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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
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味の消えた一口

 ネシュカと無事に合流した六人は、リュスカ堂の前を離れ、ゆるやかな朝を過ぎた通りを歩き出した。


「何か持ちますか?」


 アオイがちらりと横目でネシュカの手元をうかがいながら声をかける。ネシュカは私物と思しき鞄のほかに、そこそこ大きな紙袋を一つ、両手で抱えていた。


「ありがとう。でも大丈夫よ」


 ネシュカはそっと首を振って答えた。歩みは遅くとも姿勢は崩さず、どこか人目を気にするような様子があった。


「そうですか……これからどこへいくんですか?」


 アオイの問いに、ネシュカは、唇を開いた。


「まずは、何か食べたいの。それから、少し話をするわ」

「……何か、ですか」


 アオイは小さく肩をすくめるように返した。


「なんで会ってすぐに食いもんなんや……」


 セイスがネシュカに聞こえないように背後でぼそりとつぶやいた声は、当のネシュカにはしっかりと聞こえていたらしい。


「私、昨日から食べてないの。文句ある?」


 小さく睨むようにして、ネシュカがぴしゃりと言い返す。その声音には、どこか苛立ちというより、空腹を堪えていた名残のような気配があった。


「誰も悪いなんて言うとりません」


 セイスはそう言い、ほんの少しだけ冷や汗をにじませていた。


(セイスが負けてる……)


 その様子を見ていたアイカは、内心でつぶやく。レイサもハナネも、同じことを思っていた。





 六人は、通り沿いにひっそりと佇む小さな茶店へと足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」


 迎えてくれたのは、年配の男性だった。皺の刻まれた口元には柔らかな笑みが浮かび、店内には落ち着いた空気が漂っている。


 室内には簡素ながら清潔な木製の机と椅子が並び、椅子の上には厚手の布が丁寧に敷かれていた。ナサ村の炊処に似た佇まいではあるが、それよりも少しだけ気品と静けさがあった。


 他の客の姿はなく、聞こえるのは扉の閉まる音と、彼らの足音だけだった。


「奥の席、使わせてもらってもいいかしら?」

「はい、もちろんでございます」


 ネシュカが声をかけると、店主は慣れた様子で頷いた。そのやり取りを見て、アイカがそっとネシュカに尋ねる。


「こんなところで話しても大丈夫なの?」


 ネシュカは一拍置いてから、ぽつりと答えた。


「……ここは、タイガ村長のお気に入りの店。口が堅いことで知られているし、この時間帯は人の入りもほとんどないのよ」


 それを聞いたアイカは、小さく頷いた。


 六人は、ネシュカに続いて店の最奥にある席へ向かった。壁に面した隅の席には、少し大きめの長卓と六脚の椅子が並んでいる。


 壁側にセイス、アオイ、ネシュカ。対面にはハナネ、レイサ、アイカが座る形で腰を下ろすと、ネシュカが口を開いた。


「これから任務の詳細を話すけれど……アオイ、セイス。あなたたちはどこまで聞いてるの?」


「ネシュカ先輩と合流し、任務の補佐にあたること――それだけです」


 アオイが淡々と答えると、セイスも目を逸らしながら小さく頷いた。


「……同じく、ですわ」

「私たちも同じだよ!」


 すかさずアイカが元気よく返す。その瞬間、ネシュカの視線がわずかに鋭くなる。


「アイカ……」

「いいの、アオイ。私が言うわ」


 アオイが何か言いかけるが、ネシュカが制するように言った。

ネシュカは椅子越しにアイカを見つめ、静かに問いかけた。


「あなた……アイカ、で合ってるかしら?」

「うん、そうだよ!」


アイカはいつもの調子で、明るく返した。


だが――。


「私は今、アオイとセイスに話しかけていたの。それはそれとして……さっきから敬語を使わずに話してもいいなんて、私は一度も許可していないわ」


その声音に怒気はない。だが冷たさの滲む、静かな釘刺しだった。


「あ、えっと……」


 アイカが言葉を探すように口ごもると、ネシュカは容赦なく続けた。


「アオイやセイス、イオリやイナトさんたちは、それでも良かったのかもしれない。でも、私は違う」


 声の調子は穏やかだが、その言葉には一切の逃げ場がなかった。


「簡単な礼儀作法ぐらい、もう学んでいるはずよね? それすら守れない子に任務は任せられない」


 アイカは身じろぎもしないまま、肩をすくめる。


「……ごめんなさい」

「“ごめんなさい”じゃなくて?」


 しおらしく謝ると、ネシュカの返しは即座だった。


「……すみませんでした。気をつけます」


 ようやく正した謝罪の言葉に、ネシュカはふっと口元を緩めた。


「分かればいいの。場と相手に気を配ってくれれば、別に私に敬語を使う必要はないわ。でも、最初からそういう態度で来られるのは、正直あまりいい気分はしないの」

「……はい」


 しょんぼりと俯いたアイカを見て、ネシュカは小さく笑った。その表情は、まるで叱った後の子どもを宥める母のようだった。


「さて。先に何か頼みましょうか。セイス、呼び鈴を鳴らしてくれる?」


 セイスは無言のまま頷き、手元にあった小さな鈴を鳴らした。


 チリン、チリン――。


 澄んだ音が、静寂な店内に小さく響いた。


「ご注文をお伺いいたします」


 しばらくして、店主が再び近づいてくる。


「ロマナの大タルネアを一つ。それと、小皿を六つお願い」

「かしこまりました」


 店主の姿が奥に消えると、ネシュカは静かに皆を見渡した。空気はわずかに和らいだものの、任務を前にした緊張感は、まだ席に染みついていた。


 やがて、注文していた品が盆に載せられて運ばれてくる。先ほどの男性が両手で慎重に盆を持ち、足音も静かに近づいてきた。


「こちら、ロマナの大タルネアでございます」


 そう言って、男は中央に大皿を据え、小皿を三つずつに分けて配ると、突き匙と小さな切り刀、水の入ったガラス杯をそれぞれの前に丁寧に並べていった。


「それでは、ごゆっくりお召し上がりください」


 一礼したのち、男はその場を離れていく。


「……美味しそう!」


 目の前に置かれた料理に、アイカはぱっと顔を輝かせた。さっきまでの落ち込みはどこへ行ったのか、声の調子まで明るくなっている。


「タルネアって、このロマナ実の下にあるやつのことか?」


 レイサが興味深そうに覗き込んだ。


 大皿の上には、薄い茶色の丸い生地が敷かれており、その上にロマナ実と、泡のように白くふわりとした何かが点在している。香ばしさとほのかな甘さが混ざり合った匂いが、鼻先をくすぐった。


「俺が取り分けます」


 アオイはそう言うと、そっとタルネアの下へ金属製の箆を差し込んだ。切れ目があらかじめ六つに入っていたようで、想像よりも簡単に取り分けられる。


 それぞれの皿にロマナ実の乗った一切れが配られ、突き匙と切り刀も一緒に添えられた。


「食べていい……ですか!?」


 アイカは、まるで主の帰りを待ちわびる仔犬のような目でネシュカを見上げた。


「ええ、どうぞ。……あと敬語もやめていいわよ」


ネシュカは微笑んで言った。


「うんっ!……でも、どうやって食べるの?」


 嬉しそうに返事をしたアイカだったが、手に取った突き匙を見つめながら首を傾げた。


「突き匙で食べるのか? でも、でかくないか?」


 レイサも首をひねっている。


「これはね、突き匙で押さえて、切り刀で一口大に切ってから食べるのよ。……ほら、ハナネみたいに」


 ネシュカの言葉に、三人の視線が自然とハナネに向かう。


 ハナネは、右手に切り刀を、左手に突き匙を持ち、落ち着いた手つきでタルネアに切れ目を入れていた。無駄のない動きで、生地を崩すことなく切り分けていく。その所作には、どこか華やかで品のある美しさがあった。


「おぉ〜」

「おぉ〜」


 アイカとレイサが、ほぼ同時に感嘆の声を漏らす。


「……なに」


 その視線に気づいたハナネは、ちらりと横目を向けて冷たく呟いた。


 ふと周囲を見ると、ネシュカも丁寧にナイフを使って食べていた。セイスも手順を崩すことなく、黙々と口へ運んでいる。普段の粗雑さはどこへやら、意外なほど所作が整っていた。


 アオイだけは苦戦しているようで、一度切ったタルネアがぱたんと倒れ、それを元に戻そうとして右往左往していた。


 アイカとレイサも周囲を見渡しながら、見よう見まねでタルネアに切れ目を入れた。


「ま、待って、これ……倒れそう……!」

「けっこう、むずかしいな……」


 ふたりはぐらつくタルネアを慌てて支えながら、なんとか一口分をすくって口に運んだ。


「……うまい……!」


 アイカの頬がふわりと緩む。口の中でロマナのやさしい甘みと、タルネアのさっくりとした生地が溶けあい、思わず笑みがこぼれた。


「サユにも食べさせたいな」


 口の中で広がるほのかな甘みに、レイサはそっと目を細めた。ふと思い浮かべた顔に、胸の奥がじんわりと熱くなる。



 ネシュカは一拍の沈黙のあと、任務について語りはじめた。


「リグラムでは今子攫いが起きてるの。それを守攻機関(クガミ)で解決してほしいとある名家からタイガ村長に依頼が来て私が担当をすることになったの」


「子攫い……ですか」


 アオイが低く、呟くように言った。


「チッ……ほんま、こういうときだけ人任せか。さすがやな」


 セイスが舌打ち混じりに吐き捨てた。口調には苛立ちが滲んでいる。


「まぁ、立場を危うくするようなことには関わりたくないんでしょうね。……攫われた子どもたちには共通点がある。みんな《トラーナ街》に住んでいた子よ」


 ネシュカが言い終えると、レイサが小さく手を上げた。


「あの……《トラーナ街》って?」


(……ラゴンのおじさんも、言ってた)


 レイサの問いに、アイカの脳裏にはラゴンで聞いた言葉がよぎっていた。


「トラーナ街は、貧困層や身寄りのない子どもたちが集まっている場所。……誰も気にしないとでも思ったんでしょうね。だから、攫われても表沙汰にならない」


 ネシュカの言葉に、場の空気がひやりと冷える。


「子攫いにあった子は……どうなるの?」


 アイカが、目を伏せるようにしながら問うた。


「――違法な仲介屋を通じて、その子を欲しがる者に“人生を買われる”」


 その言葉を聞いた瞬間、アイカとレイサの顔から血の気が引いた。

 ハナネも、ほんのわずかに目を細める。


 ナサ村では、人が“売られる”なんてことはあり得なかった。それが“現実”だと言われても、すぐには飲み込めない。


「……人を買うなんて……そんなの、ありえない……」


 アイカはぽつりとつぶやき、視線を落とした。


 ネシュカは、その様子を見て肩をすくめるように口を開いた。


「ナサ村にないだけで……リグラムやノルヴェエルでは、普通に行われていることよ」

「えっ……?」


 思わず顔を上げたアイカに、ネシュカはさらに続ける。


「本来は“人渡し”と言って、金銭や借金との引き換えに――ときには自らを“価値”として差し出す。……それを仲介屋が請け負う。ただ、今回の子攫いは“交換の手続きを無視して”、勝手に連れ去ってるってだけの話」


 淡々と語られる現実に、アイカも、レイサも、ハナネも――言葉を失う。


「……だったら、攫われた子たちだけじゃなくて、他の子も助けようよ!!」


 アイカが声を張り上げた。けれど――


「無理よ」


ネシュカの返答は、冷たくも鋭かった。


「なんで!?」


 すかさず返すアイカの声に、ネシュカは目を細めて言った。


「それは……リグラムでは正式に“認められてる取引”なのよ。……他の地域のやり方に、よほどの理由がない限り介入はできない。私たちが動けるのは、“子攫い”という違法行為――それを行っている仲介屋の捕縛と、その子どもたちの保護だけ」

「そんなのって……!」


 アイカはふいにアオイとセイスの方へと視線を向けた。

 アオイは言葉を飲み込んだまま、わずかに目を伏せ、セイスは苛立ちを隠そうともせず、視線をそらしていた。


「話の続きは、食べ終わってからにしましょう。少し、気持ちを整理する時間も必要だしね」


 ネシュカが、三人の顔を静かに見やってそう言った。


 誰も反論せず、六人は再び手元のタルネアに向き直る。

 タルネアを切る音だけが、静かに響いた。

 誰も、次の言葉を探せずにいた。

 さっきまで感じていた香ばしい匂いも、どこか遠くに思える。


 アイカはうつむき加減で、タルネアを一口食べる。

 ――なのに、あんなに美味しかったはずの味が、まるでわからない。

 広がったのは、ただのぬくもりと、虚しさだけだった。


神血(イコル)の英雄伝 第四四話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა

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