分がされたら嫌だからと殺しを避けるように仕立てた国家規模の大嘘。

 でも、それが悪いとは思わない……ただ、俺は知りたかっただけだから。

 本当は心臓を貫かれて動かなくなったって、生きてるんだ――両親も、通行人達も。

 そう俺が語ると警察は嘆息して頭を抱え、暫しの思考を持ってこう言った。

「心臓が止まっても、血液が空っぽでも、命が存在しなかったのだから失われていない。つまりは生きている、か……それが、君の否定した『死』と――どんな差があるんだい?」

 意味不明だった。

 意味不明だった。

 意味不明だった――。


 それから――俺はドラマで見たような豚箱というものに放り込まれた。これからはしばらかうここで暮らす事になるらしい。まぁ、国家に叛逆した存在にとって当然の報いだろうか。きっと、死という概念を擦り込むよう、徹底的に洗脳するのだろう。

 まぁ、どうでもいいけれど。

 ……そんな時、俺は「死」に懐疑的となった以来の疑問が脳内に浮かぶ。

 死と同様に「生命の誕生」というのも、なかなかどうして懐疑的ではないか。

 男女の交わりによって生まれる新しい「命」、か……。

 ここを出たら――解き明かしてみるか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] シリアスだ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ