小さな勇気
村が襲撃を受けて、丸三日が過ぎた正午頃。
この村は、北に役場、西に学び舎、東に守攻機関の本部を抱えていた。
その配置のためか、不幸中の幸いにも、ほとんど外で過ごす村人は少なかった。
侵入していた襲撃者は拘束され、倒れた村人たちの亡骸も、多くがすでに運び出されていた。村の北西、林の外れに設けられた静かな見送りの場に、並べられている。
身内の死が確認された者は、守攻機関に呼び止められ、その場へと案内された。
そこには、白布と沈黙が広がっていた。
言葉よりも、悲しみが先に喉を塞ぐ場所。
みなし子は、みなしの宿を修復する間、ひとまず守攻機関の本部で過ごすことになった。
避難していた他の村人たちもまた、北や西の施設に仮住まいを与えられていた。
イヅキは、アイカとトワに「イロハが迎えに来るまで此処で待つように」と静かに伝えた。
だが、アイカは俯いたまま、「一人で帰りたい」と呟いた。
その声は普段の活気がなかった。
顔は伏せていたが、その頬にはまだ乾ききらない涙の跡が残っていた。
避難のときに見せていた張り詰めた表情に比べれば、わずかに緩んでいたが、それでもその瞳は翳っていて、心の底に沈むものを隠しきれていなかった。
イヅキは、一瞬だけ娘の顔をまっすぐに見つめた。
苦しいのは、こちらも同じだった。
命に変えても守りたい愛娘。本当なら、隣に並び、今抱えているものを全て吐き出して欲しい。
そしてまた、いつもの無邪気な笑顔で笑っていて欲しい。
けれど、今のアイカには……
(一人で心を落ち着ける時間が必要なのだろう)
そう判断し、先に帰ることを許した。
「わかった。……気をつけて帰るんだぞ」
小さく声をかけながらも、イヅキはその背を見送るしかなかった。
そして、誰にも聞こえないように、眉を寄せ、胸の奥で呟いた。
――もう、あんな顔は見たくない。
◇
アイカは変わり果てた村を一人で静かに歩いていた。
目に映るのは、どこを見ても残酷な光景だった。
母が働いていた衣類小屋。
レイサと遊んだ広場。
あの夜は闇に紛れて見えなかったものが、今はすべて、はっきりと見える。
だが、そのどれもが、記憶にある姿とはまるで違っていた。
(西の市場や舟戸、学び舎は……)
(南の作物や家は、どうなったのだろう)
きっと、ここより酷い。想像しただけで胸が締めつけられる。
アイカの顔に、さらに深い陰が落ちた。
道の途中で、足が止まる。
守攻機関の第二部隊が、亡骸を見送り場へと運んでいた。
崩れた家の下には、まだ手つかずの遺体もあるという。
静かに、時だけが過ぎていくようだった。
そのとき、担架の上に見覚えのある姿が目に入った。
アイカの心臓が、一瞬止まる。
あの夜、レイサと共に送った、おじいちゃん。
「君たちなら、きっと良い村にしてくれる」
微笑みながら、頭を撫でてくれた。
あの温もりが、まだ残っている。
アイカは無意識に、自分の頭へ手を添えた。
そして、髪をギュッと握りしめた。何かを押し殺すように。
帰る気にはなれなかった。
誰にも告げず、アイカは南東の林へと足を向けた。
ーーアイカの瞳に、うっすらと涙がにじむ。
後悔で、頭が押しつぶされそうだった。
救えたかもしれない命。
見捨ててしまった命。
(どうして……私に、こんな力が……)
自分でなければ、もっと違ったのではないか。
そんな思いが、頭の中をぐるぐると巡る。
ーーそのとき。
草をかき分ける音と、足音が近づいてきた。
見回りか、それとも母が探しに来たのか。
ベソをかいた顔など見せられない。
アイカは慌てて、身を隠せる場所を探した。
だが、足音は少し離れたところで止まった。
ほっと息をついたそのとき、誰かの声が微かに聞こえてきた。
やがて、それは怒鳴り声へと変わる。
どうやら、誰かが激しく口論しているようだった。
(……誰?)
気になったアイカは、そっと身を起こし、声の方へ歩き出した。
距離を縮め、人影が見え始めた瞬間、アイカは思わず目を見開いた。
男が三人、女が一人──
女は血を流して倒れており、男のうち一人も右足を負傷しているようだった。
四人とも村では見かけたことのない顔ぶれで、明らかに外の者たちだった。
だが、アイカが驚いたのは、それだけではなかった。
彼らの服装が、村の誰とも違っていたのだ。
男たちは、暗い茶色の羽織に、腰には変わった布を巻いていた。足元は黒革の長靴で覆われており、その装いはどこか異様で、どこか冷たい印象を与えていた。
女の方はよく見えなかったが、それでも明らかに、この村のものとは違う服を着ていた。
アイカは息をひそめ、男たちの話に意識を集中させた。
「……もういい、八番は放っておけ。九番だけでも連れて帰るぞ。探せ」
男たちは女を見捨てようとしていた。
その動きはどこか焦っており、怯えすら感じられる。
アイカは息を呑んだ。
――きっと、この連中は先日の襲撃に加わっていた奴らだ。
倒れている女は、抵抗した末にこうなったのだろう。
そして今、彼らは子どもを探している。
どこか近くに、その子が隠れている。
アイカも思わず視線を走らせる。
すると、男たちの立つ場所から十歩ほど離れた茂みの陰に、金色の髪のようなものがかすかに見えた。
(あそこだ……)
子どもが、あの場所に隠れている。
(助けなきゃ……!)
そう思って足に力を込めた。
けれど、動かない。足が鉛のように重く、呼吸すらできない。
(あぁ……まただ)
あの夜と同じ。
燃える家、響く悲鳴、動けなかった自分。
体が震え、心が萎え、冷たい汗が背中を伝う。
(……ごめん)
目をきつく閉じた。
悔しさと情けなさと、恐怖で、心がぐしゃぐしゃになる。
(……違う)
ーー頭の奥に、記憶が溢れ出す。
頭を撫でてくれたあの優しいおじいちゃんの手。
沢山笑いあった村人たちの背中。
助けを求めて手を伸ばしてきた女の子の目。
戸惑い、怯えさせてしまった、弟の表情。
怒鳴ることもできず、苦しそうだった父の顔。
全部、頭に焼き付いている。
……逃げたかった。
でも。
あの夜、願ったのは
《強くなりたい》
たった一瞬の祈りだ。
けれど、それでも。
それでも、刻んでしまったなら。
立て。逃げるな。伏すな。
「私じゃどうにならない?」そうかもしれない。
だけど今は――
「私しかいない」
私がやるしかない。
私がやる。
(立て、立て、立て、立て)
内側で声が響く。
足が応えた。震えながら、それでも一歩、前へ。
冷えた頬。こわばる指。歪む呼吸。
それでも、立った。
誰かのためじゃない。
これは、私の意思。
守るための。戦うための。
神血の英雄伝 第六話
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