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神血の英雄伝  作者: 三坂 恋
第一章 守攻機関
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トワ・カコエラ

 子どもの避難スペースで、トワは足を抱えて小さく座り、イロハの迎えを静かに待っていた。


 子どもたちの避難所は、昼だというのに静まり返っていた。

 人影も少なく、灯りもまばら。


「……アイカ姉ちゃん……」


 ぽつりと、名前が漏れた。


 朝、見送った姉の背中が頭から離れない。

 いつもは元気で明るくて、病弱なトワのことを励ましてくれる、おっちょこちょいな自慢の姉。

 寝込んでいるときは遊びにも行かず、ずっと側にいてくれた。

 不格好な料理を、何度も失敗しながら、それでも作ってくれた。

 味は……うん、正直おいしいとは言いがたい。

 それでも、誰よりも温かい味がした。

 その背を見ているだけで、心のどこかが「大丈夫」だと思えた。


 しかし、今朝、アイカが歩いていったあの背中は、別のものだった。

 小さくて、細くて、今にも崩れてしまいそうで。まるで、何かに押し潰されそうになってるみたいだった。


(早く元気なって欲しい……)


 ただ、その祈りだけが、虚ろな胸の内に繰り返される。


 そしてもう一人。

 トワの頭に、別の少女の顔が浮かぶ。


「……サユちゃん……」


 橙色の髪、よく響く声。元気な笑顔。

 レイサの妹で、幼い頃からの友達。


 サユ・ハリス


 どこかアイカに似ていた。

 明るく、元気で、でもときに涙をこぼすところが、とても人間らしくて。

 病弱な自分に寄り添ってくれた、特別な存在。


 兄のレイサは、瀕死の状態で運ばれたと人々は言っていた。

 でも、サユの名前は、誰の口からも出てこなかった。もし、あの混乱の中でレイサと共にいたのだとすれば。

 彼女もまた、痛みに晒されていたのかもしれない。


(サユちゃんに何かあったら……)


 その想像が胸をよぎるたび、心の奥深くに、ひときわ鋭い棘がゆっくりと沈んでいく。



 ギィ――



 静まり返った空間に、軋む音が響いた。

誰かが、開けて入ってくる。

 トワは、イロハが迎えに来たのだと思い、そっと顔を上げた。


 そこに立っていたのは――


「……え……」


 見間違えるはずもない。

 淡い橙の髪が、太陽の光に照らされていた。


 トワは、弾かれたように立ち上がった。

 疲労も忘れて夢中でサユへと駆け寄る。


 間近で見ると、サユの体にはいくつかの擦り傷や切り傷があった。

 血は既に乾き、服の端に赤黒く染み込んでいる。だが、致命的な傷ではない。


「……良かった……」


 胸の奥に詰まっていた息が、一気に漏れた。

 トワは肩を落とし、ほっと安堵する。けれど、胸の奥にはまだ名残の痛みが残っていた。


「サユちゃん……どうして、ひとりで……?」


 この村が大変な今、北の避難所から幼い子を一人で帰すなど常識では考えられない。

 ユサも、サユの母親も、そんな判断をするはずがなかった。


「……お兄ちゃんを、見てないとダメだから。

 だから……お母さんが……イロハさんに、送ってもらうようにって……」


 声はかすれていた。

 それでも、その言葉の奥に潜む想いは、はっきりとトワに届いた。


 その次の瞬間だった。


 サユが、絞るように小さな声で何かを呟きながら──

 すっと、トワの胸元に顔を埋めた。


 細い指が、トワの服を掴んだ。

 震える肩が、静かに嗚咽を滲ませる。


「……どうしよう……お兄ちゃんが……死んじゃったら……わたし……」


 掠れた声が、トワの胸に落ちてきた。


 サユの声は、泣き出す寸前だった。震えるような言葉が、途切れ途切れに空気を裂く。


「サユちゃん……落ち着いて」

トワは、戸惑いながらも、静かに言葉を紡ぐ。

「ゆっくり…。ちゃんと聞くから……」


 その声音に、サユはわずかに頷いた。

 サユは、何度か深く息を吸い、少しずつ言葉を繋いでいった。


「……襲撃の夜……お兄ちゃんと……北のほうへ逃げてたの。

でも途中で、建物が……崩れてきて……お兄ちゃんが……私をかばって……下敷きに……」


 その声には、鮮明な記憶が混じっていた。

 闇の中で聞いた崩壊音、風のような叫び、血の匂い。


「動かそうとしたけど……全然……動かなくて……冷たくて……」

「うん……」


 トワは、頷くしかできなかった。

 まだ幼い少女の語るにはあまりにも重すぎる出来事。

 その重みが、胸にのしかかる。


「……そのあと……お姉さんが、助けに来てくれて……」


 サユは、少しだけ顔を上げて呟いた。


「お姉さん……?」

 

 トワが問い返すと、サユはうなずく。


「うん……その人が、お兄ちゃんと、私を避難所まで連れてってくれたの……」


「その“お姉さん”、誰かわかる?」

「……分からない……お父さんと一緒に……どっか行っちゃったから……」


 守攻機関(クガミ)には、人数こそ少ないが、女性の隊員もいる。

 きっとその中の誰かだろう。あの混乱の中、名乗る余裕もなかったに違いない。


「村の人が……治してくれたんだけど……」


サユの声が震えている。


「お兄ちゃん……全然起きなくて……」


 その瞬間だった。

 ふらりと、サユの体がトワにもたれかかった。


「わっ……!」


 ぐらついたトワの身体は、そのまま避難所の床に尻もちをついた。

 ドン、と音を立てて倒れこむトワの胸元に、サユの細い体がしがみついている。


「サユちゃん……!」


 トワは驚きながらも、慌ててサユを抱きとめた。

 怯えるように震える肩。小さな手が、ぎゅっとトワの服を握りしめている。


「……私……お兄ちゃんに……死んでほしくないよ……」


 その言葉は、堰を切ったように涙を引き連れてきた。


「お兄ちゃん…!!」


 張り詰めた避難所の静寂が、破られた。

 小さな子どもたちがひしめくその空間に、サユの泣き声が響き渡る。

 細く震える声。それなのに、胸の奥に突き刺さるような強い想いが乗っていた。


 トワは驚きながらも、すぐにその肩をそっと抱きしめた。

 小さな体が、自分にすがるように震えている。


「……サユちゃん……」


 この子も、ずっと怖かったのだ。

 心細くて、不安で、でも誰にも言えなくて。

 だからこそ、今ようやく、声にできたんだ。


 トワは何も言わずに、ただその震える背中を包み込んだ。

 泣きじゃくる声が、自分の胸に染み込んでいく。


 ――大丈夫だよ。


 そんな言葉すら、今は言えない。

 ただ、そばにいることだけが、自分にできる全てだった。


神血の英雄伝(イコルのえいゆうでん )第八話

読んでくださりありがとうございました。

次回も読んでいただけると嬉しいです(՞ . .՞)︎

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