第四準備室
アイカたちは央棟へ足を踏み入れた。
「なんか、ここら辺は他とあんまり変わらないね」
ぽつりとアイカがつぶやく。
正面にあったのは、大きな受付と、左右に分かれた廊下。受付は、先ほど訪れたリュスカ堂によく似ている。周囲には腰掛け用の椅子や室内の案内板、そして受付の脇には階段が伸びていた。
「でも……でかいな」
レイサが感心したようにあたりを見回す。
そんな二人をよそに、ハナネはすっと案内板の前に立ち、第四準備室を探しはじめた。
(第四準備室は……)
指先で案内図をなぞりながら、目を細める。
「うわぁ、色んな部屋がある」
後ろから覗き込んだアイカが、目を輝かせて声を上げた。
「図書室に自習室……あと、講堂ってなんだ?」
レイサも横から口を挟む。
(……うるさい)
背後から響く声を聞き流しながら、ハナネは視線を走らせる。
数分もしないうちに、彼女が一番に見つけた。
「ここね」
淡々と呟きながら、指先で案内板の一角を示す。
「一階、左の突き当たり……か」
レイサが頷く。
「じゃあ行こう!」
「アイカ待てって……!」
アイカが勢いよく歩き出し、レイサが慌てて追いかける。その少し後ろを、ハナネが静かに続いた。
左の廊下に入ると、右手側には扉が並び、上部の板には「第一準備室」「第二準備室」と番号が刻まれている。茶色い扉は、白い壁とよく馴染んでいた。
「あ、あれじゃない?」
前方を見たアイカが指をさす。突き当たりの一つ前の部屋――そこには「第四準備室」の文字があった。
「ここにネシュカ先輩の知り合いがいるんだよな……」
レイサは扉の向こうを凝視し、わずかに息を呑んだ。肩がほんの少し上がっているのは、緊張の証だ。
「……だね」
アイカも静かに応じる。ハナネは言葉を発さず、呼吸を整えた。
「開けるよ」
決意を帯びた声とともに、アイカの手がドアノブへ伸びる――。
「待て」
「待ちなさい」
二人の声が重なり、その手首を押さえた。
「え、どうして?」
「開ける前に叩く。……イナトさんに習っただろ」
レイサの短い言葉に、アイカははっとした表情を見せる。
「あ……そうだった」
「学んだことを、忘れないで」
ハナネの呆れを含む吐息に、アイカは苦笑を返した。
姿勢を正し、扉を三度叩く。
トン、トン、トン――。
澄んだ木の響きが廊下に広がる。
「どうぞ」
中から、低く落ち着いた男の声が返ってきた。
「失礼します」
アイカが扉を押し開ける。磨かれた蝶番が鈍く鳴った。
正面の大窓から差し込む光が、室内を満たしている。
三人は思わず目を細めた。
「いらっしゃい」
声の方へ目を向けると、黒髪の長身の男が立っていた。
額から流れる前髪は片目と頬を覆い、整った後ろ髪が肩へと沿う。
「君たちが、ネシュカちゃんの後輩たち?」
静謐な声。陽を受けた黒い瞳が、わずかに光を含む。
「はい。そうです」
レイサが即答する。
「そうか……初めまして。私はトライ・ルニマ。この学院の教員だ」
「……ルニマ?」
その名に、ハナネの眉がわずかに動いた。
「ああ。一応だが、私はネシュカちゃんの叔父にあたる」
その口調には、淡い不快の色が混じっていた。
(一応……? 仲が良いわけではないのかな)
アイカは胸の内で、静かに呟いた。
三人は、じっとトライを見つめた。
その視線は揺らぐことなく、ただ真っ直ぐに。
「まずは、これが君たちの学生証。先に渡しておくよ」
トライは歩みを緩め、三人の前に立つ。白衣の衣袋から三つ、薄く透き通る入れ物を取り出した。中には、名前や生年月日に選択授業が記された厚手の紙が収まっている。
「学生証ってなんですか……?」
紙面にざっと目を通したレイサが、首を傾げる。アイカも、不思議そうにそれを見つめていた。
「そんなことも分からないのか」
低く呟く声。三人に届かぬはずのその一言に、耳の良いレイサの肩がわずかに揺れた。
「名前の通り。ここの学生であることを証明する物だよ。ネシュカちゃんの要望で三人は、アダムスくんと同じ生物学の授業を受けることになっている」
やや呆れた調子で答えるトライ。
「……ありがとうございます」
レイサは小さく礼を言ったが、その声音には棘が混じっていた。
「――あれ? 家名が変わってる。……カロエル?」
学生証を眺めていたアイカが、ぽつりと声を漏らす。
「本当だ……俺は“ハーリム”になってる」
レイサも視線を落とし、眉をひそめた。
「ハナネは……変わってないね」
アイカが隣の学生証を覗き込む。
「カコエラとハリスという家名は、知っている者も多い。だから偽造しておいた」
トライは淡々と三人に告げる。
「では、簡単に学院の説明をしようか」
そう言って片手を軽く上げた。
「学院にいる人間は大きく分けて四つ。ひとつは君たちのような生徒。ふたつは教員、私の立場だ。みっつは協力してくれている学者。そして最後は事務員」
一本ずつ指を立て、説明が続く。
「生徒は制服を、教員は白衣を、学者は赤い紐の学者証を、事務員は青い紐の事務員証を身につけている。これで見分けること」
そして、表情をわずかに引き締めた。
「前課と後課の生徒は、お互いの校舎に許可なく入ってはいけない。入るなら三日前から申請が必要。……さっき君たちも通った受付でできる」
「前課と後課の違いは?」
ハナネがトライに目線を向けながらすっと手を上げる。
「前課は初等部と中等部、後課は高等部と大等部だ。君たちは高等部一年の編入予定だから後課に属する。観察塔や飼育園も、入りたければ同様に申請が必要」
淡々と告げた後、さらに指示を重ねる。
「央棟は誰でも出入り可能だが、学生証を提示する必要がある場所が存在する。君たちは再発行ができない。くれぐれも無くさないように」
(げっ……無くさないかな)
トライの言葉に、アイカがわずかに肩をすくめる。
「遅刻や成績不振、生活態度の乱れも監視対象なのでそこは学院の生徒として振る舞うこと」
その瞬間、レイサとハナネの視線が揃ってアイカへ向いた。
「……はい」
自信なさげな返事。
「十六の刻からは、前課と後課の校舎は立入禁止。十九の刻からは央棟や植物園も」
「十六の刻……十九の刻?」
「夕刻の始まりと宵刻の始まり」
ハナネがさらりと答える。
「あ、そうなんだ! ありがとう!」
笑顔の礼に、ハナネはぷいっと顔を背けた。
「……説明は以上。宿泊は寮の隣にある来客室を使いなさい。第一室の鍵を渡す。武器もなるべくそこに置くように」
反対の衣袋から銀色の鍵が差し出される。
「誰が持つ?」
アイカが視線を巡らせる。
「管理が得意そうなのは……ハナネだな」
レイサが言えば、「うん、確かに」とアイカも大きく頷く。
「……アイカに任せるよりはまだ良いわね」
「え!?」
「だな!」
「ちょっと!」
レイサとハナネの声が揃い、アイカの抗議が重なった。
◇
三人は第一室に荷物と武器を置いた。部屋は簡素で、ベッドが三つと机、揺灯がひとつだけ。
「今日はもう後課には入れない。明日は九の刻までにE棟の第九教室へ来るように」
それだけ告げると、トライは央棟へと戻っていった。
「九の刻って……?」
「市刻の始まり」
ハナネは冷ややかに答え、奥のベッドに腰を下ろす。
「明日どうするか、少し話そうぜ」
レイサも腰を下ろし、視線を巡らせる。
「まず授業でリイト・アダムスの顔を覚える。その後、どう接触するか」
「私が話しかけに行こうか?」
「どんな子かも分からないのに、いきなりは危険よ」
アイカの明るい口調とは反対にハナネの冷たい一言が部屋に伝う。
「二日ぐらいは様子を見て、それぞれ役割を決める。そしたら、レイサか私が接近する。残りとアイカは裏で情報を集める」
「私は接触ダメなの?」
「バレずに聞き出せるならいいけど」
「……難しいかも」
ハナネの言葉にアイカは少し考え込み答えた。
短いやり取りの後、レイサが息を吐いた。
「とりあえず明日は様子見だな」
そして手を打つ。
「今日は休もう。明日に備えてな」
「うん!」
笑顔で返すアイカを、ハナネは静かに見つめた。
少しずつだが、二人の表情に元の明るさが戻りつつある。
(……大丈夫そうね)
外は夕焼けの色を帯び、窓辺に影が寄り添っていた。
明日、どんな一日が待つのかは分からない。
ただ三人は、それぞれの胸に思いをしまい込み、静かに夜を迎えた。
神血の英雄伝 第四八話
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