裏ノ物語 父としての決断
これは、ナサ村が襲撃に遭う前と後、そしてその後の七年間にわたるイヅキのお話です。
今日は記録書がやたらと多くて、守攻機関に遅くまで残っていた。
帰り道、足は鉛のように重く、家にたどり着いた頃にはもう深刻の半ば。月が高い。
引き戸をそっと開けて中に入る。
家族を起こさないよう、息を殺して靴を脱ぐ。
ふと、机の上に目をやると、俺の分の夕膳がきちんと残されていた。
──イロハだ。
どんなに遅くなっても、必ず用意してくれる。律儀にも程がある。
……俺には、もったいない妻だ。
「帰ったか」
ふいに横から声がした。
振り向くと、お義父さんが部屋の影から顔を出していた。
「……あ、すみません。起こしてしまいましたか」
静かにしたつもりだったが、やはり音で目が覚めたのだろう。申し訳ない。
「いや、わしも片づけごとをしていたんだよ」
そう言って、お義父さんはいつもの穏やかな顔で微笑んだ。
「無理はするなよ」
それだけ言って、すっと引き戸を閉める。
──村長なんて、常にやることだらけだろうに。
家に帰っても気を抜くことはない。
でも、それでも時間があれば、ちゃんと家族と向き合う。
……あの人は、すごい。
俺なんかとは、比べるまでもない。
守攻機関が休みの日なんて、俺はほとんど寝てばかりだ。
たまに子どもたちに剣の型を教えるくらいで、遊んでやった記憶なんて……もう三年はない。
イロハとも、ほとんど言葉を交わさない。
隣で寝てはいるが、触れもしない。……まあ、そもそも、イロハの方にその気があるのかもわからないけど。
家のこと、子どものこと。全部、イロハ任せだ。
アイカはおてんばで手に負えない。
トワは身体が弱くて、熱がでた時にはイロハが看付きしてくれる。
家族みんなで出かけたのは、いつが最後だったろう。思い出そうとしても、もう出てこない。
……俺は、父親失格かもしれない。
本気で、そう思う。
それでも。
それでも、家族は、俺を慕ってくれている。
アイカもトワも、守攻機関の服を着てる俺を「すごい!」って目を輝かせてくれる。
イロハも「人のために頑張るあなたは素敵」と言ってくれる。
そして、お義父さんも、ああして心配してくれる。
──本当に、いい家族に巡り会えた。
用意された夕膳を黙って食べて、沐所で水をかぶり、着替えて部屋に戻る。
引き戸をそっと開けると、薄暗い寝間の中で、声がした。
「……おかえりなさい」
眠そうな声がした。布団の中でイロハが目を開ける。引き戸の音で起こしてしまったらしい。
「悪い、起こしたか」
言いながらも、ふと目が留まる。
髪がさらっと肩にかかって、服の襟がずれて鎖骨が見えていた。……色っぽい。うちの嫁は村一番の美人って言われてる。
でも今の顔はちょっと違った。眠そうな目とか、はだけた服とか──なんか、あどけなくて……。いつも凛としてる分、こういう顔されるとちょっと、まずい……。
で、見とれてたら──
イロハが自分の布団をちょいっと持ち上げた。
「……久しぶりに、一緒に寝る?」
不意打ちだった。心臓が跳ねた。
このまま布団に飛び込みたい、すごく。でも──
隣の部屋には子どもたちが寝てるし、明日も早いし、なにより俺の体力がもう限界だ。
「今日はやめとく」
そう言って、自分の布団に入った。
「……そう?」
イロハは静かに布団にもぐる。
俺も天井を見ながら考えた。
……次の休み、どこか行くか。アイカとトワを連れて市場でも。
イロハにも何か贈ろう。たまにはお義父さんにも。
そういうの、大事にしないと。最近、ちゃんとやれてなかったしな。
──と、そんなことを考えて眠りについた。
◇
警鐘が鳴った。
「……!」
飛び起きる。
なんだ? こんな時間に? まさか火事か? いや、警鐘ってことはもっと何か──
「何かあったの!?」
イロハも起きた。
「わからない。でもたぶん──」
引き戸が開いた。
「イロハ、イヅキ。襲撃だ。わしは村の確認をしてくる」
そう言い残して、お義父さんが出ていった。
襲撃──!? なんで!? まさか本当に?
「俺も村の避難に行ってくる。子どもたちのこと、頼んだ」
「……ええ」
慌ただしく服を着て、靴を履く──そのとき。
「イヅキ!」
背中越しに、イロハの声がした。
「お父さんもだけど……イヅキも、絶対、無事でいて」
その声はかすかに震えていた。凛とした彼女の声が、こんなにも不安げで……胸が締めつけられる。
安心させたかった。けど、「大丈夫だ」なんて、軽くは言えない。
だから俺は、精一杯の笑顔を浮かべてこう言った。
「頑張ってくるよ」
それが、今の俺に言える精一杯だった。
引き戸を開け、夜の闇へと飛び出した。
外へ出ると、灰色の煙が空に舞っていた。
風に煽られて、焦げた木の匂いが鼻を突く。
南側の家のいくつかが、炎に包まれていた。
「……なんだよ、これ」
一瞬、言葉が出なかった。
燃え上がる屋根。崩れかけた壁。いつもと同じはずの村が、別の世界みたいに見えた。
けど──耳をつんざくような泣き声が現実に引き戻した。
「やだよぉ、お母さんっ……お父さんっ……!」
子どもの声だ。たぶん親とはぐれたんだろう。
すぐに声の方へ走る。
瓦礫の間に、小さな影が蹲っていた。
「大丈夫か?」
「ぅ……クガミの人……?」
「そうだ。お母さんとお父さんは?」
しゃがんで、目線を合わせて聞いた。できるだけ怖がらせないように、笑顔を作る。
「……どっか行っちゃった」
「そっか。大丈夫。おじさんが安全なとこまで連れていく」
そう言って、子どもを抱き上げる。小さな体が震えていた。
足を止めてる場合じゃない。避難所へ急がないと。
──東の避難所なら近い。子どもや老人を優先して保護してるはずだ。
走って、走って、やっとのことで避難所にたどり着いた。
中ではすでに避難した村人姿が何人かあった。
「イヅキ先輩!」
横から駆け寄ってきた声に顔を向けると、第二部隊のクレムだった。
まだ入隊してニ年ちょっと。若いが真面目な後輩だ。
「クレム、状況は?」
「南西はユサ隊長と七人が対応中です。
中央はハクナ副隊長と四人。
各避難所は、僕を含めて三人で見守りしています。……でも、北側がシアン先輩とキイナ先輩だけで──」
「わかった。北は俺が向かう。ここは任せた」
「はい!」
すぐに踵を返し、北側へ走り出す。
村の全体をざっと見渡す限り、まだ壊滅的な被害ではない。今のうちに抑えなければ……。
──走っていると、前方で人影が見えてきた。
シアンだ。襲撃者と交戦している。
押されているな。
俺は駆け込みざま、敵の足を狙って斬りつけた。
膝に一撃が入ったのか、襲撃者は悲鳴を上げて腰を落とす。
「イヅキさん!」
「待たせた。みんな無事か!?」
「……三人、守れませんでした。それと……キイナさんが」
シアンが視線を落とす先。
血を流して倒れたキイナがいた。……クソッ 間に合わなかったか。
「死ねぇぇっ!」
別の襲撃者が飛びかかってくる。
速い──けど、力任せだ。
「ぐっ……!」
力強い。動きを封じるように足を斬り込む。
刺すのではなく、筋を断つ角度で。複数の敵の足を止めた。
ここは大丈夫そうだ。
──そのとき、誰かが走ってくる足音が聞こえた。
「イヅキ……!」
イロハだった。息を切らし、必死な顔でこっちへ駆けてくる。だが──あの子たちの姿が、ない。
「イロハ、アイカとトワは?」
「東の避難所へ向かわせたわ。もう着いてるはず……」
ホッとしかけた。けど、その余韻に浸ってる暇はなかった。
「分かった。ありがとう。お前も北の避難所へ──今すぐ!」
そう言ってイロハを送り出す。けど、どうしても気になった。アイカとトワ、無事にたどり着けてるか。少しだけでいい、顔を見たい。
中央広場に出てから確認しに行こう。
「シアン ここは任せた」
「了解です」
方向を変えて、中央へ向かって走る。
──けど、そこで俺は立ち止まった。
広場が、地獄と化していた。
血だまり。倒れた村人。隊員。ハクナ副隊長まで、地面に崩れてる。嘘だろ……。
でも、それ以上に信じられない光景があった。
そこに見覚えのある面影が二つあった。
「……なんでここにいるんだ」
息が止まった。心臓が音を立てた。
俺は全速力で駆け寄って、目線の高さを合わせてしゃがみ込む。
そこにいたのは、俺の宝物だった。
俺よりずっと小さくて、でもずっと強くて、大事で、大切で──
「どうしてまだここにいる……! イロハからは、お前たちはとっくに避難したって……!」
怒鳴ってしまった。
トワがびくりと肩を震わせる。悪い……怖がらせた。でも、この状況で、子どもを前にして、平静でなんかいられるか。
……なのに。
「……アイカ?」
目の前の娘は──返事をしなかった。
確かに、アイカはそこにいる。
でも、俺を見てはいなかった。
視線はまっすぐ前。
焦点の合わない目で、何かを、いや……何も見ない まま、ただ空間を眺めている。
まるで俺の声なんて、届いていないみたいに。
鼓膜にすら触れていないかのように、まったくの無反応だった。
──朝に見た。
無邪気で、何にでも手を伸ばすあの子の姿。
「いってらっしゃい」って笑って、俺に向かって小さな手を振ってくれた。
ほんの数時間前のことなのに、もう何年も前の記憶みたいに感じる。
その笑顔が、今では跡形もない。
代わりにそこにあるのは、泣きもせず、叫びもせず、感情の色を剥ぎ取られた顔。
まるで──壊れた人形みたいだ。
誰が、こんな目に遭わせた。
何が、アイカから声を奪った。
いや──それ以前に、どうして俺は、その場にいなかったんだ。
胸の奥が焼けるようだった。
怒りも、悔しさも、悲しみも、すべてがごちゃまぜになって、息が苦しい。
なのに、言葉にならない。叫び出すこともできなかった。
でも、今は泣いてる場合じゃない。
叫びたくても、喉を震わせてる暇はない。
──今は、父親として、動かなきゃいけない。
「……話は後だ。今は、避難することが最優先だ」
そう言って、二人を片腕ずつ抱き上げた。
トワは泣きそうな顔でアイカを見ていた。
でもアイカは、ずっと下を向いたままだった。
腕の中にいるのに、まるで遠くにいるように感じた。
無反応の娘を胸に抱えて、走る足が震えた。
情けないくらい震えた。父親なのに、こんなにも……怖かった。
東の避難所は、いつの間にか人でいっぱいになっていた。
みんな、不安そうな顔。言葉も出ないまま、ただじっとしてる。
トワはきょろきょろと辺りを見回していて、俺の横にぴたりと寄っていた。
クレムが布を配っていた。守攻機関の備蓄から持ってきたものらしい。
俺はそれを一枚受け取り、アイカに近づく。
「寒いだろ。とりあえず、これ──」
肩にそっとかける。
けど、アイカは何の反応も示さない。
トワも、不安げに声をかけた。
「お姉ちゃん……だいじょうぶ……?」
返事はなかった。目すら動かない。
……心が痛い。
どうしてやればいい? 何を言えば、この子は振り向いてくれる?
「……何があったかは、また今度でいい」
そう言うのが精一杯だった。
言葉を探していると、すぐ横から、村人の声が聞こえた。
「北の避難所で、レイサくんが瀕死で運ばれたらしいわよ」
「ええ……可哀想に」
レイサくん──アイカと一番仲が良かった友達。
あの子まで……。
ユサ隊長も、どれほど辛い思いをしてるか。
「俺は、村を見てくる。……トワ、ここにいろ。お姉ちゃんを頼んだ」
アイカの分の布をトワに渡し、俺は走った。
今は、守攻機関の隊員として動かなきゃいけない。
……本当は、親として、そばにいたいのに。
◇◆◇
三日後の昼──
村に残っていた襲撃者たちは、全員捕らえた。
けど、指示を出してた奴は見つかっていない。
「俺たちは、サクヤさんに命令されたんだ……!」
「頼む! 殺さないでくれ、やりたくてやったわけじゃ──!」
命乞いをする声が耳に刺さる。
……ふざけんな。やりたくなかった? じゃあ最初から来るなよ。
人を殺しておいて、いざ自分の命が脅かされると泣きわめく。
そんな都合のいい話が、あるわけがない。
この三日間、ほとんど寝ていない。
目は霞んで、頭はぼんやりしてる。
でも、あの子の顔だけは、鮮明に脳裏にこびりついて離れない。
あの、壊れたような目。
──そんなときだった。
「イヅキ……大丈夫か」
ユサ隊長だった。
「……すみません」
情けない声が出た。
足元がふらつく。気を張っていたのが、一気に緩んだ。
「家族は……無事だったのか?」
「はい。一応は……でも……」
堰を切ったように、アイカのことを話した。
呼びかけても反応がないこと。
目の焦点が合っていないこと。
ただ座り込んでいるだけで、声も涙も出さないこと。
ユサ隊長は黙って聞いてくれていた。
そして、ぽつりと言った。
「……そうか」
──しまった。
この人の息子、レイサくんも重体だっていうのに。 俺は、自分の不安を押しつけてしまった……。
けれど隊長は、そんな俺に背を向けず、言った。
「そういえば、奥さんがアイカちゃんたちを迎えに行くって言ってたぞ。……伝えに行け。心配なんだろう?」
……この人は、本当に、強い人だ。
「ありがとうございます」
深く頭を下げ、避難所へ向かった。
◇◇◇
東の避難所に行くと、トワが俺に気づいて小さく頷いた。
そして──アイカは、顔を伏せたまま、ぽつりと呟いた。
「……ひとりで、帰りたい」
その顔は、三日前よりは少しだけ柔らいで見えた。
けど、元気とは……到底、言えなかった。
目元は赤く腫れ、頬には乾ききらない涙の跡。
……泣いたんだな。一人で。
誰にも見られないように、そっと泣いたんだ。
思い出す。
アイカが泣いたのなんて、一度きりだ。
あのときは──焚処の水を撒いてイロハに怒られた時。
あれだって、すぐに笑ってごまかしてた。
だから、今回のは……違う。明らかに。
どうすればいい。
どうすれば、あの子は、また笑ってくれる?
わからない。
でも、父親として、何かしてやりたかった。
隣に座って、そっと手を握りたかった。
何も言わずに抱きしめるだけでも──それだけでも。
……けど、それが、今のアイカを追い詰めるかもしれない。
だから俺は、喉の奥に飲み込んだ。
「……わかった。気をつけて、帰るんだぞ」
それだけ言って、小さな背中を見送った。
声をかけたかった。
立ち止まってくれるまで、何度でも呼びたかった。
でも……言えなかった。
ただの一歩すら、踏み出せなかった。
父親としての“正解”なんて、どこにも見当たらなかった。
けど、ひとつだけ──たったひとつだけ、はっきりしていることがある。
──もう、二度とあんな顔は見たくない。
避難解除からしばらくして、村の誘導や片付けも、ようやくひと段落ついた。
守攻機関の隊員も、一時帰宅が許された。
俺は途中でお義父さんと合流して、二人で家に向かった。
足取りは、思った以上に重かった。
お義父さんもさすがに疲れているらしい。
避難所をすべて見て回り、交流が深かった名家の医者に願文まで届けてくれたらしい。
さらに、ユーレナからも支援の物資が届くという話だ。
……たぶん、あの人じゃなければ、そこまで話は進まなかったと思う。
本当に、ありがたい。
家に着いたとき、周囲は奇跡的に大きな被害を免れていた。
多少の破損はあるが──生きているだけ、充分だ。
引き戸を開けて踏み場に入った瞬間、聞き慣れた声が迎えてくれた。
「お父さん、イヅキ。おかえりなさい。……お疲れ様」
その一言が、胸に沁みた。
ああ、やっと──帰ってきたんだなって。
「……ただいま。でも悪い、すぐにまた戻らなきゃいけない」
許可は出た。けど、長くは家にいられない。
こんな時に、家族の傍にいてやれない自分が情けなかった。
それに、正直──
アイカの顔を見るのが怖かった。
けれど。
「イロハ、その子は……」
お義父さんの声で、顔を上げる。
その視線の先に、見知らぬ男の子がいた。
巻き布を纏った小さな体。……こんな子、見覚えがない。
みなし子たちは全員顔を把握しているつもりだった。
でも、この子は知らない。
……そしてなにより、目に留まったのは髪。
その子の髪は──半分が金、半分が白。
ありえないような配色だった。
ただの染めか、生まれつきか、それすら判断がつかない。
その子の隣に、アイカがいた。
その後ろには、トワもいる。
でも俺の目が奪われたのは、アイカのほうだった。
──顔が、違う。
つい先日まで、心を失ったようだったあの子が、
今は少し……いや、はっきりと、表情を取り戻していた。
まるで吹っ切れたような、晴れた顔。
……この子が、何か関係してるのか?
「アイカが、助けたんですって」
イロハが、そっと耳打ちしてくる。
アイカが……?
あんな状態だったのに?
でも……現に、そこにはしっかりと立って、笑っているアイカがいた。
「ぼく、お名前は?」
お義父さんが子どもに優しく尋ねる。
男の子は、不安げに口を開いた。
「……きゅ、きゅうばん……」
九番。──名前じゃないな。
きっと、襲撃者たちにそう呼ばれていたんだろう。
「んじゃあ、チタ。どう?」
アイカが、ぱっと明るく笑って言った。
まるで、それが何の迷いもない当然のように。
……驚いた。
三日前、目の焦点も合わず、壊れたように座り込んでいたあの子が、今は誰かに笑いかけている。
それも、しっかりと前を向いて、まっすぐな声で──。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
……ああ、よかった。
本当によかった……。
俺には、どうしてやることもできなかった。
何を言っても、どう手を伸ばしても、届かない気がしていた。
あのときの俺は、ただ立ち尽くすことしかできなかったんだ。
でも今、目の前にいるアイカは、
もう一度、自分の意志で立ち上がろうとしてる。
そのきっかけをくれたのが──この子だった。
小さな命が、アイカの手を引いてくれた。
俺にできなかったことを、してくれた。
言葉にはできなかったけど、心の中で、何度も何度もつぶやいた。
ありがとう。
ありがとう。ありがとう……。
本当に、ありがとう。
◇◆◇
あれから──三年が経った。
二十人近くいた守攻機関の隊員は、一夜にしてほとんどが命を落とした。
生き残ったのは、俺を含めて、たった五人。
当然、作業量は信じられないほど増えた。
明刻から宵刻まで、いや、深刻が過ぎても眠る暇はなかった。
家に帰れるのは、七日に一度。それもほんの数刻だけ。
そんな生活を、もう何百日も繰り返していた。
……辛い。正直、心も体も限界だった。
でも、それは俺だけじゃない。
残った隊員はみんな、同じように歯を食いしばっていた。
役場の人たちも協力してくれる。
それでも……人手が足りない。
そんなある日──チタが駆け込んできた。
トワの調子がおかしい。
その一言に、背筋が凍った。
頭が真っ白になった。
一秒でも早く家に帰りたくて、駆け出していた。
家に着くと、布団にトワが寝ていた。
顔色が悪く、呼吸が浅く、苦しそうだった。
目を開けているのに、焦点が合っていない。
医師は言った。「いつ気を失ってもおかしくない状態です」と。
──嘘だろ。
やめてくれ、やめてくれ……
まだあんなに小さいのに。
やっと……やっと、身体も丈夫になってきたのに……
なんで、こんなときに限って俺はいない。
どうして、大事な瞬間に、いつも俺はいないんだ。
……何のために守ってるんだ、俺は。
村か? 仕事か?
それで……家族を見殺しにして、何になる。
俺は……父親として、最低なんじゃないか。
◇◇◇
夜、イロハに「二人で話がしたい」と声をかけた。
炉座の前に座った彼女は、何も言わず、ただ俺を見つめていた。
……怖かった。
本当は、何も言わずにこのまま仕事に戻った方が楽だった。
でも、もう限界だった。
「……守攻機関を、辞めようと思う」
喉の奥が詰まって、声がかすれた。
でも、それでも俺なりの全てを込めたつもりだった。
イロハは少しだけ目を見開き、それから静かに聞いた。
「……どうして?」
その声は、いつもと変わらず凛としていた。
だけどその視線は、俺の奥底まで見透かしてくるようで……言葉が詰まった。
「家族が苦しいとき、俺は、いつもいない。
アイカのときも……トワのときも……」
喉が熱くて、声がうまく出なかった。
でも、唇は勝手に動いていた。
「強い父親でいたかった。憧れられる存在でいたかった。
……でも全然、違った。現実は、情けないもんだ」
「俺がいない間、あの子たちがどれだけ頑張って、耐えてたか。
わかってたのに……何もしてやれなかった」
「ユサ隊長みたいにはなれない。お義父さんみたいに村を支える器もない。
俺は、父親失格だ……何もかもが中途半端だ……父親としても、夫としても」
だからこそ──。
「……今度こそ、ちゃんと向き合いたい。
父親として、まだ足りない俺だけど……遅くても、やり直したいんだ」
大の大人が、しかも男が、
泣きそうな声で、それでも必死に言葉を紡いだ。
しばらく沈黙があった。
そのあと、イロハはまっすぐに言った。
「あなたは……父親失格なんかじゃない」
その強い言葉に、思わず顔を上げた。
「言ったでしょう? 誰かのために頑張るあなたが素敵だって」
「今だってそう。家族のために、必死に悩んで……
ずっと守ってきた守攻機関を辞めるって、そう決めてくれた」
「……それを情けないとか、卑怯者とか言う奴がいたら──私がぶん殴る」
「いや……それは……」
苦笑いするしかなかった。
でも、ほんの少し、心が軽くなった。
「それに……いっぱい考えてたんでしょ?」
「そうやって、誰かのために悩めるイヅキ。
優しくて、不器用で、一生懸命なあなたが──私は好き」
「ありがとう。……家族のために、たくさん悩んでくれて」
その一言で、何かが崩れた。
もう、堪えきれなかった。
言葉じゃ返せなかった。
涙が、止まらなかった。
本当に──
イロハには、敵わないな。
きっと、アイカの強さも、トワの優しさも……
イロハから、もらったんだろう。
俺はその夜、日付が変わるまで泣いた。
◇◆◇
翌日、俺は、ユサ隊長のもとへ向かった。
守攻機関の現状を考えれば──
俺が抜けるなんて、どれだけ迷惑をかけるか分かっていた。
何を言われても、叱られても仕方がないと、そう思っていた。
それなのに──
「……分かった」
隊長は、それだけを言った。
驚いて、顔を上げる。
「他のことは、心配しなくていい。……お前は、家族のそばにいてやれ」
静かな声だった。
けれど、その言葉は、まるで抱きしめられたように、温かかった。
こんな時でさえ、責めず、背中を押してくれる。
この人は、いつだって、そうだ。
……なのに。
「……泣かれると、困るんだが」
そう言った隊長の目が、少し赤くなっていた。
心の奥に、何かがじわりと広がった。
「……今まで、本当に、お世話になりました」
深く頭を下げて、守攻機関本部の敷居をまたいだ。
この日、俺は──
長い間仕えてきた守攻機関を去った。
けれど。
重く背負っていた何かが、少しだけ軽くなった気がした。
◇◆◇
「イヅキさん、終わったら休憩でいいよ」
「はーい、分かりました!」
守攻機関を辞めて、もう四年になる。
今は村の東側、養屋で働いてる。
牛や豚、鶏に羊。動物たちの世話ってのは、まあ、想像以上にしんどい。
小屋の掃除に餌やり、体調管理。壊れた柵を直して、寝床の藁を替えて……やることは山ほどある。
けど──嫌いじゃない。むしろ、けっこう好きだ。
給金は三百ティル。かつての三分の一ほど。
けど、そのぶん、七日のうち二日は休める。家に帰れる。
……それが何より嬉しい。
正直なところ、家の仕事はまだ慣れない。
お湯ひとつ沸かすのも一苦労だし、洗濯だってやたらと手間がかかる。
膳立てもまともにやったことがなかった。火加減って何だよ……。
それでも、イロハはずっと、それを一人でやってくれていた。
本当に、頭が上がらない。
今日は、アイカが守攻機関の二次試験の日だった。
……どうだったかな。帰ったら、まず話を聞こう。
帰ってきて、引き戸を開けた瞬間──
「あっ……」と思った。
アイカの顔が、いつもより少し沈んでる。
多分、うまくいかなかったんだろう。
俺も二次試験には苦戦した。あれは本当に難しい。
合格するのに二年かかったんだから、落ち込むのも無理はない。
◇
夜になって、ふと気づくと──
アイカがひとりで、踏み場にいた。
器を手に、ぽつんと腰を下ろしてる。
きっと、誰にも気づかれたくなかったんだな。
そっと横に座った。何も言わずに。
どう声をかけるべきか、言葉を探した。
あれこれ考えたけど──
最終的に出てきたのは、たった一言だけだった。
「……頑張ったな」
アイカの頭に、そっと手を置く。
それは、たぶん俺自身が、一番言ってほしかった言葉だった。
家族ってのは、思ってたよりずっと難しい。
ただ一緒に暮らしてるだけじゃ、上手くいかないんだなって、ようやく分かってきた。
向き合うってことも、そんなに簡単じゃない。
お互いに情けない姿は見せたくなくて、つい強がってしまう。
本当は心配してるのに、素直に言えなかったり。
言葉にしようとしても、うまく伝わらなかったり。
それでも──俺は、寄り添っていこうと思う。
ぎこちなくても、不器用でも、少しずつでいい。
だって、守ると決めたんだ。
この家族を、大事な人たちを。
何度つまずいても、そのたびにまた立ち上がって、隣に立とうと思う。
俺は、そうやって生きていきたい。
裏ノ物語 父としの決断
読んでいただきありがとうございました。
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イヅキは、ユサほどではありませんが、不器用な性格です(ᐡ•͈ ·̫ •͈ᐡ )




