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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
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遠くの笑顔

深刻(しんこく)の半ば頃。


 陽はすでに沈み、トラーナ街を撫でる風にはわずかな涼しさが混じりはじめていた。だが一日の熱は地面にしぶとく残り、じわりとしたぬるさが足元から立ちのぼる。


 セイスは建物の壁に背を預け、腰を下ろしたまま、大きく口を開けて欠伸をひとつ。吐き出した息にかすかな湿り気が混じり、瞳の端には小さな涙が浮かんだ。襟元を指先でくいくいと引き、籠る熱を逃がそうとするが、焼け石に水のように思える。代謝が良すぎるのも考えものだと、半ば呆れながら首を振った。


(アオイはまだ来んのか)


 こつん、と後頭部を壁に預け、夜空を仰ぐ。淡い群青に塗られた空には、まだ星の光は頼りなく、かえって湿気ばかりが意識にまとわりついた。


 アオイとは一日一度、顔を合わせて情報を共有することになっている。ただし時間を決めたわけではない。だが昼間は人目も多く落ち着かないせいか、自然と夜のほうがやりやすい──そんな暗黙の了解が、いつの間にか二人の間にできあがっていた。

 だからセイスはこうして、夜風に紛れるようにして待つしかなかった。


 ネシュカとの合流は、その報告を済ませてから。護衛の役目もある以上、勝手な行動はできない。結果、今日もほとんどの時間をアオイの姿を遠くで見つめて過ごすことになる。食料を買うときだけが、わずかな自由だった。


 ……とはいえ。


(結局あいつ、今日一日中ガキと遊んでただけやんけ)


 思い返すだけでため息が出る。川辺で子どもたちに囲まれ、朝膳をともにし、幼い二人や十歳そこそこの少年らと走り回っていた姿。任務とは思えない光景だった。


 けれど、気になる点もある。


(朝に離れた三人……どこ行ったんや?)


 食事のあと、子どもたちのうち三人が川辺を出ていった。その理由は聞けていない。護衛の立場上、アオイを離れて追うこともできず、胸の奥に棘のように引っかかっていた。


 その時——。


 足音がした。壊れた石畳を踏みながら近づいてくる軽い音。けれど、不自然に静かだ。気配を殺すような歩み。セイスはすぐに察した。


 足音がすぐ傍で止まる。間を置かず、低い声が落ちてきた。


「待たせて悪い」


 視線を上げる。やはりアオイだった。

 蒸し暑い空気の中にあっても、彼の立ち姿は妙に涼しげで、冷たい水のように澄んでいる。深海を思わせる青髪が、夜の風に揺れていた。


「待ったわ」


 セイスは素直にそう言って立ち上がると、アオイを睨むように見下ろした。


「で? どうだった?」


 いつも通り尖った声で問いかける。アオイは記憶を辿るように目を伏せ、口を開いた。


「まず、川辺を見ていたら不審者と間違われた」

「……は?」


 思わず声が漏れる。眉をひそめるセイスに、アオイは淡々と続ける。


「川辺をじっと見ていたのが怪しかったらしい。その後は誤解が解けて、仲間に入れてもらった。それから初めて魚を焚き火で焼いて……朝膳を一緒に食べて」

「誰が一から説明せぇ言うた!そんなもん見とったら分かるわ!」


 遮るように吐き捨てた。やや苛立ちが滲んでいた。


「気になったことがあったかどうか、それを聞いとんや」

「……そうだよな」


 アオイは小さく呟き、再び考え込む。その様子を見て、セイスは鼻先をひくつかせる。


(ほんま、こいつは……)


 口数は少なく、感情もほとんど見せないくせに……報告となると、丁寧に「今日あったこと全部言います」みたいな顔をする。しかも子どもが作文を読み上げるみたいに、ひとつひとつ確認していくのだ。


「子どもたちだけで暮らすのは、大変そうだ」

「他は?」

「……」


 アオイの返答に、セイスはじろりと視線を送る。まるで「それで終わりか」とでも言いたげだったが、それ以上は突っ込まなかった。アオイがふざけているわけではなく、むしろ真剣に考えた末の答えだと分かっていたからだ。


 やがて、アオイはぽつりと付け加えた。


「子どものうち三人は、朝膳のあと“稼ぎに行く”と言って別行動した」


 その言葉にセイスの瞳が細くなる。


「稼ぐ方法は?」


 低い声。アオイは首を横に振った。


「方法はまだ聞いていない。ついて行こうとしたが止められた。明日、聞いてみる」


 セイスは、アオイの話が終わるのを待ってから、もう一つ気になっていたことを尋ねた。


「天幕の奥——あそこ、埋めた跡があったな。あれはなんや」

「……埋めた跡?」


 アオイが目を見開き、考えるように見上げてくる。


「気づかなかった。明日、確認して聞いてみる」

「任せたわ」


 短く鼻を鳴らすと、セイスは鞄を漁りはじめた。やがて瓶詰めの水と紙袋を取り出し、袋をアオイへ放る。


 アオイは素早く両手で受け取り、中を確かめる。掌に収まる大きさのパンが入っていた。続けざまに差し出された瓶も受け取る。


「ありがとう」


 静かな声で告げ、アオイは紙袋を見つめた。川魚や木の実だけでは腹が足りていなかったからこそ、その小さな心遣いが沁みる。


 セイスは壁に背を預け、黙って腰を下ろす。アオイも傍らに腰を下ろし、袋から硬くなったパンを取り出した。歯を立てると、わずかな弾力が返ってくる。


 夜の静けさに、パンを噛む音だけが小さく響く。


 アオイが静かに固いパンを噛み締めていると、横から不意に声が落ちてきた。


「何話したん」


セイスは普段なら滅多に話しかけてこない。そのせいで、アオイの手がわずかに止まった。


 低く投げられた問いに、アオイは一瞬だけ目を瞬かせる。視線を向けると、セイスは正面を見据えたまま、横顔だけを見せていた。こちらを見てはいない。けれど、確かに聞きたいのだと分かる声音だった。

 アオイは、息を整えるみたいに小さく吐いてから答えた。


「年齢と名前を聞かれた。あと、向こうの名前と年齢も教えてもらった。それから……約束もした」

「約束……?」


 セイスの視線が、わずかに横へ揺れる。ちらりとこちらを盗み見るだけで、またすぐに正面へ戻った。


「あぁ。サレックっていう茶髪の子どもと。俺はあの子たちに危害を加えない。それを——男と男の約束だと」

「はっ、なんやそれ」


 思わず噛みつくような声が漏れた。あの無表情なアオイの口から「男と男の約束」などという古風な言葉が出てくるとは。

 セイスの脳裏に、昼間の光景がよみがえる。川辺で、アオイがあの茶髪の少年と向き合っていた姿。あれがサレックなのだろう。どう見ても子どもと子どものやり取りにしか見えなかったが……実際には「約束」などと交わしていたのか。


(サレック言うのは、あいつやな……)


 セイスは心の中で呟くと、アオイが淡々と続ける説明に耳を傾けた。子どもたちの名前、年齢、髪や瞳の色といった特徴を、一つずつ漏らさずに報告してくる。

 セイスは紙に書き留めることもせず、ただ聞くだけだ。聞いているそぶりも見せないが、耳には確かに刻んでいた。


 しばし沈黙が落ちたのち、セイスはゆっくりと口を開いた。


「……楽しかったか?」


 その問いは、ただの確認ではなかった。声の奥に、探るような、あるいは試すような響きがあった。

 アオイは口を開きかけ、言葉を探すように視線をさまよわせてから、ようやく話し出した。


「楽しかったかと聞かれたら……分からない。俺は、ほとんど遊んだことがなかったから。だから……色んな遊びを知れて、勉強にはなった」


 その返答に、セイスは短く「そうか」とだけ呟いた。声に感情はなく、そっけない返事だった。だが、横顔の奥に滲むものを、アオイは気づかない。


 やがてパンと水を終えたアオイは立ち上がり、子どもたちの待つ川辺へと戻っていった。セイスもまた、ネシュカとの合流を果たすため、宿代わりの建物へと向かう。





 建物へ着いた頃には、空はすでに幽刻へと移ろいかけていた。ただでさえ活気のないトラーナ街が、一層重たい空気をまとっていた。


 出入口の垂布をめくると、小さな机の上で灯火が淡く揺れ、その光に照らされながら報告書を書き連ねるネシュカの姿があった。


「おかえり。遅かったわね」


 顔を上げたネシュカの声は静かだった。セイスは短く視線だけを向けると、室内に入り、壁際へ腰を下ろした。


「アオイはどうだった?」


 問いかけに、セイスは目を閉じたまま短く答える。


「ただガキどもと飯食って、遊んどるだけですわ」


 吐き捨てるような言葉。しかしネシュカは少しも咎めず、むしろ柔らかく口を開いた。


「そう。けれど……その方が子どもたちの警戒も解けやすいと思うわ」


 ネシュカが言うと、セイスは報告を続けた。


「六人おったガキのうち三人が別行動しとりました。金を稼ぎに行く言うてたそうです」

「お金を稼ぎに……」


 商人との会話を思い出しながら、ネシュカが低く呟く。


「どう稼いどんのかはまだ分かりません。分かったら知らせます。それから──地面になんか隠した形跡がありました」

「隠した形跡……?」


 ネシュカは小さく首を傾げる。


「まだはっきりせんけど、土が盛り上がっとって何か埋めてる感じでしたわ」


 セイスが荒っぽく言うと、ネシュカは短く応じた。


「分かった。詳細が分かり次第また教えて」


 セイスが頷くと、ネシュカは静かに次の質問を投げかけた。


「川辺の方に茶髪の子どもはいなかった?」

「茶髪……ですか?」


「えぇ。今日手に入れた情報だと、トラーナ街の子どもが仲介屋と繋がってるみたいなの。茶色い髪をしているらしいわ」


 ネシュカの言葉に、セイスは記憶を探りながら答えた。


「二人おりました。一人は十三歳の男サレック。もう一人は八歳の女、エリア。女の方は朝、別行動したうちの一人です」


 ネシュカは少し考え込み、視線をセイスに戻す。


「その二人は特に注意して見て。行動が不自然なら、迷わず確保していいわ。ただし、周りの子を怖がらせないように」


 セイスは一呼吸置き、短く「……はい」と頷きわずかに顎を引く。棘のある口ぶりはそのままだが、命令の筋はすぐに腹に落ちたようだった。


 そして、今度はセイスが尋ねた。


「……あいつらは、おったんですか?」


 短く放たれた問いに、ネシュカはすぐさま反応する。


「あいつら……もしかして新人たちのこと? 三人ならいなかったわよ。一日で情報を集めて捕縛できたら、それはもう大したものだわ」


 穏やかな口調で告げながらも、ネシュカの目は冷静だった。

 アイカたちと別れてから、まだ一日と半しか経っていない。合流予定の四日後よりも前にリイトを捕えることができたなら、その時は誰かが縁刻えんこくのあいだ、トラーナ街の入口付近に立って待つようにと、あらかじめ指示を出してある。

 だが、そんな短時間でリイト・アダムスの情報を手に入れ、捕縛にまで至っていたなら──それは驚きを超えた出来事になるだろう、とネシュカは思った。


 「……そらそうか」


 セイスは肩を軽くすくめると、床に手をついて雑に身体を起こした。膝を伸ばし、そのまま垂布のかかった出入り口へと向き直る。


「どこへ行くの?」


 ネシュカが背に声を投げた。てっきり、ここで腰を落ち着けて仮眠でも取るのかと思っていたのだ。 

 しかしセイスは、声をかけたネシュカに振り返りもせず、吐き捨てるように答えた。


「俺は、アオイの周囲を見張らんといけませんので」


 その声音には、棘のような硬さがあった。

 はらりと垂布を押し分け、セイスの背が外気の方へ消えていく。


(見張るって……)


 ネシュカは小さく息をつき、垂布の向こうに消えていく背中をじっと目で追った。冷たく振る舞いながらも、どこか落ち着かない足取り。口調とは裏腹に、その影には心配の色がにじんでいる。


 ふっと唇をゆるめる。アオイも不器用だが、セイスも負けず劣らずだ。


「アオイが心配なら、素直に言えばいいのに」


 その呟きは、誰に聞かせるでもなく、彼女ひとりの胸にやわらかく溶けていった。





 セイスは先ほどいた場所へ戻ると再び川辺へと視線をやった。

 子どもたちは寄り添うようにして眠り、その近くではアオイも木にもたれ、静かな寝息を立てている。

 昼間、彼が子どもたちと遊んでいた姿が脳裏に浮かんだ瞬間、ふいに別の記憶が重なった。





『ほらセイス、こっちや!』

『早よせんと、ママが捕まえてまうで〜?』

『だやー! 俺、絶対捕まらんし!』


 笑い声が木々の間を駆け抜ける。家のそばの森で、三人で過ごしたささやかな時間。無邪気に走り回る小さな子ども、その隣で楽しそうに追いかける両親。あれが、確かに自分の毎日だった。

 だが今では、その光景は二度と戻らない幻に過ぎない。

 あの日、村を襲った者たちによって、日常は音もなく奪われたのだ。


『……なんで二人とも動かへんの。なぁ、聞こえとるやろ。助かるって、言うてくれたやんか……大丈夫やって、言うたやん……答えろや、おい……』

『頼む……二人を助けてくれ……俺が死んでもかまへんから……!』


 胸の奥を焼きつくすような記憶が込み上げ、セイスは奥歯を噛みしめる。

 思い出したくもないはずの声が、耳の奥で繰り返し響いた。





「……なんつうもん、思い出しとるんや」


 吐き捨てるような呟きが夜気に溶けた。胸の奥に渦巻くのは、どうしようもなく胸糞悪い感情だけだった。


神血(イコル)の英雄伝 第五九話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა

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