アンクルアンドドーター
玄関で私は座りこみ、雨粒がノックするのを聞いていた。
冷えた春雨が、殴り込みでもするかのように扉の外で騒いでいる。しっとりと重く、肌に貼り付く空気は息を詰まらせ、何とも気持ちが悪い。こんな日は、さっさと髪を洗って寝過ごしてしまうに限る。私は立てたひざの上に頭を乗せ丸まった。
体が、支えられない。皮膚は汗ばみそうなくらい熱いのに、内臓が冷え切っていて震えそうだ。
子供の頃からそうなのだ。天気と一緒に体調を崩し、雨の夕方には微熱になる。夜が更けると熱は上がり、咳が出る。何かの病気なんじゃないか、私は何処かおかしいんじゃないか。不安を抱え朝を待って、いざ病院に行こうと目を覚ましたら、昨夜の苦しさが嘘のように治まっている。
気まぐれな不健康。何度となく繰り返しているうちに、父はさほど心配してくれなくなった。
濡れタオルで私の顔を拭って、笑う。
もう、またか?
声は冗談めかせても、薄明かりの中見上げた父の顔には、疲労が浮かんでいた。一日働き続けて、日焼けした鼻が赤い。窪んだ目は、父を実年齢より老いて見せた。父と母、この人は私の為に二人分歳をとっているのかしら。小学校にも上がり切らない時分であったが、それが酷く悲しかったのを覚えている。その頃から、私は父にとって負担なのかもしれないと思っていた。
それにしても、遅い。
お尻の下のフローリングの冷たさが、私の表面では有り難く、同時に私の内側をゆっくりと蝕んでいった。心地良いのに苦しくて、生温い。
上手く呼吸が出来ない。
早く帰って来ればいいのに。遅い遅い遅い遅いよ。
体は一刻も早く柔らかなベットを求めている。早く休みたい。そればかりが頭の中を回転し始め、私はいらいらと踵をタイルで打ち鳴らした。別段、父の添い寝が無くては眠れない歳でもないのに、侭ならないとは何たること。回らない頭でも、聖さんが言いそうな嫌味をすぐに思いついてしまう。私は堪らなくなって、髪が跳ねてしまうのにも構わず、ぐしゃぐしゃと掻き毟った。
みんな皆、貴方のせいなのだ。
勝手だとは分かっているが、私は叔父の預かり知らぬ理由で、簡単に逆恨みした。
私は叔父を名前で呼んでいる。小さな頃はそれなりに顔を見たらしいが、物心ついてからは疎遠だった男を、いざあっさりと家族みたく呼ぶのは、どうしても抵抗があったのだ。父の弟なのに、父に恐ろしく似ていない神経質そうな顔立ちは、姪だとか、生温い血の気安さを拒絶している風情もあった。私の言い訳と彼の口にしない主張から、私は同居生活の始めに名前で呼ぶことに決めた。
雨が、私がタイルを踏み鳴らす、ぺたぺたという間抜けな足音と調子を合わせてくる。その度に、膝は揺れ載せた頭は振られ、髑髏のおばけみたく私はかちかちと噛み合わせた。
あんまり聖さんが遅いから、私は死んでしまったの。
熱を帯びてきた脳は、現実逃避を始める。自称クリスチャンな無宗教者である彼は、その手の冗談を本気で軽蔑するところがある。私より10も年上な男の人が、そうやって子供のように感情を顔に出すのが何だかおかしくて、私は暇さえあれば悪戯ばかりを考えている。
自分の歯音と、雨足に被せてもう一つ、微かな物音が近づいてきた。甲高い革靴の音。私はそっと地団駄の歩調を揃えて行く。来る。ぼさぼさの黒神が顔にかかるのも構わず私は弾かれたように顔を上げてそれを待った。
足音は扉の向こう側で止まる。
ノック所か鍵も確かめず、無遠慮にドアノブは回った。
「聖さん」
扉を開けて、玄関に座り込んだ私に驚くより早く、聖さんは不愉快を貼り付け眉を寄せた。