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神血の英雄伝  作者: 三坂 恋
第一章 守攻機関
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小さな勇気

 村が襲撃を受けて、丸三日が過ぎた正午頃。


 この村は、北に役場、西に学び舎、東に守攻機関(クガミ)の本部を抱えていた。

 その配置のためか、不幸中の幸いにも、ほとんど外で過ごす村人は少なかった。


 侵入していた襲撃者は拘束され、倒れた村人たちの亡骸も、多くがすでに運び出されていた。村の北西、林の外れに設けられた静かな見送りの場に、並べられている。


 身内の死が確認された者は、守攻機関に呼び止められ、その場へと案内された。 

 そこには、白布と沈黙が広がっていた。

 言葉よりも、悲しみが先に喉を塞ぐ場所。


 みなし子は、みなしの宿を修復する間、ひとまず守攻機関の本部で過ごすことになった。

 避難していた他の村人たちもまた、北や西の施設に仮住まいを与えられていた。


 イヅキは、アイカとトワに「イロハが迎えに来るまで此処で待つように」と静かに伝えた。

 だが、アイカは俯いたまま、「一人で帰りたい」と呟いた。


 その声は普段の活気がなかった。

 顔は伏せていたが、その頬にはまだ乾ききらない涙の跡が残っていた。

 避難のときに見せていた張り詰めた表情に比べれば、わずかに緩んでいたが、それでもその瞳は翳っていて、心の底に沈むものを隠しきれていなかった。


 イヅキは、一瞬だけ娘の顔をまっすぐに見つめた。

苦しいのは、こちらも同じだった。

 命に変えても守りたい愛娘。本当なら、隣に並び、今抱えているものを全て吐き出して欲しい。

 そしてまた、いつもの無邪気な笑顔で笑っていて欲しい。


 けれど、今のアイカには……


(一人で心を落ち着ける時間が必要なのだろう)


 そう判断し、先に帰ることを許した。


「わかった。……気をつけて帰るんだぞ」


 小さく声をかけながらも、イヅキはその背を見送るしかなかった。

 そして、誰にも聞こえないように、眉を寄せ、胸の奥で呟いた。


 ――もう、あんな顔は見たくない。





 アイカは変わり果てた村を一人で静かに歩いていた。


 目に映るのは、どこを見ても残酷な光景だった。


 母が働いていた衣類小屋。

 レイサと遊んだ広場。

 あの夜は闇に紛れて見えなかったものが、今はすべて、はっきりと見える。

 だが、そのどれもが、記憶にある姿とはまるで違っていた。


(西の市場や舟戸、学び舎は……)

(南の作物や家は、どうなったのだろう)


 きっと、ここより酷い。想像しただけで胸が締めつけられる。

 アイカの顔に、さらに深い陰が落ちた。


 道の途中で、足が止まる。


 守攻機関の第二部隊が、亡骸を見送り場へと運んでいた。

 崩れた家の下には、まだ手つかずの遺体もあるという。

 静かに、時だけが過ぎていくようだった。

 そのとき、担架の上に見覚えのある姿が目に入った。

 アイカの心臓が、一瞬止まる。


 あの夜、レイサと共に送った、おじいちゃん。


「君たちなら、きっと良い村にしてくれる」


 微笑みながら、頭を撫でてくれた。

 あの温もりが、まだ残っている。


 アイカは無意識に、自分の頭へ手を添えた。

 そして、髪をギュッと握りしめた。何かを押し殺すように。


 帰る気にはなれなかった。

 誰にも告げず、アイカは南東の林へと足を向けた。



ーーアイカの瞳に、うっすらと涙がにじむ。

 

 後悔で、頭が押しつぶされそうだった。


 救えたかもしれない命。

 見捨ててしまった命。


(どうして……私に、こんな力が……)


 自分でなければ、もっと違ったのではないか。

 そんな思いが、頭の中をぐるぐると巡る。


ーーそのとき。


 草をかき分ける音と、足音が近づいてきた。

 見回りか、それとも母が探しに来たのか。

 ベソをかいた顔など見せられない。

 アイカは慌てて、身を隠せる場所を探した。


 だが、足音は少し離れたところで止まった。

 ほっと息をついたそのとき、誰かの声が微かに聞こえてきた。

 やがて、それは怒鳴り声へと変わる。

 どうやら、誰かが激しく口論しているようだった。


(……誰?)


 気になったアイカは、そっと身を起こし、声の方へ歩き出した。




 距離を縮め、人影が見え始めた瞬間、アイカは思わず目を見開いた。


 男が三人、女が一人──


 女は血を流して倒れており、男のうち一人も右足を負傷しているようだった。


 四人とも村では見かけたことのない顔ぶれで、明らかに外の者たちだった。

 だが、アイカが驚いたのは、それだけではなかった。


 彼らの服装が、村の誰とも違っていたのだ。


 男たちは、暗い茶色の羽織に、腰には変わった布を巻いていた。足元は黒革の長靴で覆われており、その装いはどこか異様で、どこか冷たい印象を与えていた。

 女の方はよく見えなかったが、それでも明らかに、この村のものとは違う服を着ていた。


 アイカは息をひそめ、男たちの話に意識を集中させた。


「……もういい、八番は放っておけ。九番だけでも連れて帰るぞ。探せ」


 男たちは女を見捨てようとしていた。

 その動きはどこか焦っており、怯えすら感じられる。


 アイカは息を呑んだ。


――きっと、この連中は先日の襲撃に加わっていた奴らだ。


 倒れている女は、抵抗した末にこうなったのだろう。


 そして今、彼らは子どもを探している。

 どこか近くに、その子が隠れている。


 アイカも思わず視線を走らせる。

 すると、男たちの立つ場所から十歩ほど離れた茂みの陰に、金色の髪のようなものがかすかに見えた。


(あそこだ……)


 子どもが、あの場所に隠れている。


(助けなきゃ……!)


 そう思って足に力を込めた。

 けれど、動かない。足が鉛のように重く、呼吸すらできない。


(あぁ……まただ)


 あの夜と同じ。

 燃える家、響く悲鳴、動けなかった自分。

 体が震え、心が萎え、冷たい汗が背中を伝う。


(……ごめん)


 目をきつく閉じた。

 悔しさと情けなさと、恐怖で、心がぐしゃぐしゃになる。



(……違う)


ーー頭の奥に、記憶が溢れ出す。


 頭を撫でてくれたあの優しいおじいちゃんの手。

 沢山笑いあった村人たちの背中。

 助けを求めて手を伸ばしてきた女の子の目。

 戸惑い、怯えさせてしまった、弟の表情。

 怒鳴ることもできず、苦しそうだった父の顔。


 全部、頭に焼き付いている。


 ……逃げたかった。


 でも。


 あの夜、願ったのは


《強くなりたい》


 たった一瞬の祈りだ。

 けれど、それでも。

 それでも、刻んでしまったなら。

 立て。逃げるな。伏すな。

「私じゃどうにならない?」そうかもしれない。


 だけど今は――


「私しかいない」


 私がやるしかない。

 私がやる。


(立て、立て、立て、立て)


 内側で声が響く。

 足が応えた。震えながら、それでも一歩、前へ。


 冷えた頬。こわばる指。歪む呼吸。

 それでも、立った。


 誰かのためじゃない。

 これは、私の意思。


 守るための。戦うための。

神血の英雄伝(イコルのえいゆうでん) 第六話

読んでくださりありがとうございました。

次回も読んでいただけると嬉しいです(՞ . .՞)︎

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