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【連載版執筆中】貧乏令嬢はホワイトハッカー ~暗号解読で敵軍を丸裸にしたら冷徹辺境伯に囲い込まれました~

作者: きゅーび
掲載日:2026/06/06

 コゼット・マイヤーはただでさえ小さな身体をより縮まらせ、ぷるぷると小動物のように震えていた。

 15歳という年齢のわりに細く小さな身体、亜麻色の髪は飾り気のない三つ編みで、瞳はサンゴの色だった。

 田舎町出身の男爵令嬢、しかも家は超がつくほどの貧乏である。

 実家はあちこち雨漏りだらけ、主食はジャガイモ、お肉は数週間に一度ほど。町の商人の方が数倍もいい暮らしをしているだろう。

 そんなコゼットが栄えある国立学園に入学できたのは、成績の良さから学費免除を提案して貰えたからである。貴族の娘が学費免除と鼻で笑う者もいたけれど、マイヤー家は誰も気にしなかった。

 かくして国立学園に入学したコゼットの目標はただ一つ。目立たず、平和に、就職先をゲットする。

 ――それがどうしてこうなった。


「コゼット・マイヤー男爵令嬢、掲示板の暗号を解いたのは君に相違ないか?」


 目の前にはいかつい顔の騎士がずらりと並び、一様にコゼットを見つめている。

 その目にあるのは、戸惑い、疑心、あるいは嘲り。

 場所はエスカラーダ帝国の帝都中央軍事司令部――その最奥に位置する、一般兵の立ち入りすら禁じられた第一作戦会議室。マホガニー製の重厚な長机が中央を陣取り、壁には国旗と軍旗が飾られている。

 足元の絨毯は、騎士たちの硬い革靴の音すら飲み込むほど高級なラグが敷かれ、窓はこの部屋の機密性を表すかのように厚く垂れこめた冬空のような曇りガラスだ。


「あの、……その、ええと、……」


 何故、どうしてバレたのだろ。

 コゼットがその暗号を見かけたのはたまたまだった。貧乏学生であるコゼットは生徒たちの嫌がる雑用を請け負い、ひっそりと小銭を稼いでいた。

 その日、コゼットは騎士科の寮へ繕い物を届けて帰る途中であった。

 そこで騎士科の食堂掲示板に貼りだされた文字の羅列を目にしたのだ。


 【USZUS GWHUE OYHSO VSTLA SHROD HKOM】


 コゼットの視線は吸い寄せられ、……足が止まる。

 その瞬間に、自分の中に突風が駆け抜けるような、不思議な感覚に襲われた。

 脳裏に拡がる無数のモニター、文字、知らない筈の知識。春の嵐のように押し寄せる、溺れるほどの情報量。

 これはもしや、前世の記憶というやつか。

 パチ、パチと零れそうに大きな瞳を瞬かせ、コゼットは掲示板に近づいた。


 解ける気がする。


 漠然とそう思った。

 そして、気がついた時には常に持ち歩いていた筆記帳に猛然と文字を書き殴り、――そうして答えにたどり着いた。


 【RETREAT TO BASE EISEN IMMEDIATELY.(直ちにアイゼン砦へ撤退せよ)】


 暗号のすぐ下に文字を書き込んだ。

 これでいい。サインを残すつもりはない。知的好奇心を満たされてコゼットは大いに満足した。

 知識はある、けれど記憶はあやふやだ。朧げに『ホワイトハッカー』と呼ばれる職種についていた事は思い出した。

 前世の自分も仕事の合間に暗号解読をして遊ぶのを好んでいたのだろう。

 そんな事を思いながら騎士寮をあとにしたコゼットは、暗号を解いた事すら忘れていた。

 故に、その後、騎士寮が「誰が暗号を解いたのか」と大パニックになっていた事も知らなかった。

 そう、知らなかったのだ。今日、こうして、帝都中央軍事司令部に呼び出されるまでは。

 呼び出し、いや、それはほとんど連行だった。


「もう一度尋ねよう、コゼット・マイヤー男爵令嬢、暗号を解いたのは君に相違ないか?」

「いえ、まさか、……」

「もし君が暗号を解いたのであれば、賞金として金貨50枚を贈呈しよう」

「私がやりました! あッ!」


 しまった。コゼットは口を押さえる。

 思わず金に釣られたのが運の尽き、それがコゼットの運命を大きく変える事になったのだ。






「さて、それではどうやって答えに行きついたのか説明して貰えるか?」


 口を開いたのは若き辺境伯ジェイド・アルフレートであった。長く伸びた白銀の髪に色素の薄い碧眼。

 僅か14歳にして、辺境伯の名を引き継いだジェイドは、氷のごとき美貌とは裏腹に、業火のごとく苛烈な戦術でもって幾度となく国境を守りぬいたエスカラーダ帝国きっての将である。

 24歳になった今、その美貌はますます冴えわたり、国中の乙女たちの心を鷲掴みにしているとまで言われている。

 だが、現状のコゼットの心情は、ときめきなど一切入り込む隙もなく、文字通り心臓を鷲掴みに、――生死を天秤にかけられている気分だった。


「まさか、帝国軍司令部で虚偽の申し立てをした訳ではあるまいな?」

「ひえ!」


 口ごもるコゼットに追い打ちをかけるようジェイドの冷え切った声が響く。

 コゼットは震えながらも壁掛け式の大黒板の前に進み出て、暗号を書き記した。


 【USZUS GWHUE OYHSO VSTLA SHROD HKOM】


「最初に文字数とアルファベットの出現頻度を調べました。Sが5回、Hが4回と偏りがあるので、単一換字かなと思いました」

「単一換字?」


 年老いた将軍が口を開く。


「はい。単一換字は、定められた変換表に基づいて文字を読み変える暗号です。

 暗号を渡す相手に、あらかじめ変換表を渡しておくのです。AはG、BはHというように、26文字のアルファベット全てに読み替える文字を定めておきます。

 暗号を受け取った側は、変換表に基づいて書き直せば解読できるという仕組みです」

「その方法は、我が軍の暗号解読部隊も把握している。だが、これはその方法が通用しなかった」

「はい、その通りです。しばらく考えてみましたが、この方法では解くことが出来ませんでした。なので、別の方法を試してみました。――ヴィジュネル暗号です」


 コゼットは一度言葉を切ってから、黒板に向き直った。


「ヴィジュネル暗号だと仮定した場合、文字の偏りがある事から鍵となる文字は非常に短いと考えました。流石に2文字は短いので、3文字あるいは4文字。まず、3文字で仮定した場合、始めの部分の『US(・・)ZUS(・・)』で『US』が2度出現している事に注目しました」

「待ってくれ。君の言っている事がまるで分からない。ヴィジュネルとは、鍵とはなんだね?」

「ええと、その、……これから解いていきますので、それをご覧になって頂ければ分かると思います。まず、鍵が3文字として、文書を3文字区切りに分けていきます」


 【US(・・)Z US(・・)G WHU EOY HSO VST LAS HRO DHK OM】


「その上で、先ほどお話した2度出現する『US』が何に該当するかを考えました。

 ここで候補に上がるのは『TH、HE、IN、 ER、AN、RE』です。この並びは2文字綴りでもっともよく使われる上位5種です。

 このどれかが『US』の部分に該当する筈だ、と思いました。

 とはいえ、これだけではヒントが少なすぎる。なので根本的な部分、これは『何の暗号か』という部分に注目しました」


 ジェイドは先ほどから黙って説明を聞いている。だがその視線は背を向けていても突き刺さるように鋭かった。


「暗号文は29文字、これは非常に短いです。4文節、あるいは5文節。極めて端的です。

 さらに騎士科の掲示板に貼りだされていた事から『軍事指令』である可能性が高い、と考えました。

 そこで軍部が指令を送る際の、一般的な書き出しを考えてみました。私が思いついたのは4種類です」


 コゼットは黒板に文字を書き込んでいく。


 ・SURPRISE(奇襲)

 ・ADVANCE(進撃)

 ・RETREAT TO(撤退)

 ・SCOUT(偵察)


「さてここで、先ほどの2文字綴りの話を思い出して下さい。5種類の候補のうちの『RE』が暗号の解だとすれば『RETREAT TO』がマッチします。そこで、暗号文の書き出しが『RETREAT TO』では、と考えました。つまり、……こうなります」


 変換前 【US(・・)ZUS(・・)GW HU】

 変換後 【RE(・・)TRE(・・)AT  TO】


「それではおかしい!」


 声をあげたのは若き戦略分析官だった。


「【WHU】が【TTO】に変換されるのでは理屈が通らない!」

「確かに単一換字なら同じ文字には変換されません。でも、この暗号は『1文字ごとに、ずらす文字数が変わる』のです。……では、どうやって元に戻すか、書き出しの【USZ】を【RET】に戻してみます」


 コゼットは黒板にアルファベット一覧を書き出した。


【A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z】


「暗号の〈U〉を〈R〉に戻すには、アルファベットを左に3マス戻します」


【A B C D E F G H I J K L M N O P Q R() S() T() U() V W X Y Z】


「ついで〈S〉から〈E〉までは14マス、〈Z〉から〈T〉までは6マス戻します。

 この【3、14、6】という『戻す数』のセットがこの暗号のルールです。これをアルファベット順に置き換えると【DOG】になります」

「何故だ。3番目の文字といえばCだろう」

「貴方が歩き出す時、スタート地点は一歩目と数えませんよね。それと同じです。

 ただ、ひとまず【DOG】という単語は忘れてもらって構いません。

 とにかく、3文字ごとに【3、14、6】と戻して読む。それがこの暗号のルールです。このルールさえ分かれば、……」


【USZ USG WHU EOY HSO VST LAS HRO DHK OM】

 ↓3文字ごとに【3、14、6】と戻す。

【RET REA TTO BAS EEI SEN IMM EDI ATE LY】


「出来上がった文字を適切な区切りに直すと、……RETREAT TO BASE EISEN IMMEDIATELY、直ちにアイゼン砦へ撤退せよ、となります」


 コゼットは大きく息をつくと恐る恐る顔をあげた。

 会議室の騎士たちは、恐らくその半数はいまだ理解しきれていない様子だった。

 しきりに首を傾げ、黒板のアルファベット表を数えながら唸り声をあげている。

 だが、コゼットが提示した方法であれば暗号が解けるのは事実であった。


「素晴らしい、コゼット嬢」


 そうしてやはり、声をあげたのはジェイドだった。その端正な口元が微かに笑みを象っている。


「つまり、この暗号はあらかじめ鍵となる言葉、――今回の場合は【DOG】という単語を定めておく。

 暗号文を受け取ったものは、この鍵に合わせて、アルファベットをずらす事によって読み解く事が出来る訳だな」

「その通りです」

「では、鍵となる言葉が【KING】であった場合は、暗号文を4文字区切りに【10、8、13、6】とずらして読むという事か?」

「はい、……そうです」


 コゼットは息を飲んだ。

 数字のルールだけでなく、文字の区切りのルールまで見抜いたのは流石としか言いようがない。

 このヴィジュネル暗号は中世から近世にかけての時代に生み出されたものだが、解法が確立したのは19世紀と言われている。それは、暗号解読がしばしば言語学者の仕事であった事や、統計学の概念がなかったこと等が起因する。

 その解法を一度聞いただけで理解し、即座に応用までしてみせるのは恐ろしいほどの才覚だ。


「コゼット嬢、鍵が判明していない他の暗号文も読み解く事が可能か?」


 その問いかけに、会議室にいる騎士たちの視線がいっせいにコゼットに突き刺さる。


「……その、今回の暗号文は、とても運が良かったんです。鍵となる単語が3文字と短く、『RETREAT』に含まれる【RE】の登場する間隔が、鍵の周期と一致していました。この幸運と、書き出しの定型文が当て嵌まったという2つが重なっていなければ解けませんでした。

 もし、鍵が5文字以上であれば、【RE】の繰り返しにも気付くことが出来ませんでした」

「では、難しいか?」

「一つの文書ではとうてい無理としか言わざるを得ません。ただ、同じ鍵を使いまわした複数の文書が揃えば、読み解くことは出来るかと思います」


 本来、暗号を解くための鍵は毎回変えるのが正しい運用となるだろう。

 しかし通信技術が未発達であり、兵たちの理解度が高くない時代において、暗号キーを毎回変えるのは不可能に近い。

 それなりの期間に渡って同じ鍵が使い続けられるだろう。


 ここにきて流石のコゼットも気が付いていた。

 この暗号が敵軍である、リヴォルタ連合のものであること。

 そして自分は、その暗号解読員の候補として呼び出されたという事に。

 だがコゼットが望むのは、目立たず、平和に過ごすことである。軍部での仕事などあり得ない。


「コゼット嬢、わが軍の暗号解読班として働くならば、一月に金貨10枚を支払おう」

「やります!」


 コゼットは前のめりに即答した。






「分かった! 今回の鍵は【GLORY】だ!」


 コゼットが暗号解読班に臨時加入してから2ヵ月。

 しばしは同じ鍵が使いまわされていた暗号だったが、流石に数か月がたち鍵が変更されたのだ。

 新たな暗号文を積み重ね、試行錯誤の上に導き出した新たな鍵。

 その答えに行きついたと同時に、コゼットは机に突っ伏した。


 暗号解読班員たちが詰める部屋は、帝都中央軍事司令部の地下に位置している。

 機密を取り扱う事から仕方ないとはいえ、暗くかび臭い部屋だった。

 部屋の壁が隠れるほど本棚が並べられ、そこに詰まった本は数えきれないほどだった。一部の棚は本の重さによって歪んでおり、それでも入りきらなかった本が床に山積みになっている。


「はいはい、お疲れさまですね」


 コトンっと音をたて机の上にカップが置かれる。顔をあげればそこにいたのは護衛騎士のケネスだった。

 ケネスはジェイド直属の騎士である。栗毛色の髪を刈り上げた短髪、涼やかな碧眼の好青年だ。

 コゼットは護衛など不要だと言ったのだが、ジェイドは頑なに暗号解析員の重要さを主張した。結局はコゼットが折れる形になったのだ。

 そのケネスは当初は生真面目な態度で接してきていたが、コゼットが気軽な距離感を望んだことで、近頃はかなり打ち解けている。


「あうー、疲れた。でもこれでようやく解読できる……」

「鍵が分かったんでしたら、解読は他の職員に任せてコゼット嬢は休憩しましょうね」


 ケネスの言葉に、同じ部屋にいた解読班の職員たちが頷いた。


「コゼットさん、このところ泊まり込みだったじゃないですか。今日はもう帰って休んでください」

「鍵が分かればあとは我々で解読できます」

「ええと、……でも」


 渋るコゼットに、ケネスが首を傾げる。


「なるほど。では、ジェイド閣下に『コゼット嬢は三日三晩ろくに寝ていらっしゃらない』とご報告差し上げましょう」

「待って」


 コゼットは慌ててかぶり振った。

 ジェイド・アルフレートはコゼットに対して過保護であった。

 「戦時とはいえ男爵家の一人娘を、軍事徴用する事となったのだから特別扱いは当然である」と宣って、アルフレート家別邸の一室をコゼットのために解放し、常日頃から高級なお菓子や紅茶が差し入れられる。

 コゼットとしては、ただ純粋に怖かった。

 暗号解読の重要性は理解できる。だが、こちとら嫁の貰い手すらないような地方の貧乏貴族である。正直、もうちょっと雑に扱われた方が安心する。

 ちなみに、学園の籍はそのままだが実態は休学扱いで、期限は国家緊急事態における軍事要請が解除されるまで。期間中は『国家奉仕』として単位を全認定、任務解除後にそのまま復学・卒業を保証される、……という条件をジェイドが学園側に強引に押し通した。

 怖い。

 表面上の耳に聞こえはいいけれど、実質、無期限の囲い込みじゃなかろうか。


「コゼット嬢は働き過ぎです。過労で倒れられては僕の首が飛んでしまう」

「過労は、……確かに怖いかも」


 前世の記憶は朧げだが、過労という言葉にはやけに怖気が走るのだ。

 もしかして前世の死因は過労死だったりするのだろうか。


「で、でも、まだ陽が高いし、頭が活性化しすぎてて部屋に戻っても眠れなそうで……」

「ではこうしましょう。屋敷に戻る前にサロンに立ち寄って季節限定デザートを満喫する。甘くて美味しいものを食べれば気分も落ち着いてきっと眠くなりますよ」

「それはそうかも」


 コゼットが頷くとケネスも満面の笑みで頷いた。

 美味しいデザート、華やかなサロンでの寛ぎのひと時。ふわふわと妄想していたコゼットは、半刻後、散歩と騙されて病院に連れてこられた犬のような顔になっていた。


 おのれケネス、謀ったなッ!


 フロアを彩る花々は戦時中とは思えぬほどに鮮やかで、風がふくたびに甘い香りが柔らかく鼻孔を擽っていく。

 ガゼボに置かれた丸テーブル、そこに並ぶ焼き菓子もこれまた花のように美しい。

 だが、それらを全て弾き飛ばすほどの圧倒的な存在感、――そう、目の前にいる男、ジェイド・アルフレートによって、まるで極寒の戦場に変わっていた。

 コゼット以上に激務であるジェイドが、偶然居合わせるなどという事はありえない。すなわち、コゼットがここに来ると知っていたのだ。


「暗号の新たな鍵を見つけ出したと聞いている」

「はい、あの、随分と時間がかかってしまい、上層部の皆さまの気をもませることに……」

「何を言っている? 無であったものが、形を成した。お前が来るまで、上層部の連中はその答えは神のみぞ知ると嘆いていたのだ」

「左様でございましたか……」


 コゼットは無言で紅茶を啜る。正直、紅茶の味もお菓子の味もいまいち分からないほどに緊張する。


「あの、それで、戦線の様子はいかがでしょうか。実際にお役にたてておりますか?」

「疑うべくもないことだと思うがな。ああ、だが言葉にする事こそ意味があるとよく父に言われたものだ。マイヤー男爵令嬢、質問の答えは”この上もなく”役にたっている、だ」


 生きてる全てが舞台の脚本かと思うほど、とにかく台詞が回りくどい。

 コゼットが返答に窮していると、ジェイドは優雅な所作で席を立った。


「先に席を立つ無礼をお許しいただきたい。あとはゆっくり楽しむといい」

「いえ、とんでもないです。ジェイド閣下に置かれましては、お忙しいところお時間をとって頂き……」

「世辞は不要だ。では、失礼する」


 マントを翻して去って行く背を見送り、コゼットは大きく息を吐き出した。

 傍らにまるで彫像のように立っていたケネスもほっと肩の力を抜く。


「ううう、怖い。相変わらず何を考えてるか分からない」

「いえいえ、ジェイド閣下は、確かにもの凄く怖いし、恐ろしい方ですが」

「やっぱりそうなんだ」

「ですが、お考えはそう複雑ではないと思いますよ」

「私には全然分からないよ。ケネスさんと話してた方がよほど気が楽でいい」

「その発言は僕の首が飛びかねないのでお許し下さい」


 ケネスの首はちょっと軽すぎやしないだろうか。コゼットは首を捻りながら、改めてデザートに手を伸ばした。






「これより、我がエスカラーダ帝国軍は、大規模な捕虜奪還作戦を敢行する。貴官ら暗号解読班には、本総作戦の『中枢』として機能してもらう」


 急遽、暗号解読室に姿を表したジェイドによって告げられた言葉に、屋内の面々の背筋が伸びる。

 ぴんと空気が張り詰める緊張感。

 コゼットもまた大きく息を吸い込んだ。


「斥候の報告によると、敵捕虜収容所が存在するバスクダ砦へ、リヴォルタ連合の筆頭公爵・ルシュフォード卿が視察に赴くとの確報(かくほう)を得た。

 好機である。この機に乗じ、敵の通信網へ偽謀(ぎぼう)暗号を注入する。『公爵の奉迎(ほうげい)のために砦の主力を割け』と偽の軍令を回し、収容所周辺の防衛線を一時的に無力化させる」

「おお、……ついに、……」


 思わず言葉を漏らしたのは、暗号解読班の主任だった。

 本来、このような場面において部下が口を差し挟むのは無礼にあたる。だが、主任の声には深い悔恨が入り混じり、誰もそれを咎めようとはしなかった。

 ジェイドは咎める代わりに、ただ一度だけ視線を向けた。その瞳は部下の無念を背負う覚悟が宿っている。


「作戦実行は7日後、……マイヤー男爵令嬢には偽の軍事指令の作成を依頼する。解読班各位は令嬢の補佐を最優先とせよ」

「かしこまりました」


 各員が頷き、ジェイドが踵を返す。

 その途中でふと動きを止め、振り返った。


「マイヤー男爵令嬢、こたびの作戦は貴殿の協力があってこそ初めて実現したものだ。心より感謝申し上げる」

「い、いえ、そんな、……」


 恐縮するコゼットにジェイドは僅かに笑みを浮かべ、再び踵を返して立ち去っていく。

 その背中を見送るコゼットに、声をかけたのはケネスだった。


「……リヴォルタ連合は先の海戦において壊滅、敗戦処理のための講和勧告を一度は受諾しました。

 しかし、突如それを反故にし、宣戦布告もなく国境線へと侵入、非武装の街を強襲し、物資や領民の略奪を敢行したのです。

 結果、国境全域の街から数多の領民が『捕虜』として連行されました。

 帝国は幾度となく公式な返還要求を行ってきましたが、連合軍側は一切の外交交渉を黙殺し続けています」


 コゼットは大きく息を飲んだ。


「私、そんな恐ろしい話……。市場の商人が話していた、誇張された噂話かとばかり思っていました」

「民の混乱を防ぐため、帝国は公式発表を控え、情報統制を敷いていましたからね。国境沿いの悲劇は『怪聞』として処理されていたのです」


 マイヤー家も田舎貴族であるものの、国境からはまだ遠い。

 だが、一歩間違えば襲撃を受けていた可能性は十分に存在しただろう。

 ふと見れば、解読班の面々の中には、歯を食いしばっている者もいる。主任もまた俯いたまま拳を握っていた。彼らの中に、家族や知人が攫われた者がいたのだろう。


「軍部も再三にわたり奪還作戦を立案したものの、潜入・退路の確保における兵站的リスクが過大であると判断され、決行には至りませんでした。

 ですが今回、マイヤー男爵令嬢が連合軍の暗号解読に成功したため、奪還作戦が実行可能となったのです」

「そんな、ことが、……」

「ええ、ですから、ジェイド閣下も本作戦にはことさら力を入れていらっしゃるんですよ」

「事情はよく分かりました。任せて下さい。必ずや完璧な暗号文を仕上げてみせます」


 拳を握りしめるコゼットに、解読班の面々も力強く頷いた。






「た、大変ですッ!」


 軍部の連絡員が顔を真っ青にして部屋に駆け込んで来たのは、偽の暗号文を提出した2日後、作戦決行まであと2日に控えた日の事だった。

 

「どうしたの? まさか暗号文に不備があった?」


 コゼットが慌てて問いかけると、連絡員の男は首を振る。

 その筈だ。コゼットは暗号文を作りあげ、それを暗号解読班の全員で再三にわたりチェックした。

 間違っている筈はない。


「鍵が変わったのです」

「鍵が?」

「はい、こちらは昨日『バスクダ砦』に届けられた連合軍側の指令書です。ご覧ください」


 【XRSRI RXIQR PWSEL THUNI SIMRM GIIUE RXIXI LETEL RERGJ JPLA】


 コゼットは慌てて筆記帳を広げると、暗号文を書き写していく。解読班の面々も一斉にペンを動かしたが、やがて皆が頭を抱えながら項垂れた。


「……解けない。鍵が【GLORY】じゃなくなった……?」


 指先から血が失われていくような絶望感。

 鍵が変化したならば、当然のこと敵を欺くための暗号文も、それに沿って直さなくてはいけなくなる。

 直せなければ奪還作戦そのものを中止せざるを得ないだろう。


「指令書は、……新しい鍵の指令書は他にないんですか?」

「唯一入手できたものがこれだけなのです」

「そんな、……」


 足りない。

 これだけで新しい暗号を割り出すのは恐らく、とても難しい。初めての時のような幸運がそうそう訪れる筈はない。


「……修正までの猶予はどれくらいありますか?」

「総司令部からは、明朝まで、と」


 間に合わない。目の前が真っ暗になっていく。

 文字数はわずか49文字。文字の繰り返しが表面に浮かびあがって来ていない。


「こうなったら、総当たりで試してみるしか」


 班長の声にコゼットは力なく首を振る。


「仮に鍵の長さが5文字だとしたならば、組み合わせは1100万通り以上です。手作業の総当たりで明朝までに終わる筈がありません。その5文字という前提すら、正しいかどうか分からない」

「それじゃあ、この作戦そのものを、……諦めるしかない、と」

「……少し、……考えさせてください」


 コゼットはよろよろと立ち上がった。

 息が苦しい。取り合えず部屋から出たかった。

 暗号解読室を出て地上へ向かう。司令部の中庭まで出て、ようやく息を吐き出した。


「大丈夫か?」


 じゃりと土を踏む音が響き、振り返ればそこにジェイドが立っていた。


「あんまり、……大丈夫じゃないかもしれません」

「此度の件において、マイヤー男爵令嬢にいっさいの責任はない」

「分かっています。ただ、悔しいだけです。私なら出来るって思ってたのに、肝心な所で駄目になってしまって」

「――此度の、機会が流れただけだ。いずれまた必ず機会が訪れる」

「でも、捕まってる人たちにとっては全然平気じゃない。今回を逃せば、次の機会までに、死んでしまう人も沢山いる」


 ジェイドは押し黙った。下手な慰めは口にしなかった。それが嬉しくもあり辛くもあった。

 しばらく沈黙したジェイドは、やがて穏やかに口を開く。

 

「少し、昔話をしよう。これは私の子供の頃の話だが、我が弟が犬を飼っていた。狩りのための猟犬だが、他の犬たちに比べ遥かに身体が小さかった。小さい故に、足もあまり速くない。だが、……獲物に食いつくと、決して離しはしなかった。

 ――お前を見ていると、あの猟犬を思い出す」

「それって、……もしかして慰めてるつもりなんですか?」

「そのつもりだが、私はどうも言葉にするのが下手らしい。何か話そうにも、結論だけでなく話している過程まで、全て口から出てしまう」

「すべて口に……? あの長ったらしい言い回しは思考が駄々洩れだったってだけの事だったんですか?」


 口に出してから、しまったと慌てて手で押える。

 だが、ジェイドは肩を揺らし、低く笑い声を響かせた。


「その通りだ、マイヤー男爵令嬢。故に普段は出来る限り黙っているのだがな。お前を目の前にすると、どうも何かを話したくて仕方ない。余計な事を漏らしてでも、少しでも長く会話が出来ればいいと、そう思って、……」

「――待って下さい」


 ふいにコゼットは鋭く会話を遮った。


「犬、……そうだ、犬、最初の暗号鍵は【DOG】だった。その次は【GLORY】。栄光は分かる。でも、軍事指令の暗号鍵として、【DOG】は相応しくない。ちがう、……相応しい理由があるんだ」


 人がパスワードを設定する時、何かしらの『既存の単語』を選んでしまう癖がある。

 人の脳では無意味な単語の羅列を記憶することが、非常に難しいからだ。

 前世の世界では、そうした人間の心理を突き、用意した単語リストを順に試していく『辞書攻撃』というハッキング手法が存在した。

 連合軍が選んだ鍵にも、元となるリスト、引用元となる何かが存在する。

 DOGとGLORY、この二つを繋ぐ何かがある。


「ジェイド閣下、連合国側の、……軍規、軍歌、それに中核となる部隊の伝承などが載っている資料はありませんか?」

「……それならば、帝国軍事資料室に」

「見せて下さい。いえ、見に行きます。暗号解読班全員に入室権限を与えて下さい!」

「承知した。正式な使用手続きは後ほど取らせるが、ジェイド・アルフレートの名において即時使用を許可する」

「ありがとうございます!」


 コゼットはスカートの裾をたくし上げ、その場から全力で駆けだした。


「……正しく猟犬だな、マイヤー男爵令嬢」


 後に残されたジェイドは、苦笑交じりに柔らかくその名を呟いた。






 帝国軍事資料室で、暗号解読班はひたすらにページをめくっていた。

 ランタンの灯りはゆらゆらと揺れ、長時間、細かい文字と向き合っていれば次第に霞み、二重写しに見えていく。

 皆が目をこすり、時折唸り声をあげながら、文字の上を視線で撫でていく。

 時間はとっくに深夜をまわり、空が白み始めてきていたが、誰一人として文句を言うものはいなかった。

 護衛騎士のケネスも、解読班に混じって黙々とページをめくっている。


「あッ!!!!」


 唐突に、解読班の一人が声をあげる。

 その声に一斉に皆が振り返った。


「あ、……あ、見つけ、ました、これです、この、リヴォルタ連合の騎士勲章の授与式においての伝承の項目です。

 ここに、【The D()o()g() of War, The G()l()o()r()y() of Peace.(戦争の犬たれ、平和の栄光たらん) 】――、と」


 その言葉に皆が一斉にペンをとった。


「となると鍵は【WAR】か【PEACE】か?」

「自分は【WAR】を試します」

「では私は【PEACE】を」


 コゼットも無言のまま必死にペンを走らせた。5文字に区切り、一文字ずつ規定数にずらして読み替える。


「読めました! INSPECTION AS SCHEDULED. EMPIRE IS ACTIVE. WATCH CAREFULLY.

 視察は予定通り。帝国は活動的である。注意深く注視せよ、です。鍵は【PEACE】です!」

「よし、……暗号文を修正する。コゼット嬢、ルーディ、コランが修正担当。残りは修正後の暗号文に誤りがないかのチェックにあたる。修正担当者以外は顔を洗ってクソほど濃い紅茶を飲んでこい!」


 班長の言葉に皆が一斉に動き出す。

 コゼットは机に齧りつくようにペンを動かすと、次々と文字を置き換えていく。

 アルファベットの文字数を数えて、カツカツと指先が机を叩く音が室内にせわしなく響いている。

 暗号の修正が終わり、チェック要員が復号して誤りがないか確認する。念には念を、復号化は数度繰り返して入念に確かめられた。


「よし、これでいける。急いで第一作戦会議室へ届けるんだ」


 暗号を書き写した紙を手に、コゼットと班長が資料室を飛び出した。すぐあとをケネスが追いかける。

 本来、司令部の廊下は走ってはならないと厳命されていたが、今は構っていられなかった。

 スカートの裾をたくし上げコゼットは猛然と走っていく。

 だが、たどり着いた先の会議室は、すでにドアが閉ざされており、重い戸の前には衛兵が物々しく立ちふさがる。


「これより先は最高機密区域につき、作戦参加者以外の立ち入りは厳禁である。許可なき者は即刻退去せよ」

「暗号が出来上がったんです。通して下さい!」


 コゼットが声をあげたが、衛兵は首を横に振る。


「例外は認めん。すでに作戦会議は開始されている。これ以上の抗弁は軍律違反とみなし、直ちに身柄を拘束する」


 その言葉にコゼットは黙り込んだ。

 それは、諦めたかのように見えただろう。だがコゼットは大きく息を吸い込んだ。


「ジェイド・アルフレート辺境伯に申し上げます!!!! 貴方の猟犬が獲物を咥えて参りました!!!!」


 その声は、小さな身体のどこから発せられたのかと思うほどの音量で、会議室のドアを震わせた。

 突然のことに衛兵も反応しきれずに硬直し、班長とケネスは顎が外れそうな顔になっている。

 僅かな間をおき、重く軋む音を響かせながら会議室のドアが開かれる。

 そこには、盛大に眉尻を下げた困り顔でジェイド・アルフレートが立っていた。






 かくして、捕虜奪還作戦は決行され、大成功を収めることとなった。

 偽の指令書によって砦の兵の大多数が、視察に訪れた連合の筆頭公爵の出迎えに回っており、捕虜収容所の警備が手薄になっていたためだ。

 この華々しい勝利により、暗号解読班は各自に多額の報酬が支払われた。

 そしてその中核となったコゼットは、エスカラーダ帝国軍直属の『女騎士爵』に叙任される事となった。

 これは一代限りの名誉職であったが、一介の男爵家の娘にはありえないほどの出世である。


「あの、これはその、ちょっと大げさ過ぎるのではないでしょうか?」


 アルフレート家専用サロンでは色とりどりの花が咲き乱れ、さながら地上の楽園であった。

 この世の春ともいえる風景の中、叙勲状を受け取ったコゼットは子犬のように震えていた。

 それを見たケネスが肩をすくめる。


「私としては相応しいと思いますよ。なにせコゼット嬢は我が国にとって『歩く国家機密』です。

 何よりその称号があれば他部署が強引にコゼット嬢を引き抜く事も難しくなりますし、男爵位である事を理由にした一方的な縁談を蹴ることも出来ますしね。……ようは囲い込みな訳ですが」

「最後! 不穏過ぎる本音が出てる!」


 悲鳴をあげるコゼットに柔らかな笑みを向けるのは、向かい合った椅子に座っているジェイドである。


「ああ、これで我がアルフレート家からも堂々と婚姻を申し込む事が出来る訳だ」

「……やれやれ、結局そこが本命でしたか」


 ケネスが楽しげに肩を揺らす中、コゼットは慌てて反論した。


「一代限りの名誉職ですよ!? 辺境伯にとって何の旨味もないじゃないですか!」

「元より我が家は他家の庇護を必要となどしていない。周囲を説き伏せるだけの理由があれば十分だ」

「……その前に、ちゃんと私を説き伏せて下さいね」


 コゼットの言葉に、ジェイドは目を瞬かせ、そして穏やかに相好を崩す。


「今まででもっとも熾烈な争いになるであろうと覚悟しよう」

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― 新着の感想 ―
[貴方の猟犬が〜]の一声、最高です! 前世もハッカーでインドアよりなのに、何処からその声量が出てきたのやら…愛かな?
すっごく面白かった!! エニグマ思い出しました
すごくすごーーーく面白かったですっ!! 主人公が可愛くてかっこよかったです。名乗りのシーン〜辺境伯さま登場のところがとくに素敵でした!頭の中で登場人物たちが生き生きと動いてる様が想像でき、物語の世界に…
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