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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
第三章 孤獣と氷華

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帰還

「よし、お前ら。足元に気をつけながら降りろよ」


 約六時間に及ぶ舟旅を終え、アイカたちを乗せた舟は、ナサ村北門近くの舟着き場へと辿り着いた。

 舟手は舟を杭に固定すると、軽く一度うなずき、アイカたちへ顔を向ける。

 長い時間、陽の下で櫂を握り続けていたからだろう。額には汗が滲み、少し火照った顔で声をかけてきた。


 その言葉を合図に、最初に立ち上がったのはネシュカだった。

 舟の縁に手をかけ、慎重に片足を木造りの舟着き場へと伸ばす。

 きしり、と小さく音を立てながら体重を移し、そのまま静かに上へと上がった。


 続いて、セイスが気怠そうに右手を首の後ろへ回した。

 長時間座り続けて強張った身体を、重たげに起こし、そのまま舟を降り始める。


 その後に続いたのは、この六時間、顔色ひとつ変えなかったアオイだった。

 アオイの肩を借りながら、ハナネも舟を降りる。

 アオイの足取りは抑え込まれたように静かで、舟着き場へと降りる一連の動作にも、無駄がなかった。


 さらにその後ろから、レイサが舟を降りる。

 薬が効いているのか、レイサとハナネの顔色は、舟に前回とは見違えるほどましになっていた。


「やっと……」


 酔いそのものは、かなり和らいでいた。

 それでも、暑さと長時間同じ姿勢でいたことによる疲労が、遅れて身体に押し寄せてきたのだろう。

 ハナネは、力の抜けたため息を混ぜるようにして、小さく呟いた。


「なんか、すげぇ久しぶりな感じがする」


北門の隙間から覗く村の中を見つめながら、レイサが言う。

 離れていたのは、ほんの七日ほどにすぎない。

 それでも、初めての土地で多くのものを見てきたせいか、ナサ村に戻ってきたという実感は、思いのほか重く感じられた。


 五人が舟を降り終え、最後に残ったのはアイカだった。

 だが、アイカはすぐに動こうとせず、舟の上に立ったまま北門の向こう、村の中へと、じっと視線を向けている。


「どうした? 降りないのか」


 様子がおかしいことに気づいた舟手が、声をかける。

 その言葉に、レイサもきょとんと、アイカの方へ顔を向けた。


 アイカは、すぐには答えなかった。


 ただ一度、瞼を閉じ、浅く息を吐く。

 それから瞼を開き、ゆっくりと口を開いた。


「……ううん。降りる」


 そう言って、慎重に立ち上がる。

 今度は足元、舟着き場の木床へと視線を落とした。


 その場所に足をつければ、そこはもうナサ村だ。

 帰ってきた、という実感が、遅れて身体の奥に巡ってくる。

 アイカは、意を決するように片足を下ろした。

 続けて、もう片方の足も。

 ただそれだけの動作なのに、胸の奥に溜まっていたものが、静かにほどけていく。

 重さと同時に、張り詰めていた緊張が、少しずつ抜けていくのを感じた。


 ――帰って来られた。


 そんな思いが、ようやく胸に落ちた。


「余韻に浸ってるところ悪いけど、隊長への報告があるの。早く行きましょう」


 ネシュカがそう言って、北門へと歩き出す。

 四人もそれに続いた。


「あ、……ごめん」


 アイカは小さく謝り、少しだけ小走りになって、その背中を追った。





 六人が北門へ向かい、門のすぐ手前まで来たときだった。

 正面の道から、いくつもの影がこちらへ歩いてくるのが見えた。


 数は同じく六つ。

 そのうち二つは、アイカたちよりも明らかに背が高い。

 さらに二つは、アイカより一回りほど大きく、レイサと同じくらいか、やや小さい。

 残る二つは、ひとつがアイカより小さく、もうひとつは胸元ほどの高さしかない。


 互いに歩み寄るにつれ、影は少しずつ輪郭を持ちはじめる。


 背の高い二人は、丸みを帯びた前髪をまっすぐ耳元まで整えた茶色の髪のイナトと、反対に、くるりと癖のある白髪を持つシアン。


 中間ほどの二人は、柔らかな丸みと少し伸びた襟足のトワ、そして、短く切り揃えられた髪のカイだった。

 さらにその後ろには、琥珀色の髪を横でひとつに結ったサユと、金髪と白髪を半分ずつ持つ、最も小さなチタの姿があった。


 六人はそれぞれ言葉を交わしながら、ゆっくりと近づいてくる。


 その中で、真っ先に気づいたのはチタだった。

 チタはぱっと表情を輝かせ、大きく声を上げる。


「あ! アイカ姉ーー!」


 まだ距離はある。それでも十分に届くほどの声だった。

 チタは勢いよく、こちらへ駆け出してくる。


「お兄ちゃん、もう帰ってきてる!!」


 その声に反応して、サユもレイサの姿を見つけ、続けて走り出した。


「お! 久しぶりのアイカさんだー!」

「三人とも、急に走ったら危ないよ!」


 姉のハナネがすぐ近くにいるにもかかわらず、カイは迷いなくアイカの名を呼び、勢いよく走り出した。

 それに遅れるまいと、トワもまた後を追う。


 走っていく四人の子どもたちの背中を眺めながら、

 イナトは、ゆっくりと歩いたまま口を開いた。


「あれ、予定より早く帰ってきてますね」

「本当だー。だったら、僕たちも少し早めに来ればよかったかな」


 シアンがのんびりと返す。

 他の影が次第に速度を上げる中で、二人だけは急ぐでもなく、変わらぬ足取りでこちらへ向かってきた。


「アイカ姉! アイカ姉!」

「チタ!?」


 気づいてもらいたい一心なのだろう。チタは大きく手を振り、声を張り上げながら、満面の笑みで駆けてくる。

 その姿に気づいたアイカは、勢いよく近づいてくるチタに、少し驚いたように声を上げた。


「お兄ちゃーん!」

「サユ!」


 チタの背後から、今度はレイサの名を呼びながら走ってくるサユの姿が見える。

 それに気づいたレイサは、思わず嬉しそうに声を上げた。


「アイカ姉! おかえりー!」

「わっ……別に、迎えに来なくてもよかったのに」


 アイカのもとへ辿り着いたチタは、勢いのまま地を蹴り、アイカの胸元へ飛び込んだ。

 両腕を広げたアイカがそれを受け止めるのとほぼ同時に、今度はサユがレイサを目がけて飛びかかる。


「お兄ちゃん!!」

「ま、サユ、危な――」


 勢いを殺しきれず、レイサは一歩、二歩と前に出て受け止めようとするが、体勢を崩し、半回転するようにして尻餅をついた。

 それでも、腕の中のサユだけはしっかりと抱えたままだった。


 一方チタは、アイカの胸に顔をうずめ、思い切り甘えるように頭を押しつけている。


「トワお兄ちゃんたちが迎えに行くって言ったから、ついてきちゃった。早くアイカ姉に会いたかったんだもん」


 心底嬉しそうな声でそう言い、チタはぎゅっとアイカに抱きついたまま離れようとしない。


「私もね! お兄ちゃんに会いたかったんだよ! いない間、剣の練習いっぱいしたの!」


 サユを落とさないよう気を配りながら、レイサはゆっくりと体勢を立て直した。

 その腕から解かれたサユは、嬉しそうに身を弾ませ、誇らしげに胸を張った。


 その背後から、追いかけてきたトワとカイがようやく追いついた。


「はぁ、はぁ……アイカさん、お久しぶりです! ……あと、お姉ちゃんもおかえり!」

「なに、そのついでみたいな言い方」


 息を切らしながら満面の笑みで言うカイに、ハナネは少しだけ棘のある声で返す。

 その隣で、トワは二人ほどの余裕もなく、小さく肩で息をしながらその光景を見つめていた。


 そんなやり取りを笑いをこぼしていたレイサに、まだ褒め言葉をもらえていないことが気に入らなかったのだろう。

 サユはむっとした表情を浮かべる。


「お兄ちゃん! 私、本当に頑張ったんだよ!!」

「ちゃんと、聞いてるよ。今度俺に見せてくれよ」

「うん!!」


 妹の声に顔を戻し、愛くるしい視線で優しく頭を撫でながらそう言うレイサ。

 ようやく褒め言葉をもらえたサユは、嬉しさを隠しきれない顔でこくこくと頷いた。


「……」


 その様子をそばで見ていたトワは、二人のやり取りに何か言いたげな、ぶすっとした顔で視線を向けている。

 そんなトワの隣で、カイがからかうように声をかけた。


「兄貴相手に嫉妬はないだろ〜」



 すると、アイカの腕の中で顔を埋めていたチタが、ひょいっと顔を上げる。


「アイカ姉」


 小さく声をかけながら、今度は手のひらを上下に動かし、腰を落としてほしいとお願いしているようだった。

 それに気づいたアイカがチタの背丈に合わせて腰を落とすと、チタはにこりと笑いーー


「アイカ姉、おかえり!」


 そう言って、チタはそのままアイカの頬にそっと唇を触れた。

 アイカも、それがいつものことのように、ただ穏やかに笑っていた。


「なっ!?」


 予想外すぎるチタの大胆な行動に、カイは思わず声を上げる。その顔には、分かりやすいほどの嫉妬が浮かんでいる。


「人のこと言えねぇだろ……」


 それを見たレイサは、やれやれといった様子で肩をすくめた。


「みんな、おかえり」


 そんなやり取りのさなか、ゆっくりと歩いてきたシアンとイナトが合流する。

イナトは六人へ視線を向け、和らいだ笑みを浮かべながら声をかけた。


「無事に任務が終わってよかったよ。怪我はない?」

「ハナネ・ノセラが右足を捻挫。アイカ・カコエラは両足打撲。レイサ・ハリスは、多少の切り傷と擦り傷程度です。ほかは私も含め、重い怪我をしている隊員はいません」


 イナトの問いに、ネシュカが簡潔に報告する。


「え、大丈夫なの!?」


その言葉に、シアンは思わず声を上げ、さっと顔色を曇らせた。

 トワたちも一斉に、アイカたちへ心配そうな視線を向ける。


「別に平気だよ。普通に歩けるし」


 シアンの視線を受け、アイカは痛みなど感じていないかのように、軽く地面を踏み鳴らした。その様子に、周囲はぽかんとしたり、わずかに引いた表情を浮かべた。


「……ま、まぁ三人にはあとで癒庵ゆあんに行ってもらうとして」


 イナトは、ぱんっと一拍、手を打ち、空気を切り替えるように続けた。


「先に隊長へ報告に行ってもらうよ。隊長は今、村長の護衛で役場にいるはずだ。ネシュカと一緒に向かって」


 そして、アオイとセイスへ視線を移す。


「二人は僕たちと本部に戻ろう。四人が報告に行っている間に、セイスは怪我の具合を診るからね」

「そんなガキみたいに、いちいち見んでももう治っとるわ」


 穏やかな口調で指示を出すイナトに、ネシュカたちは小さく頷いた。

 それとは対照的に、子ども扱いをされたように感じたセイスは、眉をひそめて不満げに呟く。


「セイスのことだから、どうせろくに手当てなんてしていないんでしょ。完全に治っていないようなら、しばらく任務から外れてもらうことになるからね」

「……チッ」


 その小言は、はっきりとイナトの耳にも届いていたようで、図星を突かれたセイスは視線を逸らし、小さく舌を鳴らした。





 守攻機関の本部へ向かうイナトたちと別れ、報告には同行できずに寂しそうな表情を浮かべるサユたちを残して、ネシュカを先頭にアイカたち四人は役場へ向かった。


 役場に入り、村長室へと続く廊下を静かに進む。その足音だけが、木床に淡く響いていたそのときだった。


「サクヤ・クオネや、風の神選者の件は、私から報告するわ。あなたたちは何も言わないで」


 前を向いたまま、ネシュカが低く、しかしはっきりとした口調で告げる。


「え……?」


 突然の言葉に、アイカは思わず声を漏らし、ネシュカの斜め後ろからその横顔を見上げた。

 サクヤ・クオネと実際に接触したのは、自分だ。にもかかわらず、なぜ報告をしなくていいのか――その疑問が、胸に引っかかる。


 同じ思いだったのだろう。レイサとハナネもまた、問いかけるような視線をネシュカに向けた。

 しかし、ネシュカは振り返りもせず、それ以上何かを口にすることもなく、ただ静かに廊下を歩き続ける。その背中からは、これ以上は聞くな、と無言の圧が漂っていた。


 数秒の沈黙。

 木床を踏む音だけが、廊下に流れる。


 やがて、村長室の引き戸が視界に入った、そのとき――


「……先客がいるな」


 レイサが、気づいたように小さく呟いた。


 引き戸のすぐそばまで近づいた瞬間、かすかに室内から声が漏れ聞こえてくる。


「それじゃあ、俺はこれで」


 やや高めの、男と思しき声。その言葉が廊下に届いた直後村長室の引き戸が、静かに動いた。


引き戸が開いた瞬間、アイカたちは足を止め、その場で立ち止まった。


 視界に飛び込んできたのは、どこか灰を帯びたような、落ち着いた色合いの金髪だった。

 前髪は瞳の上あたりまで伸び、背丈は百九十はあるだろう。肩にかかるほどに伸びた後ろ髪は三つ編みにされ、ひとつに束ねられている。


 引き戸から姿を現したその男は、アイカたちに気づくと、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。

 そして、にこりと感情を伏せた笑みを浮かべる。


 その静かな笑みは、歓迎とも警戒ともつかない色を湛えていた。

神血の英雄伝 八四話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでいただけると嬉しいですᵔ⁔ ܸ. ̫ .⁔ ͡


いよいよ第三部始まりです!


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