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風の待合室

作者: yuiko kaya

作者が海外古典文学に影響されて突発的に書いた短編です。

 「あれは、こんな風の強い日の事だった」

 ヘアトン爺さんはそう言って僕に隣に座るように指し示したが、僕は終ぞそんな気分にはなれず、首を振った。

 「一体ここは何処なんです?」

 僕は語尾を強めて何か知っている様子の老人を問い質した。

 ヘアトン爺さんは別に怒ったり困ったりする様子もなく、まるで僕の心情を察したかのようにひとつ瞬きをして視線を何処か遠くへ向けた。

 応えようとしないヘアトン爺さんに僕は苛立ちながらも、逸らされて僕に向けられることのない視線に何故だか少し安心したような不思議な気持ちに陥った。

 やがてヘアトン爺さんが語りだした。





 私の村は風が吹かない事で知られていた。

 村の決まりはただひとつ“吹かない風が吹いた日に家を出てはいけない”というものだった。

 それは子供に限らず、大の大人も小さな風が流れただけで屋敷の戸を閉め、窓を隙間なく埋めて内側の部屋に集まった。まるで悪魔から身を隠す様に村の人びとはそれを徹底していた。

 積年の風習によってそれは村の常識であったにも関わらず、私は私が物心つく頃にはその風習が異常な物であると気味悪く感じていた。

 だから私は村でただ一人の異端だった。異端は疎外される。私に友と呼ばれる存在が居た記憶は一切ない。

 だがそれが哀しいとも思わなんだ。私は風を知っていた。

 私が十五になる頃、私は初めて親の意に背いた。風の荒々しく吹く日に外に出たのだ。その時の心地よさ、快感はきっと君には想像できないものだろう。風が全身を包み、まるで女神の(かいな)に抱かれ撫でまわされている様な心地よさ、未だに忘れはしまい。

 だから、あの手の上を流れ髪の中を遊び足の隙間をくぐりぬける何とも言い難い愛いものを、忌み嫌う大人たちが不可解で仕方がなかった。

 その日を境に私の行動は常に外へ向かった。風こそが唯一で秘密の友とも言って過言ではなかった。


 私の故郷では風を恐れて外に出るのは収入源である織物の材料を刈る時ぐらいで、主に屋敷でそれを編んだりするのが日課で、出かけると言っても屋敷と屋敷に繋がれた窓の無い渡り廊下で往来は事足りた。外で逢ったとしても用事があれば渡り廊下を使って屋敷で行えばいいので、態々恐ろしい風がいつ吹くかわからない外でゆっくり話をするなどもっての外、すれ違いに気付いても殆どの人が相手に構わないので、私がしょっちゅう外に出ている事に気付いているひとはおらず、よって見咎められる事も無かった。


 外の世界は素晴らしかった。

 季節によってにおいが違い、吹く風も異なるものだった。

 その頃の私は既に故郷の大人の誰よりもこの村の事を良く知っていたに違いない。

 そして私は気付いてしまった。風が空気を運ぶ事によって生き長らえる植物を知ったのだ。そして着実と根を張る様に私は大人たちへの疑心を強めていった。


 だが、私は知らなかったのだ。

 大人たちがああまで頑なだったそのわけを。


 あの日もこんな風の強い日の事だった。

 その日も私は両親に見つからない様に屋敷を後にした。渡り廊下を使った形跡を残す事も忘れない。

 ああ、両親は私の所業に付いて辛抱強く私を説き伏せようとしたが、私はそれを真正面から受け止める気は一切なく、隙を見計らっては外に出ていた。

 あの日の風は少し乱暴で、水に浸かって腐りかけた草木の様な臭いがした。

 曇天の下、風の青々と乱れ生える野草をかき乱す様は芸術だと私は思った。その景色を少し行くと急激な坂の野山に向かう。

 このところ一番気に入りの場所に私は向かっていた。街の全貌が景観出来る私の特等席だ。

 手入れされていない野山の急勾配を進むのは一苦労だが、お気に入りの景色を見る為ならば、その位苦にはならない。私は只管(ひたすら)に一歩一歩踏みしめ、弾む様な気持ちで進んでいた。


 そんなときだ。


 ――ヒューオ、  ヒュウーオ、


 妙な風の音が聞こえた。

 それでもその日は特別風が強くなってきたせいだと、私はその事に興奮して心躍らせながら進み続けた。

 けれど、進むにつれて音は大きく、そして私に付き(まと)うように近づいてくる。


 ――ヒュウオ、


 進み続けて幾らかして、私は立ち止まった。

 いや、立ち止まらずにいられなかったのだ。


 風が、私を、捕まえた、


 ――我は、何物にも侵されぬ、唯一つのモノ


 私はわけがわからず、だがそれで大人たちが風を悪魔と呼ぶ理由が判った様な気がした。


 あれ以来、大人たちにも、両親にも会えていない。いや会う事はもう金輪際叶わないだろう。私もすっかりいい歳の爺さんになってしまったのだから。


 私は唯一つのモノになった。



 老人の話が終わった。

 ヘアトン爺さんの話を聞いて、僕は何もこたえなかった。いや、答えられなかったのだ、結局僕は僕であって、彼の事なんてどうでもいいと思ったから、適当に頷いていただけだった。だがヘアトン爺さんはそんな僕にしたり顔で今度は黙り込んだ。


 一体何なんだ。大体にしてここは何処だと僕は問うたはずなのに全く答えてないじゃないか。

 僕は憤っていた。なのにどうしてか眠くなってしまって、ヘアトン爺さんに勧められるがまま眠ってしまっていた。





 ――さあ時間が来たよ。





 僕は夢の中にいた。いや、過去を客観的に見る、というおかしな夢だった。

 僕には二人の妹がいた。八歳のジェーンとその二つ下のモニカ。二人はいつも僕を怒らせて楽しむ様などうしようもない妹達だった。

 ジェーンは手が開けばすぐにモニカに悪戯して虐め、モニカより優位に立つ事で自分を誇示し、モニカは泣き叫ぶ事で常に自分が世界の中心であるかのように周囲の同情を集めた。

 僕はその喧しいものを止める為にジェーンをキツくしかる。

 が、結局モニカは母親が帰ってくるまで被害者面で泣き喚くし、ジェーンは母親が帰ってくると決まって全て僕が悪いかのように言って見せた。

 それならば妹たちに関わらなければ良いのだが、それはそれで最終的に二人を止めなかったことについて母親に悪態をつかれることは目に見えていたから、だから僕はジェーンの髪を引っ張って頬をぶって黙らせ、モニカの方は部屋に閉じ込めて廊下に置かれていた馬の銅像で扉が開けられない様にして閉じ込めた。壁越しに喚き声が聞こえたが、これで数時間は耳元で叫ばれることも無いだろう。

 ジェーンは自分よりも弱いモニカがいなくなると、僕から虐待されるのを恐れて部屋の隅で僕を凝視していた。

 そうして僕はあと数時間しかもたない平穏な時を勉学に当てた。

 凡そ三時間たって母親が帰宅した。扉の開閉が聞こえたと同時に駆けだす音はジェーンの足音だろう。予想通りジェーンの告げ口を聞いた母親は荒れ果てた部屋の現状に目もくれず、真っ直ぐに僕の方に向かってきたと思うと僕を突き飛ばして言った。


 「この疫病神め!」


 頭の緩い母の第一声はそんな罵倒だったかと思う。

 いちいち相手にしてられないので適当に流して適当に謝って適当な話をふれば母親は僕のスペースから出て行ってくれるだろう。

 僕を怒る目には愛情や憎しみの色は間違っても無い、蔑んだようなものだった。母親はいつもそうだ、昔から僕をないがしろにしたがった。

 生憎いつもは無関心な父が余計な事を言ったモノだから、僕は母親からの干渉を受けなければならなくなってしまったが、それまでの期間、僕がスクールに入るより前の頃はまともに母親と話した事がなかった。


 父は普段はまともに帰ってきやしない。家に執着がない人なんだろう。母は僕に対してはヒステリックで、その反動なのか知らないが、二人の娘は真綿でつつむ様に丁重に甘やかした。

 僕は、僕ばかりが損をしているような気がして、どうして母を憎まずにはいられなかった。


 母の無駄な罵声を振り上げた拳で一方的に話を打ち切って、僕は中庭に出た。


 真っ赤なバラのアーチは母の好みだが、棘のある花なんて趣味が悪いと僕は思った。

 ざあ、と風が吹いて真っ赤な蔓バラが風に踊らされる。


 一瞬、僕は消してしまいたいと思った。いや、この家から逃れたいと思ったんだったか…どちらでもいい。

 ただ、学生をやるにはお金が必要で、一人でやりたくても稼ぎながら学ぶことは僕には出来ないと思っているから、学費を払ってくれる父から離れるのは現実的に無理な話だ。


 そんな事を思っていると僕の目の前には知らない老人の姿があった。





 場所も、見覚えが無い無機質な部屋。


 訳がわからない僕を放って老人はヘアトン爺さんというらしい。身勝手にも僕に自己紹介を求めてきた。だが僕は応じなかった。

 記憶が曖昧だが、混乱して誰かのように喚き散らしていたように思う。

 ヘアトン爺さんはそんな僕に椅子をすすめて、自分が座ると彼自身のことを語り始め、僕は不思議な睡魔に襲われて眠ってしまったんだったか。


 そして今、僕を寝かしつけたはずの老人が目の前に倒れている。心なしか影が薄く感じた。

 そういえば、夢から覚める前に確かに彼の声を聞いたのだ。



 「ここは風が作り出した“時ノ狭間”、一度連れて来られたものは逃れることは出来ないという。ここにきて私は自分の罪を知った。長い年月をかけて、やっとだ。だからきっと君が来たのだろう」



 ヘアトン爺さんは冷たいが、どこか安らかな表情で眠っていた。

 きっと彼は二度と目覚めないに違いない。

 聞いた話を思い返してみた。十代から七十近くの老人になるまでの長い年月をヘアトン爺さんは立った独りで過ごしたのだろう。


 そして僕はそれがどういう事なのか、気づいてしまった。

 僕も彼と同じような道をたどるに違いない。

 何年か、何十年か、次のこの“時ノ狭間”の守人が現れるまで、ここで自分の事を考え続けて、そして最後に懺悔して生を終えるのだろう。

 それは後味の良い、終わり方なのだろうか?それを知るだろうヘアトン爺さんは消えてしまった。

 僕がここに連れて来られた理由は、忌避してやまない家族にあるのだろうが…よく分からない。


 ああ、だが不思議なものだ。あの忌わしい家に帰らずとも済むと思うと嬉しい筈だのに、何故か今は懐かしく後ろ髪を引かれる様な気さえする。進学が叶わなくなったからだろうか?否それ自体も家をでる為の願いだったはずだ。それとも?


 結局老人は彼の両親に会う事が出来たのだろうか?

 僕は彼がいつのまにか消えていた場所を見降ろして、そこに腰かけた。




 今もずっと、“時ノ狭間”は誰かを待ち続けている。


青年の複雑な心境を書きたかったのですが、上手く表現するのは難しいですね。自己満足ですみません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 如何にも海外古典文学風の作品ですね。日本でいうところの神隠しの様なものでしょうか。 こういう話は大抵、残された人の観点で語られるものですが、連れ去られた方の視点で書かれたのはなかなかいいア…
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