緑の神選者と名乗る男
(緑の神選者…。こいつが…)
レイサ以外の神選者に会ってみたい…。
そう思ったことは確かにあった。
けれど、まさかこんな形で出会うことになるなんて、想像もしなかった。
サクヤ・クオネはゆっくりと顔を上げ、その場に釘付けにされたように立ち尽くすアイカに向かって、楽しげに口を開いた。
「…あれ?、もしかして、他の神選者と会うのは初めて?」
「神選者にはねそれぞれ外見に特徴に特徴があるんだ」
「水の神選者は雪みたいに白い髪と肌。瞳は淡い桃色。
獣の神選者は朝焼けの残光のような橙色の髪。
炎の神選者は、まるで火が燃え移ったみたいな赤い髪をしてる。
魔女の神選者は瞳が紫。深くて澄んでて、じっと見てると引き込まれる。色の奥に何か潜んでるみたい。他は……忘れたな」
「で、この僕。緑の神選者は緑の瞳。その証拠にほら、綺麗な緑色でしょ」
サクヤ・クオネはにこりと笑い、ぐっと顔を近づけた。翡翠石のような瞳が、愛叶の目の前で光を孕む。
「そして…」
その声とともに、サクヤ・クオネはアイカの頭を覆っていた布を指先でつまむ。
やさしく、だが一切の容赦なく、はらりと外した。
「大地の神選者は輝く銀髪に青い瞳。…君たちみたいにね」
サクヤ・クオネは笑った。だが、その笑顔は何の感情もこもっていない、空虚な笑みだった。
「それにしても…綺麗な顔だ…うん。これは…方価値がある…。売ってもいいし……片方は実験台として残すのも、面白いかもしれないね」
そう言うと、ちらりと視線がトワへと向けられる。
視線が触れた瞬間、トワの肩がぴくりと震えた。
トワは反射的にアイカの背に顔をうずめる。
(やばい、やばい、早く逃げないと…)
アイカの中に、警報のような思考が繰り返し鳴り響いていた。
(でもどうやって……。こいつ普通じゃない)
相手は明らかに、自分たちより遥かに強い。
こんな状況で、見逃してくれるような存在じゃな い。
それだけは確かだった。
サクヤ・クオネの瞳が、冷たく細められる。
そこには、逃がす気など一片もない。
まるで、確実に仕留める瞬間を見定めている“狩人”
のようだった。
その右手が、アイカの頬へと伸びる――
その瞬間。
「そいつらはダメだ」
静かだが、冷えた刃のような声がサクヤ・クオネの背後から響いた。
振り返るより早く、影が姿を帯びる。現れたのは、十六歳ほどの赤髪の青年だった。
年齢はサクヤ・クオネと同じか、それよりも幼くも見えたが、どこか、目の奥が異様に澄んでいた。
「トウガ……もう終わったの?ふふ、相変わらず早いね」
サクヤ・クオネは振り返り、トウガと呼ぶ赤髪の青年に向かって笑みを浮かべた。
「そいつら、多分……この村長の子供だ。大地の十徒がこの地の首を取ってるって話、聞いたことある」
トウガは、粗雑な口調でそう言い放つと、アイカとトワを無造作に指差した。
「え〜、ほんと? それは残念。村長の子となると、さすがにリスクが高いね」
サクヤ・クオネは肩をすくめてアイカたちに視線を投げると、ひときわ残念そうな声を出した。
「……じゃあ、帰ろうか。トウガ」
そう言って、二人はアイカとトワから距離を取ろうと歩き出す。
このままでは、本当に全てが終わってしまう。
体は震えていた。声を出すだけでも、怖くて、喉がひりつく。けれど、それでも……無惨に殺された村人達への怒りだけは、どうしても飲み込めなかった。
アイカは、恐怖と怒りが入り混じった声を張り上げた。
「……何がしたかったの。あんた達のせいで…みんな」
怒鳴るような声の奥には、怯えがあった。
涙が滲むのを必死にこらえながら、アイカは睨みつける。
それでも、その視線は逸らさなかった。
怒りと恐怖。
そして、消しきれない悔しさを、そのままサクヤにぶつけた。
サクヤ・クオネは、ふと立ち止まり、微笑んだまま、一歩、また一歩と近づいてくる。
「……んー、まあ、そうだね。ほとんどは僕たちのせいだよ。否定はしない。
でも、あの女の子のことは、ちょっと別かもね」
サクヤは、穏やかな笑みを浮かべながら、まるで何でもないことのように続ける。
「君、動けたよね。少なくとも――あの子を救えるだけの力は君にはあった。でも君は、動かなかった。“動けなかった”なんて、都合のいい言い訳だ」
サクヤ・クオネは、にこにこと微笑んだまま、無邪気に問いかける。
「ねえ、見てたんだよね? あの子が連れていかれるのを」
「泣いてた。"助けて"って叫んでた。手を伸ばしてた。……君の方に。
それでも君は、ただ突っ立ってた。
何も言えず、何もせず――完璧な観客だった」
声は優しく淡々としている。でも、その一語一句が冷たく、愛叶の心を裂く。
「怖かったの? それとも……自分が傷つくのが嫌だった?」
「うん、わかるよ。人間ってそういうものだもん。誰かが引きずられていくのを見てるだけで、自分が助かるなら……選ぶよね。――その“選択”が、君の優しさの限界だったってこと」
サクヤ・クオネはふと黙り込んだ。
その目が細くなり、口元に、ぞっとするほど静かな笑みが浮かぶ。
それは、心の底から楽しんでいる者の笑顔だった。
「その代償に、あの子が犠牲になった。
君が何もしなかったから。助けを待ちながら、泣いて、叫んで、必死に手を伸ばして、連れて行かれるのを――それでも君はただ見てた」
「もしかしたら、“今”もまだあの子はあっちで、君を待ってるかもしれないね」
そして、サクヤ・クオネは声をほんの少しだけ低くした。
「……君の“勇気”って、その程度だったんだよ」
笑いながら、まるで楽しむように言葉を突き刺す。
(違う…)
心の中で叫んだ。否定したかった。けれど、その言葉は、喉元で凍りついた。
否応なく突きつけられた現実。たしかに、自分には人並外れた力があった。
けれど、それを使う勇気も、覚悟もなかった。少女が連れて行かれるのをただ見ていた。
アイカは、唇を噛み締めることしかできなかった。青ざめた顔は、やがて後悔と自責の影がじわじわと広がっていく。
話し終えると、サクヤ・クオネはふわりと微笑みながら、アイカたちとわずかに距離を取った。
「僕たちは模神機関覚えておいてね。……また君に会えるのを楽しみにしているから」
名乗るその声はどこまでも穏やかで、けれど確かな“悪意の予告”のように響いた。
次の瞬間、サクヤ・クオネの背後で、木の枝が静かに伸びてくる。先ほど彼が腰掛けていたものと、同じ枝だ。だが、まるで意志を持つ生き物のように、彼を包み込むように動いていた。
サクヤ・クオネとトウガは、その枝に乗り、ゆっくりと宙へ浮かぶ。そして何事もなかったかのように、ふたりの姿は木々の向こうへと消えていった。
アイカに残されたのは、静寂と、その奥底に凍りついた罪の感触だけだった。
神血の英雄伝 第四話
読んでいただきありがとうございました。
今回は――と""を少し多めに使ってみました。
次回も読んでいただけると嬉しいです(ᐡ. ̫ .ᐡ )