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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
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七年ぶりの声

 三人は部屋へ戻ると、自然と明日のことを話しはじめた。


「いつ聞くんだ?」


 レイサが顎に手を添えながら、二人を見渡した。


「授業が全部終わったあとがいいわ」


 窓際のベッドに腰を下ろしたハナネが、迷いのない声音で答える。


「小休憩や昼休みに声をかけても、あとに授業が控えているでしょう。落ち着いて話すのは難しいし、相手に考える余地を与えてしまう」


「そうなるよなぁ。でも聞くって言っても……教室や食堂だと目立つか」


 レイサは廊下側のベッドにバフッと腰を落とし、仰向けに腕を組んだ。苦々しい笑みを浮かべながら天井を見上げる。


「どっか人のいない場所……」


 アイカも腕を組んで考えるが、すぐには思いつかない。後課の校舎と央棟しか立ち入れず、どちらも人で賑わっている。外も同じく、生徒たちの帰りで混雑してしまうだろう。

 レイサとアイカが頭を抱えている間に、ハナネは静かに思考を巡らせていた。学院に来た日の案内板を思い出す。学院裏の森――あそこなら、人目を避けられるかもしれない。


(わざわざ学院裏に森があるのは、授業や観察のため。なら、生徒の出入りも自然なはず)


 学院裏の森は、生徒に本物の自然を見せるための場所。そう思い至ったハナネは、二人の方へ顔を向けた。


「学院の外にある森――あそこなら、人目もあまり気にしなくていいと思うわ」


 ハナネの提案に、アイカとレイサの視線が同時に彼女へ向いた。


「ありだな」


 レイサは頷き、ベッドに身を預けた。


「いいじゃん! さすがハナネ!」


 アイカは満面の笑みを咲かせ、勢いよくハナネを見つめる。

 だが、向けられた笑顔を受け止めるよりも早く、ハナネはぷいと顔を背けた。

 それでもアイカは諦めない。きらきらとした笑みを崩さず、横顔の向こうに視線を注ぎ続ける。

 その様子を見ながら、レイサは小さく笑った。


(ほんと、正反対だよな、この二人は)



◇◆◇



 翌朝。


 三人は荷を整えると、心を落ち着けて早めに部屋を出た。リイトを森へ誘うには、人の少ない時間が好都合だ。昨日もリイトは誰より早く教室にいた。ならば今日も、そうだろう。

 生物学の教室の扉を開けると、予想どおりリイトの姿があった。まだ誰もいない教室で、一人静かに教本を開いている。今しかない。


 三人は自分の席に荷物を置くこともせず、まっすぐリイトの方へ歩み寄る。足音に気づいたリイトが顔を上げ、椅子ごと体を捻ってこちらを振り向いた。

 そして三人の姿を認めると、柔らかく目元を細めた。


「三人ともおはよう。今日も早いんだね」


 その穏やかな声に、レイサが一歩進み出て口を開く。


「今日はリイトに頼みがあって早く来たんだ」

「僕に頼み?」


 リイトが首を傾げる。疑問を浮かべるその仕草に、ハナネが静かに言葉を重ねた。


「ええ。今日の放課後――学院の外にある森を、案内してくれないかしら」


 リイトは教本から視線を外し、しばし考え込むように机の端へ目を落とした。指先で本の角をなぞりながら、小さくその言葉を反芻する。


「……森、か」


 その声音が何を意味するのか、三人には読み取れない。単純に迷っているのか、それとも自分たちの意図を疑っているのか――妙な沈黙が落ち、レイサとハナネの胸に緊張が走った。


 まだ承諾を得るには足りない。案内してほしいと願うだけでは、リイトを動かすには弱い。


(何か、もっと確かな言葉を……。けど、下手に出たら逆に怪しまれるかもしれない)


 レイサは唇を噛み、じっとリイトを見つめる。ハナネもまた息を殺し、その表情を探るように目を向けていた。

 ――だが、その張り詰めた空気の中で、ただ一人、囚われない者がいた。


「私、まだ来たばかりで知らないことばかりだから……もっと知りたいんだ!」


 アイカは弾む声で言い、眩しい笑顔を向ける。


「だから案内してほしい!」


 アイカは、いつもと変わらない無邪気な笑顔で言葉を放った。

 飾り気のないその声は、張り詰めていた空気をふっと和らげる。

 リイトはしばし黙したまま、アイカの笑顔を見つめていた。

 迷いを抱えた瞳が、少しずつ柔らかさを取り戻していく。やがて肩の力を抜き、口元に穏やかな笑みを浮かべた。


「……うん。いいよ」

「ありがとう!」


 アイカがぱっと声を弾ませる。


 横で見ていたレイサとハナネは、思わず息を呑んだ。

 自分たちがどれほど言葉を尽くしても、彼を迷わせるだけだったかもしれない。だが、アイカの自然体の一言は、重ねた理屈を飛び越えて、まっすぐ胸に届く。


 二人は同時に悟った――この場面で一番強いのは、自分たちではなく、アイカの無邪気さなのだと。


「案内するのは構わないけど……少し寄りたい場所があるんだ」


 リイトは言葉を切り、三人の顔を順に見回した。


「十六の刻に森の入り口で待ち合わせ、でどうかな?」


 一瞬の沈黙ののち、三人は互いに目を合わせた。

 レイサが軽く息をつき、代表して頷く。


「ああ。俺たちも授業が終わってすぐだから、むしろありがたいよ」

「なら、よかった」


 リイトは肩の力を抜き、微笑みを深めた。


 そのとき、教室の扉がガチャリと開き、廊下から数名の生徒が入ってきた。


「あれ、四人とも今日も早いな」


 男子生徒の一人が笑いながら近づいてくる。


「学院に慣れるまでは、早めに来ようと思ったのよ」


 ハナネがにこやかに返すと、男子生徒は納得したようにうなずき、自分の席へと向かった。


 静けさを破って次々と生徒が集まり、教室が徐々に賑わっていく。アイカたちも席へ戻ろうと背を向け、歩き出した。


 その背中を――リイトはしばし、じっと見つめていた。

 やがて、誰にも気づかれぬように口元を歪める。


 それは優等生らしい微笑の形をとりながら、どこか底知れない色を帯びていた。





 それからアイカたちは、ひたすら放課後を待った。


 授業中、黒板に文字を走らせるトライの声が響く。アイカたちは一応教本を開き、視線を板書と先生の姿に交互に向けてはいたが、頭の中にはほとんど入ってこない。

 胸の奥で、刻限までの時間だけが重たく流れていく。


 昼休みになっても落ち着きはしなかった。他の生徒に誘われて食堂へ向かい、明るく相槌を打ちながら食事をとる。

 だが心ここにあらずで、口に運んだパンの味もよくわからない。

 ふと視線を探しても、リイトの姿はなかった。今日は郷学の友人と中庭で弁当を食べるのだと、言って教室から出て行ってしまったのだ。


 三限目も上の空のまま終わり、ようやく全ての授業が終わった。三人は半ば早歩きで部屋へ戻る。


 部屋に着くなり、すぐに動けるよう鞄を机に置きっぱなしにした。

 ハナネは腰に結ぶ紐を短く調整し、太ももの付け根に沿わせるように取り付ける。その外側に短剣を忍ばせ、さらに銃を制服の胸元あたりに隠し入れた。


 一方で、アイカの斬槍とレイサの剣は、ハナネのように簡単に隠せるものではない。二人は互いに顔を見合わせ、どうしたものかと眉をひそめた。


 そんな二人に、ハナネが顔を向けて言った。


「今なら、生徒の多くは帰宅するか寮に戻ってるはず。人目に気をつけて運べば問題ないわ。それにリイト・アダムスには――ナサ村で作られた道具を見せるつもりだった、とでも言っておけばいいのよ。ああいう子は、不思議に思っても口には出さないから」


 冷ややかな声でそう告げる。


「へぇ〜、そうなんだ! やっぱりハナネは何でも知ってるね!」


 無邪気に笑顔を見せるアイカ。

 一方、レイサは渋い顔を崩さずに言った。


「……そんな言い訳で通るのか?」

「なら、置いていくつもり? いざという時、自分を守る手段がなくなるわよ」


 ハナネの一言に、レイサは唇を噛み、やがて小さく頷いた。


 三人はそれぞれ武器を携え、人気のない道を選んで森へ向かった。幸い、ハナネの言葉どおり周囲には人影はなく、移動は順調だった。学院の門を抜けると、リュスカ堂のある大通りを避け、反対側の裏手から学院裏の森へと足を進める。





 森に着いたとき、まだリイトの姿はなかった。代わりに、真ん中に長い棒が一本、目印のように立っている。

 三人はその下で立ち止まり、緊張を隠せないまま待った。木々を揺らす風の音にさえ、胸の鼓動が跳ね上がる。


(絶対、失敗したくない……)


 アイカは唇を結び、祈るように思った。


 やがて――トコトコと靴音が近づいてくる。三人が一斉に顔を向けると、そこにいたのはリイトだった。優等生らしい微笑みを浮かべ、ゆったりと歩み寄ってくる。


「えっと……二人とも、随分怖そうな武器を持ってるね。狩りにでも行くみたい」


 困ったように笑うリイトに、アイカが胸を張って答える。


「これ、ナサ村で作った守り道具なんだ!」


 続けてレイサが補足した。


「“守り道具”ってのは、ナサ村の子どもたちが使う言葉だよ。リイト、お前、村のことに興味持ってただろ? だから、見せたくてさ」


 その言葉に、リイトの表情がぱっと明るくなった。


「持ってきてくれたんだ! ありがとう。嬉しいよ!」


 しゃがみこみ、子どものような眼差しで二人の武器を覗き込む。


「アイカの道具は変わった形だね、初めて見るよ。レイサのは剣、でいいのかな? 鞘もすごく丁寧に作られてる……やっぱり他の地域とは少し違うのかな」


 無邪気に興味を示す様子は、村を出たばかりの頃のアイカとレイサを彷彿とさせた。だが、ふと我に返ったように顔を上げる。


「あ、ごめん。森を案内するんだったね。行こう」


 リイトの背を追い、三人は森の中を進んだ。道は人が歩ける程度に整えられている。夕暮れの光が差し込む森は美しくも不気味で、鳥の声と虫の羽音だけが響いていた。――獣の気配は、まるで最初から存在しないかのように消えていた。


「これから、この森で一番の絶景スポットに案内するよ。この時間なら夕焼けが、すごく綺麗なんだ」


 リイトは振り返ることなく、淡々と告げる。その先、道はなだらかな坂へと続いていた。彼は迷いなく、真っ直ぐに登っていく。


(誰かにつけられてはいないはず……)


 レイサは耳を澄まし、四方に気を配った。枝を踏む音、落ち葉をかき分ける気配――だが、聞こえるのは自分たちの足音だけだ。

 ハナネは一言も発せず、ただリイトの背中を凝視していた。微かな動きも見逃すまいと、目を細めて。


 四人の間に、重苦しい沈黙が広がる。緊張の糸に縛られて、誰も話題を持ち出せなかった。

 ただひたすら、足音だけがざくざくと森に響き渡っていく――。


 十分、二十分と歩き、やがて視界が開ける。夕陽に照らされた森の頂。まさしく絶景と呼ぶにふさわしい場所だった。


 リイトはふいに立ち止まり、くるりと振り返ると指先を下に向けた。


「アイカ、足元に虫がいるよ。気をつけて」

「虫?」


 アイカは反射的に視線を落とした。レイサとハナネも、つられるように同じ場所をのぞき込む。


 ――その一瞬、気が緩んだ。


「どこに……」


 アイカの声が途切れるのと同時に、凄烈な風が吹き荒れた。

 突如として襲いかかったその風は、森全体ではなく、彼ら三人だけを狙い撃つかのように集中している。枝も葉もほとんど揺れていないのに、足元から腰をえぐり取るような突風が押し寄せた。


 アイカは思わず瞳を細め、腕で顔を庇った。風はなおも勢いを増し、三人を引き裂くように襲う。レイサとハナネを後方へと強烈に押し流し、アイカを二人から遠ざけるかのように、壁のような空気の流れが立ちふさがった。


 レイサとハナネの足元がぐらつき、土を蹴るようにして地面から浮きかけた。


(二人が……!)


 アイカは必死に踏ん張り、腕を伸ばした。だが――それも束の間。背を押されるような感覚に、身体がよろめく。

 反射的に振り返った先には、小柄な影がいた。羽織りをまとい、帽子を深くかぶったその人物が、確かにアイカを押していた。顔は影に隠れ、表情までは見えない。


「アイカ!」


 レイサの叫びが届くよりも早く、風はさらに荒れ狂った。レイサとハナネを狙い撃つかのように吹き上げ、二人の身体は宙に浮かぶ。叫びも届かず、暴風にさらわれていった。


(この風……!)


 レイサは歯を食いしばり、かろうじて瞳を開けた。皮膚を裂くような突風――まるで意思を持ち、狙いすましたかのように自分たちを攫おうとしている。


(強すぎる……! どこへ飛ばされるのか……分からない!)


 恐怖と混乱が胸を締めつける。

 隣ではハナネも、制服を翻しながら必死に耐えていた。地に爪を立てるような執念で風に抗い、それでも身体は軋むように浮かされていく。


「レイサ! ハナネ!」


 飛ばされていく二人へ叫んだ瞬間、アイカの襟元を誰かが掴んだ。ぐいと力強く引かれ、そのまま坂の崖際へ――。

 抗う暇もなく、アイカはその人物と共に宙へ投げ出される。


 吹き抜ける風。視界がぐるりと反転し、心臓が喉までせり上がった。

 次の瞬間、掴んでいた人物はアイカを放し、わずかに距離を取って落下していく。


(下は……高い! このままじゃ……!)


 迫り来る地面。アイカは必死に体勢を整え、全身に力を込めた。

 ――ドン、と衝撃。

 受け身は取れた。骨は折れていない。だが痺れる痛みが四肢を走り、呼吸は乱れる。


 荒い息の合間に呟く。


「いったい……何……」


 頭の中は渦を巻いていた。風の正体は? レイサとハナネはどこへ? 自分を押したあの影は誰だ? リイトは……?


 カツ、カツ、と土を踏む音。

 誰かが、真っ直ぐにこちらへ近づいてくる。


 顔を向けたアイカの視線に映ったのは、小柄な影。背丈は百四十センチほど、手には剣を握っている。羽織の帽子を深くかぶり、表情は見えない。

 その人物は、アイカの目の前でふと立ち止まった。


(誰……? 敵……?)


 ゆっくりと、帽子のつばに手がかかる。

 ごくり、と唾を飲む音が自分のものだと気づいた時には、もう遅かった。

 覆いを外す仕草は静かで、しかし抗いがたい緊張を伴っていた。

 顔が、月明かりに照らされていく。頬の線、瞳の色、口元――。

 完全に露わになった瞬間、アイカの瞳が大きく見開かれる。

 声を失い、口が半ば開いたまま動かない。

 その人物は帽子を手にし、静かに言葉を紡いだ。


「……久しぶり。七年ぶりだね、お姉ちゃん」

神血(イコル)の英雄伝 第六一話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა

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