リズムレイ苑
「……暑い……」
幽刻も終わりかけた頃、むん、とした湿気がまとわりつく。レイサは蒸し暑さに目を覚ました。
(は……?)
思わず顔を上げて見やれば、アイカとハナネ、二人とも気持ちよさそうに寝息を立てている。
レイサの腕にぎゅっとしがみつき、離れる気配もない。
「……マジかよ……」
頭をもたげて左右を見やった彼は、がくりと項垂れた。
アイカは普段、隣に入り込んでくるチタと寝ることが多い。ハナネも末っ子の双子に囲まれて眠る癖がある。
……たぶん、寝ぼけて間違えたんだろう。無意識で人肌を探して。
レイサの腕には、左右でまるで違う手触りがある。
右はふわふわ軽く、左は──妙に弾力があって、ずしりと温かい。
そこへ追い打ちのように、アイカの脚がひざに絡み、ハナネの額が胸もとへすり寄ってきた。
(……お、おいおい……)
両側からぐいぐい押し寄せる体温とやわらかさ。
まるで柔らかな餅皮に挟まれたあんこの気分だ。もはやレイサは天井を見つめるしかない。
──年ごろの男子なら、いろいろと想像がふくらんでもおかしくない場面。
だが――
(……嬉しくねぇ……)
レイサにそんな気は微塵もなかった。
彼の心を占めるのはただ一人、妹のサユだけである。
この世で一番可愛いのは誰かと問われれば、迷いなく「サユ」と答えるだろう。
サユためならどんな願いも叶えたいし、変な虫が寄ってこようものなら即座に排除する──もちろん、物理的な意味ではない。
だからといって、いま両腕に感じているこの“女の子たち”を放り出せるわけでもなく──
(……頼むから、どいてくれ……)
密かな願いを胸に、レイサは肩を沈めると、再び目を閉じた。
◇◇◇
チュン、チュン……
窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。
アイカはその音にまぶたをひらいた。
「ん……朝……?」
寝起きの声でつぶやきながら、もぞりと身体を起こす。
伸びをひとつしてから隣に目を向けると、レイサとハナネはまだ夢の中だった。
ハナネは背を向けて丸くなり、レイサは仰向けのまま──なぜか、ひどく疲れた顔をしている。
(……寝苦しかったのかな)
そんなことを思いながら、視線を向けた先で声がした。
「起きたのか」
前方の机に腰かけたアオイが、紙を手にしてこちらを見ていた。
どうやら、ネシュカとの合流について記された案内紙のようだ。
アイカたちの隣にあるもう一つベッドでは、セイスがまだ深く眠っている。
「あれ、ちょっと早く起きすぎたかも……」
ぽつりとこぼすと、アオイは淡々と答えた。
「今は明刻の終わり頃だ。もう少し眠っていてもいいぞ。起こす」
「んー……でも、もう目が覚めちゃったし」
そう言って、アイカは寝台から立ち上がると薄手の上衣に手をかけーー
「……アイカは、もう少し慎みを覚えたほうがいい」
「……えっ?」
アオイは目を伏せると、わずかに顔を背けながら言った。
その声にアイカは動きを止める。
アオイの表情は変わらない。恥じらいも苛立ちもなく、ただ淡々とした口ぶりだった。
◇
「……今、何刻ですか?」
アイカが目を覚ましてからおよそ一時間。
ようやくハナネがむくりと上体を起こし、足をベッドの端に下ろした。
「朝刻の前半だな」
アオイが、変わらぬ静かな調子で答える。
(なら、七刻くらい……)
アオイの返事を聞いて、ハナネは心の中でそう当たりをつけた。
最近では、ナサ村の時間の感覚にも、だんだん慣れてきた。
「もう、朝なんですね……」
ハナネに遅れること少し、レイサもベッドの上で上半身を起こす。
「そろそろ支度しておけ」
アオイはそう言いながら椅子を離れ、まだ眠ったままのセイスのベッドへと歩を進めた。
「レイシャとハニャネぇ、起ぎたー」
洗面場へ向かっていたアイカが、かしゃかしゃと歯刷子を鳴らしながら、ふり返って二人に声をかける。 口元がもごもごしていて、言葉がややたどたどしい。
「喋るのは、磨き終わってからにしろって」
レイサが笑いながら、洗面場に向かうアイカの背中を見送る。
「セイス、そろそろ起きろ」
アオイはベッドに近づくと、眠ったままのセイスを見下ろして声をかけた。
だが、返事はない。
「セイスさん、全然起きませんね……」
近くで歯を磨きに行こうと立ち上がったレイサが、困ったように言う。
「んじゃあ、わたしが起こす!」
元気よくそう言ったアイカが、歯磨きを終えて戻ってくると、勢いよくセイスのベッドへ駆け寄り──
ドン、と音を立てて飛び乗った。
「……」
ゆっくりと、重たい低音で、セイスが目を覚ます。
ギロリ、と飛び乗ってきた方向をにらみつけた。
「お前……自分が何しとんのかわかっとるか……?」
「セイスを起こしてる!」
セイスとは対照的に、アイカは明るく答える。
「……ちょうどええわ。その態度、叩き直したる」
そう言って、セイスはごつい手でアイカの頭をつかみにかかった──
が、その手をアオイが静かに押さえた。
「後輩にむきになりすぎだ」
アオイは落ち着いた声で言い、視線を逸らさずにセイスを見つめる。
「離せや」
セイスはアオイを鋭くにらみつける。
ふたりの間に、張りつめた空気が流れる。
「ネシュカ先輩との待ち合わせに、遅れるぞ」
アオイはにらみ返すことなく、腕を離さずに言った。
「……チッ」
セイスは舌打ちひとつ。
アオイの手を振り払うと、アイカを空いているベッドの方へ片手で押しやり、のそりと立ち上がった。
「いたた……」
アイカはベッドの上で頭を押さえながら、小さくうめいた。
◇
朝刻の半ば。
窓の外では、淡く霞んだ光が街の屋根を撫でていた。部屋の中では、五人それぞれが支度を整え終え、最後の確認をするように立っていた。
「よっし……がんばる!」
アイカがぱんっと両手で顔を合わせるように拳を作り、声を上げた。背すじを伸ばして小さく肩を揺らす様子からは、緊張と期待がないまぜになった気持ちがにじんでいた。
その横で、ハナネがそっと声を落とす。
「最後にお手洗いだけ、行ってきます」
「分かった」
アオイは小さく頷くだけで答えた。ハナネはそのまま、音を立てぬように足を運び、の先に消えていく。
「二人も、行っておいた方がいいぞ」
アオイが振り向き、アイカとレイサに声をかけた。
「さっき行ったから大丈夫ー!」
「俺も平気です」
ふたりは揃って元気よく返す。言葉の通り、どちらも不安の色はない。アオイは彼らの様子に目を細めて、静かに納得を返した。
そのやり取りを、少し離れた場所からじっと見ていたのはセイスだった。表情はいつも通り無愛想だが、眉間には皺もなく、怖いほど落ち着いた風にも見える。
やがて足音が近づき、ハナネが「戻りました」と小さく告げる。
その声を聞いたアオイは振り返り、扉へと手を伸ばした。
がちゃり、と金具の音が響く。扉がゆっくりと開くと、暖かい外気が一筋、部屋の中に流れ込んできた。
五人は順に扉をくぐり、廊下へと歩を進める。アオイ、アイカ、レイサ、セイス、そして最後にハナネ。誰の足取りも、すでに一日のはじまりに向けた覚悟を含んでいた。
階段を降りる途中、アイカがぽんと声をあげた。
「それにしても、ここの……あれ、ベッド? すっごく寝やすかったよね!」
思い出したように笑いながら、アイカはレイサの方を振り返る。
「だよな! いつも床で寝て、起きたら身体中
が痛くなってるんだよな」
レイサもにかっと笑って返す。
ふたりの会話にハナネはそっと目を向け、セイスは何も言わないが、その背はどこかやわらかく見える。
階下の奥から、木の台に身を預けていた宿の女性が顔をのぞかせた。
「もう出るのかい?」
アオイが女性に向き直り、静かに頭を下げる。
「はい。お世話になりました」
「またいつでもおいで」
優しく告げられた言葉に、アイカがぱっと顔を 上げる。
「うん! 絶対また来る!」
女主人は微笑んだまま、朝の光の中に消えてゆく五人の背を、そっと目で追い続けていた。
◇
五人が宿を出ると、自然とアオイが先頭に立ち、手にした紙と周囲とを交互に見比べながら歩き出した。
朝刻の空気は少しだけひんやりと澄んでいて、通りにはぽつぽつと人影がある。洗濯物を干す女性、歩いていく男たち――見たところ、二十代から三十代くらいの大人が多い。多分、これから仕事に向かうのだろう。
中には、小走りで通りを駆け抜けていく者もいた。
また、片手に何か丸い金属のような物を持ち、それをじっと見つめながら歩く人の姿もあった。
それには長い鎖のようなものがついていて、服の中に仕舞うような仕草をしている。
(……なに、あの丸いの)
アイカはその人物の手元を目で追いながら、目を細めた。
「ここからリュスカ堂は……あっちだな」
紙を折り畳むと、アオイが宿の前から歩き出す。
「リュスカ堂ってとこで合流するの? どんな場所?」
興味をそそられたように、アイカがアオイの背中に声をかけた。
「リュカス堂は、リズムレイ苑にある書物や資料を集めた場所で、知の宝庫とも呼ばれている」
歩きながら、アオイは淡々と説明する。
「リズムレイ苑ってなんですか?」
今度はアイカの隣を歩くレイサが口を開いた。
「メルグロアの西側にある一帯のことだ。研究所や学院が集まってる」
「学院……?」
アイカがきょとんと顔を傾げるとアオイが再び口を開いた。
「学び舎に似ている教えを学ぶ場所だが、基本的なこと以外に制作の技術や人の精神心理についてとか学び舎よりも色んなことを学べるらしい」
「えぇぇ!なにそれ!早く見たい!急ごう!」
アイカ後ろからアオイの制服を軽く掴み揺らした。
「道を確認しながらだからこれ以上は急げない」
アオイは平然と歩きなら言う。
そんな三人の後ろでセイスとハナネはうるさいとでも言いたげな顔をしていた。
◇
五人は、建物の影を縫うようにして街を進んでいた。
石畳の上には、朝の陽射しがじわりと滲みはじめている。
それを避けるように、彼女たちは細い路地や壁際を選んで歩いていた。
曲がりくねった通りは迷路のように入り組み、角をひとつ曲がるたびに、建物の雰囲気も、漂う匂いも少しずつ変わっていく。
歩いた距離は、そろそろ四キロほどだろうか。
守攻機関の試験をくぐり抜けた彼女たちにとって、この程度の道のりで疲れを見せる者はいない。
とはいえ、夏の熱気は容赦なく、じわじわと体力を奪っていく。
「今日も暑いし……」
アイカが、額に手をやってつぶやいた。
頬にはうっすらと汗が浮かび、背中にもじっとりと湿り気が広がりつつある。
「でも、ナサ村よりはマシだな」
隣を歩くレイサが、首筋の汗をぬぐいながら言う。
アイカたちの故郷であるナサ村は、リグラムよりもさらに南――日中は容赦ない酷暑が続く土地だった。
「ていうか……なんか、この辺、雰囲気変わってない?」
ふとアイカが足を緩め、周囲に目をやる。
「……綺麗」
ハナネも、小さく声を漏らす。
その瞳に映るのは、静けさと気品に満ちた街並み――まさに、別格の風景だった。
建物は、どれも白を基調とした滑らかな石造りだった。
石目はほとんど見えず、表面は磨かれたようになめらかだ。建物の周囲には手入れの行き届いた草木が、まるで飾るように植えられている。
これまで目にしてきた赤煉瓦や粗めの石材の建物とは、明らかに趣が異なっていた。どこか洗練されていて、ひと目で“裕福な者たちの区域”とわかる。
「……なんか、大きな建物もあるね」
アイカが思わず立ち止まって言った。
道の両脇に並ぶ家々のあいだには、ところどころ、ひときわ背の高い建物が混ざっていた。敷地も広く、練白石でできた塀がぐるりと周囲を囲み、その中央には黒鉄の門が据えられている。
「……リラムル工学研究所、だって」
レイサが、小さくつぶやいた。門の脇に取りつけられた鉄板に刻まれた文字を指でなぞりながら読む。
彼女たちの視線の先にあるのは、どうやら研究所らしい。その周囲に立ち並ぶ、似たような造りの建物も、きっと同じ用途なのだろう。
「もう、リズムレイ苑の辺りだからな」
アオイが何気なく口にした。
「えっ、そうなの!?」
アイカが驚いたように声を上げた。
「……見えてきたぞ」
アオイがそう言った瞬間、後ろの四人は一斉に前を向く。
「え、でっか! なにあれ!」
アイカは目をまん丸にしながら、思わず叫んだ。
アイカが思わず叫んだ声に、皆の視線が同じ方向へ向く。
道の向こう、まだ幾らか距離はあるものの、白く輝く巨大な建物が姿を現しつつあった。
朝の光をまとったその建物は、横に長く、白く輝く外壁が遠目にもよく映える。おそらくは二階建て。
建物の中央と左右の端が、それぞれぐっと前に張り出している。
その前に左右は上階だけ、中央部分には上下両階にわたって堂々たる列柱が並んでいた。その構えが、建物全体にいっそうの荘厳さを与えている。
中央から広がる階段は、左右にゆるやかな円を描きながら地上へと降りている。その中心には丸い台座のようなものが設けられ、台座の中央から、白く細長い柱がすっと立ち上がっていた。柱の先から流れ落ちる水が、静かにその下の丸い器へと注がれている。
階段と台座のあいだには、左右それぞれに三体ずつの彫像が並び、厳かに来訪者を迎えているようだった。そして、屋根の上にもまた、間隔をあけて彫像が四体。ただ黙して街を見下ろしている。
周りには沢山の人影が見える。
「ナビンに似てるけど、それより洗礼されている感じがあるな」
レイサが歩きながら視線を向けて言う。
「確かに……あれがリュスカ堂?」
アイカもその建物に目を奪われながらアオイへ尋ねる。
「みたいだな」
アオイも前方へ視線を向け答えた。
セイスは黙ってついてきている。少し朝のアオイとの一件を根に持っているのだろうか。
今五人の視界に映っているのが、リュスカ堂。ネシュカとの合流の場所だ。
五人が歩を進めるうちに、白亜の建築がゆっくりとその全貌をあらわしていった。
「……すごい、綺麗……!」
アイカが思わず漏らした声に、皆の視線も自然と引き寄せられる。
リュスカ堂――その名にふさわしく、神聖さと威厳を併せ持つ壮大な建物だった。
白を基調としていた外壁は、二色でできていた。
下階には滑らかな石積みが広がっている。等間隔に並ぶ窓は、やや奥まった位置に設けられていて、細い木の枠で十字の形を成していた。その間を縫うようにして列柱が立ち並び、上階まで続いている。
上階の壁はまるで練り白を塗り重ねたかのように滑らかで、そこにも規則正しく窓が設けられている。だが、枠の形は少し異なり、十字の上部が欠けたような形状で、その上には小さな三角屋根のような飾りが付いていた。
中央部分は建物の正面からひときわ前に張り出しており、しっかりと根を下ろしている。その奥が出入口になっているらしく、堂内へと向かう人々がひっきりなしに出入りしていた。
「その隣にも、すごい建物があるぞ」
レイサの声に、アイカはそちらへ顔を向け――目を丸くした。
「うっわ、なにあれ!? 庭!?」
リュスカ堂に隣接して広がる敷地は、軽やかな石畳の道が格子状に走り、その間に草地が四角く切り取られたように点在していた。
公園とも庭園ともつかぬ開けた空間で、整えられた植え込みとその奥に佇む建物が、まるで別世界のように広がっていた。
(どうやったら、こんなでかい建物が二つも建てられるの……?)
驚きと呆然のまま、アイカが歩を進めていると、向こうから二人の少女がやってきた。
(……なんかすごい服)
目を引いたのは、彼女たちの服装だった。
肩に添うように仕立てられた濃い色の上着は、黒に近い墨色で、軽やかな布地に張りをもたせていた。胸元には白い襟が覗き、そこに結ばれたのは、涼しげな青の襟紐。蝶のような形に整えられたそれが、どこか凜とした空気をまとわせている。
膝上丈で一部が青色になっている下衣は、静かな夜明けを思わせる色彩で、歩くたびにさらりと揺れた。
すれ違いざま、少女たちは揃って微笑み――
「ごきげんよう」
と柔らかく声をかけてきた。
「……あの子たち、変わった服着てるね。あと、ごきげんようって何?」
ぽかんとしたまま、アイカがアオイに訊ねた。
「あれはおそらく、リュスカ堂の隣にある《リグラム中央学院》の生徒だ。さっきの言葉は、挨拶だろう」
「ふーん。なんか、お金持ちの言い方って感じだね」
アイカは首を傾げつつも、どこか納得したように頷いた。
やがて、五人はリュスカ堂の正面入口にたどり着いていた。
「ここでネシュカ先輩と合流する」
アオイの言葉に、自然と皆の表情が引き締まる。
(……いよいよ、任務が始まるんだ)
アイカは正面扉を見上げ、そっと拳を握った。
(先輩たちの足を引っ張らないようにするんだ)
(次は失敗しない)
それぞれの胸に、決意が静かに灯る。
レイサは真っ直ぐに前を見据え、ハナネもまた、きりりとした瞳で堂の奥を見つめていた。
神血の英雄伝 第四ニ話
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