表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
二章 リグラム、メグルロア
40/83

リグラムへ

 赤陽の月の初め。


 夜の名残がまだ空を覆う中、北門の舟着き場に七つの影が集まっていた。


 アイカ、レイサ、ハナネ――そしてアオイとセイスの五人に、舟手の男たちが二人。


 かすかな波音と、時折吹く冷たい潮風が場を包み込む。


「ふあぁ……流石に早すぎない?」


 アイカが欠伸まじりにぼやいた。片手で口を押さえながら、まだ眠たげな顔をしている。


 幽刻みおこくもまだ続く頃。空にはまだ陽の気配はなく、辺りは仄暗いままだ。だがその分、風は少し肌寒くて心地よい。光源は、舟手たちが持つ小さな揺灯だけだった。

 


「今から出ても、リグラムに着くのは市刻いちときごろだぞ」


 アオイが淡々と返すと、


「……うそ……」

「まじか……」


 レイサとアイカが同時に目を細め、絶望のような声をもらした。


「朝からうるさいわ……」


 セイスがぼそりと低く呟く。寝起きなのか不機嫌なのか、声はどこまでも地を這うように重たい。


 そんな中、ひとりだけ涼しい顔をしていたのがハナネだった。


(……早く出発してくれればいいのに……)


 すでにすっかり目が覚めているようで、アイカたちのやりとりを聞きながら小さくため息をついた。


 ようやく舟手が口を開く。


「じゃ、出すぞ」


 七人を乗せた舟が、ゆっくりと渡り場を離れた。

 静かな海面に、一筋の水の跡が伸びていく。





 海は穏やかで、潮の匂いを含んだ風が五人の髪を優しく撫でていく。

 舟の左右には腰の高さの柵があり、柵沿いには等間隔に腰をかけられる板が渡されていた。上方には、丸みを帯びた帆布の屋根が張られ、日差しや風を和らげる役目を果たしている。


 左側に座るのはアイカ、レイサ、ハナネ。右側にセイスとアオイ。そしてもう一人の舟手が腰を下ろしていた。もう一人の舟手は舵を取りつつ、舟を前へと進めている。


 それぞれの荷物は最小限。

 個人のお金と水の壺、小型の武器、そして簡単な着替えなどが詰め込まれていた。


「わああ……海って、すごい!」


 アイカが両手を広げ、思わず声を上げた。黒く沈んだ水平線には、わずかに白く光る波頭がきらきらと揺れている。


「でも、暗くてあんまり見えないなー……」


 レイサがやや残念そうに言った。


 二人がはしゃぐ側で、ハナネとアオイは静かに、まだ見ぬ西の空を見つめていた。

 セイスはというと、屋根の柱にもたれ、目を閉じたまま身じろぎもしない。


 しばらくして、アイカがふと舟手の手元に目をやる。


 舟手の男が手にしていた丸い板に目が留まった。板の中央には晶板が嵌め込まれ、薄く金色の針が一つ、ゆらゆらと揺れている。


「それ、なに?」

「ああ、これ? ウェイナールって言うんだ。進む方角が分かるやつだよ」

「えっ、どうやって!?」


 前のめりに食いつくアイカに、舟手は笑いながら板を少し傾けて見せる。


「この内側に、“南”とか“西”とか刻まれてるだろ? この針はいつも南を向くようになってる。だから、今舟がどの方角に進んでるかが分かるんだ」

「へぇ……ってことは、今は西に向かってるってこと?」

「そう。リグラムは西にあるからな。針が南を指してる分、こっちが西になる」


 アイカとレイサは、顔を寄せてその針の動きにじっと見入った。


「本当だ! ……すごい!」

「不思議だなぁ……」


 レイサもじっと針を見つめた。その様子に舟手は小さく笑みを浮かべる。


 守攻機関の隊員とはいえ、まだ十五歳。

 そんな年相応の反応を見て、どこか安心したような表情だった。


 そのとき、ハナネがふとアオイに目を向けて口を開いた。


「……あっちに着いたら、どうするんですか?」


 その声に、アイカとレイサも同時にアオイへ視線を移す。

 リグラムのメルグロアでネシュカと合流し、任務の補佐をする――という話は聞かされていたが、具体的な行動は何も知らされていなかった。


「悪い。俺もセイスも……詳しいことは聞かされてない」


 アオイは無表情のまま、肩をすくめる。


「え、じゃあどうすんの?」

「“詳しい話はネシュカ先輩に聞け”って。イナトさんの言葉だ」

「そうなんですね……」


 ハナネが小さくうなずいた。


「あっ、お金って自分たちで出すんですか?」


 レイサが思い出したように聞くと、アオイは即座に答えた。


「三百リザン、ユサ隊長から預かってる」

「さんびゃく……リザン!?」


 アイカとレイサが、同時に目を丸くした。


「父さんの三か月分の給金なんだけど、それ……」


 レイサが苦笑交じりに呟くと、アイカは指を折って数えはじめた。


「私がもらった給金が……二百ティルだから、つまり……」


 途中で数えるのをやめて、手をぱたんと下ろす。


「んー。よく分かんないけど、すごい額ってことは分かった!」


 その一言にレイサが吹き出し、アオイも思わず小さく笑った。



◇◇◇



 舟に揺られて二時間が経った。空は東から白みはじめ、明刻みょうこくの初め頃。


「ねぇねぇ! 太陽、出てきたよ!」


 アイカが陽の昇る方角を指差し、ぴょんぴょんと跳ねた。

 そのたび舟が小刻みに揺れ、乗っていた皆の身体もそれに釣られてふわりと浮いた。


「うおっ……アイカ、危なっ!」


 レイサが思わず声を上げ、慌てて柵にしがみつく。


「ちょ、ちょっと! 落ちるってば……!」


 ハナネも同じく柵に掴まり、眉をひそめてアイカに鋭い視線を投げた。


「え〜、大丈夫だよ! きっと、このくらい平気だって!」


 アイカは口をとがらせながらも、どこにも根拠のない笑顔で返す。


「なによ、“きっと”って……」


 ハナネは必死で柵を掴んだまま、呆れたように返した。


「……わかったよ、やめるってば〜」


 アイカは照れたように笑って、ようやく大人しく腰を下ろした。

 それを見たハナネは、ようやくほっと息をつく。

 ハナネがちゃんと自分に向き合ってくれるようになった気がして、アイカの胸は少しくすぐったくなる。


(……この三人、本当に仲いいよな)


 アオイはそんなやりとりを横目に、内心で静かに呟いた。


 やがて、昇った陽の光が海面を照らしはじめる。

水面はまるで宝石を砕いたようにきらめき、穏やかな波の上で光が踊っていた。


「これが……海……」


 波間にきらめく光が、どこまでも続く絨毯のように広がっていた。

 アイカは柵に身を乗り出し、両手でしっかりと縁を握ったまま見惚れていた。


「綺麗だなぁ……」


 レイサも腕を柵にかけて、朝焼けに染まる水平線をじっと見つめている。


 先ほどまで暗く沈んでいた海が、徐々に水色へと染まりはじめた。


「レイサ、見て! 魚!」

「……亀もいる」


 一瞬、言葉を忘れるほどの静けさと美しさが場を包んだ――が、それもつかの間だった。


キュイィッ!


 甲高い鳴き声が、上空から響いた。

 アイカとレイサは驚いたように、空を仰ぐ。


チィキュキュィー!


「……見たことない鳥! 目のまわり、黒い!」

「トリリンだな。海沿いに住んでる鳥で、特に夏場に活発になる」


 舟手の一人が穏やかに答えると、アイカが嬉しそうに顔を向けた。


「へえっ、そうなんだ!」


そのとき――


コトン。


 舟の中で、鈍い音が響いた。

 皆が一斉に音の方を見ると、なんとセイスが上半身を、舟手との間の空間にぐったりと倒していた。


「セイスさん、寝てるんですか?」

「……みたいだな」


 レイサがアオイに小声で尋ねると、アオイはちらりとセイスを見やりながら答えた。


 セイスは上半身を少し丸め、まるで遊び疲れた子どものように眠っていた。


「……子どもみたい」


 ぽつりとハナネが呟く。

 この言葉をもしセイスが聞いていたら、大声で怒鳴り返していたかもしれない。

 ……起きてなくて、本当に良かった。



◇◇◇


 それから、さらに五時間が経った。


 陽はすっかり高く昇り、海上にもじりじりとした日差しが降り注いでいる。舟の帆布屋根の下にいても、風の止んだ瞬間には汗が滲むような暑さだった。


「……ほんとに、暑い……」


 アイカはうなだれるように背を丸め、肩で息をしながら呟いた。朝のはしゃぎぶりはどこへやら、今はぐったりと柵に寄りかかっている。


「……俺、戻しそうかも……」

「いつまで……乗ってるの……」


 レイサも顔を青くし、ハナネはうんざりとした声を漏らす。さすがに長時間の舟旅は、三人の体力を容赦なく削っていた。


 そのとき、舟の奥から低くあくびの声が響く。


「……朝か……」


 セイスがゆっくりと上体を起こし、片手でぼさぼさになった髪をかきあげた。目元を擦りながら、大きく息をつく。


 相変わらず舟酔いひとつ見せないその様子に、アイカたちは一瞬だけ羨ましげな視線を向けた。


 アオイは、じっと進行方向を見据えたまま、舟の縁に片肘をついている。


 やがて、静かに口を開いた。


「……もうすぐ着くぞ」


 その一言に、アイカたちが一斉に顔を上げる。


 前方。まだ遠くだが、霞の向こうに──ナサ村の舟戸とは比べ物にならないほど広い港が、ぼんやりとその輪郭を見せ始めていた。

 だがそこに、建物の影は一つもなかった。広い岸辺に、いくつかの舟が静かに浮かび、その先には低く平らな野原のような地が、淡く広がっている。

 一本の桟橋──渡り場橋だけが、海へとまっすぐ突き出ていた。だが、人影はどこにも見えず、港全体が時の止まったような静けさに包まれていた。


 それでも、そこには──ナサ村とは違う光景が広がっていた。


「……大きい……!」


 アイカが目を見張り、呟いた。心なしか、声が震えている。


 舟はなおも静かに進む。

 初めての任務。初めての土地。

 胸の奥に不安がないと言えば嘘になる――それでも、同じくらいの期待と高鳴りが、五人の胸に灯り始めていた。

神血の英雄伝(イコルのえいゆうでん) 第三十四話

読んでいただき、ありがとうございました。


今回から、いよいよリグラム編が始まりました。

ネシュカと合流するまで、少し長めの道のりになりますが、気長に楽しんでいただけたら嬉しいです૮ ◜ᵕ◝ ა


初めて村の外の世界を目にした、アイカとレイサの表情にもぜひご注目ください。


次回も読んでいただけたら、とても嬉しいです(՞ . .՞)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ