表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
68/91

偽りの神選者

 意思を持つかのような突風に身体をさらわれ、宙を舞いながらレイサは剣の柄を握り締めた。


(この、まるで操られてるような風……)


 肌を撫でる感触に、どこか微かな覚えが胸をかすめる。だが――。


(いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。どうにかして地面に降りねぇと!)


 レイサは強引に頭を振り、目前の危機に全神経を叩きつけた。


 一方、同じく風に巻き上げられたハナネは、腕で顔を庇いながら冷静に周囲を測った。森の上空。学院からはさほど遠くない。しかし異様なのは――まるで彼女たち二人だけを狙い澄まして吹いているかのような風だった。


(……おかしい。この風、明らかに誰かの意思が混じってる)


 風が標的を絞るように動いている。その異様さに、胸の奥が冷たく締め付けられる。


 そして次の瞬間、突風が突如と高さを失い、二人の身体は真下へと急落下した。


「嘘でしょ……!」


 ハナネの声が震える。三メートルはある高さ。速度も加われば、重傷は避けられない。打ち所次第では命さえ危うい。

 考える暇もなく、地面が迫ってきた。


(このまま落ちたら……まともに動けない! 冗談じゃないわ!!)


 ハナネの思考が鋭く脳裏を駆け抜ける。三メートルの高さ。速度が加われば、重傷は必至――下手をすれば命さえ落とす。方法はないかと必死に探るが、考えるよりも早く、風が容赦なく身体を地面へと引きずり込む。勢いに呑まれ、四肢はうまく動かせない。


 レイサも落下の先を見下ろし、血の気を引かせた。


(待て待て待て! 本気で死ぬだろ、これ!)


 胸を掻き毟られるような焦燥が全身を焼く。死の予感が目前に迫った、その瞬間――。


 ふいに二人の身体が、森の梢すれすれでぴたりと止まった。


(は……? え……止まった……?)


 急停止の衝撃に、レイサの思考は混乱でぐちゃぐちゃになる。ハナネもまた、何が起きたのか理解できず、鼓動だけが胸を叩きつけていた。


 次の刹那、周囲を渦巻いていた風が嘘のように消え失せる。


「うわぁぁぁ!」

「きゃあっ!」


 叫びとともに二人は枝葉を突き抜け、地面へ叩きつけられた。幸い、葉と枝が衝撃を和らげたおかげで致命傷は免れたが、体に走る痛みは容赦なく、全身を鈍く苛んでいく。


 荒い息を吐きながら、レイサが隣に倒れるハナネを見やった。


「……俺、本気で死ぬと思った。ハナネ、平気か」


 心臓が暴れ馬のように胸を蹴りつける。かすれた声には安堵と緊張がない交ぜに滲んでいた。


「平気よ」


 ハナネも短く答え、顔をしかめつつも体を起こす。二人は鈍く疼く痛みに耐えながら周囲を確認した。


(飛ばされはしたけれど……そう遠くまでは来てないはず。早くアイカと合流しないと)


 冷静にそう見積もるハナネの視界に、木々の上から影がゆっくりと降りてくるのが映った。まるで風に乗って舞い降りるように。


「ごめん、ちょっと乱暴すぎたかもね」


 声を聞いた瞬間、レイサは反射的に双剣を抜き、ハナネも懐から隠していた拳銃を引き抜いた。


「……リイト」


 レイサが低く名を呼ぶ。

 影は地面近くまで降りると、軽やかに飛び降りて二人の前に立った。場の緊張とは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべながら。


「急に飛ばされて驚いたでしょ。でもね、君たちにちょっと話したいことがあったんだ」


 軽やかで場違いな口調に、二人は警戒を解かず睨み据える。


「――君たち二人を、ぜひ欲しいって言ってきた人がいるんだ」


 唐突な言葉が落ちた瞬間、空気がざらりと重くなる。森のざわめきすら、耳から遠のいた。


「……は?」


 レイサの頭に、意味不明の音が突き刺さる。理解が追いつかない。

 欲しい? 何を? 俺たちを?


(何言ってんだコイツ……頭湧いてんのか)


 怒りが喉までせり上がる一方で、理解不能の違和感が背筋を刺す。リイトの声は軽く笑っているようで、その奥に冷ややかな色が潜んでいた。


「欲しいって……私たちは物でも、物でもないいわよ」


 隣でハナネが冷ややかに口を開いた。声は棘を帯び、吐き捨てるように鋭い。

 だがリイトは微笑みを崩さない。


「たいして変わらないよ。僕にとっては――ね」


 軽い調子のまま放たれた言葉。しかしその声の底には、ひやりとする異質な色が潜んでいた。

 冗談ではない。真剣だ。

 だからこそ、不気味だった。


「実は僕、もともとは別の場所で仕事をしてたんだ。でも最近は“商品”が減ってきちゃってね。そんな時に君たちが来てくれて思ったんだ。この三人なら、いい商品になるって」


 涼しい顔のまま告げられた言葉に、空気が凍りつく。


「昨日の学院案内で、三人の反応をずっと観察してたよ。アイカとレイサは、この土地の文化には疎いみたいだね。振る舞いも幼くて……少し惜しいけど、容姿は申し分ない。

 ――けれど、ハナネは違った。驚きもせず、余計な感情を漏らさなかった。立ち居振る舞いは洗練され、言葉には教養が滲む。まるでどこかの貴族の令嬢みたいでさ。……だからこそ、いい価値になる」


(……油断した)


 ハナネは胸の奥で冷たく思った。


 昨日、アイカとレイサが新しい景色に瞳を輝かせる中、ハナネだけは微動だにしなかった。

「自分のいた場所と、さして変わらない」――そう思っていた態度が、リイトの観察眼に捉えられていた。


「別の場所って……トラーナ街の外のことか?」


 レイサの瞳が鋭く細められる。


「あ、よく知ってるね」


 リイトが軽く笑った瞬間、確信に変わる。トラーナ街で相次いだ子攫い――リイトはそこに関わっている。


「そう。あそこの子どもなら、困る人も少ないしね」

「……だからって、好き勝手していいわけないだろ」


 押し殺した声に潜む怒りは、嵐の前触れの風のように重く森を揺らした。


「僕が損することはないし、あの子たちだってあんな場所で死ぬよりは――」


 言葉を最後まで吐かせはしなかった。レイサが一気に踏み込み、剣を振り抜く。同時にハナネの銃声が森を裂いた。二人の狙いは正確。外すはずがない。


 だが。


 リイトの目前で、突如として風が爆ぜた。

 レイサの体は押し戻され、弾丸は弾かれるように逸らされる。まるでリイトを守る盾のように。


「また……風」


 ハナネが低く呟いた。その視線の先で、リイトは優等生の笑顔のまま、静かに告げる。


「僕は“風の神選者”。だから、君たちには勝てない」


 その言葉に、ハナネの瞳が大きく揺れた。


「は? 風の神選者?」


 ハナネが吐き捨てると、リイトはあくまで穏やかな笑みを浮かべた。


「そう。おとなしくしてくれたら良かったんだけど……無理そうだね。――じゃあ、二人の体力が尽きたら捕まえようかな」


 あまりにも平然と告げられ、ハナネはすぐには飲み込めなかった。

 風の神選者が目の前にいる――その現実を、簡単に認められるはずがない。

 ハナネは迷いを振り払うように、拳銃を引き金を引いた。

 銃声。だが弾丸は再び風にさらわれ、虚空へ弾かれる。リイトの身体に届く前に、まるで見えない壁に阻まれたかのように。


(……はったりじゃない? 本当に風を操ってる?)


 頬をかすめた風が、まるで刃物のように鋭い。


(銃弾すら通じないなんて……もし本当に“風の神選者”だとしたら――私に勝ち目なんてないわ)


 頭ではそう理解しながらも、胸の奥では「屈してたまるか」と別の声がうずく。

 ハナネはそう思いながら、チラリとレイサの方へ視線を向けた。レイサは俯いたまま、ただ黙り込んでいる。

 このいつ攻撃が来るか分からない状況で、俯くなんて――無防備すぎる。

 ハナネの胸に苛立ち混じりの不安が広がる。けれど次の瞬間、その沈黙を破るように、低く押し殺した声が落ちた。


「お前が……風の神選者? そんなの、嘘だろ」


 リイトが余裕の笑みを浮かべて応じる。


「嘘じゃないよ。僕は風の神選者だ」

「――ふざけんな」


 レイサが顔を上げた。怒りの熱が混じった瞳が真っ直ぐリイトを射抜く。


「お前なんかが、“風の神選者”を名乗んな!」


 その声音に、ハナネは思わず息を呑んだ。

 いつもは「妹命」みたいな顔して、残りの時間はアイカと一緒にくだらないことで騒いでるだけの少年――そう見ていたレイサが、今はまるで別人のように怒りを滲ませていたからだ。


 そして、レイサがハナネに目を向けた。


「ハナネ。……近くに、もう一人いるはずだ。多分、本当の“風の神選者”はそいつだ。俺がリイトの相手をする。だから――お前はその子を探してくれないか」


 真剣な響きを帯びた声に、ハナネはわずかに迷う。もし本当にリイトが神選者なら……と考えかけるが、レイサの確信に満ちた瞳に押される。


「……分かったわ」


 わずかな沈黙ののち、ハナネもまた覚悟を込めて返した。


 ハナネが答えを返すと同時に、レイサは地を蹴った。先ほどとは違う、低い姿勢の突進。

 すぐさま風が唸りを上げて襲いかかるが、レイサは直前で気配を読み取り、横へと飛んだ。

 風は空を切り、土と枯葉を巻き上げて森を荒らす。その勢いを背に受けながら、レイサは木の幹を蹴って跳ね上がった。


(速い……!)


 リイトの目が見開かれる。ほとんど残像のように、次の瞬間には目の前まで迫ってきていた。

 慌てて身を逸らして避ける。だがすぐに背後で、またも風が牙を剥く気配がした。


 レイサは咄嗟に後方へ身を翻し、宙を回転してかわした。

 短時間のうちに、風の襲来を感覚で読み取れるようになりつつあった。


(……ありえない。こんな短時間で)


 胸の奥を冷や汗が伝う。リイトは、信じられないものを見るように目を見開いていた。


(でも、甘いなぁ)


 舌打ちするような心の声とともに、リイトの足元から風が渦を巻き、レイサを追うように森を駆け抜けた。


 その頃、ハナネは森を駆けていた。右足に走る痛みを無視して、枝葉をかき分けながら周囲を見渡す。


(もしもう一人いるのなら……私たち三人を見渡せる位置から操っているはず。森の中じゃ視界が塞がれる。なら――上)


 ふと、視線が止まる。斜面の上。先ほどより低いが、全体を見下ろせる崖。その上に人影。


(……見つけた!)


 羽織を深くかぶり、顔は隠されている。細身の輪郭だけが闇に浮かんでいた。まだこちらに気づいてはいない。

 ハナネは痛む右足を押し殺し、身を隠すようにして崖へと走る。


(あの高さから落ちれば、痛いのは当然でしょ。レイサだって同じはず。……この程度で足を止めるなんて、ありえない)


 自分を叱咤するように、さらに加速する。射程に入った瞬間、銃口を向けた。


「……!!」


 その刹那、敵が振り返る。殺気を察したのだ。だが――もう遅い。

 ハナネは迷わず引き金を引いた。


 轟音。銃弾は風に弾かれて逸れたが、その瞬間、リイトを守っていた風は消えていた。





 レイサは木々を足場にしながら、幾度となくリイトへと迫っていた。だが、そのたびに風が壁となり、剣は届かない。


「だから何度やっても無駄だよ」


 リイトは余裕の笑みを浮かべたまま。

 一方、レイサの呼吸は荒く、額からは大粒の汗が滴り落ちていた。何度も風に阻まれ、そのたび体力を削られている。――誰の目にも、限界は近いように見えた。


 だが次の瞬間。

 またもレイサが突っ込んできた――そのとき。


 リイトの風が、ほんの刹那だけ、途切れる。


「……なんでっ!」


 困惑が走る。

 その一瞬を、レイサが逃すはずはなかった。


 すでに間合いの内――矢のように踏み込み、剣を柄ごと握り直す。

 渾身の力で突き出された柄が、リイトの腹を抉るように叩き込まれた。


「ゔえ……ッ」


 鈍い衝撃が響き、リイトの身体が折れる。呻き声が掻き消えた瞬間、レイサは背後へ回り込み、腕を極める。

 背に足を掛け、力任せに地面へ押し伏せた。


 リイトの頬が土を擦り、初めてその顔から余裕の笑みが消えた。


 レイサは素早く腰の紐を外すと、リイトの両腕を掴み、容赦なく縛り上げた。動きは手際そのもの――子攫いに加担した少年への怒りが、無意識に手を強めさせていたのかもしれない。

 縛られていく間、リイトは苦悶を滲ませていたが、レイサは一切気に留めなかった。


「よし、捕縛完了」


 淡々と告げる。その声に、縛られたリイトが顔を歪め、吐き捨てる。


「なんで……いきなり風が消えたんだ。計画と全然違う……くそ、あんなアクシデントさえなければ、君みたいな奴に負けるわけないのに」


 先ほどまで優等生ぶった余裕は消え失せ、ただ悔しさだけがにじんでいた。

 レイサはそんな彼を冷ややかに見下ろす。


「まず――あの力はお前のものじゃないだろ」

 声に一片の揺らぎもない。

「他人の力にすがってばかりいるから、こうして地べたに這う羽目になるんだ」


 そして、足にわずかに力を込め、背中へ圧をかけながら低く問う。


「それより聞きたい。……風の神選者とは、どこで知り合った?」


 リイトは、背にかかる重みを感じながらも頑なに口を閉ざした。

 数秒の沈黙ののち、レイサは小さく息を吐く。


「……やっぱり、そんな簡単に吐くわけないよな」


 足の力を緩めながらも、瞳の奥の鋭さは消さない。


「仕方ない。今はとりあえずハナネを待って……それからアイカを探しに行くとするか」


 淡々とした響きだったが、その奥底に潜む苛立ちは隠しきれない。

 レイサは顔を上げ、ハナネが駆けていった森の方角へ視線を投げた。





 渾身の一撃は風に弾かれ、すぐさま敵の殺気がこちらに向いた。伸ばされた腕。次に放たれるのは、間違いなくあの風。

 ハナネは全身を緊張が駆け抜ける。だがその直後、敵の動きが止まった。何かに反応したように、羽織の帽子で隠された耳に手を当てたのだ。


(今!)


 ハナネは逃さず銃を構え直す。だが引き金に指をかけるより早く、風が彼女を囲った。


「なっ……!?」


 渦を巻くように、吹き荒れる風の檻。銃は狙えず、身動きもままならない。相手はすっと立ち上がり、こちらを振り返りもせず駆け出した。


(このまま逃がすわけには……!)


 このままでは、逃げられる。

 ハナネは必死に風の渦から抜け出そうともがいた。だが、渦は強く絡みつき、一歩も前に出られない。無理に抗えば、また吹き飛ばされかねなかった。そうなればレイサとも逸れてしまう――。


 焦燥に胸を焼かれるうち、敵はあっさりと崖を降り、姿を消していった。

 直後、周囲を取り囲んでいた風は、初めから存在しなかったかのようにふっと掻き消える。

 だが、そこに敵の影もまた残ってはいなかった。


「……逃した」


 悔しさが喉を焼く。だが立ち止まってはいられない。レイサはどうなったのか。リイトは捕縛できたのか。思考が渦を巻く。


「レイサと合流しないと」


 短く息を整え、ハナネはレイサの元へ駆け出した。


 ハナネが戻ると、縄で後ろ手に縛られたリイトと、その背を片足で押さえつけているレイサの姿が目に入った。どうやら無事に捕縛は済んだらしい。


 近づくハナネに気づいたレイサが顔を上げる。


「お、戻って来たな」


 いつもの調子で明るく声を掛けられ、ハナネは駆け寄る。ちらりとリイトを一瞥し、それからレイサの顔を見据えた。


「……ごめんなさい。もう一人は逃したわ」


 その言葉に、レイサは「あ〜そっか」と、少し残念そうに息を吐く。だがすぐに笑みを取り戻した。


「ま、俺たちの任務はリイトの捕縛だしな。あとはアイカを見つけて、ネシュカさんたちに報告すればいいだろ」


 明るさを崩さぬ声に、ハナネは小さく「……えぇ」と応じる。


 レイサは足を退け、黙ったままのリイトを無理やり立たせると、ハナネと並んで歩き出した。

 二人の足取りは、焦りを映すように自然と速くなる。

 目指すは、先ほど飛ばされる前にいた崖――その近くにアイカはあるはず。

 その一歩一歩に、これから待つ局面の重みが滲んでいた。

神血(イコル)の英雄伝 第六ニ話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ