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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
80/91

合流 ニ

「……はぁ」


 病室から出た途端、ネシュカは深く息を吐いた。肩から力が抜けるような、疲労のすべてを吐き出すため息。


「サクヤ・クオネ……」


 思わず口からこぼれた名に、自身の記憶が静かに遡っていく。


 七年前。

 まだネシュカが今のアイカたちと同じ、新人だった頃のこと。

 ナサ村襲撃に関与した七人の罪人たち。その全員が泣き叫びながら言っていた。


 『サクヤさんに脅されたんだ』

 『悪いのは全部、サクヤ・クオネだ』


 責任を押しつけ、救いを乞い、罪を薄めようと必死に縋る姿。

 あの時ほど、人間の醜さに吐き気を覚えた瞬間は無かった。


「……ややこしいことになったかもしれないわね」


 小さくこぼし、陽の差し込む廊下を歩く。

 隣室の扉をそっと開いた。





 扉の先では、待っていたアオイが背筋を伸ばし、静かに立っていた。

 チアーはベッドに座り、リイトは椅子に腰を下ろし、サレックは床に座り込んでいる。


「座っていても良かったのに」


 立ち続けるアオイへ柔らかく声をかける。

 だがアオイは変わらない薄い声で答えた。


「平気です」


 その無表情に、ネシュカは僅かな安堵と同時に、別の心配を覚える。


(……普段のアオイに戻ったのね)


 チアーとサレックの件で動揺しているのではと案じていたが、その様子はない。

 けれど、同時に感情をあまり表に出ないため

内心はどうなっているのか心配でもあった。


 視線をひとときアオイに置き、それからサレックに向ける。


「さて――これからチアーとリイト・アダムスの尋問を始めるわ。サレック、あなたはさっきの部屋へ戻っていてほしいの」

「はあ!? 嫌だね! 俺も残る!」


 声が弾ける。


 まるで子どもが駄々を捏ねるような声。

 今、自分に拒否権があると思っているのだろうか。

 仲間として理由を知りたい。それは痛いほど分かる。


「残念だけど、それは無理。あなたは事情を何も知らない。なら……知らないままの方がいいこともあるのよ」


 そう言って、ネシュカは口元だけで微笑んだ。


「――それとも、無理やり追い出されたい?」


 柔らかな声。けれど背筋が凍る微笑。


 サレックは一拍、怯えたように目を瞬かせ、悔しげに舌打ちしながら部屋を出ていった。


 アオイはネシュカの言葉にわずかな疑問を抱きながら、出ていくサレックの背を静かに見送った。


 扉が閉まると、部屋に静寂が落ちる。

 ネシュカはリイトとチアーをゆっくり見渡し、ぽつりと言った。


「――どっちから聞こうかしら」


 その言葉に、先に口を開いたのはリイトだった。


「……僕たちは、何も話さないですから」


 迷いのない声。

 ネシュカもアオイも、その強気な横顔へ視線を向けた。


「あの人のことを話せば……死ぬより恐ろしいことが待ってる」


 怯えとも戸惑いともつかない揺れが滲み、リイトは聞き取れるかどうかぎりぎりの音量で言葉を落とした。


 ネシュカは息をひとつ吐き、冷静に告げる。


「それでも、素直に話した方がいいと思うわ。私は拷問は得意じゃないけれど、必要なら十分できるのよ」


 静かな言葉なのに、確かな脅威を孕んでいた。

 彼女の手が、腰の打刃の袋へそっと触れる。

 リイトは息を詰め、それでも唇をきつく噛みしめる。


「僕は話します」


柔らかい声。

 ベッドに腰掛けたチアーが、微笑みながらネシュカを見ていた。


 予想外の声に、視線が一斉に彼へ集まる。


「おい、チアー」


 リイトは思わず声を荒げた。


(……話すのか)


 アオイは一瞬、呆けたように瞬きをした。


 大人しく情報を渡してくれるのは、正直ありがたい。

 だが、ここまで素直だとは思わなかった。

 拍子抜けと警戒が同時に胸に落ちる。


 室内が再び静まり返るなか、チアーは続けた。


「――でも、条件があります」


 ネシュカは体の向きを変え、真っすぐ彼を見据える。


「聞くだけ聞いてあげる」

「サレックを見逃してください」


 その言葉に、ネシュカの口元から微笑が消えた。


「理由は?」

「サレックは何も知りません。だからあいつに罪はありません」


 確かにサレックは、利用されていただけで自ら悪事に加担したわけではない。


(……それでも)


 アオイは考えずにはいられなかった。

 その言葉にアオイはゆっくりとネシュカへ視線を向ける。


 ネシュカはしばらく口を閉ざしたまま、言葉を吟味するかのように沈黙した。

 そして、短く息を吐き、


「……考えてあげる」


 ただ、それだけを告げた。


 チアーはわずかに肩の力を抜き、静かに息を吐いた。


 それからネシュカは、鞄から紙と筆箱を取り出し、炭筆を一本抜くとアオイに手渡した。


「空いてる椅子に座って記録してちょうだい」


「はい」


 アオイは受け取ると、リイトの正面の椅子へ腰を下ろした。

 椅子がわずかにきしむ音が静かな室内に落ちる。

 その音を確認するようにネシュカが目を細め、尋問を始めた。


「まず――仲介屋はどこ?」

「スカリット街の、食堂が並ぶ通りにある《ユガリ屋》って酒場。そこが奴らの寝泊まりしてる場所です」

「仲介屋との連絡手段は?」

「荷運びに行った時、差し入れと一緒に手紙を渡されました。その手紙は……読み終わったらすぐ処分してました」

「子どもを仲介屋に渡す方法は?」

「仲介屋の希望条件に沿う子どもをサレックに探してもらって……指定された場所で引き渡しです。仲介屋は、リイトから客を受け取ってたみたいですよ」


 チアーは淡々と答え、横目でリイトを見た。

 リイトは、余計なことを言うなと言いたげに眉を寄せ、唇を噛む。


 その後もチアーは、仲介屋と渡した子どもの人数、期間、必要な情報を淡々と答えていく。


「子どもたちから血液を抜いた理由は?」


 その質問に、チアーは初めて答えを濁した。


「……健康状態を調べるため、としか。僕にも本当の理由は分かりません」


 その言葉にネシュカは視線だけ動かし、リイトを見る。


(知っているのは、リイト・アダムスかしらね)


 しかし、リイトの表情には答える意思など微塵もなかった。

 サクヤ・クオネに繋がる情報は、おそらく何も話さない。


 仲介屋の情報は、チアーから十分に収穫を得た。リイトから、強引に聞き出す必要はない。

 そう判断したように、ネシュカは小さく息を吐く。


「……そう」


 そして、視線を戻す。


「なら最後。森で使っていた“縄”――あれは何かの合図?」

「子どもが見つかった時に使う合図です。縄の巻き数が日数で、一巻き五日。結び目の数が……渡す子どもの数です」

「つまり……二巻きで結び目ひとつなら、十日後に子ども一人を渡す、って意味ね?」

「はい。その通りです」


 チアーは、ただ静かに答えた。


(それなら子どもが遊んだと思って見逃す人もいるから、気づかれにくいわね)


 ネシュカは短く思考をまとめると、静かにリイトの方へ身体を向けた。

 その視線に気づいたリイトは、びくりと肩を跳ねさせ、まるで刃を向けられたかのように警戒する。


(僕は……何も話さない。絶対に)


 強がるように睨み返すが、ネシュカは視線をすっと逸らし、代わりにアオイを見た。


「話も聞けたし、隣に戻るわ。……アオイ、記録は書けた?」

「はい」


 アオイはすぐに返事をし、記録の紙と炭筆を揃えて差し出した。仕草は丁寧で、けれどどこか緊張が残っている。


「ありがとう。後で確認するわね」


 ネシュカは紙を受け取り、ひと瞥しただけで内容には触れないまま、鞄の中に静かに収めた。


 それで終わり――という空気が漂った。


 リイトの存在など、もう此処にはない。そんな無言の線引きをするように、ネシュカは淡々と踵を返し、誰よりも先に扉へ歩き出した。


(……え?)


 あまりにもあっさり背を向けられ、リイトは思わず声を失った。

 先ほどまで自分を追い詰めようとしていた人物が、まるで価値がないと判断したかのように去っていく。


(……情報は手に入れたし、リイト・アダムスから無理に引き出す必要はないかしら)


 ネシュカは足音静かに廊下へ消えていった。



◇◇◇



 ネシュカが去ってから数分。

 病室の空気は沈黙に支配されていた。


 誰も口を開かない。


 セイスは椅子にもたれたまま動かず、眠っているのかも判断できない。アイカは、ただ少女の横顔を見つめ続けていた。レイサとハナネも、その姿を黙って見守る。


 ドンッ。    



 荒い息と怒気を帯びた声で入ってきたのは、茶髪の少年だった。

 開いた扉を乱暴に閉めるように背中で押しながら、吐き捨てるように文句をこぼす。


「……くそ、なんでだよっ!!」

「騒ぐな。口閉じろ」


 セイスの低く鋭い声が、空気を一瞬で冷えさせた。

 その声に、少年はびくりと肩を震わせると、口を閉じる。


 それでも納得いかないのか、足音を荒く響かせながら部屋の奥へ進み、椅子へ乱暴に腰を落とす。

 尖らせた唇で、まだ小さく文句を呟き続けていた。


(あの子って……確か、サレック?)


 アイカは先ほどネシュカが呼んだ名を思い出す。

 見た目だけなら、トワやサユとほとんど変わらない。


(ここにいるってことは……あの事件に、関わっていたんだよね)


 胸の奥に、ゆっくりと重しが沈んでいく。

 言葉にはできない感情だった。


(……まだ、小さいのに)


 その思いだけが、静かに離れず残った。


 そして、時間がゆっくりと溶けていく頃。


 コン、という軽いノックとともに扉が開いた。


 ネシュカが半身だけ覗かせ、部屋の全員を見渡す。


「――終わったわ」


 その声は落ち着いているのに、どこか一息吐いたような気配があった。


 瞬間、アイカたちは反射的に顔を上げる。

 セイスでさえ、数秒前までぐだりと椅子に沈んでいた姿勢から、電気が走ったみたいに立ち上がった。


「……私は先に寄る場所があるわ。四人はアオイたちと一緒に、スカリット街へ向かって」


 落ち着いた声音でネシュカが告げると、すぐにアイカが反応した。


「……トライのところ?」


 かすかに震えたその声に、ネシュカはちらりと目を向け、柔らかな微笑を浮かべる。


「トライ先生ね。それから――仲介屋がスカリット街の近くに潜んでいるという情報が入ったの。先に向かっておいて」


「分かりました」


 静かに返事をしたのはセイスだ。


「わかった」

「了解です」

「はい」


 アイカ、レイサ、そしてハナネが続いた。


 ネシュカは満足げに小さく頷き、視線をサレックへ向ける。

 サレックは即座に肩を跳ねさせた。

 呼ばれたわけでもないのに、その視線だけで反応してしまうあたりが、年相応だった。


「サレック。あなたは私と来なさい」

「……はぁ!?」


 思いもよらない指名に、サレックは声を裏返らせる。自分はスカリット街へ同行する立場だと思っていたからだ。


「早く」


 短い一言。


 その声にセイスまでもが鋭くサレックを睨む。


 ネシュカの冷たい圧とセイスの視線に押され、サレックは不満そうに眉を寄せながらも立ち上がり、ネシュカへ歩いた。


 ネシュカは体を横にずらし、静かに扉を押さえる。

 サレックが通り過ぎた瞬間、音もなく扉が閉じた。



◇◇◇



 廊下に出たサレックは、ふと隣の病室へ目を向けた。 


(……チアー)


 その瞳には、裏切りへの困惑と、捨てきれない情がまだ残っていた。

 悔しさか、寂しさか。自分でも判別できない感情が胸にひっかかる。


「行くわよ」


 背後から落ちてきた声は優しい響きを持ちながらも、一歩も立ち止まることを許さない強さを帯びていた。


 サレックは顔を背け、短く吐き捨てる。


「……わかってるっての」


 そう言いながらも、歩き出す足音には拗ねた子どもの色が残っていた。





 診療所を出て学院方面へ向かう道。

 サレックは見慣れない景色に落ち着かず、しかし興味を隠しきれない視線で辺りを見回しながら歩いていた。


 やがて学院の門が見えたところで、ネシュカがふいに立ち止まる。

 サレックは条件反射のように一歩後ずさり、睨む。


「……サレック。川辺までの道は覚えているわね?」


 静かな声。


「――もう帰っていいわ」

「……は?」


 意味が理解できず、ただ間の抜けた声が漏れた。


「あなたはもう部外者。これ以上連いてくる必要はないわ」


 淡白すぎる宣告に、サレックの表情が怒りで歪む。


「は?勝手すぎんだろ!来いって言ったり帰れっつたり――ふざけんなよ!」


 声は粗雑だが、震えていた。 

 頭に浮かぶのは川辺で過ごした仲間の顔。


(……チアー。あいつは……)


 利用されていた。それでも、簡単に見捨てることはできなかった。

 川辺で一緒に笑い合った日々は、腹立たしいほど鮮明で、胸の奥にまだ残っている。

 そんな記憶は、たとえ裏切りがあったとしても、すぐには消えてくれなかった。


 ネシュカは、その幼い葛藤を見抜いたように視線を合わせる。


「何も知らないあなたを連れていく意味はないの」

「知る前に追い返したのはそっちだろ!チアーはーーまだ仲間だ!」

「仲間、ね」


 その言葉に、ネシュカの瞳がわずかに揺らいだ。


 そして、静かに、言葉を落とす。


「でも。仲間は――チアーだけじゃないでしょう?」


 サレックの息が止まった。


 ネシュカの言う通り、仲間はチアーだけではない。

 カンラも、エリアカスルも、カスタもいる。


「チアーだって仲間だ。……見捨てろって言うのかよ」


 絞り出すような声だった。


「チアーのことは諦めなさい。あの子がしたことは償わせなきゃいけない」


 淡い微笑が浮かぶ。


「他の子たちのことはどうでもいいの?」

「いいわけねぇだろ」


 返答は一瞬だった。迷いも逡巡もない。その声音だけで、サレックが本気で怒っていて、本気で守ろうとしているものがあると分かった。


「なら帰りなさい。あなたの帰りを待ってる子がいる。

……ここから先までついてくるつもりなら、私はあなたも騎士団に突き出す」

「でも――」

「いいから」


 淡々と告げられた声は驚くほど冷静で、なのに刃物のように鋭い。抑揚はないのに、その言葉は逃げ道をすべて塞ぐ。


 サレックは息を呑んだ。喉の奥で言葉がつかえ、出てこない。


 胸の奥で渦巻くのは怒りか、悔しさか、それとも恐れか。どれかひとつに絞れず、ただぐしゃぐしゃに混ざり合って、自分でも扱えない。


「っ……」


 小さく、情けないほど短い声が漏れた。視線が揺れる。迷いが滲む。


 次の瞬間――サレックは踵を返した。


 石畳を蹴り、まるで追われるように駆け出す。足音が遠ざかるにつれ、その背中はやがて消えていった。


 ネシュカはただ黙って見送ると、まぶたをひとつ、ゆっくり落とす。





「それで、リイトを騎士団に引き渡すと……」


 レイサから入館書を受け取り学院へ入ったネシュカは、央棟の受付で確認を済ませたあと、トライのいる第四準備室部屋へ向かった。

 ネシュカはそこで、リイトが子どもを攫う違法仲介屋の客引きをしていたことを端的に告げる。


 トライは椅子にふんぞり返ったまま、ゆっくりとネシュカへ身体を向けた。

 その目はあからさまに異物を見る色をしている。


 ネシュカはその視線を受け止めながらも、顔色ひとつ変えず、短く息を置いて口を開いた。


「はい。最近トラーナ街で起きている子どもの失踪事件については、ご存じですよね」


「あぁ」

「リイト・アダムスが関与していた証言は取れています。ですので、こちらで騎士団へ連れて行きます」

「分かった」


 返事は驚くほど早かった。

 生徒を守ろうという迷いもなければ、引き留める意思もない。


 騎士団に逆らって自分まで疑われるのは御免だ。

 そんな本音が顔に露骨に浮かんでいた。


「ありがとうございます」


 ネシュカは礼を述べ、そして一拍おいて口を開く。


「それと、お願いがあります。父宛に、××××××を書いていただけませんか?」

「……なに」


 露骨に不機嫌な声。

 それでもネシュカは揺らがず、真正面からトライの瞳を捉えた。


「……なぜ私がそんなことを」

「これをしていただけるなら、今後二度と叔父さんに何かを頼みません」


 まっすぐに視線を合わせて告げると、トライはしばらく沈黙した。

 やがて諦めたように視線をそらし、低く答えた。


「……いいだろう」


 引き出しが開く音が小さく響く。

 真っさらな紙、羽つきの筆、封筒、蝋、印章。

 一つひとつが静かに机の上に置かれ、職務のように淡々と作業が進んでいく。

 文字が紙を滑り、封が押され、ため息が落ちる。

 最後に封筒を差し出しながら、トライは吐き捨てるように言った。


「外から来た子どもの分際でよく言えたものだ」


 毒を含んだ言葉。しかしネシュカの表情は、わずかも揺れなかった。

 慣れている。そう言わんばかりに、ただ封筒を受け取る。


(叔父さんは、本当に私たちが嫌いなのね)


 央棟を出て門へ向かう途中、視線を落としたまま思う。

 異物扱いされることには慣れた。だが心地よいわけではない。


(まぁ、叔父さんだけじゃないし……仕方ないわよね)


 門を抜けたところで、ネシュカは小さく呼吸を整えた。


「さて……次はこれを運び屋に届けないと」


 呟き、顔を上げる。

 石畳を踏む靴音が、静かに街路へ溶けていった。





 リュスカ堂を通り過ぎ、整えられた家並みの続く道を歩く。

 陽はゆっくりと傾き始め、昼の熱が少しずつ逃げてゆく。風が肌に触れると、ほんのかすかだが歩きやすく感じた。


 ふと視線を上げ、通りの先にある時計台を見る。

 短針は四の位置に重なり、長針は二を指していた。


(十六の刻になったばかり……合流してから一時間と少し、ってところね)


 夕刻の始まり。

 そしてそれに合わせるように、小さな欠伸が洩れた。口元に手を添えて隠す。


(……疲れたわ)


 子攫い事件の追跡を任されて四ヶ月。

 四日前、アイカたちと合流してからは情報の整理や追跡が一気に進んだ分、身体の疲労も蓄積していた。足が、ほんの少し重い。


(この任務が終わったら……休暇をもらいましょう)


 そう心の中で決めると、足が自然と止まる。

 視線の先には、白壁に黒い木枠が映える二階建ての建物。

 その中央、階層の境目に《配達屋》と刻まれた長い看板が掲げられていた。


 看板を確認し、扉へ向かう。


 ――チャリン。


 扉に取り付けられた鈴が、高く澄んだ音を響かせた。


 中は思いのほか広く、人の出入りも多い。

 中央には大きな受付台があり、四つの仕切りでそれぞれ担当が分かれている。

 手前には客、奥には従業員。やり取りが絶えず続き、その奥では荷物棚が並び、階段からは従業員が上へ下へと忙しなく行き来していた。

 棚には地域ごとの札が下がる。


(……左が一番早そうね)


 軽く目で列の流れを追い、ネシュカは迷いなく左端へ並ぶ。


 数人が順に受付を終え、やがてネシュカの番が来た。


「お待たせいたしました」


 対応に立つのは、髪をひとつにまとめた白縁眼鏡の女性。柔らかく手を上げる仕草と声が、穏やかだった。


 ネシュカは受付台の前へ進み、封筒を差し出す。


「これをノルヴェエルの……ヴァルド・ルニマへ。できるだけ早く届けてください」


 女性は封筒を受け取り、一度宛名と差出人を確認する。


「かしこまりました」


 そう言うと、受付台に置かれた印章から一つ選び、封筒の裏に静かに押した。


「確かに、お預かりいたしました」

「ありがとうございます」


 女性の微笑みに、ネシュカも控えめに微笑み返す。

 それだけで用件は終わり、列を抜け、扉へ向かった。


 再び鈴が鳴り、午後の空気が頬を撫でた。

神血(イコル)の英雄伝 第七四話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა


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