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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
一章 始まり
33/91

それぞれの報告

 宵刻よいこくの始まり。


 イナトたちからリグラムへの任務補佐の司令を受け取ったアイカたちは、出発を明日に控え、それぞれの帰る場所で静かに報告をしていた。



◇◇◇



 アイカは炉座ろざのそばに座り、帰りが遅くなったイヅキと向き合って、イロハの用意した夕膳を囲んでいた。

 左右にはトワとチタ。ほど近くにはイロハもいる。


 タイガはというと、やることが山積みだと、自室にこもったままだ。


──赤陽せきようの月が巡ったら、村を出てリグラムへ向かう。

 そのことはもう、家族に伝えてある。


「もう村の外に行けるんだ! やっぱり、アイカ姉はすごいよ!!」


 まるで褒めすぎのようにも聞こえるが、チタの言葉は本気だった。心からの尊敬が、その声に滲んでいた。

 隣でトワが、ふんわりと微笑みながら続ける。


「頑張ってね」


 ふたりの励ましに、アイカはちょっとくすぐったそうに笑った。


「村の外か……やっぱり心配だな。行かせたくはないが、応援もしたい……でも行かせたくない!」


 ぶつぶつと腕を組んでいたイヅキが、突然声を張り上げた。

 近くでその様子を見ていたイロハが、「はぁ」と小さくため息をつく。けれどその目は、どこか優しい色を帯びていた。


「子どもは、あっという間に大きくなるの。……ちゃんと応援しなきゃ」


 そう言ってイロハは、静かな眼差しでイヅキを見た。

 その一言に押されるように、イヅキは立ち上がり、自分の膝をポンと叩く。


「よしっ、……アイカ! 頑張ってこい!」


 どこか決意を込めたように、アイカへ向けて声をかけた。


「ねぇねぇ、村の外ってどんなところなの?」


 隣にいたチタが、わくわくとした声で尋ねながら、アイカの足を揺らしてくる。


「ん? あー、うーん……よく分かんないな。イナトから話は聞いたけど、実際に見たことはないし」


 アイカはチタの方に目を向け、少し考えながらそう答える。


「そっかぁ……でも、帰ってきたら、お話いっぱい聞かせてね!」


 一瞬だけ残念そうな顔をしたチタだったが、すぐにいつもの明るい調子に戻ってそう言った。


「うん、わかった!」


 アイカもにっこりと応える。

 そうして、あれこれ話しながらの夕膳は、いつものように、どこかあたたかく賑やかに過ぎていった。



 トントン、と戸を叩く音が響いた。


「……じいちゃん、起きてる?」


 深刻しんこくの半ば。

 みんなが部屋に戻り、家が静けさに包まれる頃――アイカは、タイガの部屋を訪ねていた。


「起きとるよ」


 部屋の奥から、いつもの穏やかな声が返ってくる。

 その声を聞いて、アイカはゆっくりと引き戸を開けた。


 灯りの少ない部屋の中、タイガは低めの机の前に座っていた。

 机には記録書や、他の地域とのやりとりに使う便書びんしょが広げられており、小さな照籠てるかごが、淡い光でその手元を照らしていた。


 アイカは、あまりこの部屋に入ったことがない。

 村長として大切なものを管理しているだろう場所に、気軽に足を踏み入れる気にはなれなかった。


「……寝なくて大丈夫か? 出発は、幽刻みおこくの半ばなんだろう?」


 タイガが、少し心配するような笑みを浮かべてこちらを見た。


 アイカは、その表情をじっと見つめる。

 小さい頃から、この穏やかな笑顔が好きだった。見るだけで、ふっと胸の奥が軽くなる気がする。


「……なんだか、寝られなくて」


 少し照れたように笑いながら、アイカは手を頭に添えて髪をかいた。


 タイガは軽く目を丸くしてから、またいつもの笑みに戻る。


「……アイカ」


 優しく名前を呼ぶ声。

 その響きに、アイカは自然と視線を合わせた。


「気をつけて行っておいで」


 言葉も、眼差しも、どこまでも優しい。

 けれど、その奥には確かに――ひとつの勇気が宿っている。


 その顔を見た瞬間、アイカは一瞬動きを止めた。

 そして次の瞬間、まっすぐに笑った。


「……行ってきます!」


 強く、真っすぐな声でそう返した。



◇◇◇



 宵刻の終わり。


 レイサは、遅れて帰ってきたユサの前に正座していた。

 ユサの隣にはレイカが腰を落とし、静かに杯を手にしている。

 家族はすでに、明日レイサがリグラムへ向かうことを知っていた。


「お兄ちゃん、いつ帰ってくるの? 五日後? 七日後?」


 レイサの隣で、サユがぱっと目を輝かせて聞いてくる。

 元気よく座ったまま、期待と不安が入り混じったような顔だった。


「そんな早くないよ。……最低でも、十日はかかるかも」


 レイサは、優しい声で答える。

 サユの顔が、途端にしゅんと曇った。


「えー、そんなに……。お兄ちゃん、最近ただでさえ一緒にいる時間が少ないのに」


 すねたように口を尖らせ、膝を抱えるようにして視線を落とす。

 レイサは小さく笑い、困ったように片手を差し伸べた。


「何かサユに買ってくるから。……いい子にして、待っててくれるか?」


 そう言って、軽く頭を撫でる。

 妹を見つめるまなざしは、優しくて、どこか申し訳なさも含んでいた。


「ほんと? 絶対だよ!」


 サユはぱあっと表情を明るくし、レイサの方へ勢いよく向き直った。


「ほんと、ほんと」


 レイサもにこっと笑い返す。

 次の瞬間、サユが勢いよく身体を投げ出してきた。


「お兄ちゃんだいすき! 今のうちに、いっぱい甘えるんだから!」


「うわっ――」


 サユの体重が一気にのしかかり、二人は床の上にどさりと倒れ込んだ。

 それでもサユはレイサにしがみついたまま、満面の笑みを浮かべている。

 レイサも呆れたように笑いながら、その額にそっと頬を寄せた。


「ほんとに……サユは可愛いな……」


 微笑みながらそう呟くと、近くで見ていたレイカがふっと笑う。


「本当に、サユはレイサが大好きね」


 言いながら、茶の入った杯を手にふうと息を吐く。

ユサは黙ったまま、じっと二人を見つめていた。


 レイサは、妹を抱きしめたまま、父と母の方へ顔を向けた。


「父さん、母さん。……行ってきます」


 表情は穏やかで、けれど瞳には強い意志が宿っていた。


「気をつけね」


 レイカがゆっくりと頷く。

 その横で、ユサは一言だけ呟いた。


「……ああ」


 それだけだったが、レイサはそれで十分だった。 



 深刻の始め。


 サユは屋根裏に上がり、寝る支度を整えている。

 ユサとレイカも自室に戻り、囲間にはレイサ一人。


 明日の出発に向け、荷の最終確認をしていた。


(剣、着替え、金。……水は、明日)


 確認を終えかけたその時、静かな声が届いた。


「……レイサ」


 聞き慣れた声に顔を向けると、部屋の入口にユサが立っていた。


「父さん? どうしたの」


 レイサは首を傾げる。

 ユサは一歩前に出たが、言葉を探すように、少しだけ口ごもった。


「その……あれだ。……そうだ」

「……?」


 ユサの様子に、レイサは少しだけ眉をひそめる。


 沈黙が一拍おかれた後、ようやくユサが言った。


「隊長としても……お前たちの無事を願ってる」


 レイサは一瞬きょとんとしたまま、曖昧に笑ってうなずいた。


「ああ。うん。ありがとう」


 ……結局、父が何を言いたかったのかは分からなかった。


 部屋の奥から、レイカの柔らかな声が届く。


「ほんと、不器用な人」


 呟くようにそう言って、夫と息子を見守るように微笑んでいた。



◇◇◇



 宵刻の半ば。


 囲間には、湯気の余韻と柔らかな談笑が漂っていた。

 夕膳を終え、片づけもひと段落したころ、ハナネは囲間の隅で妹や弟たちと座布団を囲んでいた。その少し離れたところでは、ソウヤが壁にもたれ、静かにその様子を見守っている。


 明日、ハナネがリグラムへ発つことは、すでに兄妹たちの間で知れ渡っていた。カイが、トワとサユからこっそり聞き出していたのだ。案の定、それはすぐに皆に広まった。


「ハナネお姉ちゃん、明日行っちゃうの?」


 白い髪の少女──末っ子の双子のひとり、ミサが、不安げに声を上げた。大きな目を潤ませ、袖をぎゅっと握る。


「ミサ、ハナネお姉ちゃんを困らせないで」


 その隣で、双子のもうひとり、チカがむっとした顔でたしなめた。


「チカ、そんなにきつく言わなくてもいいよ」


 ハナネは、静かに言ってチカの頭を撫でた。いつものような冷たい表情ではなかった。どこか、柔らかさを宿していた。


 チカは「はーい」と小さく返し、そっぽを向いた。


「お姉ちゃん、身体こわさないでね」

「みんなのことは、私に任せて」


 白髪の次男クウタと、しっかり者の次女ヒイナが、入れ替わるように言葉を添えた。


「ありがとう」


 ハナネは、微かに口角を上げて応えた。

 そのわずかな笑みに、兄妹たちは嬉しそうに目を輝かせる。


「お姉ちゃん、アイカさんも一緒に行くんでしょ? 帰ってきたら、色々聞かせてね!」


 カイが楽しげに身を乗り出すと、ハナネは小さくため息をついた。


「できたらね」


 アイカとは、あまり深く関わりたくない──それが正直な気持ちだった。


「絶対聞くからね!」


 無邪気な笑顔のカイに、返す言葉を見つける間もなく、今度はソウヤが口を開いた。


「……頑張ってな。何か必要なものはあるか? 金が足りないとか……あとは……」


 不器用な気遣いをにじませながら言葉を選ぶソウヤに、ハナネはすっと目線を向けた。その瞳には、冷たさが戻っていた。


「出発は明日です。必要なものは、すべて揃っています」

「……そりゃ、そうだよな」


 ソウヤは苦笑しながら目を伏せた。だが、それでも引き下がらず言葉を継ぐ。


「言っても無駄かもしれんが……ハナネのお父さんは──」

「お父様の話は、私にはしないでください」


 遮るようにして放たれた声は、低く、鋭かった。


 ソウヤの顔がすっと曇った。


「……出発前に気分を悪くさせたな。ごめん」


 そう言って、彼は俯いた。兄妹たちも沈黙し、重たい空気が囲間に落ちた。

 ハナネにとって、“父”という存在は、いまだに深い棘のようだった。


 気まずさが残る中、カイが手を叩いた。


「──あ、俺、今日お姉ちゃんに教えてもらいたいことがあったんだ!」


 とっさに場を変えるように、明るい声を上げる。


「……なに、急に」


 ハナネは眉をひそめたが、カイに背を押されるまま屋根裏の階段へ向かった。

 彼女の背中が見えなくなると、囲間の空気がふっと緩んだ。


「……ソウヤさん」


 ヒイナが、少しだけ咎めるような目で彼を見る。


「お父様の話は、まだしないでください。お姉ちゃん、やっとこの村に慣れてきたばかりなんです」

「……ああ、ごめん。分かってる。でもな……」


 ソウヤは、目を伏せたまま、低く呟いた。


「ハナネにも……あいつのことを、ちゃんと知ってほしいんだ」

「それでも、今じゃないと思います」


 ヒイナはきっぱりと言った。ソウヤは小さく頷くと、深く息を吐いた。



 屋根裏部屋には、外の薄明かりが斜めに差し込んでいた。


 小さな机を挟んで、ハナネとカイが並び、計算をしていた。


「ここ、間違ってるわよ」

「え、あ、ほんとだ……」


 ハナネの指摘に、カイは素直に反応する。

 彼女の教え方は簡潔で分かりやすかった。カイも次第に吸収し、笑顔で頷いた。


 しばらく墨木を走らせていたカイが、ふと顔を上げる。


「……ねぇ、お姉ちゃん」

「なに?」


 ハナネは、今度は柔らかな声で返した。


「……いや、なんでもないや」


 カイは言いかけて、俯いた。


 ハナネも、それ以上は追及しなかった。

 なんとなく、彼が何を言おうとしたのか、分かってしまったから。


 そっと片手を、机の下で握りしめた。

 気づかれないように──自分のために。



◇◇◇



 宵刻の半ば。


 静まりゆく屋敷の大部屋には、アオイとセイス、そしてシアン、イナト、イオリの姿があった。


 リグラム出発を翌日に控え、ささやかな見送りの集いが開かれていた。


「いよいよ明日だね。二人とも、頑張って」


 イナトが柔らかく微笑み、アオイとセイスに視線を向けた。


「お二人のご健闘を祈っております」


 イオリもまた、穏やかに笑みを浮かべて言葉を重ねる。


 そんな和やかな空気を破るように、シアンがぴしりと声を上げた。


「セイス、勝手な暴走はなしだよ。あと、ネシュカの言うことはちゃんと聞くこと!」


まるで弟を叱る兄のような調子だった。セイスはむっつりと目を逸らし、答えようとしない。


「……お返事は?」

「……はいはい、わかりましたって」



 しぶしぶながら、ようやく返した。完全に子ども扱いされているが、セイスにとっては日常茶飯事だった。


「任務の内容、今のうちに確認しておきたいです」


 アオイが言うと、シアンとイナトが顔を見合わせ、イナトが口を開いた。


「うん、それなんだけど。任務内容はネシュカから直接聞いた方がいいと思ってる。だから、まずは彼と合流するのが二人の任務だね」

「分かりました」


 アオイは素直に頷くと、ふとイオリの方へ視線を向けた。


「イオリ。体調は……もう平気か?」


 問いかけに、イオリはいつものように人懐っこい笑みを浮かべる。


「はい。初めての毒だったので、少しだけ体調を崩してしまいましたが、もう大丈夫です。あの毒、ぜひもう一度味わって研究してみたいですね」

「……そうか」


 少し引き気味に答えるアオイ。その目の前で、イオリは目を伏せるようにして口を開いた。


「それに……アオイには前にも言いましたけど、私は家を飛び出した身ですから。もし見つかれば、連れ戻されてしまうかもしれません」

「……そうだったな」


 アオイは、静かに記憶をたぐるように返した。

シアンがややおどけたような声で、再び口を開く。


「とにかく二人はもう先輩なんだから、後輩たちをちゃんと守ること! もしアイカちゃんとレイサくんに何かあったら……村長と隊長に何を言われるか……」

「後輩たちは、必ず守ります。責任もって指導します」


 アオイが静かに言うと、シアンとイナトは満足げに頷き、二人の元を後にした。


 その夜の深刻の始め。

 セイスは、自室で黙々と旅支度を進めていた。


(……なんで俺が後輩と一緒に行かなあかんのや)


 本音は単独行動の方が気楽だった。足を引っ張られるのはごめんだ。

 とはいえ、言われた任務は果たさねばならない。


 鞄に簡単な着替えと水、少しばかりの金を入れると、机の前へと足を運ぶ。

 そこに貼られていたのは、雑に描かれた似顔絵──数日前に助けた男の子からの礼だった。


 似ているとは言い難い。色づかいも歪で、子どもが描いたのが見て取れる。

 だが不思議と、悪い気はしなかった。


 セイスは、絵を手に取るとじっと見つめた。



 アオイもまた、静かな自室で支度を終えようとしていた。


 鞄の中には、ユサから預かった三百リザンの金が入っている。

 守攻機関の代表として、責任のある任務だった。


(……俺なんかに、任せてよかったのか)


 アイカやレイサ、それにハナネ。

 守るべき仲間は増えた。だが、自分にその覚悟が備わっているのかは分からない。


 第一部隊とはいえ、まだ一年目だ。年齢だって、後輩たちと一つしか違わない。

 そして今回は──ネシュカ先輩の任務だ。


 彼女は、アオイが守攻機関に入隊した頃の指導者であり、尊敬する存在だった。


(足を引っ張るわけにはいかない)


 不安はある。だが、それ以上に今はやるべきことがある。

 アオイは静かに息を吸い、背筋を正した。




 そして、深刻が幽刻へと差しかかる頃。

 家々の灯はすでに落ち、辺りは静寂に包まれていた。

 月の明かりだけが、そっと五人の背を押していた。

 その光のもと──五人は、北門へと足を進めていった。

神血の英雄伝(イコルのえいゆうでん) 第三十二話

読んでいただき、ありがとうございました!


次回からいよいよ本編はリグラム編へと入りますჱ̒⸝⸝•̀֊•́⸝⸝


その前に、番外編のようなお話を六つほど投稿する予定です。

(※そのうちの一つは、一度削除したお話の再投稿となります)


少し長くなってしまうかもしれませんが、

楽しんでいただけたら嬉しいです꒰՞⊃>⸝⸝⸝⸝<⊂՞꒱՞՞

これからも、どうぞよろしくお願いします。

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