川辺での四日目
まだ風がほんのり冷たさを含む頃。
「もうごはんできるー! おきてー!」
「アオイおにいちゃん! あさー!」
木に寄りかかって眠っていたアオイは、左右から身体を揺さぶられ、耳元で高い声が響く。
アオイは眉を寄せ、ゆっくりと瞼を開けた。すると、二つの小さな顔がひょっこりと覗き込む。
「おはよう!」
「おきたー!」
視界に映ったのは、元気いっぱいのカスルとカスタだった。
二人はアオイが目を開けたのを確認すると、嬉しそうに笑いながら勢いよく抱きついてきた。
その勢いに、アオイもようやく意識を覚ます。
辺りを見渡すと、他の四人もすでに起きていた。
チアーは焼き魚を包丁で捌き、カスルとカスタの朝膳を準備している。
少し離れたところでは、サレックとカンラ、エリアが座って何か楽しそうに話していた。
カンラがアオイの姿に気づくと、ぱっと笑顔になって大きく手を振る。
それにつられて、サレックとエリアも視線を向けた。
「寝坊だぞー! アオイまちなんだから早くしろー!」
サレックが口の周りに手を添え、大声で言う。どうやら皆、アオイが起きるのを待っていたらしい。
アオイは少しだけ空を見上げた。
月はまだ西の低い位置にあり、太陽が昇る直前。
おそらく幽刻の半ばを過ぎたころだろう。もうすぐ陽が差してくる時刻だ。
(もうこんな時刻か……)
昨夜、セイスからサレックの話を聞いた後、アオイは考え込んでなかなか眠れなかった。
気づけば眠っていて、いつの間にか一番最後に起きたらしい。
(俺が最後だな)
そう思った矢先、カスルとカスタがアオイの腕を勢いよく引っ張った。
「ごはんたべにいくー!」
「はやくおきるー!」
小さな手がアオイの腕を引き、アオイはゆっくりと立ち上がる。
そのまま二人に腕を引かれ、焚き火の方へ歩いていった。
焚き火の周りに着くと、カスルとカスタに導かれるようにアオイは座らされた。
場所はサレックとカンラの間。二人も左右にちょこんと座り、アオイを挟み込むように並ぶ。
カンラが穏やかに声をかけた。
「アオイ、おはよう! 今日はお寝坊さんだね」
「……あぁ。悪い」
アオイが静かに答えると、サレックがすかさず口を挟む。
「寝坊したんだから、今日の洗いもんはアオイが全部やれよー!」
「……サレックが面倒くさいだけじゃん」
小声でエリアが呟く。チアーも「それは確かに」と頷いた。
「ちげーし!」とサレックが抗議し、カンラやカスル、カスタまで笑い出す。
その明るい笑い声を聞きながら、アオイはそっとサレックの横顔を見つめている。
◇
「ご馳走様でした」
焼き魚を食べ終えると、皆で声をそろえた。
そのあと、いつものようにチアーたち三人が稼ぎ先へ向かおうと立ち上がる。
(サレックを連れ出すには、誰か一人ここに残ってもらう必要がある)
昼刻の半ば頃、サレックを一人で連れ出すためには、カスルとカスタの面倒を見る者が必要だった。
そのためには、三人のうち誰かがここに残る必要がある。
アオイは立ち上がった三人に向かって声をかけた。
「悪い……少し待って、くれ」
三人の足が止まり、視線が集まる。
アオイは一瞬、言葉を探すように口を閉じたあと、静かに言った。
「今日……誰か一人、ここに残ってもらうことはできるか?」
その声は控えめで、どこか申し訳なさげだった。
チアーたちは顔を見合わせ、首をかしげる。
やがてチアーが問いかけた。
「アオイ、どうして?」
アオイは答えに詰まった。
(サレックと二人で出かけたい。なんて言ったら、怪しまれる。
話をしたいだけって言えば、ここでもできるって思われるし……)
言葉を選べずにいると、サレックがにやりと笑った。
「アオイ、お前……もしかして寂しいのか?」
その場の空気が一瞬だけ止まり、次にチアーたちが小さく目を見開く。
アオイも、何を言われたのか理解するまでわずかに間があった。
「まぁ、寂しいなんてその年なら恥ずかしくて言えないもんな」
サレックはおどけたように笑いながら言った。
どうやら、アオイの様子を離れるのが寂しいが恥ずかしくて言い出せないと勘違いしたらしい。
全くの的外れだ。
カンラが少し困ったように笑って言った。
「そっか。アオイ、ここに来てまだ二日目だもん。寂しくもなるよね」
チアーも申し訳なさそうに言う。
「気づけなくてごめんね」
エリアも同じように、静かにアオイを見つめた。
「いや……」
アオイは戸惑いながら三人の顔を見た。
別に寂しいわけではない。
だが、向けられる哀れみのような視線に言葉を失う。
数秒の沈黙のあと、チアーが明るい声で名乗り出た。
「それじゃあ、僕が残ろっか!」
しかし、それを遮るようにエリアが言った。
「私、残る……」
その一言に、チアーとカンラが同時にエリアを見る。
エリアは小さく視線を落としながら言葉を続けた。
「チアー、休んだら怒られるかもしれないし」
それを聞いたカンラが頷く。
「そうだね。じゃあエリアにお願いしよ! チアーが休んだらきっと怒られるよ」
そう言ってから、カンラはエリアに向かって笑顔を向けた。
「私、エリアの分まで頑張ってくる!」
カンラの明るい声に、エリアは小さく頷いて「ありがとう」と返した。
チアーも「わかった」と言って納得する。
こうして、チアーとカンラは五人に手を振り、稼ぎ先へと向かっていった。
その背中を、アオイたちは見送りながら手を振り返す。
「アオイって、寂しがりなんだな!」
サレックが俎板を持ちながらからかうように言った。
それを聞いて、カスルとカスタも笑顔で声をあげる。
「ぼく、きょうおにいちゃんとずっといるね!」
「ぼくもアオイおにいちゃんといる!」
二人の無邪気な声に、アオイは軽く下を向く。
(……完全に誤解されてるな)
だが、そのおかげで目的は果たせた。
エリアが残ってくれたのなら、サレックを外に連れ出すことができる。
(結果よければ……いいか)
アオイは胸の内でそう呟くと、わずかに肩を落として息を吐いた。
◇
アオイは、洗い終えた包丁を布で拭いていた。
隣では、エリアが静かに俎を拭いている。
言葉はない。
器を片付けている間も、沈黙だけが流れていた。
おそらくエリアも、自分から話すのが得意な性格ではないのだろう。
アオイは手を止め、ちらりと横目を向けた。
エリアの横顔は、暑さのせいなのか頬が薄く赤みを帯びていた。
(エリアが残るとは思わなかったな……)
あの場で名乗り出るのは、チアーかカンラのどちらかだとアオイは思っていた。
エリアは静かで、大人しい。
だからこそ、エリアが残ると言った時は意外だ。
そんなことを考えていると、ふいにエリアが顔を上げた。
けれど、エリアはすぐに視線を逸らした。
小さく肩が動くのが見えた。
(……やっぱり、俺のこと苦手なのか)
この二日、エリアとはほとんど話していない。
目が合えばすぐに逸らされ、距離を取られることも多い。
話しかけられたのも、数えるほどしかなかった。
(俺、何かしたのか……?)
サレックが警戒していたのは分かる。見知らぬ人間だったからだ。
けれど、エリアのそれは違う。敵意でもなく、拒絶でもない。
ただ――距離を置かれているような、そんな感覚だった。
何か、気に障ることでもしたのだろうか。
思考を巡らせていると、横から小さな声がした。
「……どうしたの?」
エリアだった。俎板を拭きながら、ちらりとこちらを見上げる。
アオイは思わず動きを止める。
「……?」
「さっき、見てたから」
静かな一言。
アオイは少し気まずくなり、包丁に視線を戻した。
「悪い。なんとなく見てただけだ」
「……そっか」
エリアはそれだけ言うと、また俎板に視線を落とす。
二人のあいだを風が抜け、髪がふわりと揺れた。
沈黙が戻る。
その沈黙が、なぜか少しだけ居心地悪くなかった。
けれど、数秒後。
エリアが小さく、誰に向けるでもなく呟いた。
「……誰にも言わないから」
「ん?」
アオイは顔を向ける。
しかし、エリアは首を小さく振って言った。
「ううん。何でもない」
それから、俎板を抱えて天幕の方へ歩いていった。
アオイがその背を目で追っていると、不意に背後から腕が回された。
「アオイ〜」
声の主は、にやけ顔のサレックだった。
腕を首にかけ、息が耳にかかるほど近い距離で囁く。
「エリアみたいなのが好みなのか?」
(……何を言い出すんだだこいつは)
サレックの言葉に、アオイはわずかに瞳を細めて彼を見た。
一体どこをどう見れば、そんな結論に至るのか。
別に、エリアが不細工だとか、そういう話ではない。ただ、アオイはそういう目で彼女を見たことなど、一度もなかった。
けれどサレックは気にも留めず、愉快そうに笑って続けた。
「まぁ、エリアは大人しいけどいい子だし、お似合いだと思うけどぜ〜」
「違う」
「じゃあなんで、さっき見てたんだよ?」
「……何となくだ」
「は、そんなの嘘だろ〜?」
サレックが笑いながら、アオイの肩を揺さぶる。
鬱陶しいと思いつつも、アオイはその顔を見た。
無邪気に笑うその顔は、本当に子攫いに関与しているようには見えなかった。
「どした?」
サレックが首をかしげる。
アオイは数秒だけ視線を落とし、小さく息を吐いた。
「……何でもない」
そう言って、サレックの腕を振りほどくと、天幕の方へと歩き出した。
◇
アオイたちは、カスルとカスタの「かくれんぼがしたい」「川で遊びたい」という声に付き合い、昼膳までの時間を賑やかに過ごした。
笑い声と水の音が入り混じるうちに、時刻はあっという間に昼刻の初めへと移り変わっていった。
めいっぱい遊んだ五人は、川で捕れた小さな魚を焼き、拾った木の実を分け合って食べた。
食べ終える頃には、昼刻の半ばに近づき、風の熱がじわじわと肌を刺す。
暑さを避けるため、五人は天幕の中へ戻った。
カスルとカスタは遊び疲れて、台の上で寄り添うように眠っている。
サレックとエリアは、その寝顔を見て静かに笑った。
アオイは、そんな二人の背中を見つめ何かを決めたように、口を開く。
「サレック」
呼ばれたサレックが、ひょいと振り返る。エリアもつられてアオイの方へ身体を向けた。
少しの沈黙のあと、アオイが言う。
「一緒に来てほしいところがある」
その言葉に、サレックは目を瞬かせてから軽く眉を上げた。
「便所か?」
あまりに即答されたので、アオイは一瞬だけ迷い、それから視線を逸らして短く答えた。
「……あぁ」
サレックは小さく笑い、ちらりとエリアを見やった後、元気よく立ち上がる。
「よし、ついて行ってやる」
その様子に、アオイは何か勘違いされている気配を感じつつも、素直に言った。
「助かる」
サレックが先に天幕を出る。アオイはその背中を追った。
二人が天幕から出て行くのを、エリアはどこか心配そうに黙って見送った。
小さな風が吹き込み、揺れた天幕の布が、彼女の髪をそっと撫でた。
◇
「そうだよな。アオイも男だからなぁー」
上機嫌にそう言って、サレックは前を歩いた。
アオイはその斜め後ろを無言でついていく。
なにをそんなに機嫌よくしているのか。どんな勘違いをして、どんなことを思っているのか。アオイはちらと彼の背を見上げ、息をひとつ吐いた。
サレックは歩きながら、きょろきょろと辺りを見回したあと、ぱっとアオイの方へ身体を向ける。
「ここまで来りゃあ大丈夫だろ!」
そう言って、近くの茂みを指さす。
天幕からはかなり離れており、あたりには人気もない。ここにいるのはアオイとサレックの二人だけだった。
「俺が見張っててやるからよ。安心してしてこい! な、アオイ!」
元気よく笑うサレックに、アオイは一瞬ぴたりと足を止めたが、すぐに短く言った。
「いや、ここじゃない」
サレックは片眉を上げる。
「この距離じゃ嫌なのか? 平気だって、エリアも見に来ねえよ!」
冗談めかして笑うサレックを横目に、アオイは前へ出た。
「ついてきてほしい」
それだけ言って、歩き出す。
サレックは苦笑しながら肩をすくめ、両手を頭の後ろで組む。
「しょうがねぇな」
そう言いつつも、どこか楽しげにアオイの後ろを追った。
◇
それから二人は、三十分ほど歩いていた。
「おい、どこまで行くんだよー」
先ほどまで上機嫌だったサレックも、さすがに疲れたのか声にだるさが混じる。
「もう少しだ」
アオイは振り返らず、前を向いたまま淡々と答えた。
その後ろ姿を見ながら、サレックは顔をしかめ、軽くため息をつく。
そしてふと、アオイの視線の先を追うように顔を上げた。
視界の先、古びた建物の陰に、一人の長身の男が立っていた。
整っていない黒紫の髪に、首元まで伸びた後ろ髪。黒い衣服は、トラーナ街ではまず見ない上質な素材で仕立てられている。
男は腕を組み、何かを待っているように無言で立っていた。眉間には深い皺。見るからに機嫌が悪そうだ。
(うっわ……貴族か?)
サレックは思わず眉をひそめ、関わらないようにと視線を逸らした。
だが、その瞬間、男の鋭い目がこちらを射抜く。
「遅いわ!!」
怒鳴り声に、サレックはびくりと肩を上げた。
(は!? なんだよ、俺らに向かって?)
初対面の相手に怒鳴られ、頭の中で文句が溢れる。だがその横で、アオイが平然と口を開いた。
「待たせて悪かった」
「……は?」
サレックの声が抜けた。
男は不機嫌なまま、ずかずかと二人に近づいてくる。
「時間ぐらい守れや」
その言葉に、アオイは落ち着いた声で返した。
「……セイス、着替えたのか?」
「先輩に着替えろ言われてん」
「ネシュカ先輩は?」
「どっか行きよったまま、まだ戻ってきとらんわ」
その会話を聞いていたサレックは、呆然と口を開けたまま固まった。
いきなり現れた男とアオイが、親しげに話し
ている。
「……アオイ」
ようやく絞り出した声に、アオイが振り向く。セイスも同じくサレックの方を見た。
「……そいつ、お前の知り合いなのか?」
サレックが問うと、アオイが口を開きかけるが、その前にセイスが割り込む。
「この男はセイスって言って――」
「お前がサレックで間違いないな?」
セイスは鋭い視線を向け、一歩踏み込んだ。
「お前と話したい言うてる奴がおる。ここで大人しゅう待っとけ」
その声は低く、脅しのように響く。
サレックは一瞬たじろいだが、すぐに眉を吊り上げた。
「は!? 意味わかんねぇし、誰だよお前! なんで俺の名前知ってんだよ!」
「うるせぇガキやな。ええから言うこと聞いとけ」
二人の間に、ぴんと緊張が走る。
空気が張りつめたそのとき――
「セイス、やめなさい」
静かな声が響いた。三人が顔を向けると、守攻機関の制服を着た女性が歩いてくる。
胸下まである金髪が光を受けて揺れ、腰には武器が下がっている。
ネシュカだった。
彼女は三人の前で足を止め、軽く息を整えて口を開く。
「セイスが嫌な態度をとったわね。この子、こうゆう性格なの。ごめんなさい」
セイスは「なっ……」と小声で反論しかけたが、結局ため息をついて視線を逸らす。
アオイはその様子に目を伏せ、サレックは未だに警戒を解かない。
ネシュカは、穏やかにサレックへ微笑みかけた。
「それで――あなたがサレックで間違いないかしら?」
サレックの声には警戒と怒りが入り混じっていた。
ネシュカは少しだけ瞳を細めたあと、柔らかい声で言った。
「あなたの名前は、アオイから聞いたの」
その一言で、サレックの顔から血の気が引いた。
信じられないというように、アオイの方を振り返る。
アオイが口を開こうとしたが――その前に、ネシュカの声が静かに割り込んだ。
「私は守攻機関の第一部隊所属。ネシュカ・ルニマ」
ネシュカがそう言うと、サレックは、この状況と初めて聞く言葉に混乱したように言う。
「ク、ガミ……?だいい、ち?は?」
ネシュカは、自己紹介をした後に続ける。
「私ね、回りくどい話は嫌いなの。だから単刀直入に聞くわ」
「――トラーナ街の子どもたちに仕事を紹介しているのは、あなたなの?」
その声音は穏やかだが、微塵も逃げ場を与えない冷たさがあった。
サレックの喉が、かすかに動く。右足が一歩、後ろへと引かれた。
その小さな反応を、三人とも見逃さなかった。
ネシュカはにこりと微笑み、静かに言葉を続けた。
「私たちは、ある依頼を受けて動いているの。
最近、トラーナ街の子どもたちが次々と攫われ違法な仲介屋の手で不当に取引されている事件。
それを解決してほしいと、依頼があったのよ」
ネシュカの声は穏やかだった。
だが淡々としたその語りには、冷ややかな芯があった。
「集めた情報によると、攫われた子どもたちはみんな仕事の紹介を受けた直後に、行方が分からなくなっている。
そして、その紹介をしていたのが――茶色い髪をした少年だった」
ネシュカの瞳が、まっすぐサレックを射抜く。
「その少年の名前があがったのが……あなた、サレック。
つまり今あなたは、この事件に関与している可能性がある人物、ということになるわ」
サレックの身体がこわばる。
突然の言葉に、まだ何がどうなっているのか理解が追いつかない。
二、三度まばたきをして数秒固まったあと、はっとして、必死に声を上げた。
「しっ……知らねぇよ! 仲介屋だの子攫いだとか、訳わかんねぇ! 俺は関係ないっ!!」
左腕を勢いよく振り払うようにしながら、サレックは叫ぶ。
ネシュカは、その動きを静かに見つめ、目の奥の光をわずかに細めた。
「……本当に?」
サレックは歯を食いしばり、目を逸らさずに言い返した。
「本当も何も、知らねぇもんを言われたってわかるかよ!」
沈黙がきた。
サレックの叫び声が消えるとネシュカは、的が外れたような顔をして瞳を大きくして片手を口元の方へ持っていき広げて言う。
「あら、じゃぁ本当に仲介屋のことは知らないの」
「だからしらねぇって、!!」
ネシュカの言葉に、サレックは苛立ちを滲ませて声を上げた。
ネシュカは少しだけ目を見開き、驚いたような顔をしたが、すぐに口元へ添えていた手を後ろへ下げ、背中で両手を軽く組む。そして穏やかな笑みを作った。
「……でも、仕事を紹介したことは否定しないのね」
その言葉に、サレックの肩がぴくりと動く。
ネシュカは、一歩だけ前へ出た。
「あなたは、誰からその仕事の紹介を受けたのか、教えてもらえるかしら?」
にこり。
その笑みは優しげで、けれど、どうしようもなく怖かった。
サレックは、固まった。薄く開いた口元をぎゅっと結び、次の瞬間、踵を返して駆け出そうとした。
だが、背後のセイスが、すでに動いていた。音もなく前へ出て、道を塞ぐ。
鋭い眼差しが、獣のようにサレックを捉える。
そこには、絶対に逃がさないという気迫があった。
「くっそっ……!」
サレックは唇を噛みながら、セイスを睨み上げる。
ネシュカはその背中を見つめ、静かに言った。
「あなたが逃げようとするのはーー仲間を庇うため?」
サレックは、振り返らずに首だけを動かし、睨むように視線を返す。
ネシュカの表情から笑みは消えていた。代わりに、冷たい真剣さが宿っている。
「あなたが何も知らないことは、さっきの反応で分かったわ。でも、あなたに紹介の話を持ちかけた子は、たぶん関わってる」
小さく息を吸って、ネシュカは名前を出した。
「サレック。あなたにそれを持ちかけたのは……チアーという男の子じゃないの?」
サレックの瞳が大きく見開かれる。
同時に、アオイも反応した。
「……どういうことですか?」
アオイの声に、ネシュカはゆっくりと顔を向けた。
表情は変わらない。だが、アオイの眉がほんのわずか寄るのを見て取ると、再び視線をサレックへ戻した。
「その子も、まだ何がどうなっているのか分かってないと思うの。だから、ここから先はチアーって子も交えて話したほうがいいわ」
そして、穏やかに微笑む。
「一緒に来てくれるわよね?」
神血の英雄伝 第七一話
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