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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
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草原を越えて

 ナサ村を出発してから、およそ七時間。

陽は高くなり、市刻の始まりを告げていた。


 舟の揺れがようやく止まったとき、五人の姿は、リグラムの南端──ミラストのトラセイル港にあった。


「やっと着いた……」

「帰りもこれ乗るんですか……?」


 舟を降りるなり、アイカとレイサがくったりとへたり込んだ。長時間の揺れに晒された顔は、すっかり生気を失っている。陽差しは強く、波は穏やかでも、体力は確実に削られていたようだ。


 ハナネも無言のまま、口元に手を当てていた。表情が青白い。どうやら、酔ったらしい。


 そんな三人を尻目に、セイスはどこか涼しげな顔で立っていた。舟の中で寝ていた分、幽刻の頃よりもすっきりしている。


「俺たちはここで休む。お前らは、まぁ頑張れや」


舟から荷物を降ろした船手のひとりが軽く手を挙げ、そう告げた。


「ありがとうございました」


 アオイは深々と頭を下げ、礼を述べた。


 そのとき、アイカが足元の感触に気づいたように、ぽんぽんと足で渡り場を叩いた。


「……この渡り場、木じゃなくて石でできてる……」

「ほんとだ……ナサ村にもこういうの作ればいいのに」


 レイサも感心したように呟く。だがその顔色は相変わらず悪い。


「今から歩けば、市刻の終わりまでにはミラストに着ける」


 アオイが淡々と口にする。その顔には疲れの色ひとつ浮かんでいない。


「……歩くんですか」

「着いたばかりなのに……」


 アイカとレイサが、揃って絶望的な声を上げる。


「……嘘でしょ……」


 ハナネも、さすがに信じられないといった表情で呟いた。


 そのときだった。少し離れた場所から、陽気な声が飛んできた。


「お前たち、ミラストまで行くならラゴンに乗せていこうか? 安くしとくぜ?」


 顔を向けると、声の主は赤ら顔の中年男性だった。 日焼けした腕を組み、傍らには一頭の馬と、それに連結された車輪付きの荷台があった。屋根もついている。


(……ラゴン?)


 アイカは、イナトの話を思い出す。

 リグラムには《ラゴン》という、人や荷物を乗せて馬が牽引する移動手段がある、と。


 アイカとレイサは、歩かなくて済むという希望に、顔をぱっと明るくした。

 だがアオイは、無言で少し思案をめぐらせていた。


「まぁ、一人五ティルってとこだな」


 間を置かず、中年男性がにやりと笑って言い放つ。


「たっか!」

「たっか!」


 アイカとレイサが、まるで示し合わせたかのように声を上げた。

 楽はしたい。けれど、一人五ティルは高すぎる。そう判断したのだろう。


「嫌なら別にいいぜ?」


 男は肩をすくめ、からかうように視線を送る。


「そんくらい、歩けるやろ」


 セイスが無感情にそう返す。


「……そうだな。歩く……」


 アオイもそれに倣って、口を開きかけた──が。


 その瞬間、アイカとレイサが、無言のまま一歩、また一歩とセイスとアオイにじわじわと詰め寄っていった。

 顔は泣きそう、いや、むしろ今にも泣く気満々だ。

 手を組み、うるうるした瞳を上目遣いに向け──もはや「物理的圧」がすごい。


 セイスは明らかに引き攣った。眉がピクリと跳ね上がる。

 アオイも「これは断れないやつだ」と察したのか、そっと視線を逸らした。


 ……三秒後。

 二人は、見事に沈黙の圧力に屈した。



◇◇◇



 こうして五人は、ラゴンに乗ってミラストを目指すことになった。


 草原を進むラゴンは、車輪の音を立てながら、ゆっくりと道をゆく。屋根付きの荷台は日差しを多少和らげてくれ、歩くよりもはるかに快適だった。


「……これ、歩いてたら死んでた……」

「ほんとに……」


 アイカがもたれかかりながら呟き、レイサが心底同意するように頷いた。

 ハナネも、歩かずに済んだことにほっとしたような表情を浮かべている。


「……あんくらいで音上げてたら、続かんぞ」


 セイスがぼそりと呟く。


「でも暑いしな。三人の気持ちもわかる」


 アオイが静かに庇うように言った。


 アイカは荷台の前方まで移動し、操縦席の後ろから野原を見渡した。


 目の前に広がるのは、どこまでも続く草地。森の外に石壁があり、その外は海に囲まれているナサ村とは、まったく違う風景だった。


(……こんなに広い場所、初めて)


 その景色に、胸が静かに高鳴る。


「すごい……」


 思わず漏れた呟きに、中年男性が振り返ることなく返す。


「なんだ、嬢ちゃん。ラゴンに乗るの、初めてか?」

「うん! リグラムでは、みんなこれ使ってるの?」

「いや、金のあるやつは《カレット》っていう、もっといいやつに乗ってるな」


 そう言って笑う男性に、アイカも目を輝かせながら声を返す。


「へぇぇ!」


 アイカは、きらきらとした目で話を聞く。どこか娘と話す父親のような雰囲気になっていた。


「嬢ちゃんたち、南から来たってことは……ナサ村からか?」

「うん!」


 アイカは即座に返事をした。


「ナサ村か……昔、あの村長に会ったことがあってな」

「え、ほんと!?」

「ああ。穏やかでな。トラーナ街にいる連中にも、分け隔てなく接してた。あれは、いい村長だったよ」


 男の語り口は、どこか懐かしげだった。


(……やっぱり、じいちゃんってすごいんだな)


 祖父を誇らしく思いながら、アイカは静かにその言葉を噛みしめた。


「トラーナ街って何?」

「んー、まあ……子どもは知らなくていいことだ」


 苦笑混じりにそう言われ、少しだけ不満そうな顔を浮かべる。


 やがて──


「お、見えてきたぞ。ミラストだ」


 男があごで前方を指す。

 男の声に、アイカは進行方向を見つめる。


 視界の先、地平線の向こうに、建物が点々と立ち始めていた。ナサ村とは違う、どこか硬く無機質な形をした建物群──


「……すごい……」


 アイカは目を丸くしたまま、視線を離せずにいた。

 まるで別の世界に足を踏み入れるような、そんな心地が胸に満ちていた。



◇◇◇



「うりゃっ!」


 元気な声をあげて、アイカが勢いよくラゴンから飛び降りた。


「おい、待てってば!」


 すぐ後を追って、レイサも軽やかに地面に降り立つ。先ほどまでの陰りはすっかり消えていて、頬には血の気が戻っていた。走り出したアイカの背を目で追いながら、レイサもその後を駆ける。


 続けてアオイ、そしてセイスが、静かにラゴンを降りた。


 最後に残ったハナネは、一人、荷台の端に腰をかける。足元を見下ろしながら、そっと支柱に手を添え、慎重に降りようとするその様子に、アオイが近づいてきた。


「……使うか?」


 アオイは短く言いながら、無言で手を差し出す。

 ハナネは静かに顔を向けると、しばし迷った末に、その手に自分の手を重ねた。そして、一歩、地面へと降り立った。


 草を踏む音とともに、視界が開ける。


 アイカは思わず足を止め、辺りを見渡した。


 どこまでも広がる草原。その中に、ぽつりぽつりと、家のような建物が点在している。

それは、見たことのない造りだった。


 壁は、積み上げられた細長い石でできており、屋根はなめらかに斜めに落ちているものや、中央がわずかに平坦になったものまで、様々だ。どの家にも共通して、屋根の上に突き出した筒があり、いくつかからは白い煙が揺れていた。


 扉の取っ手には金属が使われていて、どこか上品な雰囲気を漂わせている。

 柱で屋根と繋がれたひさしが外壁に沿って伸びている家もあり、建物は開けた川の近くに寄り添うように並んでいた。


「……すごいな。どこを見ても、ナサ村とは違う……」


 レイサが追いつき、肩で息をしながらぽつりと呟く。


「もうすぐヴォランクが出る。早く行くぞ」


 少し離れた場所から、アオイの声が届いた。目を輝かせて立ち尽くす二人に向けて、落ち着いた声で呼びかける。彼の隣には、セイスとハナネの姿もある。


「あ、待ってよ!」


 アイカが声をあげて駆け出す。レイサも笑みを浮かべながらそのあとを追った。


「お前たちー! 気をつけて行けよー!」


 ラゴンの御者だった中年の男が、口に両手を当てて大声を上げた。その声にアイカは振り返り、にっこりと笑って大きく片手を振る。


 男もまた、穏やかに手を振り返す。

 そしてアイカは、もう一度前を向いた。


神血(イコル)の英雄伝 第三十五話

読んでいただきありがとうございました。

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