⑥エッホイエッホイ搬送中だよ!?マイコニドのマイコ(舞妓)はん!
リリィ(興奮MAXで)
「Attention, everyone! 今回の主役はワタシ! SF要素タップリでお届けしマース!」
マイコはん(ずぶ濡れ中?)
「今回、ウチの出番がないらしいんどす・・ちきしょぅー・・・」
ヒナタ(原宿に移動中?)
「出番が無いってことは、”掃除屋”としてはイイことなんだがな・・」
――夜。
雨は、止む気配を見せなかった。
ぽつ、ぽつ、と最初は音も小さく。
けれど今は、瓦屋根を濡らす無数の雫が、粒を揃えて音を立てている。
ポタ、ポタタタ…パタタタ……
白い傘に当たる水音が、静かなリズムを刻む。
湿気を含んだ夜気が、不快な温度を伴って肌にまとわりつく。
どこか息苦しさを、リリィは流れる汗を、感じていた。
「The humidity in Japan is intense... I wonder how the locals endure it... 」
(日本の湿度はすごい・・よく現地人は耐えられるものね・・・)
白い傘が上を向く。
「....”It's here.”」
(・・・”来た”)
――その時だった。
雨音が、突然、屋根の一部で途切れる。
いや、正確には――音が吸われたのだ。
まるで空気の一角に、“無”が降りてきたかのように。
そして、次の瞬間、空がわずかに歪んだ。
光学迷彩と特殊遮音膜をまとったその機体は、月も星も覆い隠した厚い雲の下、
完全な無音の状態で長屋の上空に浮かんでいた。
――GAIA所属・特殊任務用可変型輸送機《Osprey Silent-Type:改-K.L.Ver.》
独自開発された『抑制型エコー・ミュートシステム(Silent.M.system)』が、機体から生じる振動音・気流ノイズ・赤外線の揺らぎまでも吸収・消失させる。
そこに当たるはずの雨が、ふっと避けた。
ローターは回っているはずなのに、風すら感じない。
まるで“それ”を避けるように。
水が、空気ごと拒絶されたかのように。
本来は”菌類型知性の暴走防止”のために開発された抑制技術。
それらを逆用することで、”自然界そのものに溶け込むような絶対的静寂”を成立させていた。
完全制御されたオスプレイの腹部には、雨に濡れても曇らぬ”銀盾の紋章”――
――《GAIA》のエンブレム――
『目に見えぬ意思の観察者』としての存在証明が、淡く浮かんでいた。
リリィのスマホにログが表示される。
【——EXFILTRATION ZONE LOCKED. DEPLOYING MODULE.】
(——離脱区域 固定、モジュール展開開始)
腹部のハッチがゆっくりと開き、内部から複数のモジュールが滑り出す。
重力に抗わず、空気に逆らわず。
黒い影たちは、パラシュートのような減速装置も無く、雨粒と速度を競うように、一直線に地上へと落ちていく。
目指すは、マイコの新居である102号室・・その玄関に立つ金髪の少女。
自由落下の質量が、眼下の小柄な存在を押し潰す勢いを持つ。
──だが、金髪の長いツインテールは、その場から動かない。
よく見ると、・・・
そのモジュールたちの床面から垂れ下がっている繊維状のものがある。
まるで命があるかのように、風もない空中でユラリと揺れ、しっとりと空間を撫でるように地面に伸びていく。
“振動制御菌糸《M.Silk》”
GAIAが開発した、高機能菌糸と人工細胞構造を複合させた制振構造体。
菌糸は微細な振動と空気の流れを読み取り、あたかも地表から逆に引き寄せられるかのような軌道制御を行う。
その姿は、まるで“蜘蛛の子”が糸をつたって舞い降りるかのよう。
あるいは、重力の糸が、地から天へと機械を”迎えに来ている”ようでもあった。
家電型監視ユニット、空気清浄ノード、感情反応センサーテーブル…etc…
それらのモジュールが、地面に降り立つ。
触れた地面に衝撃はなかった。
水たまりが静かに波紋を広げるだけ。
――それは、音も振動も痕跡も残さぬ、異形の降臨だった。
どれも一見、ただの生活用品にしか見えないが──その内部にはすべて”AIと眼”が備わっている。
すべてがGAIAの意志のもと、何かを監視する為のモノ。
リリィの端末に、電子の文字が浮かぶ。
["Insertion complete. No deviation. Zero visibility maintained. Protocol: June active."]
(挿入完了。逸脱なし。不可視状態を維持。プロトコル”ジューン”、起動中)
文字を確認したリリィの耳に、風呂の音が遠くから微かに響く。
周辺を無音にすることは、逆説的に、他方からの音も遮断することとなる。
リリィが手首の銀色のデバイスを確認する。
共鳴残響測定装置の表示は、フラットのまま。
「Looks like Maiko-han didn't notice me... Hehe... All that's left... is to let it take root...」
(マイコはん、気付いてないみたいですね・・ふふっ・・あとは、根付くだけ・・デスね・・)
少女の唇が、小さな笑みの形を作る。
路地裏の光は乏しく、外灯の影も、雨にぼやけて滲んでいる。
「Standard observers would’ve missed it.... But I don’t miss.」
(標準観測官なら見逃してた・・でも、”私”は違う)
少女の瞳と瓶底メガネ――”A.O.S.(Augmented Observation Spectacles)”が、数人の黒い影を捉える。
服装は黒いキャップをかぶった、よくある街の作業員たち。
一見すれば、ただの引っ越しや修理の業者にしか見えない。
全員が、黒い無地のマスクを口元にかけている。
無骨ではなく、一般的な市販品に見えるマスク。
だが、誰もマスクを息苦しいと感じている素振りがない。
その着け方と統一された姿勢が、ただの作業員ではないことを少女に示していた。
(・・フェイスマスクは感圧式分子反応材で無音処理・・だけじゃない・・肺活動を制御して、生体反応が最小値になるようにしている・・訓練された呼吸法・・)
傘も差さず、レインコートも着ていない。
不思議と、誰ひとり濡れていなかった。
雨粒は彼らの衣服にも装備にも、接触を避けるかのようにすり抜けていく。
まるで、一種の”場”のようなものが、身体の周囲に薄く広がっているかのように。
(作業服はミラミッド被膜繊維・・キャップが発生する静電膜と相互展開して、微弱な静電バリアを形成している・・間違いなく、GAIA技術研究棟の第四研究班・・カグラギ影奏整備師が開発したモノね・・)
リリィは、自分の服装――自身が開発したダボついた”ジャージ”を確認する。
果たして、その性能比は、いかほどのものかと。
金髪の少女が観測する中、黒の集団が102号室に歩を進める。
――ただ、彼らの足音は聞こえない。
雨でぬかるんだ地面にも、長屋の舗装された石畳にも、足跡がつかない。
(・・靴底の低反発ステルスゲルが足音を消して、M.Silkが痕跡を消しているのは分かるけど・・自らの重心を制御して、地面との接触圧力を最小限に保っている・・・これが資料にあった、高度な”重力均等歩法”・・《黒影の歩⦆・・・)
――隠形装備だけではない――
それを扱う者たちの技術を目の当たりにして、リリィは緊張を感じずにはいられなかった。
――彼らこそが――”GAIA搬送部”。
その中でも、この日本支部には、他と一線を画すエキスパートが揃っていると評価されていた。
****************
――日本――
この国は、表と裏、現と幽、信仰と無関心が、層のように積もる土地である。
古より祟りを封じ、気配を祓い、声なきものの存在を『あるべき存在』にしてきたこの国においては、“何かを運ぶ”という行為すらも、時として・・・
――”祈りや呪いと同義”となる。
さまざまな国、民族、習慣、宗教が集まるこの東方の島国において、彼らのような『誰の目にも映らず、誰の信仰にも触れない』搬送部の存在は必要不可欠なのだ。
それゆえに、”GAIA日本支部の搬送部”は、単なる物流部門ではない。
存在の輪郭をぼかし、記録されず、記憶されず、ただ“在るべき場所”へ運ぶ――
それが彼らの任務であり、哲学であった。
記録に残らぬ仕事をし、存在に名を持たぬ者たち。
彼らが運ぶのは、物資にあらず。
痕跡、概念、そして“因縁”である。
ゆえにこそ、彼らが動くとき――
その土地に、何か“揺らぎ”が生じた証でもあった。
――今の彼らが手にするのは、マットブラックのケース型モジュール。
重そうには見えないが、扱いは一様に慎重で、搬送に寸分の乱れもない。
彼らに搬送できないモノは、存在しない。
恐らく”国の首都を灰燼に帰す核”すら、誰にも気付かれずに搬送するだろう。
リリィは自らが発動した”優先要求プロトコル”の効果に、慄きを感じずにはいられなかった。
――そして、集団が102号室の玄関前に達する。
「・・ようこそ・・搬送任務・・お疲れ様です・・」
胸の奥の緊張を隠すために、リリィがゆっくりと流暢な日本語で彼らを出迎える。
「今、102号室の鍵を開けま・・・」
マイコの部屋の鍵を開けるべく振り返った、リリィが固まる。
「What!?… I haven’t unlocked it yet !?」
思わず、使い慣れた母国語が出てしまうほどの動揺。
確かに、リリィは102号室の玄関を施錠していた。
「That doesn’t add up… The door was sealed. No command sent...」
(つじつまが合わない・・扉は封鎖されていた・・コマンドも送っていない・・)
――しかし、鍵は既に解かれていた。
玄関の古い引き戸は開け放たれていた。
すで廊下にはマットが敷かれていた。
音ひとつ立てることなく、気付かれることなく。
「…Yet someone’s already in the room…?」
(・・それなのに、誰かがもう中に・・・?)
優秀な観測官・・・その己の存在意義を揺らがす事象。
リリィの手から白い傘が離れる。
それがもたらす衝動に、一瞬遅れて彼女が玄関をくぐる。
――彼女の個体特性に合わせてチューニングされた瓶底メガネ――”A.O.S.”
GAIA本部では『旧式』扱いされているが、記憶・感情・思念反応に応じてフィルターや補正アルゴリズムが変化するリリィが手掛けた半生体型ハイブリッド装置――
「・・何も分からなかったなんて・・ワタシには・・認められないデス!」
相棒とも言うべき眼鏡がその意思に応え、熱を宿しながら、リリィの視覚情報を拡張していく。
光も点いていない室内。
引っ越したばかりで、何も無いマイコの棲み処だった場所。
拡張した視界が辛うじて捉えたのは――ノイズと見間違えそうな影のみ。
「・・部屋に入るには、靴を脱がなければなりませんよ・・」
人の姿をしていない影から聞こえる、その声に、リリィは凍りついた。
投下されたモジュールたちが――既に畳敷きの部屋に設置されていた。
物資・人材・封印物・観測装置……そのすべてを“正確に、痕跡なく運ぶ部門”。
「”存在せぬ者による、存在しない設置”・・それは”空間縫い(Space Stitch)”と呼ばれる極技・・」
通常の扉や出入口を使わず、一時的に空間の“縫い目”を開閉する超常の業。
GAIA搬送部――その最奥の静脈。
「まさか伝説の・・・”搬送導師”!?」
その頂点に立つ存在が、自ら動いたということ。
(”マイコニドのマイコ(舞妓)はん”には、それほどの価値があると言うの?)
リリィの心のざわめきが止まらない。
(その真意は何?――見逃せない・・もう少しで・・)
そんな執念にも似た集中が・・
「本来、声をかけるのは搬送任務中には許されない行為・・“姫”、どうかお控え下さい・・リョウ、後は任せました・・・」
ノイズが微かに歪む。
集中が、唐突に、ぷつりと途切れた。
「・・っ!?・・I apologize for the inconvenience・・」
果たして、リリィの謝罪の言葉が、存在を消した影に届いたか、どうか。
影から発せられた静かな忠告の声がリリィの耳に届く間に、基線の揺れは消えていた。
室内には何の痕跡もない――
以前から、そこにモジュールはあったのだ。
それはまるで、記憶にだけ残る夢の中の光景のようで・・・
「・・・ッ」
錯覚を、事実を、処理しようとした彼女の器官が悲鳴をあげた。
未完成品の瓶底メガネによる反動も重なり、その身を揺らした。
「・・め、目が・・頭が・・痛い・・・」
ぐらりと、視界が傾く。
膝が震え、床板が急に近くなっていく――
「――失礼いたします――」
だが、リリィの身体は倒れなかった。
静かな声と共に、人の手が彼女の体をしっかりと支える。
まだ痛む頭を上げると、そこにいたのは、長身、黒髪でツリ目の青年。
キャップと左胸ポケットには金色の、”地球を囲むネットワーク” の意匠があった。
――《GLOCAL.LINK》のロゴマーク。
環境循環型の物流/クラウド倉庫管理サービス、スマート・デリバリー、再生素材配達、都市鉱山リサイクルなどを行う会社として知られている――
”世界最大の多国籍企業”
――”GAIAの表の顔”である。
「・・大丈夫ですか?、観測官・・どうぞ、こちらに・・」
そう言って、リョウは足元の影からそっと携帯式の簡易チェアを展開する。
器用に折り畳まれた構造体が音もなく開き、リリィの背中をそっと導いた。
「…Thank you… I’m okay. Just… too much visual data…」
(ありがとう……大丈夫。ただ……視覚情報が、少し多すぎた)
リリィは背もたれに体重を預け、ふぅっと息を吐いた。
「あなたの目は、ただの観測装置じゃない」
リョウは落ち着いた声で言う。
「自分の身も、大切にしてください・・“姫様”」
一瞬、リリィの目が細められた。
姫としての名を、任務中に使われたことに対する軽い警戒――
その視線に対して、リョウの顔に浮かぶ表情は変わらない。
任務に臨む真剣な表情――閉じられた口元。
黒いマスクと手袋を外して、その身には細かな雨粒が付いていた。
先ほどの搬送中には見えなかった、”GLOCAL・LINK”のロゴマークも見えている。
(・・そうか・・静電バリアを発している状態で、観測器と接触すれば、何かしらの不具合を起こす可能性がある・・)
リョウのその声には、命令でも、皮肉でもない。
(・・だから隠形状態を解除して、装備を外してくれたのね・・任務中なのに・・声もかけてくれる・・)
ただの『人』としての、優しさが滲んでいた。
「・・貴方、名前は?」
リリィは、直立不動の姿勢を崩さぬ搬送員に尋ねてみた。
「私は搬送菅掌の”志摩 リョウ”です」
声は低く、抑制されているが、芯のある響き。
「そう・・もっと、がっちりとした腕をしていると想像していたのだけど・・」
リリィは微笑むと、眼鏡を少し持ち上げ、しばらく目を閉じた。
「導師より業務を引き継ぎます」
湿気を含んだ夜気と、傍らに立つ人の熱を感じる。
――しかし何故か、今は不快とは感じなかった。
雨の音が、少しだけ優しく聞こえた。
マイコはん(涙ぐみながら、ぼそり)
「音が吸われてしもうたさかい・・ウチがシャワーヘッドと命がけでやり合うても、誰にも気付いてもろてへんかったんやろなぁ・・」
リリィ(冷静に)
「今回は”舞台を整える者たち”の物語デース!、次は”舞うマイコはん”の物語デショウ!・・maybe…」
搬送導師
(誰にも気付かれなかった?・・そう認識してもらえたのなら幸いです)