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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
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スカリット街

 沐所でキャアキャアとはしゃぐアイカとレイサをよそに、アオイがひょっこりと顔を覗かせた。


「……あと少し休憩したら、食べ物を探しに行く。今のうちに休んでおけ」


 その声に二人が一斉に振り返る。


「はーいっ!」

「はーいっ!」


 満面の笑みで返事をすると、名残惜しげに沐所を後にして、アオイたちの待つ部屋へと戻っていった。


 部屋の隅では、セイスが床に腰を下ろして黙ったまま下を向いている。ハナネは椅子に座り、背凭れに体重を預けていた。


 アイカは戻るなり、ベッドの端に勢いよく腰を下ろす。


「うわっ、ふかふか!」


 ずしりと沈み込んだかと思えば、ほんのわずかに跳ね返る。柔らかな弾力に、アイカは思わず頬を緩めた。レイサは沐所の前に腰を下ろし、小さく息を吐いた。


 ハナネは、ふと目を開けて周囲を見渡した。まずはレイサ。次にアオイ。そしてセイス──順に視線を向けていく。


(……妹しか眼中にない男に、女に興味がなさそうな男。極めつけは、人間そのものを遠ざけてるような男……。この三人なら、まず心配はなさそうね)


 本来なら、年頃の女子としては別の部屋を望むところかもしれない。

 だが、ハナネにとって目の前の三人は、もはや「男」としてカウントするには、あまりに的外れだった。警戒するのも、正直バカバカしい。


──そんなふうに、ある意味で“安心”できる三人だった。



 しばらくの静けさののち、アオイが声をかけた。


「そろそろ行くか」


 その一言で、部屋に漂っていた重力が軽くなる。四人がそれぞれ腰を上げる中、アイカが斬槍をちらりと見やって口を開いた。


「ねぇ、武器……持っていく?」


 アイカの斬槍は軽くはない。持っていくか迷っている様子に、アオイが振り返る。


「置いていって問題はないと思う」

「そっか!」


 明るい声で返事をすると、アイカはさっそくアオイの後を追った。


 五人は少額の金だけを持ち、宿の階段を下りていく。一階に降りると、受付にいた女性が彼らに気づき、声をかけた。


「出かけるのかい?」

「はい、食べるものを探しに」


 アオイが応えると、女性はにこりと微笑んで指先で方向を示した。


「なら《スカリット街》がおすすめだよ」

「スカリット街……?」


 アイカがひょこっと顔を出す。女性はうなずいて説明を続けた。


「庶民向けの露店や食堂が並んでる。中には名家様がお忍びで通うような洒落た店もあるよ。通りを向こうに抜けて、まっすぐ行けばすぐだよ」

「ありがとうございます、行ってみます」


 アオイは丁寧に礼を言い、ドアへと向かう。木扉が開き、陽の光が差し込む。


 四人もそれぞれ女性に軽く頭を下げて、アオイの後に続いた。





 アイカたちは、宿の女性に教えてもらった《スカリット街》を目指して歩いていた。

 道は影になっているせいか、ナビンにいた時より人通りが少なく、どこか静けさがあった。


「……お腹減った……」


 流石のアイカも限界が近いのか、悲しげに呟きながら片手でお腹を押さえる。

 歩きながら周囲を見渡すと、アオイとセイスは平然とした顔で前を向いている。

 ハナネも先ほどお腹を鳴らしたはずなのに、涼しい顔をしていた。レイサですら特に空腹の様子はなかった。


(みんな、どうしてそんな平気そうに歩けるの……?)


 アイカはそう思いながら、ふと前を歩くセイスに目を向けた。


「ねぇ、セイスの話し方って、両親がリグラムの人だったんだよね? でも、セイスみたいな喋り方の人、いなかったよ?」


 興味を抱いたまま尋ねると、セイスは振り返ることなく、ぶっきらぼうに答えた。


「ここら辺にはいてへんわ」

「じゃあ、どこにいるの?」


 さらに問いかけると、セイスはめんどうくさそうに「はぁ」とだけ吐いて、それ以上は答えようとしなかった。

 そんなセイスの代わりにアオイが口を開く。


「セイスみたいな話し方をする人たちは《ネファリ》って場所に住んでる。ユーレナ側に住んでる」

「へぇ〜、いっぱいあるんだね、街……」


 アイカは感心したように目を輝かせた。


「早くしないと置いてくぞー!」

「待ってよー!」


 子どもたちの声が、前方の通りからにぎやかに聞こえてくる。


「……なんか、声が聞こえてきますね」


 レイサが前を向いたまま小さく呟く。しばらく歩くと、だんだんと陽の光が戻ってきて、それと同時に人の声も増えていく。


 ──そして。


 にぎわう通りが、目の前に姿を現した。


 道の両側には露店が並び、焼いた肉や甘い香りの菓子、見たこともない食べ物がずらりと並んでいる。人々は声をかけ合い、賑やかに行き交っていた。


「なんか……市場みたい」


 アイカは目を輝かせながら通りを見つめる。ナサ村の市場と造りは似ているが、扱っている品はどこか違っていた。明らかに種類が多く、異国の香りがする。


「……多分、ここがスカリット街だな」


 アオイがそう呟き、全員の足が自然と止まった。


「何か食べたいものはあるか?」


 アオイが四人に振り返って問いかける。真っ先に反応したのは、もちろんアイカだった。


「私、あれ食べてみたい!」


 指さした先には、香ばしい匂いを漂わせる露店があった。

 アイカは目を輝かせると、すかさずその露店へ駆けていく。


 店先には、三角形の不思議な食べ物が並んでいた。 色合いは、人の肌より少し濃い、こんがりとした焼き色がついている。


「それにするか?」


 後からゆっくりと追いついてきたアオイが、アイカの隣に立って声をかけた。


「うん! これ、食べてみたい!」


 アイカは期待に満ちた笑顔でアオイの方を振り返る。


「みんなはこれでいいか?」


 アオイが後ろの三人に向けて問いかけると、ハナネが軽く頷いて答えた。


「はい!美味しそうですね」

「……なんでもええわ」


 レイサは、目をきらきらさせながら露店に視線を向けている。対照的にセイスはどこか退屈そうに、興味なさげな声を返した。


「これを五つください」


 アオイは全員の意見を確認すると、店の男に向き直って言った。


「五つね。三十ソアだよ」


 男はにかっと笑いながら答える。アオイが袋から硬貨を取り出して支払うと、男は手際よく一人分ずつ包んでいった。


「はいよ。熱いから気いつけて食べなよ」


 渡されたそれは、持ち手の部分に紙のようなものが巻かれていた。熱が手に伝わらないようにする工夫らしい。


「あったかい……。これ、どうやって食べるの?」


 アイカは目を丸くしながら、それをまじまじと眺め、笑顔で店の男に尋ねた。


「なんだ? グリットラ、食べたことねぇのか?」


 男は驚いたように腰に手を当て、目を丸くした。


(グリットラ……っていうんだ)


 アイカは頭の中で言葉を反芻し、視線を食べ物に戻す。


「食べたことない!」

「そいつはそのまま、がぶっと食うんだよ。思いきりな。でも熱いから火傷すんなよ!」

「思いきりかー!」


 そう言って、アイカは満面の笑みで大きく口を開け、勢いよくかぶりついた。


「んーーー……なんりゃこれ」


 もぐもぐと頬を膨らませたままのアイカが、思わず声を漏らす。

 湯気が立ちのぼる三角の中から、赤い汁と細かく刻まれた肉と野菜がこぼれそうになっている。


 その様子を見ていたレイサも、ごくりと息を呑むと、おそるおそるグリットラを口元へ持っていき、慎重に一口──。


「……」


 ゆっくりと噛みしめて、喉を鳴らす。


「……うまい……」


 初めての味に、思わず感嘆の声が漏れる。


「中には、肉と野菜が入ってるな」


 アオイもかじりつきながら分析するように言った。


 赤い汁は、濃厚なルマトのような酸味と甘みがあり、刻まれた野菜のしゃきしゃきとした歯ごたえと、肉の柔らかさが口の中で混ざり合っていく。


「……熱い……」


 少し離れたところで、ハナネがぽつりと呟いた。

 グリットラの中身は出来たてで、じんわりと熱がこもっていた。でも不思議と、それがまた食欲をかきたてる。夏の陽射しの下、それでも手が止まらない。


「ねぇ、次はあれ食べてみようよ!」


 グリットラを誰よりも早く平らげたアイカが、満面の笑みで別の露店を指さした。


「まだアイカしか食べ終わってねぇよ……」


 レイサが笑いながらグリットラを噛みしめる。アイカは四人を見渡すと、確かに皆、あと二、三口ほど残っていた。


「わかった、待ってる!」


 それでもアイカは上機嫌に返事をし、その場にふんぞり返って皆の完食を待った。


 やがて四人が食べ終えると、五人はアイカが目をつけた露店へと足を運ぶ。


「果物が……凍ってる!? なんで、こんな暑いのに……!」


 店先には、一口サイズに刻まれた三種の果物が並んでいた。

 どれも透明に近い白い膜に包まれ、先には細い棒が刺さっている。まるでお菓子のような見た目で、周囲にはひんやりとした空気が漂っていた。


「ねぇ、なんでこれは凍ってるの!?」


 アイカは目を輝かせて店の女性に尋ねた。


「これはね、氷石箱で冷やしてるのさ」


 女性は背後に置かれた黒く重厚な箱を指さす。石で作られているらしく、上部には蝶番つきの蓋があった。


「あんな黒い石、初めて見た! ここで採れるの?」

「いいや。あれは《トクル石》っていってね、ユーレナにしかないの。氷とかを入れても、なかなか溶けない不思議な石だよ」


「へぇ……ユーレナか。いつか行ってみたいな」


 呟くアイカの背後から、アオイがぼそりと声をかけた。


「任務で来てるんだぞ」

「はーい」


 アイカは苦笑いを浮かべて答える。


「食べるなら一つ二ソアだよ」


(あ、思ったより安い……)


 リグラムの物価に驚いていたアイカは、ほっとしたように目を見開いた。


「五つお願いします」


 アオイが一ティルを支払うと、女性は五人の方へ顔をむけ尋ねた。


「どれにする?」

「俺はこのカミリ実をお願いします!」


レイサが黄色くて四角い果物を指差す。


「俺もカミリで」

「私はロマナ実にします」


アオイがレイサと同じものを選択するとハナネは、淡い肌色で柔らかそうな果物を選んだ。


「そっちは?」


 女性はアイカとセイスに視線を移す。


「……これでええ」


 セイスは明るい黄緑の《エラル実》を指さした。


「セイスの美味しそう! 私もそれにする!」


 アイカも同じ実を選び、女性は凍ったエラル実を手渡した。


うまそう……。これ、なんて食べ物?」

「《クラエリ》って言うんだよ」

「クラエリ……」


 アイカは名前を口にしながら、エラル実を覆うそれをぱくりと一口。


「っ……かたい……口に引っつくっ」


 思わず言葉を詰まらせる。表面の膜が口の中にまとわりつき、なかなか噛み砕けなかった。


「この……!」


 力を込めてかじると、ぱきん、と氷のような音を立てて砕ける。


「つ、冷たっ……歯がジンジンする……でも甘い……!」


 クラエリは冷たさで歯を刺激しながらも、果実のやさしくて上品な甘さが、口いっぱいに広がった。外の膜にもほんのり甘みがあり、子どもでも大好きな味だと感じた。


「アイカ! こっちもうまいぞ!」


 レイサがカミリ実のクラエリを差し出す。


「ほんと!?」


 アイカは小さく一口かじって目を見開く。


「……これもうまい……」


 カミリ実は、濃厚な蜜のような甘さと芳醇な香り。後味はどこか爽やかだった。


(……ただの食べ物で騒ぎすぎ)


 ハナネはそんな二人を横目に見ながら、黙ってロマナ実に口をつけた。


──ぱきん。


「……!」


 ハナネの目がわずかに見開かれる。繊細な甘さが、静かに舌の上を滑っていく。淡い味だが、凍った膜の中にぎゅっと詰まっていた。


「ハナネのも美味しそうだね」


 アイカが小さく、嬉しそうに呟く。


 その後も、五人は露店を六つほど周り、思い思いに食べ歩きを楽しんだ。

神血(イコル)の英雄伝 第三十九話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです૮ ˶ᵔ ᵕ ᵔ˶ ྀིა

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