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神血の英雄伝  作者: 三坂 恋
第一章 守攻機関
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弱さという名の傷跡

 その後、アイカは糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。


 恐怖と安堵――両極の感情が一気に押し寄せ、喉の奥で交じり合う。


「お姉ちゃん…」


 その姿を見たトワはアイカの名前を呼び、アイカの背中に手を添える。

 透羽の小さな手は震えていた。声にも、心配とサクヤ・クオネへの恐怖が色濃く残っていた。

 トワは言葉を探しかけたが、口を開くことはできなかった。

 初めて見る姉の顔――そのこわばった横顔が、まるで今にも砕けそうに見えたからだ。

 何を言っても、きっと傷つけてしまう。そんな予感だけが、胸に重くのしかかっていた。


 やがて、重苦しい時間が五分ほど流れた。



――そのときだった。



「……なんでここにいるんだ」


 北側から、低くしわがれた声が響く。


 北側から現れた男は、まるで獣のような足音で駆け寄ってきた。

 三十代ほどの男だった。鋭い目つきと、兵士のように研ぎ澄まされた筋肉を持つその男は、どこか愛叶に似た空気を纏っていた。

 濁った銀の刈り上げ髪は、よく見ると霞んだような灰茶をしている。


 男は素早く足を止めると、そのまま膝をつき、二人と視線を合わせた。

 怒り、焦燥、そして滲むような不安が、その低く掠れた声に混じる。


「どうしてまだここにいる……! イロハからは、お前たちはとっくに避難したって……!」


 叫ぶような声。だが、その裏にあったのは、紛れもなく

「父」としての焦りだった。


 男は二人の父であるイヅキだった。


 守政機関(クガミ)第一部隊の兵だ。

 おそらく、途中で様子を見に戻ってきたのだろう。

 

 だが、そこで目にしたのは


「……アイカ」


 イヅキは愛娘の名を呼んだ。だが、その声は強くも厳しくもなかった。イヅキの目の前にいるのは、もう、"いつもの"アイカではなかった。

 朝に見たはずの、無邪気で、何にでも手を伸ばしていた少女は、どこにもいなかった。


 目は開いているのに、何も見ていない。

 耳は聞いているのに、何も届いていない。

 呼吸だけが、まだ体に命を繋ぎ止めていた。

 泣き叫ぶことも、怒ることも、できなかった。


 イヅキは、言葉を失った。


 愛娘から、こんな顔を見せられる日が来るとは

思ってもみなかった。

 鋭いはずの目が揺れ、唇が、無意識に強く結ばれる。


 ……今、かけるべき言葉が見つからない。


 深く息を吸うと、感情を押し殺したように冷静な口調へと変わる。


「……話は後だ。今は、避難することが最優先だ」


 そう言って、イヅキは二人を片腕ずつ抱き上げた。

その腕には、戦場を駆ける兵士としての強さと、父親 としての必死さが混じっていた。


 呻き声が響く崩壊の村を背にして、三人は夜の川辺へと駆け出した。





 東側の川辺に三人はようやく辿り着いた。


 このあたりには、守政機関の施設があるため、他の避難所に比べて物資がやや充実している。

 そのため、東側は子どもや老人といった、避難が困難な村人が優先的に集められている。


 だが、その空気に安堵はなかった。

 ただ、張り詰めた沈黙と、不安だけが、じっとりと肌にまとわりついていた。


 イヅキも、トワも、アイカに何度か声をかけてくれた。

 だが、その言葉はどこか遠くで響いているようで、ほとんど耳に届かなかった。


 かろうじて覚えているのは「北側の避難所でレイサが瀕死の状態で運ばれたらしい」

という会話だけだった。


 避難所の子どもスペースでは、泣いている声が絶え間なく響いていた。


 両親とはぐれた子ども。

 空腹に耐えきれず、うずくまる幼い声。

 何が起きたのかもわからず、ただ呆然と座り込んでいる小さな背中たち。


 薄い毛布に包まりながら、アイカはサクヤ・クオネが残した言葉を、何度も何度も思い返していた。


 サクヤ・クオネの言うとおり。

 あの時、怖くて動かなかった。

 "いつか誰かを助けられるように"なんて綺麗事を考 えておきながら、結局は自分が傷つくのが怖くて

 あの子に手を伸ばさなかった。


──助けられたはずだったのに。

──手が届いたはずだったのに。


 自分は強い人間だと思っていた。錯覚だった。

 惨めで、臆病で、無力で、どうしようもないくら  い、弱いだけの人間だった。


 アイカは、毛布をかぶったまま、そっと泣いた。

 暗がりの中、喉の奥で詰まった嗚咽が、ゆっくりと胸を焼いた。

 毛布の中で、濡れた呼吸だけが震えていた。


 何をしても、もう遅い。

 時間は戻らない。

 あの女の子は、二度と、助けられない。


 それでも。

 それでも――


(……強くなりたい)


 苦し紛れのその願いは、祈りですらなかった。

光なんてどこにもない。


 ただ、血まみれの悔しさと、剥き出しの自責の中から零れた、


 ひとつの、呻きに近い願望だった。

神血の英雄伝(イコルの英雄伝)第四話

読んでいただきありがとうございました!


短めですが、書き終わりました。゜(゜ ◜ᴗ◝゜)゜。


暑くなってきましたね!私の家では扇風機を使い始めました!


次回も読んでいただけると嬉しいです(՞ . .՞)︎

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