鐘音に潜む棘
翌朝。
アイカ、レイサ、ハナネの三人は身支度を整えると、部屋の鍵を確かめて閉め、後課の校舎へと足を向けた。
通りには同じ制服を着た生徒たちが行き交い、白衣を羽織った教員が重そうな荷を抱えて歩いている。朝の空気には、どこか緊張と期待の入り混じった匂いが漂っていた。
「それにしても、人が多いね。何人くらいいるんだろう」
アイカは、左右へ視線を揺らしながら言った。
「八百人くらいはいたりしてな」
レイサが肩をすくめ、軽口を返す。
「八百人って……さすがに多すぎ」
アイカは眉をひそめて抗議し、レイサも「だよなぁ」と笑った。
「それぐらいは、いるんじゃない」
隣を歩いていたハナネが、何でもないような口調で言う。
「え?」
「え?」
二人は同時に足を緩めた。
「それなりに大きな建物だもの。それぐらいの人数がいて当たり前よ」
前を向いたまま、ハナネは淡々と続ける。
「八百人って……」
「生徒だけで、か……」
老若男女合わせても五百人ほどのナサ村を思えば、その数は途方もない。二人は言葉を失い、ただ歩を進めた。
そんな会話をしているうちに、三人は後課の校舎前へと到着した。
中央の大きな扉は開かれ、流れ込むように生徒たちが中へ入っていく。その流れに従い、三人も足を踏み入れた。
内部は三方向に分かれている。正面の廊下は外へと続き、その先には別の棟へ渡る繋ぎ道が見える。繋ぎ道の両脇には、よく手入れされた芝が広がり、陽光が明るく照らしていた。左右の外側の廊下は大きな窓から柔らかな光が差し込み、内側の壁には央棟に似た扉が規則的に並んでいる。上部には、それぞれの部屋を示す板が掲げられていた。
「入ったはいいけど……案内板がないんだな。E棟の第八教室って、どうやって行くんだよ」
辺りを見回しながら、レイサが小さく嘆息した。
「誰かに聞くのが一番早いんじゃない」
ハナネは素っ気なく言うが、動く気配はない。こういう場面で見知らぬ誰かに話しかけるのは、彼女には向いていないのだ。
(まぁ……ハナネは聞きに行かないよな)
レイサは心の中で苦笑し、妙に納得した。
「じゃあ、私が聞いてくるー」
アイカが元気よく声を上げると、近くを歩く女子生徒たちのもとへ駆け寄った。
(こういうときに躊躇しないところ、ほんとアイカらしい)
レイサは感心とも呆れともつかない思いで、その背を見送る。
短いやりとりを終え、アイカは笑顔で戻ってきた。
「東側の二階だって。階段は奥にあるらしいよ!」
「ニ階か!助かった!」
レイサは礼を言い、三人は東側の奥へと進みはじめる。
その途中、ハナネはふと歩きながらアイカを横目で見た。視線をそらし、小さく息を吐く。
「……ありがとう」
その声は、廊下を満たす無数の足音にあっけなく飲まれた。
◇
三人は、磨き上げられた階段を踏みしめ、二階へと上がった。
階段の先は正面と右手に廊下が分かれている。構造は一階とほとんど変わらず、外側の壁には大きな窓が並び、内側の壁には扉が等間隔に据えられている。右手最初の扉の上部には《E棟 第七教室》と掲げられていた。
「こっちだな」
レイサが右へ身体を向け、再び歩き出す。それにアイカとハナネも黙ってついていく。
第七教室、第八教室と通り過ぎ、やがて第九教室――今日潜入する教室の前に辿り着いた。
「私、開けたい!」
アイカが元気よく片手を挙げ、歩く勢いのまま二人に振り返った。
「緊張感ないなぁ」
レイサは小さく笑い、一歩二歩と後ろへ下がって扉を譲る。
「ありがとう、レイサ!」
軽く礼を言い、アイカは前へ出る。取っ手に手をかけ、慎重に押し開けた。
鈍い音とともに、教室の内部が姿を現す。
「……なにこれ」
思わずアイカが息をもらした。
室内は廊下と同じく窓が並び、仕切りがあっても圧迫感はない。三人と荷物が置けそうな長机と、背もたれのついた長椅子が縦横三列ずつ整然と並んでいる。前方にはやや高い位置に、一人か二人で使えるほどの机と椅子。そして、その奥の壁には緑がかった大きな板が取り付けられていた。
教室内では、生徒が席に腰を下ろして教本を読んだり、立ったまま友人と談笑したりしている。
「学びの間は、机があって床に座るだけだったけど……すげぇ、ちゃんとしてるな」
レイサが感嘆混じりに呟く。
(私の通ってた場所とは、少し違うのね……)
ハナネも室内を一巡して眺め、胸の内でつぶやいた。
「あの子たち誰……? すごい髪色」
「さぁ……見たことないし、編入生なんじゃない?」
何人かの生徒の視線が、三人に向けられる。
そのとき――
カーン、カーン――
外から響く鐘の音が、教室全体を包み込んだ。
「皆さん、席についてください。授業を始めます」
「うわっ……びっくりした!」
不意に背後から声がして、アイカは小さく跳ねるように振り返った。そこには、教本と紙束を片手に、小さな箱をもう一方の腕に抱えたトライが立っていた。冷ややかな視線が、上から下まで彼女たちを値踏みするようになぞる。
「これは授業で使う教本です。当面は三人で一つを使いなさい。――あなたたちは、あそこの席を」
ハナネへ教本と紙束を渡し、近くの机を指差すと、トライは何事もなかったように箱を抱えたまま前方へ歩いて行った。
その声を合図に、生徒たちは速やかに着席していく。三人もそれに倣い、指定された席へ腰を下ろした。廊下側からハナネ、アイカ、レイサの順だ。
(この中に……子攫いをしている子がいるんだ)
アイカの視線が、ゆっくりと教室を一巡する。笑っている顔、うつむく顔、無表情な横顔――その中の誰かが、真実を隠している。
胸の奥に小さな棘が刺さったまま、鐘の余韻だけが耳に残っていた。
神血の英雄伝 第四九話
読んでいただきありがとうございました。
次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა




