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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
58/91

央棟に眠る記録

 アイカたち八人は昼膳ちゅうぜんを終え、教室に戻って三限目の授業を受けた。

 縁刻えんこくの半ばになろうとした頃、終業の鐘が教室に響き渡る。


「終わったー」


 アイカは椅子の背もたれから腕を伸ばし、上半身をぐっと反らせて伸びをした。

 潜入中とはいえ、生徒らしく振る舞わなければならない。リイトに注意を向けつつ、トライの説明にも耳を傾けていた。


「意外と長かったな」


 レイサも片手で肩を押さえ、やや疲れた様子を見せる。対照的に、ハナネはいつも通り無表情で、ただリイトを見つめていた。


「三人とも、また明日な!」

「またね」


 昼に一緒に食堂へ行った生徒たちが、帰り際に声をかけてくる。


「あぁ。また明日」

「うん!またね」

「えぇ」


 三人も笑顔で応じた。


「そういえば……リュスカ堂に行った時に聞いた“ごきげんよう”って挨拶、誰からも聞いてない」


 アイカが、ネシュカと合流する前のことをふと思い出し、口にした。


「あれは、名家や貴族、それなりに裕福な家の人が使う挨拶よ」

「へぇ……そうなんだ」


 ハナネが淡々と答えると、アイカは少し感心したように相槌を打った。


「おい、二人とも……リイトが動いた」


 レイサの低い声に、二人の視線が同時にリイトへ向く。

 彼は友人に挨拶を済ませると、教室前方の扉から静かに出て行った。


「後を追うか……?」

「そうね」


 レイサとハナネが素早く立ち上がる。


(え?え?二人とも行動早……!?)


 判断の遅いアイカは、二人を交互に見て目を瞬かせた。

 三人は音を立てぬよう後方の扉から教室を抜け、リイトの後を追った。





(央棟に向かってるわね……)


 ハナネは進行方向にそびえる建物を見て、心の中でつぶやく。


 やがてリイトが央棟に入ると、アイカも続こうとしたが、レイサとハナネが足を止めた。


「追わないの……?」

「すぐ入れば気づかれるわ」


 短い説明に、アイカも「あ、そっか」と小さく頷く。

 しばらく入り口近くの窓から様子をうかがい、リイトが受付で何かを提示し、右側の廊下へ消えていくのを確認してから、三人も静かに中へ入った。


 受付には青い紐を首から下げた男女が計四人。台の上には《央棟利用者名簿》と書かれた板と名簿表、そして墨筆に似た筆記具が置かれている。

 レイサが名簿表の欄からリイトの名前とその横の利用目的に《図書室使用》と見つけ、「図書室を利用したいです」と告げると、学生証の提示と署名を求められた。


 署名を済ませ、右の廊下へ進む。廊下の奥には《図書室》と書かれた大きな扉があり、数人の生徒が出てくるところだった。


「すぐ見つかったな」


 レイサが言い、アイカが扉を開ける。


 中は本棚が規則正しく並び、棚と棚の間は迷路のような通路になっている。窓から差し込む光が書架を照らし、奥の中央には、机と椅子が並ぶ学習空間も見えた。





「見つけたわ」


 探し始めて間もなく、ハナネがそう告げた。視線の先には図書室の窓際、右奥──六列目の本棚の前で、リイトが本を選んでいた。

 五列目との間の細い通路に立ち、生物学の棚をじっと眺めている。授業の復習でもしているのだろうか。


 三人は、彼に気づかれぬよう後ろの列を回っていく。奥から三列目と四列目の間を抜け、窓際から二列分内側の通路へ。そこからなら、棚越しにリイトの背中がよく見えた。


 ハナネは四列目の棚に手を伸ばし、適当に一冊を抜き取った。


「何か読んでるふりをしたほうがいいわよ」


 視線を本に落としたまま、アイカとレイサへ小声で言う。


「確かにな……」


 レイサも頷き、近くの本を無造作に手に取った。アイカも目の前の棚へ目線を移す。


(読むふりって言っても……何を取れば……)


 ずらりと並んだ背表紙を前に、アイカは逡巡する。そんなとき、視界の端に一冊が引っかかった。

 そっと手を伸ばし、表紙を確かめる。そこには、


【神血と神選者の解明記録】


 と刻まれていた。


(……神血についての本)


 タイトルの下、小さく著者名──カミス・セイラン。


(セイラン……ってことは、イオリの家族が書いたのかな)


 胸の奥に小さなざわめきを感じながら、アイカは静かにその書物を開いた。


 アイカは書物に目を通すと、瞳を少し大きく見開いた。


「どうした、アイカ?」


 横に立っていたレイサが、彼女の様子の変化に気づき、小さく声をかける。

 アイカの開いていた書物に視線を向けると、レイサも読み始め、やがて瞳を大きくした。

 その二人の様子を、ハナネはちらりと視線だけで追った。





――現在、神々に選ばれ神血を持つ神選者について、研究でわかっていることがいくつかある。


 まずひとつ。神血の力は強力でありどんなに選び抜かれた神選者であっても、神血に耐えられず、生まれて一年も経たずに命を落としてしまうことがあるのだ。

 中には生まれることさえ叶わず、流産や死産に終わるケースも少なくない。


 また、神血の子を宿した母親が神選者でない場合、子と同じく母も亡くなってしまうことが多数ある。

 母親が神選者であれば、死亡率は多少下がるが、それでも安全とは言い切れない。


 さらに、生まれて生き延びられたとしても、幼少期や発育期、十歳になる前に命を落とす者が多い。

 身体の成長が未熟なままでは、神血に耐えきれず、免疫力が低下して病に倒れてしまうのだ。


 本来ならば、子孫が繁栄し、神血を持つ者が多数いてもおかしくない。

 だが数百年の歴史を経ても、神血の神選者が増えないのは──おそらく、この事実が原因だろう。





 二人は言葉を失った。


 神血や神選者については、神々が血を人に分け与えた──そんな物語程度しか知らなかった。

 しかし、その裏に、これほど多くの困難が潜んでいるとは思いもしなかった。


(そういえば、ばあちゃんも母さんを産んだ時に亡くなったって言ってた……)


 ふとアイカは、幼い頃タイガに一度だけ祖母のことを尋ねた時のことを思い出した。


 その時、タイガは少し間を置いてから静かに告げた。


『ヒスナは、イロハが生まれる時に亡くなってしまった。それまで精一杯、イロハのことを守ってくれたよ』


 その言葉と共に浮かんだタイガの顔は、今でもはっきりと思い出せる。普段は穏やかで温かく優しい彼の表情に、悲しみと自責が混じっていた。


 祖母のヒスナは普通の村人で、祖父のタイガが神血を持つ大地の神選者だった。アイカの母であるイロハを身籠った時、流れた神血の力に耐えられず、ヒスナは命を落としたのかもしれない。


 アイカは眉をひそめ、再び書物の続きを読み進める。





 しかし、必ずしも命を落とすわけではない。生まれながらに神血に耐えうる素質を持つ者もいるのだ。たとえ幼い頃、身体が弱くとも、六歳から十二の、発育期を乗り越えられれば、次第に身体が神血に慣れていくという。


 ただし、魔女の神選者を除き、神血を持つ者は、神血を持たない者よりも長く生きられないことがわかっている。だいたい三十五歳から五十歳でその生を終えるのだ。


 それ以上に長く生きる者もいるが、ここ数百年の記録では、七十五歳以上生きた者はいない。





(まさか……神血がこんなに過酷なものだったなんてな……)


 レイサが息を呑んだ。自分の祖父母の顔すら知らないことを思い返し、悲しみが胸をよぎった。彼もまた、物心がつく前に二人を失っていたのだ。





 次にふたつめ。神選者の能力には大きな差がある。先にも述べた通り、神血はあまりに強力であるため、特別な力を扱えるはずの神選者の間にも、能力の優劣がはっきりと現れてしまうのだ。


 ほとんどの場合、天使・悪魔・妖精・魔女といった使徒の神選者を除けば、神の神選者といえど力はごくわずかしか振るえない。

 たとえば水の神選者であれば、小さな湖の水を操るのがせいぜいだ。


 自ら水を生み出すことも可能とされるが、その量はせいぜいバケツ一杯分。

 現存する水を操るのとは異なり、神血に対する高度な適性と素質がなければ成し得ぬ業である。


 中には、まったく能力を扱えない者も少なくない。

 炎の神選者でありながら、生み出すことはおろか、目の前の炎すら操れなかった――そんな過去の記録も残されている。





(あ……確かに、母さんもトワも、ほとんど力は使えない)


 アイカは書物を読みながら考える。

 自分もまだ鍛錬は必要だが、軽くなら地面を操れ、二百センチほどの壁なら作れる。

 しかし、トワは剣術や体術の腕は上がったものの、能力はほとんど伸びなかった。五十センチにも満たない壁を作るだけで、体力を大きく消耗してしまう。


(でも、じいちゃんは私の何倍も力を使えるし──)


「いつまで読んでるの。もう移動するわよ」


 冷えた声音が横から飛んできた。顔を上げれば、ハナネは手にしていた書物をすでに棚に戻し、いつでも動ける様子だ。

 その視線の先を追うと、リイトが入口へ向かってゆっくり歩いているのが見えた。


「あ、ごめん」


 アイカは慌てて書物を閉じ、棚に戻す。レイサも手にしていた――実際にはほとんど目を通していなかった書物を元の場所へ置いた。


 三人は静かにリイトの後を追い始める。


(神血って、ただ神に与えられたってだけで、普通の血と変わらないと思ってた……でも、持ってるだけで危険なこともあるんだ……)


 そんな考えが脳裏をめぐった、そのとき――


 ドンッ。


「わっ!」


 不意に何かにぶつかり、アイカの身体がよろめく。図書室に小さくない声が響いたが、転ぶ前に、大きな手のひらが彼女を支えた。


「……ごめんね。大丈夫?」


(この声……?)


 アイカは一瞬、体が固まる。どこかで聞いたことのある、無邪気で優しく、それでいてなぜか警戒してしまう声――。


 腕に支えられながらゆっくりと起き上がり、記憶を辿る。しかし、視線の先にいるのは、知らない人物だった。


 黒く波打つ髪、大きめの黒縁眼鏡、首からは赤い紐。瞳の色は深い黒。


(ハクモ・フューゼル……?)


 首から下げた学者証を見て、アイカはその名前に心当たりがないことを確信する。


「怪我はないみたいだね。よかった」


 ハクモは柔らかく微笑む。


「あ、うん……ありがとうございます」


 少し動揺しながら答えた、そのとき。


「何してるの。早く行くわよ」


 不機嫌そうなハナネの声が飛ぶ。隣でレイサも足を止めたまま、じっとこちらを見ていた。

 周囲の生徒たちも、アイカの声に反応して視線を向けてくる。


 ハクモは一度、レイサとハナネを見やり、目を細めて口を開いた。


「それじゃ、僕はこれで」


 そう言い残し、背を向けて歩き去る。


 アイカはしばらくその背中を見つめ、やがて二人の方へ向き直った。


「二人とも、ごめん。リイトは?」

「いなくなったわ」


 淡々と答えるハナネ。


「まぁ、仕方なし。初日から接触できたんだし、上出来じゃね?」


 レイサが仲裁するように言うと、ハナネも「そうね」とだけ言い、小さくため息をついた。



◇◆◇



 翌日。


 アイカ、レイサ、ハナネの三人は、教室へ向かうため学院の敷地内を歩いていた。昨日は結局リイトの姿を見失い、追跡はそこで途切れてしまった。朝の空気は澄んでいるはずなのに、胸の奥には昨日から残る小さな棘のようなものが引っかかっている。


「二日目。何か進展あるといいな」


 レイサが両手を頭の後ろで組み、陽を浴びながらのんびりと言う。声は軽いが、その眼差しには僅かな期待が宿っていた。


「確かに……」


 アイカも前を向いたまま小さく頷く。

 一方のハナネは、無言で歩を進めていた。表情は穏やかに見えても、心は別のところにあるようで、どこか思案に沈んでいる。


「そういやさ、アイカ」


 ふとレイサが口を開き、振り返る。


「おまえ、言葉づかいがちょっと直ってきてるよな」


「なにが?」


 アイカはきょとんと目を丸くする。


「前はもっと男っぽかったけどさ、最近は少し丁寧になったっていうかーー」

「うーん。よく分かんない」


 アイカは記憶を辿るように首をひねった。

 確かに以前よりは柔らかい言葉を選んでいる気もするが、それが良い変化なのかどうかは分からなかった。


「ま、言葉は直ってきても態度は相変わらず男みたいだけどな」

「いいじゃん別に」


 ぶっきらぼうな調子で返すアイカに、レイサは苦笑を浮かべる。


「まぁ、アイカらしいし」


 そう言って肩をすくめるレイサ。その横で、ハナネは二人の会話に加わることなく静かに歩いていた。





 三人は後課の校舎へ入り、昨日と同じ第九教室を目指す。

 扉を開けると、まだ教室はほとんど空席だった。早く着いたらしい。教室にいるのは自分たち以外に、ただ一人だけ。


(もういる……)


 アイカは思わず足を止めた。

 窓辺の席に、背筋を正して腰かける青年がいる。朝の光に金の髪が映えて、静かな教室でひときわ目を引く。リイト・アダムス。


 気配に気づいたのか、リイトは振り返り、柔らかな笑みを浮かべた。

 自然で、どこまでも穏やか。探るような色は微塵もない。


 次の瞬間、彼は椅子を引き、軽やかに立ち上がった。


「……っ」


 三人──正確には、ハナネとレイサのあいだに小さな緊張が走る。


 窓から射す光を背に受けて歩みはまっすぐ。迷いなどなく、友人に声をかけに来るかのようだ。


(なんで……こっちに?)


 レイサの胸が一瞬高鳴り、思わず目を見開く。

 昨日のこと──あとをつけたのが露見したのでは、ハナネは机の端に手を置き、視線を細めて探る。


 だが、当の本人は三人の張りつめた気配など気にもとめない。

 あくまで優等生らしい微笑を湛えたまま、歩幅を緩め、机の前に立ち止まった。


「三人とも、おはよう」


 柔らかく手を振って声をかけるリイト。


「あ、ああ……おはよう。リイトって朝早いんだな」


 レイサが慌てながらも応じる。


「うん。人の少ない教室って落ち着くんだ。静かなうちに勉強もできるしね」


 リイトは明るい声で言い、肩をすくめる。


 アイカは自然に相槌を打つ。

 そこでハナネが、少し冷ややかな声で口を挟んだ。


「それで。わざわざ私たちに用事でも?」


 ハナネの声は冷ややかで、教室の空気を一瞬張りつめさせた。

 リイトはわずかに瞬きをし、ほんの数秒だけ表情を止める。

 胸の奥がひやりと冷たくなる三人。だがすぐに、彼は柔らかい笑みを浮かべ直した。


「もしよければ……今日の放課後、学院の案内などさせてもらえないかな」


 思いがけない提案に、三人は顔を見合わせる。

 最初に反応したのはレイサだった。


「ありがたいけど……どうしてリイトが?」


 問いかける声は軽いが、その奥には探るような響きが潜んでいた。

 昨日の尾行に気づかれたのでは、とわずかに冷や汗が滲む。


「実はさ、ここだけの話──編入生に学校案内なんてしたら、優等生の株が上がるんじゃないかなって」


 リイトは口元に人差し指を立て、少し照れたように笑った。


 その瞬間、レイサは胸をなでおろす。どうやら気づかれてはいないようだ。

 三人は視線を交わし合い、無言で小さく頷き合う。


「うん! 案内してほしい!」


 最終的にアイカが力強く答えた。

 リイトは満足そうに微笑む。


「決まりだね。じゃあ、また放課後に」


 そう言い残し、彼は自分の席へと戻っていった。


 アイカはしばらくリイトの背中を見つめた。

明るく、自然に歩くその姿に、どう反応すればいいのか少し戸惑う。

 そして、放課後の案内を少し楽しみに思いながらも、心の片隅で警戒を解けずにいた。


神血(イコル)の英雄伝 第五ニ話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა

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