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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
一章 始まり
32/91

信じる先

 それからあっという間に、七週間が過ぎた。


 その間、リグラムの文化や簡単な礼儀作法については、イナトが丁寧に教えてくれた。


「このたび、村長の代理として参りました、アイカ・カコエラです。よ、よろしくお願いします」

「アイカ、違うよ。もう一回やってみようか」


 敬語を身につけるだけで、アイカは何度も言い直しを命じられた。


 一方、訓練はアオイが担当し、アイカ・レイサ・ハナネの三人に個別で指導していた。

 だが、連携を強める目的で、時々三対一の形式も取り入れた。……結果としては、誰一人アオイに一撃も入れられなかった。


「じゃあ、ここでハナネが動くのはどうだ?」

「ううん、そこはレイサの方がいい。私はそのあと動いた方が……」

「なら私は正面から行く」


 少しずつ、三人の距離が縮まっていた。


 冷たかったハナネも、相変わらず口数は少ないが、自分の意見をぽつぽつと出すようになってきた。


「なんだかんだで、いい三人組になりそうだね」


 引き戸の向こうでこっそり聞き耳を立てていたイナトが、隣にいたアオイに小さく声をかけた。


「……はい」


 アオイは無表情なまま、頷いた。


 ユサとシアンは、襲撃の一連を村長へ報告したのち、交代で村長の護衛と補佐に付き、その他の時間は記録書に目を通して過ごしていた。慣れたものなのか、疲れを見せることもなく淡々とこなしている。



◇◆◇



 そんなある日、アイカたち三人がアオイより先に守攻機関本部に戻った時のことだった。


「おかえり! どうだった?」


 三人を出迎えたのはイナトだった。引き戸の前で手を振りながら、いつもの軽やかな口調で声をかけてくる。


「どうもこうも……アオイ、強すぎ……」


 ぐったりと肩を落としながら、アイカはその場にしゃがみ込んだ。汗まみれの前髪が額に張りついている。


「勝てる気がしない……」


 レイサも眉を下げながら悔しげに言い、手に持った柄の部分をぎゅっと握りしめた。


 その隣で、ハナネも無言のまま息を整えている。顔は伏せているが、そのわずかに噛み締められた口元が、彼女の悔しさを代弁していた。


「アオイは強いからね」


 イナトは三人の様子に目を細めながら、イナトは小さく笑った。

 拳を軽く作って自分の手のひらにぽんっと当てると、何かを思い出したように、ふと口を開いた。


「そういえば今日って……水照の月の三十日。アオイの誕生日なんだよね」

「え、今日!?」


 アイカが目を丸くして立ち上がる。レイサも「本当ですか?」と目を見開いた。


「うん。十七歳。去年はイオリが何か作ってたよ」

「イオリさんが……」


 思わぬ情報に、アイカとレイサは目を見合わせた。イオリはまだ癒庵で療養中だ。

 しばしの沈黙のあと、二人はにやりと同時に笑みを浮かべる。


「今なら市場、まだ開いてるよね!」

「よし、急ごう!──イナトさん、アオイさんの嫌いなものってありますか?」


 矢継ぎ早に問いかける二人に、イナトは苦笑しつつ首を傾げる。


「うーん、特には聞いてないけど……何か作るの?」

「もちろん!」

「訓練のお礼も兼ねて、だよ」


 きっぱりと答える二人に、イナトの表情がほころぶ。


「いいね、それ。じゃあ僕は、アオイの足止め役になるよ」


 その言葉に、二人は元気よく頷いた。


「ハナネも一緒に行こう!」

「嫌。帰る」


 アイカの声に、即答で突き放すような返事が返る。だがイナトが穏やかな声で重ねた。


「ハナネも行っておいで。……これは、指導官命令です」

「……えぇ」


 低く漏れた不満の声。それでも、いつものように黙って引き下がることはなかった。ハナネはしぶしぶながらも、二人の後ろに足を向ける。


「じゃあ、行くぞー!」


 元気よく手を挙げて先頭を歩くアイカに、レイサが楽しげに続く。その背中を、ハナネもゆっくりと追った。



◇◇◇



 墓刻の終わり。

 

夕刻の森での訓練を終えたアオイは、一人で木陰に腰を下ろしていた。


 そこへ、手に木刀を携えたイナトが、軽い足取りで近づいてくる。


「アオイ、お疲れさま」

「……どうかしましたか?」


 視線を木刀へとやったまま、アオイは落ち着いた口調で応じた。


「少し僕も体を動かしたくてね。付き合ってくれる?」

「……わかりました」


 ほんのわずか、言葉を詰まらせたが、すぐにアオイは立ち上がった。

 短い手合わせの後、本部へ戻る道を、二人は並んで歩いた。


 結果は、アオイの完敗だった。


 本部の引き戸を開けて靴を脱ごうとしたとき、イナトがふと声をかけた。


「アオイ、大部屋をちょっと覗いてくれる?」

「……はい」


 不思議に思いながらも、言われたとおり戸を開けたその瞬間──


「アオイ、誕生日おめでとう!」

「アオイさん、おめでとうございます!」


 飛び込んできたのは、アイカとレイサの満面の笑顔だった。


「……おめでとうございます」


 ハナネは、いつもよりわずかに小さな声で続ける。


 アオイはその場で固まった。

 目の前の机上には、甘味の蒸し餅や果物、茶の入った杯が並べられている。


「……俺の……誕生日か」


 ぽつりと、自分でも驚いたようにアオイが呟いた。


「アオイ、おめでとう」


 背後から、イナトが穏やかに言った。


「セイスがいないね……?」


 ふと見渡したイナトが首をかしげると、レイサが肩をすくめて答えた。


「誘ったけど……断られました」

「なら、僕が行ってくるよ。みんなは先に始めてて」


 笑顔でそう言い残し、イナトは外へと出ていった。


「アオイさん、こっち来てください」


 レイサが手招きすると、アオイはゆっくりと歩みを進め、席についた。


「ごめん、すごく簡単なものしか作れなかったけど……」


 アイカが少し遠慮がちに言うと、アオイは小さく首を横に振り、ほんの少しだけ口角をあげた。


「……いいや。ありがとう」


 それを見た三人は、一瞬ぽかんと目を見開いた。こんなふうにアオイが笑う姿は、初めてだった。


 しばらくして、イナトに連れられてセイスがやってきた。

 仏頂面のままだったが、声は荒げなかった。


 その夜、深刻の始まりまで。

 守攻機関本部の一角では、静かでささやかな祝宴が開かれていた。


 アイカとレイサがよくしゃべり、イナトがにこにこと頷き、

 ハナネは一言だけつぶやき、セイスは黙って茶をすすっていた。


 アオイは、そのひとときを──

 ただ静かに、けれど確かに、胸の奥に刻んでいた。



◇◆◇



「……暑い……」


 森での訓練を終え、小休憩をとるレイサが、汗を拭いながら呻いた。


 水照の月が過ぎ、炎風の月の終わり。もうすぐ赤陽の月が訪れようとしていた。

 南方に位置するナサ村は、この時期、焼けつくような暑さが続く。


「暑すぎて、もう……溶けそう」


 アイカもぐったりと声を漏らした。

 アオイとハナネは、無言で水を飲みながら汗を拭っている。無口なのはいつもどおりだが、ややハナネの表情もぐったりとしていた。


 そのとき、守攻機関本部の方向から足音が近づいてきた。

日差しを遮るものもない中、セイスが姿を現し、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 やがて四人の前に立つと、まっすぐハナネの前で足を止めた。


 無言で見下ろす鋭い視線に、ハナネも目を逸らさず冷たいまなざしで見返す。不穏な空気が流れる。


 ……だが次の瞬間、セイスがぽつりと言った。


「……言い過ぎた。悪かったわ」


 声音に棘は残っていたが、それは確かに、謝罪だった。


「いえ。……私も、確認を怠りました」


 ハナネも冷たい声で返した。まるで謝ってなどいないかのようなやり取りに、二人の間の空気は変わらないまま、しばし沈黙が流れる。


 睨み合いののち、セイスがふっと目を逸らし、一歩下がって距離を取った。

 その様子を見ていたアオイは、ふとあの日のやり取りを思い出す。


──話し合いが終わったあの日、大部屋の空気が落ち着いた直後。


「セイス、さっきは言い方が良くなかったよ。復帰したら、ちゃんとハナネに謝ること。いいね?」

「そうだよ。これでハナネちゃんが引きずっちゃったら、どうするつもりなの?」


 シアンとイナトに左右から責められ、セイスは渋々「わかった」と言った。あの様子では絶対謝らないと思っていたが、こうして自らやって来た。


(セイス、人の言うことは全く聞かないよな……)

(でも、ユサ隊長とか、シアン副隊長とか、イナトさん、クレムさん──そのあたりの言葉だけは、一応聞くんだよな)

(……クレムさんはちょっと、実力行使だけど)


 アオイは、ハナネたちから少し離れた長椅子に腰を下ろしたセイスを見やりながら、そんなことを思った。


「ちゃんとみんな、ここにいるね」


 また、本部の方からの声とともに足音が近づいてくる。

 現れたのはユサとイナト。そして、その隣には軽く手を振るイオリの姿もあった。


 イオリは、襲撃のあと一月ほど癒庵で看付きされ、その後、宿での静養を経て、ようやく今日から顔を出せるようになったのだという。


「セイス、ちゃんと謝った?」


 イナトが意地悪そうに尋ねると、セイスはぷいと視線を逸らした。


「後輩には優しく、って言ったでしょ?」


 イナトが笑いながら続ける。


 セイスは何も言わず、ひとつ息を吐くと、ほんの少しだけ距離を取った。


 その様子に、イオリが「ふふ」と短く笑った。


 イナトの姿を見つめながら、レイサはずっと胸にあった疑問を口にした。


「イナトさんって……守攻機関の隊員じゃないんですか?」


 声をかけられたイナトは、少し驚いたようにレイサの方へ顔を向けた。

 確かにイナトは、制服を着ているし、アイカたちに知識や技術を教えている。けれど──その襟元には、印飾いんしょくが付いていない。


「あ、えっと……」


 気まずそうに笑うイナトの代わりに、ユサが口を開いた。


「イナトは、守攻機関の制服を着てるが……試験を志願してない」

「え……?」


 驚いたように目を見開くレイサに、ユサは淡々と説明を続けた。


「イナトは、任務でノルヴェエルに行ったときに、俺が誘った。今は補助員という立場たが、正式な隊員ではない」

「僕は争いが、あまり好きじゃなくてね……。でも、指導役ならどうだってユサ隊長が声をかけてくれて。それならと思って」


 イナトが、穏やかに補足した。


「でも……それでも、あんなに強いんですね」


 レイサが感心したように言うと、イオリがにっこり笑って言葉を添えた。


「イナトさん、元々王家直属の騎士ですから」

「えっ……!?」


 アイカ、レイサ、ハナネの視線が一斉にイナトへ向かう。


「と言っても、僕は一般層の出身だよ。家柄の力じゃなくて、ただ剣と勉強を頑張って、それで王家に仕えることになっただけ」


 イナトが苦笑交じりに言う。


「でも……王家って?」


 ぽつりとアイカが呟いた。ナサ村では聞き慣れない言葉だった。


「ノルヴェエルについては、また今度ゆっくり教えるね」


 イナトはにこやかに言ってから、空気を切り替えるように言葉を続けた。


「さて。今日は三人に、大事な話を伝えに来たんだ」


 その言葉に、アイカたちは思わず背筋を伸ばした。


「赤陽の月になったら、三人にはリグラムへ行ってもらう」


 真剣な口調に、三人の表情が引き締まる。


「もちろん、三人だけで行かせたりはしない。アオイとセイスが同行して、リグラムでの任務を受けてもらう。三人は、その補佐」


 イナトの語調は穏やかだが、芯があった。


「今、ネシュカがリグラムのメルグロアにいて、任務をしているんだけど……いろいろ問題があってね。だから五人で行って、ネシュカを手伝ってきてほしい」


 一瞬、三人の表情が曇る。

 今、自分たちが村を離れていいのか……。

 前の襲撃での反省はまだ胸に残っていた。


 イナトは、そんな彼女たちの気持ちを見透かしたように、微笑んだ。


「大丈夫。僕も見回りに出るし、役場の人たちも協力してくれる。それに……クレムも、一度戻ってくる予定なんだ」


 安心させるように告げられた言葉に、三人の表情が少し緩んだ。


 それでも、胸の奥には揺れる感情が残っていた。


 ――前の襲撃で、力を出しきれなかった自分たち。

 それでも今、自分たちが任務に行っていいのか。


 けれど、その葛藤すらもきっと──この任務の中で、一歩ずつ、答えに近づいていくのだろう。


「行きます!」


 アイカは、迷いのない瞳でイナトたちを見つめ、まっすぐ言い切った。


 今はまだ不安の色が残っていても、歩き続けるかぎり、前を向ける。

 そんな未来を、信じてみたくなる日だった。

神血の英雄伝イコルのえいゆうでん 第三十一話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです(՞ . .՞)︎


アオイ、お誕生日おめでとう(⸝⸝◜~◝⸝⸝)

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