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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
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思いがけぬ好機

 それから二限と進む中、三人はリイトに注意を払っていた。しかし、怪しい点があるかと言われれば、特に何もなかった。


(まぁ、最初からそう簡単には分からないよな……)


 レイサは教本をぱらりとめくりながら、心の中でつぶやく。


(でも……何か一つでも手がかりは掴んでおきたい)


 教本に書かれた説明文と、その隣にある生物の挿絵に目を通しながら思考を巡らせる。

 下手に動けば逆効果になりかねない。しかし、早めに動き出したい――そんな気持ちが頭をよぎる。


 その隣で、アイカはトライの話に耳を傾けていた。


(すごい……氷爪熊ひょうそうぐまっていう熊がいるんだ。森熊が進化して、爪が鋭く長くなり、毛の下には分厚い脂肪がある……)


 リイトのことは頭の片隅に置きつつ、新しい情報にわくわくしながら授業を聞いていた。


(この子……目的、忘れてないわよね)


 そんなアイカの様子を、隣のハナネはそっと見つめていた。

 楽しそうに授業に夢中なアイカに、本来の目的を見失ってはいないかと、少し心配そうであり、同時に呆れたような視線を向けている。


 カーン、カーン。


 二限の終了を告げる鐘の音が教室に響き渡った。


「これでニ限を終わります。続きは昼休みの後に」


 そう告げると、トライは素早く黒板の文字を消していく。生徒の何人かが席を立ち、教室を後にした。残った生徒は鞄から飯箱を取り出し、昼膳ちゅうぜんの時間を迎える。


(あぁ、今は昼膳の時間なんだ……)


 アイカは教室の中を見渡しながら心の中で呟いた。


「なあ、三人は弁当持ってきた?」


 すると、一人の男子生徒が近づいて声をかけてきた。


(弁当……?多分飯箱のとこだよね)


アイカは少し不思議に思いつつも納得した。


「いや、持ってきてないよ」


 レイサが明るく答えると、男子生徒はにかりと笑った。


「じゃあさ、俺たちと一緒に食堂に行こうぜ!」


 男子生徒は拳を作り、親指だけを立てて背後を示した。その後ろには、男子生徒と女子生徒が二人ずつ控えている。その中には、アイカたちの目的であるリイトの姿もあった。


(チャンスだ……)


 アイカは思った。レイサもハナネも同じ気持ちだった。最初は近づかず様子を見るつもりだったが、これならリイトに自然と近寄れる。三人はその機会を逃すわけにはいかなかった。


「食堂の場所も覚えたいし、好意に甘えていいかしら」

「おう、来いよ!」


 ハナネが優しく言うと、男子生徒も笑顔で応えた。こうして八人は食堂へと足を進めた。




「食堂は、N棟の一階にあるんだ」


 先ほど話しかけてきた男子生徒が、歩きながら説明する。


「そういえば、EとかNって何?」


 レイサがずっと気になっていたことを訊ねた。


「それはね、昔からリグラムで東西南北を表す言葉の略称なんだよ」


 一緒に歩いていた女子生徒が口を開いた。


「東はE。西はW。南はS。北はN。中等部で習うけど、郷学きょうがくを取れば編入生でも少し触れられるよ」

「郷学って何を学ぶの?」


 アイカが興味を持って尋ねる。


「えっとねーー」

「詳しい話は食堂に着いてからにしようぜ」


 女子生徒が説明しようとしたところで、先ほどの男子生徒が顔を後ろに向けて言った。


「そうだね!」


女子生徒はうなずき、八人はそのまま食堂へ向かった。






「さてと、空いてる席あるかな――?」


 一番前にいた男子生徒が言いながら、食堂内を見渡して空席を探し始めた。


 食堂はとても広く、単純な造りだ。大きめの机が間隔を空けてずらりと並び、両端には背もたれのない椅子が置かれている。片側の壁際には、壁に取り付けられた一人掛けの椅子が間を空けて並んでいた。


 奥のほうには、低めの長い台があり、その上に四つほど膳書きが貼られている。台の手前には生徒たちが列を作り、その奥は焚処(たきどころ)になっているようだ。さまざまな食材が置かれ、釜からは湯気が立ち上っている。スカリット街のクラエリ露店で見たものよりも大きな氷石箱もあった。


(うわっ、人が多すぎる……)


 アイカは驚きを隠せなかった。


 すでに多くの生徒が集まっているだけでなく、白衣を着た教員や、首に赤い紐をかけた学者たちの姿もちらほら見えた。


「お、あそこに二つ席が空いてるぞ」


 男子生徒が少し離れた場所を指さした。そこにはちょうど六人分の席が二つ空いている。


 八人はその机まで行き、席取りのために荷物を下ろすと、硬貨の入った小袋だけを手にして受付へ向かった。


(米が一つもない……)


 アイカは膳書きを見ながら思った。どうやら学院の主食はパンらしい。


(そういえば、リグラムに来てから米は食べてないな……)


 レイサも膳書きを眺めつつ同じことを考えていた。


(十一ソアにこっちは十四ソア……ちょっと高いかも)


 アイカは値段を見て少し肩を落とす。学院に来る前にそれなりのお金を渡されてはいたが、先のことを考えると無駄遣いはできない。


 レイサとハナネも値段を気にしながら悩み、結局三人は一番安いものを注文した。


 八人全員が注文を終え、荷物を置いた席に戻る。アイカ、レイサ、ハナネの三人は一つの机に座り、残りの生徒たちはもう一つの机に着いた。リイトは三人から最も距離がある場所に座っている。


 三人が注文したのは、「ターメル」という名前の汁物、リグラムでは《スープ》と呼ばれているものと、パンだけの組み合わせだった。


 三人は静かにターメルを口に運ぶ。他の生徒たちも、それぞれ自分の注文したものを食べている。


「それで……さっきの郷学のことだけど」


 ふと、一人の女子生徒が話を切り出した。


 先ほど食堂に来る前に中断してしまった郷学の話を、改めてアイカたちに説明し始める。


「郷学はリグラムはもちろん、他の地域の暮らしや生活文化、風習なんかを学べる授業のことなんだよ。自分たちが育った場所とは違う文化を知れるから、楽しいと思うよ」


 女子生徒はにこりと三人に微笑んだ。


「その授業はどうすれば受けられるの?」


 ハナネが会話をつなぐように質問する。


「高等部では、半年に一度、自分の興味のある授業を選択できるの。もし興味があるなら、デノリオンの月に選択してみるといいよ」

「デノリオン……?」


 アイカはきょとんとつぶやき、正面のレイサもその言葉の意味が分からず首をかしげた。


霧降(むこう)の月のことだとじゃない」


 ハナネがそっと囁いた。二人は納得したように頷く。


「考えてみるよ」


 レイサは笑顔を浮かべつつ答えた。郷学には少し興味があるが、そこまで長く学院にいるつもりはないのだ。


「あ、でもリイトはもう習ってるよね?」


 別の女子生徒がリイトに話しかける。


「こいつは俺たちと違って特待生だからさ。特待生は半月に二つずつ授業を選べるんだ」


 隣にいた男子生徒がリイトの腕をぐいぐい押しながら言う。


「やめてよ。特待生って言ってもそんなに変わらないから」


 リイトは笑いながら七人に顔を向けた。


「へぇ、すごいな。じゃあ、もう少し郷学について詳しく教えてくれない?」


 レイサは明るく声をかけるが、その瞳は真剣にリイトを見据えている。まるで獲物を見つけた獣のように。


(少し予定とは違ったけど……いい機会ね。この機に仲良くできたら、明日から自然に接触できる可能性が増える)


 ハナネも目を細めてリイトを見つめる。アイカもじっと彼の顔を見据えた。


「詳しくか……それは自分で授業を選択してからのお楽しみにしたほうがいいよ」


 リイトは少し考えたあと、優しい笑顔で答えた。


「そっかー……」


 レイサは少し残念そうに笑った。


「それに郷学のほとんどはノルヴェエルについてで、あとはユーレナやナサ村のことを少し学ぶくらいだよ。ユーレナもナサ村も情報は隠されていることが多い。特にナサ村はユーレナ以上に少ないんだ」


 レイサの残念そうな表情を見て、リイトは励ますように言った。


そして少し間をおいて、ふと明るくなり口を開いた。


「そういえば、三人はナサ村から来たんだよね?よかったら僕に教えてくれない?教えてくれたら郷学についても少し教えるよ」


 リイトは目を輝かせて三人に尋ねた。


「申し訳ないけど……あまり教えられないの」


 ハナネがやんわりと断った。ナサ村の話をすれば会話は続くが、同時に自分たちを探られている可能性もある。ハナネはそう判断したのだ。


「そっか……残念」


 リイトは明るい笑顔でそう返した。


(全然、普通の人と変わらない……)


 アイカはリイトの表情を観察しながらそう思った。


 この短いやりとりでは、リイトは普通の少年に見えた。むしろ優しそうな人にも思える。


 本当に彼が子攫いに関わっているのか。アイカは心の中でそう問いかけた。


神血(イコル)の英雄伝 第五一話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა


霧降(むこう)の月→十月

デノリオン→十月


本日、活動報告でナサ村の月の表し方をまとめています。

そちらも見ていただけると嬉しいです。


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