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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
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命令と優しさ

 陽もすっかり落ち、生ぬるい風が吹き抜ける深刻しんこくの始め。


 セイスは昨日と同じようにアオイと合流し、一日の出来事や気づいたことの報告を受けていた。

 月は南の空の高みにあり、雲の切れ間から差す光がふたりを照らしている。

 地面には、細く長い影が寄り添うように伸びていた。


「で、今日はどうやった」


 セイスが問いかけると、アオイは少し考えるように間を置き、口を開いた。


 幽刻みおこくの半ば頃、サレックと共に枝や食料を集めるため森へ入ったこと。

 森の奥では、獣たちがこちらを伺うように目を光らせていたこと。

 整備の行き届かない森の中が、不気味な静けさに包まれていたこと。


 そして


「トラーナ街では、近くの森に死体を埋めたり捨てたりするらしい」


 アオイの言葉に、セイスの瞳が細められる。


「死体なぁ……」

「あぁ。トラーナ街では火葬ができないらしくてな。そのせいだと思うが、森の中はひどい悪臭だった」


 アオイは淡々と報告しながら、思い出したように鼻の下へ人差し指を軽くあてた。


「そりゃそうやろ。こんな場所で火葬なんてできるわけない。死体の一つや二つ、森に捨てるしかないわな」


 セイスは瞳を閉じ、片眉を上げながら荒い口調で言い放つ。


「……そう、だな」


 アオイは短く返し、少し間をおいてから視線を遠くへ向けた。


「森に、人の気配は?」

「いいや。幽刻の時間帯だったせいもあるが、俺とサレック以外にはいなかった」


 アオイが顎に手を添え、思い出すように言葉を続ける。


「……なら、子攫いしてる奴ら、森を何かに使ってやがるかもな」


 セイスはアオイに視線を向けず、横目で言葉を落とした。


「確かに。あの悪臭じゃ、人は近寄らない。……連絡を取り合ったりするには、ちょうどいい」


 アオイはうなずき、少し間を置いてから思い出したように言葉を継いだ。


「あ、そうだ。三人の稼ぎ先のことだが、チアーは荷運びで、カンラとエリアは仕立て屋だった。チアーの荷運びは酒屋の他に、時々トランセル港まで行くこともあって、人と合流する機会が多いらしい。カンラとエリアは、仕立て屋では裏作業が主な仕事だって言ってたな」


 アオイは静かに三人の稼ぎ先について報告を終えると、セイスは視線をアオイの方へ向け、じっと見つめた。


「それから──セイスが気にしてた“埋めた跡”の場所な。あれは金を隠してるらしい。盗難防止のためだと」


 アオイが淡々と続けると、セイスは短く息を吐いた。


「盗難防止なんて、ガキがよう考えたな」


 瞳を閉じ、ため息混じりに呟いたあと、右手を後頭部へやって髪をぐしゃぐしゃとかく。

 そして大きなあくびをひとつ。


「セイス、ちゃんと寝てるのか?」


 そのあくびの音に、アオイが静かに声をかけた。

 優しさがにじむ声だったが、セイスは片目を細め、わずかに涙を浮かべながら見下ろすように返す。


「まともに寝とったら──寝てる間に大事な情報、失うかもしれへんやろ」


 荒い口調。その裏にある焦燥を、アオイは気づいている。


「だとしても、しっかり休まないと身体がもたないぞ。それにセイスは怪我も治ってな──」

「あー、いちいちうっさいわ。お前に説教なんぞされたない」


 アオイの言葉を最後まで聞かず、セイスはあからさまに声を荒げた。  


「……」


 アオイは口を閉ざす。


 反論の言葉は喉まで出かかったが、飲み込む。

 これ以上言っても、ただの言い合いになるだけだとわかっていた。


 沈黙のあと、アオイは話題を変えるように口を開いた。


「……そういえば、朝膳のあとにサレックへ文字を教えた」

「お前が一から教えたんか。あのガキらの中に、読めるやつおらんのかい」

「いや。チアーだけ知ってるみたいだ。でも忙しくて、あまり教えてもらえなかったらしい。

 サレックは“少しでも仲間の役に立ちたい”って、必死に覚えようとしてた」


 アオイの顔はいつもと同じ無表情のままだったが、視線を落としたその横顔は、どこか柔らかい。


 セイスはその表情をちらりと見て、すぐに視線を逸らした。

 ふんっと小さく鼻を鳴らす。


 そのあと、昨日と同じようにパンと水瓶をアオイへ渡す。

 アオイが食べ終えるまで、二人の間に言葉はなかった。


 深刻しんこくも終わりに近づく頃、アオイはサレックたちが眠る川辺へ、セイスは仮拠点へと歩き出した。





「機嫌、悪いの?」


 仮拠点の建物へ戻り、扉をくぐった瞬間。報告書を書いていたネシュカが顔を上げて、第一声を放った。


「いえ、別に」


 セイスはそっけなく返しながら、壁際へドスッと力任せに背を預けて腰を下ろした。

 片腕を肩の方へ持っていく。

 その仕草だけでも、どこか不機嫌さが滲んでいる。


「態度がいつもより荒々しいわね。……まぁ、いつも荒々しいけれど」


 皮肉まじりに言われ、セイスは一瞬だけネシュカを見上げたが、何も言わずに視線を逸らした。


 セイスが粗暴なのはいつものこと。それだけなら慣れている。


 けれど、今日は違う。


 いつもの無愛想が、機嫌の悪さに変わっている気がした。何かあったのだろう。


「ただ眠いだけです」


 短く、投げやりな返事。

 けれど、声は先ほどより落ち着いていた。


「眠いねぇ……私はてっきりアオイと言い合いでもしたのかと思ったわ。 セイスは嫌なことがあると、すぐ顔に出るもの」


 穏やかな口調のまま、ネシュカは淡々と告げる。

 セイスの片眉がぴくりと動いた。


(……やっぱり言い合いしたのね)


 ネシュカは、内心で呆れたようにため息をつく。

 おそらくアオイが何か気を遣うようなことを言って、それがセイスの癪に触ったのかもしれない。


(まったく……後輩の思いやりくらい、素直に受け取ればいいのに)


 そう思いながらも、あえて口には出さない。

 言えば、さらに機嫌を損ねるとわかっているからだ。


 ネシュカは視線を報告書から外し、話題を切り替えるように言った。


「まぁ、それは置いておいてーー今日、新しい情報が入ったの」


 その一言で、室内の空気が変わる。


 明かりも変えていないのに、どこか冷たい気配が漂った。


「トラーナ街の子どもたちの間で、“サレック”って子が仕事を紹介してるらしいの」


 ネシュカの言葉に、セイスの目つきが鋭くなる。

 セイスの方へ顔を向けたまま、落ち着いた声で続けた。


「確か……アオイのいる川辺にも、同じ名前の子がいたわよね?」

「はい」

「恐らく同一人物ね。いきなりだけど、私そのサレックと接触したいの。二日後の昼刻(ちゅうこく)の半ば過ぎにサレックをここに呼び出すよう、アオイに伝えてくれる?」

「二日後ですか?」


 セイスは短く問い返し、背もたれ代わりにしていた壁から体を起こした。


「えぇ。お願い」


 ネシュカの言葉に、セイスは眉をひそめる。


「もっと情報集めてからの方がええんちゃいます? そっちの方が先輩の得意分野でしょ」


 視線を強めて言うセイスに、ネシュカは薄く笑みを浮かべた。


「確かに、そっちの方が私は得意よ」


 守攻機関クガミの任務で情報を扱う際、ネシュカは普段、裏から地道に情報を集め、確実に固めていくタイプだ。

 だから、確証のない段階で対象に接触するのは、彼女としては珍しい。


「でも今回は違うわ。サレックって子が現時点で一番怪しい。それに、時間もない。 なら、回りくどく探るより直接話した方が早いでしょ。 もし仲介屋と繋がってたら大収穫だし、違ってたら――臨時の情報係として“口封じついでに”雇えばいいわ」


 さらりと言い切るネシュカに、セイスは小さく息を吐いた。


「……了解です」


 頷くように瞼を閉じ、思考を切り替える。だが、ネシュカが続けた一言に、再び目を開いた。


「あ、ちなみにお金はセイスとアオイから貰うわね」

「……は?」


 セイスの声がわずかに低くなる。


「私、今一文なしなの」

「隊長から追加でもろた金、どこ行ったんです?」

「そんなの、三人分の制服代と、情報を買うためにもうなくなったわ」


 あっさりと言うネシュカに、セイスは黙り込む。


(……確か隊長から百リザンも渡されたはずやぞ。使い方荒すぎやろ)


 呆れを飲み込みながら、セイスは気持ちを切り替えて言う。


「……そのサレックについて、一つ報告が」


 少し間を置いて、低い声で続ける。


「サレックは、今日、文字をちゃんと覚えたらしいですわ」


 セイスの言葉に、ネシュカの瞳がわずかに細くなる。


「今日……?」

「はい。アオイが教えたそうです。それまでは“チアー”ってガキだけが字を読めたみたいで。サレックもかろうじて分かる程度やったらしいですけど――まぁ、ガキのお遊び程度ですわな」


 ネシュカは小さく息を吐き、視線を落とす。

 言葉を選ぶように、一拍置いてから口を開いた。


「……そうなると、仮に繋がってたとしても連絡手段が気になるわね」


 ネシュカは小さく息を吐き、視線を落とした。


「文を使わないなら、他の方法があるはず……。絵を使ったものならどうかしら。文字が読めなくても伝えられるし」


 やがて思考を止めたのか、ネシュカはセイスの方へ顔を上げて言った。


「とりあえず、このことはアオイにも伝えておいて」


 そう告げると、セイスはわずかに視線を落とし、小さく答える。


「……分かりました」


 その反応をネシュカは見逃さなかったが、あえて反応せずに続ける。 


「他に情報は?」


 ネシュカに言われると、セイスはアオイから聞いた森の件とチアーたちの稼ぎ先について報告をした。


「分かったわ。ありがとう。私は念の為、明日その森と三人の稼ぎ先についても少し調べておくわ」


 ネシュカは柔らかい口調で言いながら、報告書に視線を戻す。

 それを見たセイスは、だるそうに立ち上がると背を向け、室内を出ようとした。だが、その瞬間、ネシュカの声がセイスを止めた。


「あ、セイス。あなた、今日はここで寝なさい」


 その言葉にセイスは立ち止まり、軽く首を後ろへ捻った。


「体調、良くないんでしょ?」


 ネシュカの言葉に、セイスはすぐ返す。


「んなことありません」


 しかしネシュカは引かない。


「セイスって、私やお兄ちゃん、隊長たちと話すときはいつも立ってるでしょ? なのに、昨日とさっきは座って話してたわよね」


 セイスの瞳が僅かに揺れる。


「あと、さっきはアオイと言い合ったのを誤魔化すために言ったんでしょうけど、任務中は眠いとか絶対言わないように、お兄ちゃんに散々言われてるはずなのよね」


「これは先輩命令。今日はしっかり休みなさい。別にお兄ちゃんに告げ口なんてしないから。――もし怪我なんてしたら、セイス一人で帰すことになるもの」


 セイスはその言葉に何か言いかけるように口を開いたが、結局何も言わず、先ほどまで座っていた場所に戻って乱暴に寝転がった。


 ネシュカは、静かにその背中へ視線を向ける。


(もっと素直なら、楽なんだけど……)


 小さく息を吐いて、口角をほんの少し上げた。

神血(イコル)の英雄伝 第六八話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა


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