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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
79/83

合流

 ネシュカたち六人は学院へ続く道を歩いていた。


 歩を進めるにつれ、周囲の人々の視線が六人に集まっていく。

 物珍しそうな、探るような視線だ。


 視線に慣れていないのか、レイサは肩をこわばらせながら歩く。

 アオイも気まずそうに視線を逸らした。

 チアーとサレックはおどおどと周囲を気にしている。

 セイスは不快そうに眉をひそめ、視線を鬱陶しげに受け流していた。

 一方のネシュカは、まるでそれらを意に介さず、すたすたと前だけを向いて進んでいく。


 リュスカ堂を通り過ぎた頃、ネシュカは学院の門をもそのまま通り越した。


 当然中へ入るものと思っていたレイサは、驚いて足を止め、ネシュカの背中に声をかける。


「学院には入らないんですか?」


 ネシュカは振り向かず、歩いたまま答えた。


「私たちは入館許可証を持っていないから無理よ」


 レイサはぽかんと首を傾げる。


「学院に入れるのは、生徒・教員・学者、それから事務員だけ。

それ以外の人間――たとえば来訪者や親御さんなんかは、事前に許可証を受け取っていないと入れないの。

親御さんの場合は、入学のときに配布されるから、それを提示すれば入れるわ」


 淡々と説明しながらも、声にだけわずかな注意の色が乗る。


「もちろん、無くても無理やり入ろうと思えば入れるけど……その場合ばれたら騎士を呼ばれて牢行きよ」


 そう言ってネシュカはようやく立ち止まり、くるりと振り返ってレイサを見た。


「私たちは診療所へ向かうわ。レイサ、あなたは学院へ戻ってアイカたちを連れてきて」


 言葉を受け、レイサは背筋を伸ばして返事をした。だがその直後、ふとトライのことを思い出す。


「分かりました。……あと、すみません。トライ先生の件なんですが、リイトのことでネシュカ先輩から説明してもらうようにと、俺たちが言ってしまいました」


 申し訳なさそうに言うレイサに、ネシュカはわずかに動きを止めた。

 セイスもアオイも、そっと視線だけをネシュカへ向ける。


 すぐには誰も口を開かず、気まずい沈黙が落ちる。


(まずかったよな……)


 レイサは、あの時はそれが最善だと思って言った。だが、ネシュカからすれば余計な手間を増やされたと感じるかもしれない。

 そう思うと途端に胸がざわつき、レイサはごくりと息を飲み込んだ。


 数秒後、ネシュカは小さく肩をすくめ、ゆっくり口を開いた。


「分かったわ。でもまずは、アイカとハナネと合流して話を聞いてからね」


 その口調は柔らかく、責める色はなかった。


 診療所でトライも一緒に直接聞いた方が早い。

 だが、報告の中には隊員以外には伏せるべき内容があるかもしれない。

 ならば、整理したのち必要な部分だけ伝えた方がいい。


「元々、トライ叔父さんには説明する予定だったから安心しなさい」


 そう続けるネシュカの声に、レイサはほっと息を吐きかけすぐ次の言葉に背筋を伸ばすことになる。


「でも、時には説明できないこともあるから。くれぐれも勝手に判断しないこと。それと、トライ叔父さんから入館書も受け取ってきて」


 微笑みながら告げられ、レイサは慌てて姿勢を正した。


「はい、気をつけます!」


 きびすを返すように向きを変え、学院の門へと駆けていく。

 その背中を見送り、ネシュカは静かに息をついた。

 そして再び歩みを進める。



◇◇◇



「まずはトライ先生から探すか」


 学院の敷地内を歩きながら、レイサは央棟にある第四準備室へ向かって小さく呟いた。


 現在は縁刻えんこくの半ば頃。もうすぐ十五の刻になる時間帯だ。

 ここ三日間の時間割では、生物学の授業はちょうどこの頃に終わる。

 ならばトライは授業を終え、いつものように第四準備室にいるだろう。レイサはそう見当をつけていた。


 敷地内には、授業を終えた生徒たちの姿がまばらに見える。

 前課を受け持つ初等部と中等部の生徒が多く、後課の高等部や大等部の校舎からも数人が姿を見せていた。

 静かに流れる空気と、遠くに聞こえる話し声に学院特有の落ち着いた雰囲気を感じた。


(……まぁ、アイカとハナネも心配だし、さっさと迎えに行くか。仲よくしてればいいけど……まぁ、多分無理だろ)


 もちろん怪我が悪化していないかも気になる。だがそれ以上に二人の険悪な相性が気がかりだった。

 アイカが余計な一言を言い、ハナネが苛立つ。

 そんな簡単な構図が頭に浮かぶ。

 実際にはリイトも一緒にいるのだが、あの状態なら彼が間に入ることもないだろう。

 ほぼ二人きりのような空気なのは容易に想像できた。


(室内、空気凍ってなきゃいいけど……リイトが可哀想だな)


  そう思うと、レイサは小さく鼻で笑った。

 肩の力が少し抜け、歩みは自然と軽くなる。

 そんなことを考えているうちに、央棟へと到着していた。

 中に入り、記憶を頼りに左の廊下を進む。突き当たりにある扉。その上には「第四準備室」と書かれた板が掛かっている。

 レイサはトントントン、と礼儀正しく三度ノックした。


「はい」


 落ち着いた聞き慣れた声が返ってくる。


「失礼します!」


 レイサは元気よく返事し、静かに扉を開いた。


 差し込む日の光に照らされた机の上には、授業資料と思われる紙が山のように積まれている。

 その傍らで、トライは右手にその資料を、左手には湯気の立つ茶色い飲み物を持っていた。

 湯気がほんの少しだけ眼鏡を曇らせている。

 レイサが入ると、トライは取手のついた湯呑みをわずかに下げ、こちらへ身体を向けた。


「待ってたよ」


 その穏やかでありながら、どこか人を見下すような声音に、レイサの表情がぴたりと固まった。トライは、続けてレイサの後ろを確認しながら問いかける。


「ネシュカちゃんは外にいるのか?」


 トライの問いに、レイサは背筋を正し答えた。


「先輩たちは、一度俺たちから報告を聞いて整理したあと、先生に説明しに来るそうです」


 その言葉に、トライはわずかに眉を寄せた。


「十四の刻にネシュカちゃんと合流して、その時に説明を受ける。 そういう話だったと思うが?」


 眼鏡越しの視線が鋭く細められ、レイサの胸に小さな圧が落ちる。

 確かに、それをそう告げたのは自分たちだった。

 だが今は、ネシュカの判断がある。トライを伴って説明を聞きに行くことはできない。


「言ったことと違う形になってしまい、申し訳ありません。ですが、こちらにも外部に漏らすわけにはいかない情報があります」


 言い終えても、レイサの視線は揺れなかった。

 トライはしばし沈黙し、湯呑みを口へ運ぶ。


「……今度は、嘘ではないんだな」

「はい」


 迷いなく返すと、トライはわずかに息を吐き、湯呑みを机へ戻した。


「なら、ネシュカちゃんが来るまでここで待とう」


 そう言うと、机の奥へ伸ばした右手で何かを取り、レイサの方へ差し出す。


「これは……」


 レイサは手のひらの薄い紙を凝視した。

 学生証と同じ大きさ。表には《リグラム学院入館許可証》の文字。

 その下には、ネシュカとトライの名前。そして鮮明な指印。


「昨日、作っておいた。これをネシュカちゃんに」


 トライは淡々と告げる。


(……準備がいい)


 学院にネシュカが来ることを、当然のように前提としていたその動きの早さにレイサは感心すら覚えた。


「ありがとうございます」


 深く頭を下げ、許可証を受け取る。

 そして扉に手をかけると一度振り返り、軽く会釈して部屋を出た。


 廊下に出ると、少しだけ息が軽くなる。


「……さて。 アイカとハナネはどうなってるかな」


 心配半分、面白さ半分。そんな声音で呟きながら、レイサは央棟へ向かって歩き出した。



◇◇◇



 宿泊用の建物、その第一室でアイカはずっと、ハナネに話しかけ続けていた。


 昨夜は疲労の色が濃く、レイサが部屋を出たあと、三人ともほとんど同時に眠り落ちた。アイカもハナネもベッドに倒れ込むように眠り、リイトは気づけば床で丸まるように眠っていた。


 アイカが目を覚ました頃には、すでに市刻の始め。ハナネもリイトも起きていて、歯刷子で歯を磨き、軽く湯浴みを済ませた。それからが問題だった。


 アイカは息を吸うように喋り始めた。


「ねぇ、どんな本読んでるの?」「今日暑くない?」「レイサ何時に帰ってくるかな!」


 そのたびに、ハナネは本を閉じることもせず、視線だけをちらりと動かし、


「……話しかけないで」


 とだけ返したり、無視し続けたりした。

 だが、アイカは止まらない。むしろ加速した。


 単に退屈だからというわけではない。頭が空いた瞬間、思考が戻る。


 あの少女のこと。サクヤ・クオネのこと。消えた理由。祖父であるタイガと、隊長のユサは、関係しているのか。 


 考えれば考えるほど、胸の奥がざわつく。

 だから言葉で埋め続けた。思考が沈む前に、声で押し返すように。


 その様子に、とうとうハナネが痺れを切らした。


「なんでずっと話しかけてくるのよ!」


 本を胸に抱えたまま、怒りを隠さない声音だった。

 対して、アイカは悪びれた様子もなく身を乗り出す。


「いいじゃん。少しくらい話そうよ!」


 ベッドが軋む。ハナネは眉を寄せ、肘で距離を押し返しながら吐き捨てるように言った。


「……だから放っておいてよ!」

「お願いだって!」


 アイカがぐいぐい迫り、ハナネが冷たく拒み、リイトはその離れで両耳を塞いだ。

 そんなとき、ギィィ、と扉の蝶番が軋む音がした。


「……何してんだ」


 やや高い少年の声音が部屋に落ちる。

 アイカが顔を向けると、気まずそうに苦笑するレイサの姿があった。

 遅れて気づいたハナネは、睨むような鋭い視線でレイサを見やる。


(……俺まで睨まれてもな)


 レイサは心の中で肩をすくめた。


「あ、レイサ! おかえりー!」


 アイカはベッドの上を膝で二歩ほど進み、勢いよく手を振った。

 離れた瞬間、ハナネはほっとするように短く息を漏らす。


「よっ。……で、何してたんだよ。廊下まで丸聞こえだったぞ」


 レイサが笑い混じりに言うと、アイカは不満げに頬を膨らませた。


「ただハナネと話したかったのに、全然相手してくれないんだよ!」

「私は本を読んでいただけよ。……しつこいのはそっち」


 吐き捨てるような言い方だが、言葉の端に微かに疲れが滲んでいた。


 端にいたリイトがぼそりと呟く。


「……さっきからこれ。ほんと疲れる」


 その小さな声が空気をひとつ沈ませた。

 レイサはそれを読み取ったように、ほんのりと目尻を緩める。


「……お前ら、緊張感ないのかよ」


 呆れとおもしろがりが半々。

 レイサはやれやれと息を吐き、今度は声の調子を落とした。


「ま、そんな話は置いといて……ネシュカ先輩たちに会ってきたぞ」


 その一言で、空気が切り替わる。

 アイカの目がぱっと開き、ハナネも静かに視線を上げた。


「ほんと!?」


 身を乗り出すアイカに、レイサは短く頷く。


「ああ。昨日行った診療所で待ってるってさ。俺たちも向かう。準備しようぜ」

「分かった!」


 アイカは弾む声で返し、ハナネは返事こそしなかったが、開いていた本を静かにぱたりと閉じた。

 ふと、アイカは視線を横へ滑らせる。

 床に座るリイトが、傷を眺めるように視線を落としていた。


「……リイトも連れていくんだよね?」


 その言葉に、レイサとハナネも同じ方向へ目を向ける。

 リイトは興味のないふりをしていたが、肩がほんのわずか強ばっている。


「当たり前でしょ」


 低く冷えた声音で、ハナネが答えた。


「だな」


 レイサも静かに返すと、アイカたち三人は拍置いてから動き始める。

 任務はすでに終わり、この部屋に戻ることはない。なので、三人とも忘れ物がないか入念に確認する。


 武器類は、そのまま持ち運べば目立つため、ハナネの提案でベッドの薄い毛布に包むことにした。外から見れば、ただ洗濯物でも抱えて移動しているようにしか見えないだろう。


「変なの……」


 三人の横で横でリイトが、小さく息を吐いた。


 そうして四人は荷を抱えたまま扉へ向かった。傷に気を配りつつ、歩き出す。





 診療所へ足を踏み入れると、昨日対応してくれた二つ結びの看師と黒髪の看師、そして待合の椅子にはセイスが足を組み、目を閉じたまま座っていた。


「あ、セイスさんだ」


 レイサが小さく呟くと、アイカとハナネもそちらへ視線を向ける。


(……あれ、セイスもいる)


 診療所にいるのはネシュカだけだと思っていたアイカは、意外そうに思った。


 最初にセイスの目に入ったのは、見覚えのない少年だった。

 アイカたちと同じ学院の制服を着ている。その姿に、セイスはすぐ察する。


(……あいつが、リイト・アダムスな)


 任務は終わった、とレイサから聞いてはいた。

 だが、まさか本当に捕縛して戻ってくるとは、正直なところ半分ほど疑っていた。

 報告だけならいくらでも言える。それが現実として目の前にいるという事実に、セイスはわずかに瞼を開き、呼吸をひとつ遅らせた。


 そして視線は自然と、アイカとレイサの持っている毛布へと滑っていく。


「……なんや、その妙な荷物」

「武器隠すためのやつ」


 アイカが当然のように答えると、セイスは返事をせず、じっと二人の怪我の様子を確かめるように目を細めた。


 その視線に気づいた二つ結びの看師が、ハナネを見た瞬間、勢いよく駆け寄ってきた。


「ちょっとあなた! 昨日、固定具つけたでしょう!? なんで外してるの!」


 その声には、隠そうともしていない怒気が混じっていた。

 昨日、ハナネは骨折した右足を板で固定され、そのせいで靴が履けず、右足だけ裸足のまま部屋へ戻っていた。

 だが今、ハナネの足には見慣れた守攻機関の編み上げの長靴が収まっている。固定具は跡形もない。


「靴が履けなかったので。巻布で固定しています。問題ありません」


 淡々と返すハナネに、二つ結びの看師は目をみひらき、言葉を失った。ほんの一瞬。

 そして次の瞬間、反動のように息を吸い込み、一気にまくしたてた。


「治したいなら、我流でどうにかしようとしないこと!知識があるつもりでも、怪我はそういう問題じゃないの。油断すれば悪化するし、治るものも治らなくなるのよ!」


 叱責というより、雷を落とす勢いの声だった。

 だが、その前に立つハナネはぴくりとも動かない。

 視線こそ看師のほうへ向いているものの、聞いている気配はまるでない。

 ただ、冷たい水面に石を投げても沈まないかのような。そんな無反応。


 看師はその態度にますます苛立ち、今度はアイカの方へ向く。


「もしかして——あなたも勝手に触ったんじゃないでしょうね?」


 怒りの矛先が突然自分へ向けられ、アイカの肩がぴくりと跳ねた。


「えっ、いや……そのまま」


 しどろもどろになりながら答えると、二つ結びの看師はアイカの額すれすれに指先を突きつけた。


「いい? 治したいなら、余計なことはしないこと。わかった?」

「……はい」


 反射のように返事をすると、看師は鼻を鳴らして受付のほうへ戻っていった。

 去っていく背中を見送りながら、アイカはひそかに息を吐く。


 そのやり取りを静かに見ていたセイスは、レイサから聞いていた話が本当だったことを改めて確かめるように息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。


「ネシュカ先輩、ガキの病室で待っとる」


 ガキとは、昨晩重傷を負った少女のことだろう。


 そう言ってから、セイスは三人の制服へ視線を落とした。


「その前に、お前ら。着替えてこい」


 言われて改めて自分たちの服を見る。学院の制服。もう偽装の必要はないということだ。


 三人は診療所のトイレを借り、守攻機関の制服へ着替えた。

 武器を包んでいた毛布は黒髪の看師の計らいで、余った椅子に置かれている。

 準備を終え、セイスを先頭に五人は階段を上る。

 静かな足音だけが診療所の廊下に落ちていった。


 その様子を見送りながら、黒髪の看師がひとりごとのように呟く。


「……そうだったのね。あの子たち、守攻機関の隊員……だから武器を」


 どこか納得したような声音だった。





 階段を上るにつれ、少女の病室が近づく。足音に合わせて、アイカの心臓はずっと騒がしかった。


 先ほどまでは、レイサやハナネとのくだらないやり取りが気をそらしてくれていた。だが扉に近づくほど、その薄い安心は音もなく剥がれていく。


 少女はどうなっているのか。目を覚ましているのか。それとも、まだ眠ったままなのか。

 扉の前に立った瞬間、胸の奥で跳ねていた鼓動は、耳の奥まで響くほど大きくなった。アイカは視線を落とし、小さく息を飲む。


 先にセイスが扉を開けた。次にハナネ、レイサ、リイト。

 そしてアイカは一歩も動けなかった。瞼と唇に自然と力が入る。


(……入らないと)


 自分に言い聞かせるように息を吐き、アイカは勢いよく視線を上げた。そして歩き出す。


 室内には、すでにネシュカとアオイがいた。入ってきたアイカたちにネシュカが静かに視線を向け、アオイも表情を変えずに見つめる。


 その傍らに、知らない少年が二人。どちらの服も擦り切れ、泥と血の跡が残っていた。トラーナ街の子どもたちとよく似た姿。


 窓には薄い垂布がかけられ、柔らかい陽が室内に落ちている。左には机と椅子。机には治療器具が入った箱が置かれている。


 そして右側。


 ベッドには、少女が静かに横たわっていた。薄い布団に包まれ、顔色は悪い。眉間にわずかな苦悶が残り、眠っているのか、それとも意識が遠く揺れているだけなのか分からない。


 昨夜とは違う衣服が着せられていた。看師たちが替えたのだろう。


 その姿を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。アイカは足を止めたまま動けなくなった。

 レイサは険しい目つきで少女を見つめ、ハナネは無言でわずかに視線を落とす。

 セイスは、瞳を丸くして少女を見下ろしていた。


 沈黙の中、ネシュカが柔らかく口を開いた。


「きたわね。それじゃぁさっそく任務のことについて説明してもらいたいのだけど」


 ネシュカは、そういうと、ちらりとリイトやチアーたちの方へ視線を向ける。

 そして、今度はアオイの方へ顔を向けた。


「隣の病室が空いていたから借りたいと言ってあるの。アオイ、とりあえず、そこの二人とリイト・アダムスをつれて隣で待っててもらえるかしら?あたなにも報告をするから」


 その言葉にアイカたちはアオイを見た。

 アオイは、いつものように少女を変えずに返す。


「分かりました」

「ありがとう。じゃぁ、リイト・アダムス。チアー。サレック。アオイについて行ってね」


 ネシュカは、にこりと笑顔で言うと、リイトたちも何も反抗することなくついて行った。


 四人が部屋を出て扉が静かに閉まると、空気がひとつ落ち着いた。

 ネシュカはまずセイスへ視線を向ける。


「セイス。その子と顔見知りなの?」


 先ほど少女を見たときのセイスの反応が、どうにも気にかかった。

 セイスは答える前に、ちらりと少女へ目をやった。


「……先輩がいん時に村が襲撃されました。

 そん時、自分が相手したガキです」


 短く。だが迷いのない声だった。

 その言葉に、小さな衝撃が部屋に走る。全員の視線が少女へ向けられた。


「そういえば……」


 ハナネが少女をじっと見つめる。

 舟戸で見たときの記憶がゆっくり形になる。


 昨日は怪我と焦りで気づけず、最初に会ったときは衝撃が強すぎた。

 だが今、冷静に見れば間違いない。


「ほんとかよ」


 レイサが低く吐き出すように言う。

 彼は別の敵を相手にしていたため、この少女の存在を知らなかった。


 アイカも息を呑む。


「……うそ」


 驚きが溢れた声音だった。

 部屋に静寂が続いく中、ネシュカが静かに口を開く。


「とりあえず、三人の報告を聞きましょう」


 最初に発言をしたのはハナネだった。


「学院に潜入後、比較的早い段階でリイトと接触できました。昨日、学院裏の森で捕縛を試みましたが……そこで、リイトの仲間と思われる人物たちに奇襲されました。私とレイサ、そしてアイカの二手に分断されました」

「分断の方法は?」

「風の神選者による攻撃です」


 その言葉に、ネシュカのまなざしが鋭く細くなった。


「風の神選者……どんな姿だったの?」

「羽織を深く被っていました。姿も顔も分かりません。ですが細身だったのでおそらく女性です」


 淡々と答えるハナネ。

 セイスもハナネの報告に真剣に耳を傾ける。

 ネシュカは短く思案し、続けるよう促した。


「その後リイトが現れ、自分が取引に関わっていると自白しました」


 言葉の流れは自然に、しかしその場の空気はゆっくりと重く沈んでいく。


 その後、ハナネは手短に状況を説明した。


 二手に分かれ、レイサがリイトの相手をしたこと。自分は風の神選者を発見し、捕縛を試みたが逃げられてしまったこと。

 その後、リイトを拘束したレイサと合流し、アイカの捜索に移ったこと。そして少女を保護し、治療を施したこと——。


 ハナネが治療を行ったと聞いた瞬間、ネシュカとセイスがわずかに目を開いた。ほんの一瞬の驚き。すぐに表情は元に戻ったが、見逃せるほど薄くはなかった。


「助手ではなくて、一から治療に当たったのかしら?」

「はい」


 ネシュカが柔らかく問いかけると、ハナネは迷いなく返した。


 報告を終えると同時に、ハナネの視線は冷たく静まり返る。

 二人の表情を観察するように、ゆっくりと。


(リイトは捕えることができた。でも——風の神選者は逃げた)


 今回の任務。

 目的のひとつは達成した。だが、もうひとつは取りこぼした。

 意識が戻らない少女もいる。


 それで本当に「成功」と言えるのだろうか。


 セイスは、何か言いたげだった。だが、苛立ちが表情に滲んでいるのに、口を開こうとはしない。

 一方のネシュカは、人差し指を唇の下へ添え、視線を落とし何かを考えているようだった。


(……また、失敗したの?)


 胸の奥が冷たく沈む。

 ハナネは息を呑んだ。

 短い沈黙が部屋に落ちる。


 やがて、ネシュカは指を唇から離し、顔を上げた。


 今度は静かに、ネシュカの視線がアイカへ向けられた。


「アイカ。あなたは二人と離れたあと、どうしたの? その子と何があったのか、話してくれる?」


 その声に、アイカは小さく息を吸い込みネシュカを見た。


「私は……あの子と戦って勝てた。でも、そのあと……あいつ。サクヤ・クオネが来て、あの子に怪我をさせた」


 新しく出たその名に、ネシュカは静かに目を細める。


「サクヤ・クオネ……そう」


 声は柔らかい。しかし表情には険しさが差した。


「まだ仲間がいたのかよ」


 レイサの吐息は失望とも諦めともつかない重さを帯びる。

 ハナネは一言も発さず、ただ硬い目でアイカを見ていた。


「おい」


 重く低い声が部屋の空気を裂いた。全員がそちらを見る。

 声の主はセイスだった。怒りを隠す気もない顔で、真っ直ぐアイカを睨む。


「そいつ……逃したんか」


 セイスがここまで怒る姿をアイカは見たことがなかった。

 驚いたのはレイサもハナネも同じだった。

 アイカは、握りしめた拳に力を込める。


「……ごめん」


 声が震え、絞り出すような言葉に、悔しさが滲む。

 正直、本当に悔しいのだ。あと少し動けていれば、サクヤ・クオネを捕まえられたかもしれない。

 その可能性が、鋭い棘になって胸に刺さる。

 セイスはそれ以上何も言わず、顔をそむけ、短く舌打ちした。


 レイサは、静かにアイカを見つめた。

 アイカの言葉に反応したネシュカとセイスの表情。そして、アイカ自身も知っているような反応を示したことにも気づいていた。


 一体どんな人物なのか。


 疑問が胸に浮かんだレイサは、ゆっくりとアイカの方へ視線を向け、口を開く。


「どうゆう奴だったんだ?」


 アイカはわずかに視線を落としながら答えた。


「……緑の神選者。七年前、ナサ村を襲撃した奴らの一人」


 その言葉に、ハナネの瞼がわずかに揺れた。

 ナサ村に来て半年にも満たない。

 それでも七年前の事件は各地で噂となり、知らない人は少ない。


 ネシュカは驚きを見せず、静かにアイカを見つめ続ける。

 セイスは今にも歯が砕けそうなほど強く噛み締め、怒りを飲み込んでいた。

 レイサもまた顔を強張らせ、右手には無意識に力がこもっていた。


(そんな奴が……なんでまた)


 七年前ーー自分に力がなかったせいで、サユを危険に晒したあの日。

 あの襲撃者のひとりが、今になって再び姿を現した。


 喉の奥が熱くなる。


 レイサは、気づけば自分の手のひらに爪を立てていた。


 それぞれが違う表情を浮かべるなか、アイカはゆっくりとネシュカへ顔を向けた。


「──サクヤ・クオネが言ってた」


 言葉を出す前に、再会した瞬間が脳裏に蘇る。

 あの笑み、声と姿がぞっとするほど鮮明に浮かみ上がる。

 アイカは思わず瞼に力を込めた。


「『これ以上関わるなら、七年前とは比べものにならないものを見せる』って」


 ひと呼吸。


 その短い間に、室内の空気が酷く冷たくなった気がした。


「それって、どういうこと? ネシュカとセイスなら何か知ってるんでしょ? レイサの父ちゃんも、じいちゃんも……一体何してんの!?」


 必死な声だった。


 七年前の襲撃、あれはずっと胸の奥で引っかかっていた。

 でも、自分が踏み込んでいい場所なのか迷っていた。

 しかし、少女がサクヤ・クオネに利用されていたその事実を知った瞬間、押し込めていた疑問が音を立てて崩れた。

 七年前も、今も。ユサやタイガは何を隠しているのか。

 何をして、なぜサクヤ・クオネに狙われたのか。

 そしてーーサクヤ・クオネとは、一体何者なのか。


 アイカの叫びに、レイサとハナネも視線をネシュカとセイスに向ける。


 視線を受けたセイスは、荒れた息をゆっくりと押し殺すように吐き、わずかに表情を落ち着かせる。

 歯を食いしばっていた顎の筋肉が緩んだ。


 そして、沈黙を断ち切ったのは、ネシュカだった。


「それは――教えられないわ」


 その柔らかい声に、曖昧さはなかった。アイカもレイサも、思わず言葉を失う。


 ネシュカは小さく息を吐き、続けた。


「あなたたちはまだ第二部隊。今回の任務で関わってしまった以上、知りたい気持ちは理解する。でも……七年前の件とサクヤ・クオネに関しては別。三人にはそれを知る立場が足りない。……ごめんなさい」


 理由は、正しかった。

 それが余計に、心に突き刺さる。


 アイカも、レイサも、反論しない。

 言えないのではなく、言わせる資格が自分たちにはまだない。

 その現実を痛いほど理解したからだった。


 ネシュカはふっと目を伏せ、申し訳なさそうに一瞬眉を寄せると、表情を切り替える。


「……一旦、報告はここまで。三人ともお疲れさま」


 そして視線は、ベッドに眠る少女へ向いた。


「次は……あの子のこと」


 アイカは反射的に声を上げた。


「待って! あの子は、サクヤの命令で動いてたかもれなくて――」

「命令であっても、子攫いに加担した事実は消えないわ」


 ネシュカの声は柔らかいが、揺るがない。


「でも、あの子は――!」

「それに、その子……この前ナサ村を襲った一人なんでしょう?

だとすれば、どう転んでも罪は消えない。別の罪で裁かれるだけよ」


 アイカの必死さを見ても、ネシュカの判断は曖昧にならない。

 だが、次の言葉にアイカはほんのわずかに希望を見いだした。


「けれど、いきなり処分はしないわ。まずは話を聞く。意識が戻って、話せる状態になるまで待ちましょう」


 アイカの肩が、小さく震えた。


「……ありがとう」


 その声を聞き、ネシュカはやわらかく微笑む。

 そして数秒置いて、静かに告げた。


「ただし、期待しすぎないで。もしその子が関与してた場合、死刑は免れないからね」


 アイカの表情が痛む。 

 それでも、真っ直ぐな瞳で返した。


「わかってる」


 ネシュカは小さく頷き、歩き出す。


「私は隣で尋問をしてくるわ。……セイス、三人のことお願いね」


 そう言い残し、ネシュカは静かに部屋を出ていった。


ネシュカが部屋を出ていくと、真っ先にセイスが椅子へと向かった。無造作にドスッと腰を下ろすと、足を組み、腕も組み、背もたれに頭を預けて天井を睨むように視線を上げる。


(……すげぇ)


 その態度に、レイサは思わず感心すらしてしまう。


 アイカはそっと少女のベッドへ近づき、腰を下ろした。薄い布越しに伝わる体温を確かめるように、ベッドの端へ手を置き、眠る少女の横顔をじっと見つめる。

 ハナネは、そんなアイカの姿を横目で静かに捉えていた。


『死刑は免れないわ』


 そう告げたネシュカの言葉が、まだ胸の奥で重く響いている。


(でも……もし、このまま目覚めなかったら)


 目覚めても処刑が待っているのなら、この眠りのまま終わった方が、少女にとって良いのかもしれない。そんな考えがよぎる。


 しかし――。


(……それでも。起きてほしい)


 目覚めて、ほんの少しでも言葉を交わせたら。

 この七年、少女がどこで、誰と、何をして生きてきたのか。あの時、何を言いかけたのか。


 知りたいと思うことが、勝手な願いだと分かっていても。

 アイカはそっと置いた手に力を込めた。

神血(イコル)の英雄伝 第七三話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა


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