道ばた拾い話 春誓の儀 兄と姉の門出
芽吹きの月の終わり。
春の風が柔らかく吹き抜け、花の香りがほのかに漂う。
アイカとレイサは、学び舎の前に立っていた。
近くには、二人と同じ十五歳の子どもが十一人。
そのまわりには、少し離れて見守る親や家族の姿もある。
パンパンッ
「みんな静かに。始まるぞ」
前に立つ教師が手を叩き、声を張った。
その声に子どもたちが一斉に前を見る。
教師の隣には、村長のタイガも立っていた。
今日は、十五歳となり、学び舎を終える日。
――春誓の儀だ。
タイガは、子どもたちの表情をゆっくりと見渡してから、穏やかに口を開いた。
「……皆よ、よくここまで学び舎で励んできたな。
文字や数、道理のこと、暮らしの知恵。
それぞれ、よく学び、よく耐えてきたと思う。
友と巡り会い、語らい、笑い合う日もあれば、
悲しみに肩を落とした日もあっただろう。
悔しさを噛みしめた夜も、きっとあったはずだ」
「今日で、学び舎を終える。
ここでの日々は、きっと、心のどこかに残り続けるだろう」
「これから先は、村で働く者、村を出て新たに学ぶ者、それぞれの道を歩んでいくことになる
嬉しきことばかりとはいかぬが、
苦しい時こそ、どうか、自分の心を信じてくれ。
手を貸してくれる誰かに、そっと頼ってもよい。
立ち止まっても、戻ってもよい。
それでもまた、前へ進もうとすることが何よりも大切だと、わしは思う」
「――願わくば、皆が己の道を胸を張って歩んでいけるよう、
わしら大人一同、心より祈っておる。」
静かに、けれど力強く。
タイガの言葉が、子どもたちの胸に染み渡っていった。
教師もまた、タイガと目を合わせてから、子どもたちへと向き直った。
「私たち教師も、君たちに学びを伝えられたことを、本当に嬉しく思っている。
ときに学び舎を抜け出した者もいたが、それもまた、大切な記憶のひとつだ」
「これからの日々で、もし迷いがあったなら、いつでもここへ戻ってくるがいい。
嬉しい知らせも、悩みごとも、私たちは変わらず君たちを迎える」
子どもたちは、二人の言葉にしっかりと耳を傾けていた。
背筋をまっすぐに伸ばし、その瞳には、不安と、そして未来への希望が揺れていた。
――こうして、春誓の儀は幕を閉じた。
◇
春誓の儀が終わり、子どもたちは自然と輪になり、自分たちの未来について語り始めていた。
明るく夢を語る者もいれば、別れが寂しくて涙をこぼす者もいた。
「もう俺たちも終学か。……結構、あっという間だったな」
レイサがアイカの隣に立ち、周囲の同い年の子たちを眺めながらつぶやいた。
その瞳には、まだ少し名残惜しさがにじんでいた。
「そうだね」
アイカも、同じ方向を見ながら、どこか懐かしむように返した。
そんな二人のもとへ、トワ、サユ、チタが駆け寄ってくる。
少し遅れて、イロハとイレカもゆっくりと歩いてきていた。
ユサとイヅキは、守攻機関と仕事で来られなかった。
……ものすごく残念がっていたらしいけど、それを顔には出さなかった、とアイカはあとで聞いた。
「お兄ちゃん、アイカさん、おめでとう!」
一番に声を上げたのはサユ。明るく、自分のことのようにうれしそうに笑っていた。
「二人ともおめでとう!」
続けて、トワとチタも満面の笑みで声をそろえる。
アイカとレイサも、ありがとう、と同じように笑顔で返した。
その様子を、後ろで見ていたイロハとイレカは、どこか微笑ましそうに目を細めていた。
そのとき―― 一人の女の子が歩いてきた。
アイカたちと同じ十五歳の子だ。
彼女は、そのままレイサの前に立ち、少しだけ顔を伏せて声をかけた。
「あの……レイサくん。お話したいことがあって……
よかったら、一緒に向こうまで来てほしいんだけど……」
頬を赤らめながら、時折ちらちらとレイサの顔を伺い、 学び舎の横――人目の少ないほうをそっと指さした。
「うん。もちろん」
レイサは、やわらかく笑ってそう言うと、彼女のあとに続いて歩き出した。
「え、お兄ちゃん!?」
サユが驚いたように声を上げ、背を向けたレイサを見つめる。
「レイサさん……もしかして、告白されるのかな」
「レイサお兄ちゃん、かっこいいもんね」
トワとチタも目を丸くしながら、こそこそと話す。
「レイサ、やるなー……」
アイカも、少し驚いたように目を見張った。
後ろで見ていたイロハとイレカも「まぁ」と声をそろえる。
「私、見てくる!!」
サユがそう言って駆け出し、それを追うようにアイカたち三人も後をついていった。
そして、学び舎の角。柱の影に身を隠しながら、四人はそっと様子をうかがった――。
女の子とレイサは、学び舎の裏――人気のない場所で、並んで立っていた。
女の子は何か言葉を探すように、落ち着かない様子で辺りを見渡している。
レイサは無理に急かすことなく、穏やかな笑みで彼女の言葉を待っていた。
数秒の沈黙のあと――女の子はまっすぐにレイサを見つめて言った。
「私ね、七歳の頃から……ずっと、レイサくんのことが好きだったの。
だから……レイサくんさえ良ければ、私の恋人になってください!」
その声には震えが混じっていたが、想いのこもった芯のある告白だった。
――その言葉を、四人はすぐそばで聞いていた。
レイサの両親、ユサとレイカは顔立ちが整っていて、レイサもサユも、その美貌をしっかりと受け継いでいた。
それに加えて、レイサは面倒見がよく、明るくて優しい性格。
村でも、年の近い女の子たちから何度も想いを寄せられることがあった。
「お兄ちゃんに……恋人はまだ早いよ!」
サユがむっとしたように声を上げる。
身を乗り出そうとする彼女を、トワとチタが必死に止めた。
「待って、サユちゃん! 今はダメだって!」
「だって……!」
サユは唇を噛みながら、小さく抗議するように身をよじる。
その横で、アイカはじっと、レイサと女の子のやりとりを見つめていた。
レイサは、ふっと表情を和らげると、静かに口を開いた。
「……ありがとう。でも、ごめん。
俺、今は――恋人はつくらないって決めてるんだ」
やさしい声だった。
告白してきた彼女の気持ちを、できるだけ傷つけないように。
そして、自分の心にも嘘をつかないように。
「じゃあ、行くね」
短くそう言うと、レイサはその場を離れた。
すぐに――柱の影に隠れていた四人と鉢合わせる。
「見てたのかよ……」
レイサは、少し驚いたように目を丸くして、呆れたように言った。
「お兄ちゃん、あの子と……恋人になるの?」
サユが、今にも泣きそうな声で問いかける。
「違うよ。ちゃんと、断ってきたから」
レイサは言いながら、そっとサユの頭に手を置いた。
サユは、安心したような――でも少し切ないような顔をして、レイサを見上げた。
「……というか、アイカ」
レイサがふと目を向ける。
「さっきからお前のこと、ずっと見てるやつらがいるぞ」
「……え?」
アイカも視線を向けると、そこには、二人の少年がこちらをじっと見ていた。
目が合った瞬間、彼らは肩をびくりと震わせ、あわてたようにそっぽを向く。
「なぁ、やっぱやめようぜ……」
「アイカって、顔は可愛いけど……なんか、怖いんだよな……」
――声は、こちらにもちゃんと聞こえていた。
「アイカ、怖いってさ」
レイサがくすくすと笑いながら言う。
「うっさい」
アイカはむっとした顔でレイサを睨んだ。
そのやりとりを見て、トワたちもつい吹き出して笑ってしまった。
◇
そんなふうに、アイカとレイサの春誓の日は、少しのときめきと、笑いと、そしてほんのわずかな別れを残して、静かに終わっていった。
誰もが、それぞれの道を歩き始める。
その第一歩に、ほんの少しだけ――胸を張れたような、そんな気がした。
道ばた拾い話 春誓の儀 兄と姉の門出
読んでいただきありがとうございました。
次回も読んでくださると嬉しいです!
レイサが今まで告白された人数は十三人。
サユは、六人です。




