屋根の下を求めて
アイカたち五人は、建物が両側に並ぶ石畳の通りを歩いていた。
「全部、高いな……」
レイサがぽつりと呟いて、上を見上げる。
ナサ村では、せいぜい屋根裏付きの二階建てが限界だった。
しかしメルグロアの建物は三階──中には四階建てのものまである。
その高さと広がりに、アイカは目を輝かせながら周囲を見渡していた。
どの建物も美しく整えられ、その一階部分には大きなガラス窓がはめ込まれ、中の様子が外からでもよく見えるようになっている。
「あっちは……服屋?」
「あそこは、雑貨屋っぽいな……?」
店が目に入るたびに、アイカとレイサは足を止め、まるで吸い寄せられるようにガラスへと近づいていく。
「レイサ、あれ、すごく綺麗じゃない?」
アイカが目を輝かせて駆け寄ったのは、装飾品を扱う店だった。ガラス越しに並んだ髪飾りや首飾りが、陽の光を受けてきらきらと輝いている。
「ほんとだ。でも……高そうだな」
レイサも隣に立ち、同じようにガラス越しに覗き込む。
雫の形をした色ガラスの首飾り、小さな飾りが揺れる繊細な腕飾り、金糸の刺繍が施された蝶結びの髪飾り──どれも派手ではないが、洗練された美しさがあった。
二人はそっと値札の方に目をやった。
「八十ソア!?」
「うそだろ……」
思わず声を上げたアイカに、レイサも身を引く。
一つの飾りが、村での食事何日分にもなる価格だとは。
店内にいる客も皆、どこか上品な服装をしており、生活の違いを否応なく感じさせられる。
──首都って、すごい。
「ねぇ、進まないんだけど」
頻繁に立ち止まる二人にしびれを切らしたのか、後ろからハナネが近づいてきた。
「だって、初めて見るものばっかりだよ」
アイカが振り返り、屈託ない笑顔を向ける。
「今は宿を探すのが先でしょ!」
ぴしゃりと、ハナネの声が返る。語気は強く、ほんのり怒気を含んでいた。
「えー、でもさ」
「“でも”じゃないのよ」
アイカの返しを、ハナネが食い気味に遮る。空気が一気にピリついた。
「……二人とも、落ち着こうぜ?」
レイサが苦笑いを浮かべながら、二人のあいだに立つようにして言う。
だがハナネは、そのレイサにすら鋭い目つきを向けた。レイサは「参ったな」と肩をすくめて笑うしかなかった。
「せやから、ガキは嫌いやねん……」
後方から、セイスがぼそりとぼやくように呟く。
その目は、ハナネたち三人をやれやれと見下ろしていた。
「でも──仲、良さそうだな」
隣にいたアオイがぽつりとつぶやく。穏やかな声だった。
セイスはアオイを一瞥し、「……アホらし」とだけ言い捨て、つかつかと近くの日陰へ向かっていった。
──ぐぅぅぅ。
そのとき、どこからかお腹の鳴る音が響いた。
アイカとレイサは顔を見合わせ、そろって音のした方へ視線を向ける。
……その先にいたのは、ハナネだった。
睨みつけるような視線は変わらないが、彼女の頬はほんのり赤い。
「ハナネ、お腹、空いたの?」
アイカがくすっと笑いながら聞くと、ハナネはきっちりとした口調で言い返した。
「出発してから、何も食べてないんだから。お腹くらい、空くでしょ!」
恥ずかしさを隠そうとしてか、やや語気は強めだったが、手がほんの少しだけ拳になっている。目元と眉がぴくぴくと揺れており、明らかに動揺しているのが見てとれた。
ハナネの言う通り、五人はヴォランクを出てから水しか口にしていない。
おそらく今は、昼膳の少し前といった時刻。
訓練に夢中になると食事すら忘れるアイカとレイサは、自分たちの空腹にようやく気づいたところだった。
「もうすぐ昼膳の時間だし、早めに宿を見つけて食べるか」
数歩離れた場所から、アオイが近づいてくる。
日陰のベンチに座っていたセイスも、面倒くさそうにこちらを見ている。
「そうしよう!」
アイカはぱっと表情を明るくし、すぐに同意した。
レイサも、ひとまず喧嘩にならずに済んだことにほっと息をつく。
一方、ハナネはというと──いまだに頬を染めた ま、じろりとアイカを睨みつけていた。
あれは相当恥ずかしかったらしい。
「セイス、行くぞ」
アオイが声をかけると、セイスははぁと溜め息をつきながら、渋々立ち上がった。
──賑やかで、少しすれ違って、でも、ちゃんと繋がってる。
五人は再び、石畳の街を歩き出す。
◇
宿を探しながら通りを歩いていた五人の前方に、ぼんやりと違和感が現れた。
正面に続いていたはずの通りが、ある地点でぷつりと切れ、左右に枝分かれしている。中心にはぽっかりと穴のような空間。
その先、遠くにまた道が続いているのがうっすらと見えた。
「あれは……なに?」
アイカが目を細め、顔をしかめるようにして呟いた。
歩を進めていくうちに、その“穴”の正体がわかってきた。
切れた通りの中央には、滑らかな石を積み上げたような階段があり、その上に同じ素材で造られた平らな道が掛かっている。
道の両端には、黒鉄色の柵がついていた。下を覗けば、どこまでも深く長く続いていくような水路――太い人工の川が流れている。
「橋っぽいな……!」
それをみたレイサが驚き笑顔でぽつりと呟いた。
最初に気づいたレイサが、驚いたように笑みを漏らす。
「こんな立派な橋見たことない……!!」
アイカは瞳を輝かせて言う。
「それに、こんな大きな穴の下が水路になってるし……すごい長さだよ! どこまで続いてるの!?」
橋の方へ走り階段を駆け上ると橋の上に大きく飛び乗り、水路を眺めた。
胸の高鳴りを隠せず、彼女はぱたぱたと橋の方へ駆け出した。
階段を一気にのぼると、石の床に勢いよく飛び乗る。そのまま身を乗り出すようにして、眼下の水路をのぞき込んだ。
……静まり返った水面に、突然――
ズザァァァ……。
「何この音!?」
アイカは思わず振り返り、音のする方へ目を凝らす。
水面を擦るような低く響く音とともに、ゆっくりと橋の下から現れたのは、細身で白い舟だった。
長い筒からは白い蒸気がふわりと立ちのぼっている。見たことのない形の舟だ。舟には天幕がかかっており、太陽の光をやわらげながら、中に乗る三人の姿を半ば隠していた。
アイカは思わず音のする方へ身体を向けると前方から舟が水路を通っていた。
しかし、櫂を持っている舟手がどこにも見当たらない。一番前の席には、若い男女が並んで腰かけている。
どこか距離の近い仕草から、恋人同士なのかもしれない。肩を寄せ合い、小さな声で何かを語らいながら、ときおり顔を見合わせては微笑んでいた。
その少し後ろ、屋根の中央あたりには、操縦者と思しき中年の男が腰を据えていた。片手には細い操縦棒のようなものを握り、もう一方の手で、銅製の計器や、水栓に使われる捻り口のような金具に時おり手を伸ばしては調整している。
足元には、銀色の箱状の装置が据えつけられており、その中心からは絶えず、シュウシュウと蒸気が漏れるような音が鳴っていた。
「……舟が櫂も使ってないのに、勝手に進んでる……!」
アイカが息を呑む。
船底に取りつけられた小さな車輪が、回転しているのがちらりと見えた。おそらく、蒸気の力で推進しているのだろう。舟の動きは穏やかで、まるで水面を滑っているかのようだった。
恋人らしき二人の笑い声が、風に乗って橋の上まで届いた。その音が、どこかこの地域の豊かさと、少しだけ遠い世界のようなものを感じさせた。
「あれはナヴィルクだな」
後ろから歩いてきたアオイが、小さな舟を見上げるようにしてつぶやいた。
「ナヴィルク……?」
アイカは振り返り、アオイに問いかけると小さく首を傾げた。
「ヴォランクに似て、薪と水の圧で動く舟らしい」
「ヴォランク以外にも、そんな乗り物があるんだ!」
思わず声を弾ませたアイカに、アオイは目を細めながら淡々と応じた。
「リグラムには、他にも変わったもんが色々あるらしいからな」
「え、他にも!? どんなの!?」
ぱっと顔を輝かせて食いつくアイカに、アオイは素っ気なく歩を進めながら言った。
「また後でな」
「けちーっ」
アイカはむくっと口を膨らませながら、アオイの背中を追った。
――まるで、未知の世界に惹かれるように。
その後ろにセイス、ハナネ、レイサも追いかけた。
◇
あれから一時間ほどが経過していた。だが、五人はまだ宿を決めかねていた。
宿そのものは何軒か見つけていた。だがどれも、想像していたより高かった。
「このまま見つからなかったら、野宿……?」
気疲れした顔で、アイカがぽつりとアオイの背中に向かってつぶやいた。
「いや。高くても宿に泊まる」
アオイは振り向かずに返した。夜になれば、昼の炎天よりは幾分か涼しくなるかもしれない。だが、ここは慣れない都市だ。野宿は危険すぎる。
五人は、建物の影を選ぶようにして歩いていた。街並みは相変わらず美しいが、通りに並ぶ建物はほんの少しだけ、年季の入った風合いを見せ始めていた。
「ここに、尋ねてみるか……」
アオイが立ち止まったのは、三階建ての建物の前だった。一階には古びた看板が下がっており、「宿屋」と、筆記体で記されている。
取っ手に手をかけ、アオイは扉を押し開けた。
キィ……という音とともに、ほんのりとした木の香りが鼻をくすぐる。壁は練白で塗られ、床は丁寧に磨かれた木の板張り。中央には木製の階段があり、左右に廊下が伸びている。
「いらっしゃい」
奥の木の台に、年配の女性が腰を下ろしていた。眼鏡の奥の瞳が、穏やかに五人を見つめている。
奥の木の台に、年配の女性が腰を下ろしていた。眼鏡の奥の瞳が、穏やかに五人を見つめている。
「宿を探しているんですが、部屋は空いてますか?」
「空いてるよ。何部屋いるのかい?」
女性は五人を見渡し、アオイに聞いた。
「一部屋で構いません」
「一泊六十ソアになるけど、それでいい?」
今まで見てきた宿の中では、これが一番安かった。 それでもアイカとレイサには、思わず眉が上がる価格だったが──アオイは迷わず頷いた。
「お願いします」
袋からお金を取り出し、女性に手渡す。女性は確認を終えると、指で階段の奥を指し示した。
「ベッドは二つ。二階の右奥を使いな」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて、アオイが階段を上っていく。
その後を、セイスとハナネが無言で続いた。
すると、アイカがぽつりと口を開いた。
「……靴、脱がなくていいの?」
階段の前で立ち止まったアイカが、足元を見下ろしながら尋ねると、横の方から声が返ってきた。
「靴は脱がなくていいよ」
受付にいた女性が、にっこりと微笑みながらそう言った。
「そうなんだ……」
アイカは首をかしげつつも、そのまま階段を上っていく。
最後にレイサが後に続いた。
(……皆、同じ部屋でよかったのか?)
歩きながら、レイサはちらりとアイカとハナネを見やった。
アイカは昔から、こういうことにあまり頓着がない性格だと知っている。
だが、ハナネは──本来なら嫌がりそうな気もした。
しかし、彼女は一言も文句を言わなかった。
宿代のことを考えれば当然か……。そう思い、レイサは静かに足を進めた。
部屋の中は、簡素で清潔だった。
大きなベッドが二つ。細長い脚の丸机と、それに合わせた背もたれの高い椅子がふたつ。床には薄い敷布が敷かれ、窓辺には垂布が軽く束ねられている。
「あっ、もう一つ扉があるよ!」
アイカが部屋の奥に目を留め、ぱっと指を差した。
「開けていいよね!?」
笑顔のまま駆け寄り、扉に手をかける。
ギィィ──
鈍い軋みとともに、ゆっくりと扉が開かれた。
「……なんだこれっ!?」
アイカは思わず、両腕を大の字に広げて立ち尽くした。驚きと興奮がないまぜになった声が、部屋中に響く。
「どうした……って、うわ、なんだよこの部屋……」
後から覗いたレイサも、目を丸くして声を上げた。
室内には、見たことのない器具がずらりと並んでいた。
壁には鏡があり、その下に木の板。その上に大きな陶器の器が据えられており、横には布と石鹸、そして歯を磨くための刷子が揃っていた。
「……これは、顔を洗う場所か?」
レイサが鏡の前に立ち、ぽつりと呟く。
その隣には、奇妙な形をした陶器の椀が床に取り付けられていた。丸みを帯びた縁の上に、穴のあいた蓋が乗せられている。椀には管が接続され、その先に金属製の箱と、紐のようなものが吊るされていた。
「なんか……お手洗いに似てるね」
アイカも近づき、じっと覗き込む。
作りは違っても、どこか用途がわかる気がした。
「そしたら、あっちは……沐所か?」
レイサが視線を奥に移す。
窓辺には、高さのある石台と大きめな籠。そして縦長の銅製の湯槽が置かれていた。艶はなく、使い込まれた痕跡が表面に浮かんでいる。丸みを帯びた形状で、脚がついているのが特徴的だった。
「でっかい!」
アイカが駆け寄り、湯槽をぺたぺたと触っていると──壁に設けられた管に気づいた。金色に光るその管には、柄のような棒が横に付いている。
「これ、なんだろう……」
アイカは、ためらいなくその棒を手前に倒した。
「──ひゃっ!?」
突如、上からお湯が降ってきた。アイカは思わず尻餅をつく。
「な、なんだ!?」
レイサが駆け寄ると、湯槽の上部に、管とつながった金属の円盤が取り付けられていた。そこには無数の小さな穴があいており、そこからお湯が降り注いでいた。
「すごい! これ、どうなってるの!? 水が出たり止まったりする!」
アイカは棒を何度も倒したり戻したりし、その仕組みに大はしゃぎだった。
こうして、五人はようやく宿を見つけた。
陽はまだ高く、宿の外では、人のざわめきが柔らかく続いていた。
神血の英雄伝 第三十八話
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