スカリット街
沐所でキャアキャアとはしゃぐアイカとレイサをよそに、アオイがひょっこりと顔を覗かせた。
「……あと少し休憩したら、食べ物を探しに行く。今のうちに休んでおけ」
その声に二人が一斉に振り返る。
「はーいっ!」
「はーいっ!」
満面の笑みで返事をすると、名残惜しげに沐所を後にして、アオイたちの待つ部屋へと戻っていった。
部屋の隅では、セイスが床に腰を下ろして黙ったまま下を向いている。ハナネは椅子に座り、背凭れに体重を預けていた。
アイカは戻るなり、ベッドの端に勢いよく腰を下ろす。
「うわっ、ふかふか!」
ずしりと沈み込んだかと思えば、ほんのわずかに跳ね返る。柔らかな弾力に、アイカは思わず頬を緩めた。レイサは沐所の前に腰を下ろし、小さく息を吐いた。
ハナネは、ふと目を開けて周囲を見渡した。まずはレイサ。次にアオイ。そしてセイス──順に視線を向けていく。
(……妹しか眼中にない男に、女に興味がなさそうな男。極めつけは、人間そのものを遠ざけてるような男……。この三人なら、まず心配はなさそうね)
本来なら、年頃の女子としては別の部屋を望むところかもしれない。
だが、ハナネにとって目の前の三人は、もはや「男」としてカウントするには、あまりに的外れだった。警戒するのも、正直バカバカしい。
──そんなふうに、ある意味で“安心”できる三人だった。
しばらくの静けさののち、アオイが声をかけた。
「そろそろ行くか」
その一言で、部屋に漂っていた重力が軽くなる。四人がそれぞれ腰を上げる中、アイカが斬槍をちらりと見やって口を開いた。
「ねぇ、武器……持っていく?」
アイカの斬槍は軽くはない。持っていくか迷っている様子に、アオイが振り返る。
「置いていって問題はないと思う」
「そっか!」
明るい声で返事をすると、アイカはさっそくアオイの後を追った。
五人は少額の金だけを持ち、宿の階段を下りていく。一階に降りると、受付にいた女性が彼らに気づき、声をかけた。
「出かけるのかい?」
「はい、食べるものを探しに」
アオイが応えると、女性はにこりと微笑んで指先で方向を示した。
「なら《スカリット街》がおすすめだよ」
「スカリット街……?」
アイカがひょこっと顔を出す。女性はうなずいて説明を続けた。
「庶民向けの露店や食堂が並んでる。中には名家様がお忍びで通うような洒落た店もあるよ。通りを向こうに抜けて、まっすぐ行けばすぐだよ」
「ありがとうございます、行ってみます」
アオイは丁寧に礼を言い、ドアへと向かう。木扉が開き、陽の光が差し込む。
四人もそれぞれ女性に軽く頭を下げて、アオイの後に続いた。
◇
アイカたちは、宿の女性に教えてもらった《スカリット街》を目指して歩いていた。
道は影になっているせいか、ナビンにいた時より人通りが少なく、どこか静けさがあった。
「……お腹減った……」
流石のアイカも限界が近いのか、悲しげに呟きながら片手でお腹を押さえる。
歩きながら周囲を見渡すと、アオイとセイスは平然とした顔で前を向いている。
ハナネも先ほどお腹を鳴らしたはずなのに、涼しい顔をしていた。レイサですら特に空腹の様子はなかった。
(みんな、どうしてそんな平気そうに歩けるの……?)
アイカはそう思いながら、ふと前を歩くセイスに目を向けた。
「ねぇ、セイスの話し方って、両親がリグラムの人だったんだよね? でも、セイスみたいな喋り方の人、いなかったよ?」
興味を抱いたまま尋ねると、セイスは振り返ることなく、ぶっきらぼうに答えた。
「ここら辺にはいてへんわ」
「じゃあ、どこにいるの?」
さらに問いかけると、セイスはめんどうくさそうに「はぁ」とだけ吐いて、それ以上は答えようとしなかった。
そんなセイスの代わりにアオイが口を開く。
「セイスみたいな話し方をする人たちは《ネファリ》って場所に住んでる。ユーレナ側に住んでる」
「へぇ〜、いっぱいあるんだね、街……」
アイカは感心したように目を輝かせた。
「早くしないと置いてくぞー!」
「待ってよー!」
子どもたちの声が、前方の通りからにぎやかに聞こえてくる。
「……なんか、声が聞こえてきますね」
レイサが前を向いたまま小さく呟く。しばらく歩くと、だんだんと陽の光が戻ってきて、それと同時に人の声も増えていく。
──そして。
にぎわう通りが、目の前に姿を現した。
道の両側には露店が並び、焼いた肉や甘い香りの菓子、見たこともない食べ物がずらりと並んでいる。人々は声をかけ合い、賑やかに行き交っていた。
「なんか……市場みたい」
アイカは目を輝かせながら通りを見つめる。ナサ村の市場と造りは似ているが、扱っている品はどこか違っていた。明らかに種類が多く、異国の香りがする。
「……多分、ここがスカリット街だな」
アオイがそう呟き、全員の足が自然と止まった。
「何か食べたいものはあるか?」
アオイが四人に振り返って問いかける。真っ先に反応したのは、もちろんアイカだった。
「私、あれ食べてみたい!」
指さした先には、香ばしい匂いを漂わせる露店があった。
アイカは目を輝かせると、すかさずその露店へ駆けていく。
店先には、三角形の不思議な食べ物が並んでいた。 色合いは、人の肌より少し濃い、こんがりとした焼き色がついている。
「それにするか?」
後からゆっくりと追いついてきたアオイが、アイカの隣に立って声をかけた。
「うん! これ、食べてみたい!」
アイカは期待に満ちた笑顔でアオイの方を振り返る。
「みんなはこれでいいか?」
アオイが後ろの三人に向けて問いかけると、ハナネが軽く頷いて答えた。
「はい!美味しそうですね」
「……なんでもええわ」
レイサは、目をきらきらさせながら露店に視線を向けている。対照的にセイスはどこか退屈そうに、興味なさげな声を返した。
「これを五つください」
アオイは全員の意見を確認すると、店の男に向き直って言った。
「五つね。三十ソアだよ」
男はにかっと笑いながら答える。アオイが袋から硬貨を取り出して支払うと、男は手際よく一人分ずつ包んでいった。
「はいよ。熱いから気いつけて食べなよ」
渡されたそれは、持ち手の部分に紙のようなものが巻かれていた。熱が手に伝わらないようにする工夫らしい。
「あったかい……。これ、どうやって食べるの?」
アイカは目を丸くしながら、それをまじまじと眺め、笑顔で店の男に尋ねた。
「なんだ? グリットラ、食べたことねぇのか?」
男は驚いたように腰に手を当て、目を丸くした。
(グリットラ……っていうんだ)
アイカは頭の中で言葉を反芻し、視線を食べ物に戻す。
「食べたことない!」
「そいつはそのまま、がぶっと食うんだよ。思いきりな。でも熱いから火傷すんなよ!」
「思いきりかー!」
そう言って、アイカは満面の笑みで大きく口を開け、勢いよくかぶりついた。
「んーーー……なんりゃこれ」
もぐもぐと頬を膨らませたままのアイカが、思わず声を漏らす。
湯気が立ちのぼる三角の中から、赤い汁と細かく刻まれた肉と野菜がこぼれそうになっている。
その様子を見ていたレイサも、ごくりと息を呑むと、おそるおそるグリットラを口元へ持っていき、慎重に一口──。
「……」
ゆっくりと噛みしめて、喉を鳴らす。
「……うまい……」
初めての味に、思わず感嘆の声が漏れる。
「中には、肉と野菜が入ってるな」
アオイもかじりつきながら分析するように言った。
赤い汁は、濃厚なルマトのような酸味と甘みがあり、刻まれた野菜のしゃきしゃきとした歯ごたえと、肉の柔らかさが口の中で混ざり合っていく。
「……熱い……」
少し離れたところで、ハナネがぽつりと呟いた。
グリットラの中身は出来たてで、じんわりと熱がこもっていた。でも不思議と、それがまた食欲をかきたてる。夏の陽射しの下、それでも手が止まらない。
「ねぇ、次はあれ食べてみようよ!」
グリットラを誰よりも早く平らげたアイカが、満面の笑みで別の露店を指さした。
「まだアイカしか食べ終わってねぇよ……」
レイサが笑いながらグリットラを噛みしめる。アイカは四人を見渡すと、確かに皆、あと二、三口ほど残っていた。
「わかった、待ってる!」
それでもアイカは上機嫌に返事をし、その場にふんぞり返って皆の完食を待った。
やがて四人が食べ終えると、五人はアイカが目をつけた露店へと足を運ぶ。
「果物が……凍ってる!? なんで、こんな暑いのに……!」
店先には、一口サイズに刻まれた三種の果物が並んでいた。
どれも透明に近い白い膜に包まれ、先には細い棒が刺さっている。まるでお菓子のような見た目で、周囲にはひんやりとした空気が漂っていた。
「ねぇ、なんでこれは凍ってるの!?」
アイカは目を輝かせて店の女性に尋ねた。
「これはね、氷石箱で冷やしてるのさ」
女性は背後に置かれた黒く重厚な箱を指さす。石で作られているらしく、上部には蝶番つきの蓋があった。
「あんな黒い石、初めて見た! ここで採れるの?」
「いいや。あれは《トクル石》っていってね、ユーレナにしかないの。氷とかを入れても、なかなか溶けない不思議な石だよ」
「へぇ……ユーレナか。いつか行ってみたいな」
呟くアイカの背後から、アオイがぼそりと声をかけた。
「任務で来てるんだぞ」
「はーい」
アイカは苦笑いを浮かべて答える。
「食べるなら一つ二ソアだよ」
(あ、思ったより安い……)
リグラムの物価に驚いていたアイカは、ほっとしたように目を見開いた。
「五つお願いします」
アオイが一ティルを支払うと、女性は五人の方へ顔をむけ尋ねた。
「どれにする?」
「俺はこのカミリ実をお願いします!」
レイサが黄色くて四角い果物を指差す。
「俺もカミリで」
「私はロマナ実にします」
アオイがレイサと同じものを選択するとハナネは、淡い肌色で柔らかそうな果物を選んだ。
「そっちは?」
女性はアイカとセイスに視線を移す。
「……これでええ」
セイスは明るい黄緑の《エラル実》を指さした。
「セイスの美味しそう! 私もそれにする!」
アイカも同じ実を選び、女性は凍ったエラル実を手渡した。
うまそう……。これ、なんて食べ物?」
「《クラエリ》って言うんだよ」
「クラエリ……」
アイカは名前を口にしながら、エラル実を覆うそれをぱくりと一口。
「っ……かたい……口に引っつくっ」
思わず言葉を詰まらせる。表面の膜が口の中にまとわりつき、なかなか噛み砕けなかった。
「この……!」
力を込めてかじると、ぱきん、と氷のような音を立てて砕ける。
「つ、冷たっ……歯がジンジンする……でも甘い……!」
クラエリは冷たさで歯を刺激しながらも、果実のやさしくて上品な甘さが、口いっぱいに広がった。外の膜にもほんのり甘みがあり、子どもでも大好きな味だと感じた。
「アイカ! こっちもうまいぞ!」
レイサがカミリ実のクラエリを差し出す。
「ほんと!?」
アイカは小さく一口かじって目を見開く。
「……これもうまい……」
カミリ実は、濃厚な蜜のような甘さと芳醇な香り。後味はどこか爽やかだった。
(……ただの食べ物で騒ぎすぎ)
ハナネはそんな二人を横目に見ながら、黙ってロマナ実に口をつけた。
──ぱきん。
「……!」
ハナネの目がわずかに見開かれる。繊細な甘さが、静かに舌の上を滑っていく。淡い味だが、凍った膜の中にぎゅっと詰まっていた。
「ハナネのも美味しそうだね」
アイカが小さく、嬉しそうに呟く。
その後も、五人は露店を六つほど周り、思い思いに食べ歩きを楽しんだ。
神血の英雄伝 第三十九話
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次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა




