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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
第三章 孤獣と氷華

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同じ家の中で

「あ、ハナネお姉ちゃん!」


 暮刻の始まり頃。


 陽が少しずつ傾き、空がほんのりと橙色へと染まり始める中、ハナネはシアンの肩を借りながらソウヤの家へと戻ってきた。引き戸を開けた瞬間、真っ先に気づいたのは末っ子のミサだった。

 透明感のある、少し繊細な高い声が部屋に響く。


 その声に反応して、ミサの隣で居間にごろりと横になりくつろいでいたチカも、引き戸の方へと顔を向けた。


「ハナネお姉ちゃん、おかえり」


 そう言うや否や、チカはぱっと飛び起き、ハナネのもとへ駆け寄る。その後ろを、てこてこと控えめにミサがついてくる。


「ただいま」


 二人の嬉しそうな様子に、ハナネも口角をわずかに緩め、小さくそう返した。


 すると今度は、屋根裏の方からドタバタと、慌ただしい足音が響いてくる。

 三人が屋根裏へと続く階段の方へ視線を向けると、現れたのは白髪の次女、ヒイナだった。勉強をしていたのだろう、手には炭筆を握ったまま、階段を降りながらハナネの姿を確かめる。


「お姉ちゃん。おかえりなさい。あと……」


 階段を降り切り、微笑みながらそう言ったヒイナは、ちらりとハナネの背後へ視線を向ける。


「そちらの人は?」


 その言葉に、チカとミサもハナネの体の陰からひょっこりと覗き込み、シアンへと視線を向けた。


「お客さま?」

「ソウヤのお友達?」


 双子は揃って小さく首を傾げる。

 ナサ村へ来た際に村長室で一度ユサと会ってはいたものの、シアンとは面識のないヒイナも、静かに彼を見つめていた。


 その視線に気づいたのか、シアンが口を開く。


「僕は守攻機関の副隊長をしている、シアンといいます。ハナネちゃんの引き取り手であるソウヤさんに、お話があって……」


 まだ「副隊長」と名乗るのが少し気恥ずかしいのか、頬に人差し指を添えながら、控えめにそう言う。


 ハナネは一度、焚処や居間を見回し、他に人影がないことを確かめると、妹たちに尋ねた。


「あの人は?」


 その問いに、ヒイナがハナネへ視線を戻す。


「ソウヤさんなら、もう少しで帰ってくるはずだけど……あ、ほら」


 そう言って引き戸の外へ視線を向け、見慣れた姿を見つけて指を差した。

 つられて全員がそちらを見ると、荷物を片手に、もう一方の手には水の入った手桶を持ち、こちらへ歩いてくるソウヤの姿があった。


 顔を伏せ気味に歩いていたソウヤは、ふと顔を上げ、引き戸のそばに立つシアンと、その向こうからこちらを見ているハナネたちに気づく。

 疲れの滲んだ表情の中に、どこか嬉しそうな笑みを浮かべ、歩く足を早めた。


 ハナネたちの前まで来ると、引き戸の外に手桶を置き、ひと息つく。


「ハナネ、おかえり。思ってたより早くてびっくりしたよ。だったら早く帰ってきて、ご飯の準備して待ってたのにな」


 汗を拭いながら笑うソウヤ。しかし、ハナネは笑顔を見せず、むしろ冷ややかな視線を向けた。


「あ……あぁ、はは」


 その視線に、ソウヤの笑顔は固まり、次第にぎこちないものへと変わっていく。困ったように視線を地面へ落とし、どこか気まずい空気が漂った。


 その様子を見ていたシアンは、場を切り替えるように一歩前へ出て、ソウヤへと頭を下げる。


「暑い中、お仕事お疲れ様でした」


 その声に、ソウヤははっとして顔を上げた。ハナネたちも、自然とシアンへ視線を向ける。


「あなたは……副隊長さん」


 長くナサ村で暮らしてきたソウヤは、シアンの顔に見覚えがあったようで、名乗られるより先にそう言った。


「はい。守攻機関副隊長、シアンです」


 シアンはそう名乗り、続ける。


「今回お伺いしたのは、ハナネちゃんの引き取り手であるソウヤさんに、お話があったからです」

「俺に話……ですか」


 思い当たる節がなく、ソウヤはきょとんとする。


 シアンはちらりとハナネへ視線を向けてから、静かに続けた。


「実は今回の任務で、ハナネちゃんが右足を捻挫してしまいまして……」

「え!? ハナネが!?」


 ソウヤは顔色を変え、勢いよくハナネへと視線をむける。


「といっても軽症です。あと五日ほど安静にすれば治ると、医師から聞いています」

「……はぁ、そうですか」


 心底ほっとしたように、ソウヤは大きく息を吐いた。


「ですので、七日間の療養命令が出ています。その間は、どうか無理をさせないようお願いします」

「はい、分かりました」


 ソウヤは深く頷く。


「わざわざ送っていただき、ありがとうございます。本来なら、引き取り手である私が迎えに行くべきだったのですが……」

「いえ。こちらこそ、大事な子に怪我をさせてしまい、申し訳ありません」

「いやいや……」


 お互いが控えめな性格である二人は、謝罪と感謝を言い合った末、どこか気まずそうに、けれど穏やかにその場を収めた。





「よーし、今日は俺がハナネの好きなものを作ろう!」


 外では、周囲の家々から夕膳の匂いが立ちのぼり、村全体が食事の時間を迎えつつあった。


 ソウヤは焚処で左袖をまくり上げ、仕事帰りとは思えないほど明るい声でそう言った。その顔には、疲れの影など微塵も感じられない。


 そこへ、トワたちと別れて帰ってきたカイが、ぱっと表情を輝かせて駆け寄る。


「え、ソウヤさんの手作りって、初めてナサ村に来て以来じゃないですか! 楽しみー!」


 ソウヤは一人暮らしが長く、家事は一通りこなせる。だがハナネたちが家に来てからというもの、「居させてもらっているから」と、家事のほとんどを彼女たちが引き受けてくれていた。

 そのため、ハナネがソウヤの手料理を口にしたのは、ナサ村に来た初日くらいのものだ。


「いつも任せきりだったしな。こういう時くらい、ちゃんとしないと」


 カイの無邪気な喜びにつられるように、ソウヤも笑って言う。


 ――けれど。


 その会話を聞いていたハナネは、そっと二人の方へ歩み寄った。


「いいえ。ご飯くらい、自分で作れますので大丈夫です」


 感情の色をほとんど含まない、冷えた声だった。

 その一言で、ソウヤと、隣にいたカイの動きが止まる。


「でも、怪我人は休んでないとだろ。シアンさんも言ってたし、今日くらいは――」

「本当に、平気です」


 ソウヤが言い切るより早く、ハナネはやや強めた口調で遮った。

 その瞬間、ソウヤの笑顔からふっと力が抜け、上がっていた口角が静かに戻る。


 ハナネは、その変化をちらりと視界の端で捉えたが、何も言わなかった。

 そのまま二人の間にすっと入り込む。


 まるで、弟妹たちとソウヤの間に、見えない線を引くかのように。


 ハナネは視線を焚処へ落とし、ソウヤが使う予定で用意していた野菜に手を伸ばした。


「ヒイナ、手伝って」

「あ、うん……」


 静まり返った部屋に、ハナネの冷たい声が落ちる。

 空気に呑まれた兄弟たちは言葉を失い、ヒイナは呼ばれたことに一瞬遅れて反応すると、慌ててハナネのそばへ駆け寄った。


「私は、何をすればいい?」

「お米を炊いて」

「分かった」


 ヒイナは落ち着いた声で応じ、二人は淡々と夕膳の支度に取り掛かる。

 他の兄弟たちは困ったように顔を見合わせ、カイは小さく苦笑いを浮かべた。


 一方、焚処のそばで立ち尽くしていたソウヤは、何をするでもなく、野菜を切り始めたハナネの横顔を見つめていた。

 ふと、視線が合う。眉を寄せ、細められた瞳。


 ――いつまでそこにいるんだ。


 言葉にされずとも、そう言われているのが分かった。

 すぐに視線は外されたが、その無言の圧は、確かにソウヤの胸にのしかかる。


「……俺は、邪魔だな」


 ぽつりとそう呟き、ソウヤは逃げ道を探すように、兄弟たちのいる居間へと歩き出した。


 焚処に、包丁がまな板を叩く乾いた音が規則正しく響く。

 それは、いつもより少しだけ強く、感情を押し殺すような音だった。


 居間では、兄弟たちが気まずそうに身を寄せ合い、誰も言葉を発しない。

 夕膳の支度が進む一方で、家の中の空気だけが、どこか冷えたまま動かずにいた。


 橙色だった空は、いつの間にか藍へと沈み始めている。

 それでも、ハナネの背中は一度も振り返らなかった。


 同じ家にいながら、少しずつ離れていく気配だけが、静かに夜へと溶けていった。

神血(イコル)の英雄伝 八七話

お読みいただきありがとうございます。

次回も読んでくださると嬉しいです૮꒰ྀི⁔.⸝⸝⸝⸝.⁔꒱ྀིა


暮刻の始まり頃→十八時ごろ

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