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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
一章 始まり
31/83

微笑の檻

 ナサ村を襲った四人の少年少女は、混乱に乗じて北門の警備の隙を突き、あらかじめ隠していた小舟へと乗り込んだ。


 波間を滑るように海を渡り、岸へたどり着いた四人は、そこから都市へ向かうという通行人に紛れ、その荷台の影に身を潜めた。都市に着いたのは夜半。人通りの少ない裏通りを縫うように歩き、四人は一つの古びた建物の中へと消えていった。


「……はー、疲れた」


 水色の髪をした少女が、床に倒れ込む。


「船、あんなに長く乗ったの……俺、初めてだわ」

「俺も」


 金髪の少年がぐったりと壁に寄りかかり、水色の髪の少年も弱々しく相槌を打った。ただ一人、茶髪の少女だけが背筋を伸ばしたまま、涼しい顔をしていた。


「お帰り、四人とも」


 建物の奥から響いたのは、どこか艶やかで軽やかな声だった。


 間もなく、漆黒の髪を緩やかに波打たせた男が姿を現した。百七十後半の細身の体に、整った顔立ち。笑みを浮かべてはいたが、その眼差しには温度がなかった。


「サクヤ! ただいま〜!」


 水色髪の少女は、男へ駆け寄り、男の首に腕を回して抱きつく。


「ミアラ、お帰り」


 サクヤと呼ばれた男は、静かな声で彼女の名を呼び、その頭を優しく撫でた。


 その様子を見ていた少年たちは、一瞬視線を交わすと、揃ってうつむいた。肩がわずかに震えている。だが茶髪の少女は、やはり一歩も動かない。


「もう、大変だったんだから。歩きっぱなしだし、船も揺れるし……ほんと疲れたの」


 ミアラは子どものようにぷくっと頬を膨らませ、足をばたつかせた。


「うん、お疲れさま。あとで、ゆっくり休んでいいよ」


 サクヤは穏やかに笑った。だがその笑みに、どこか作り物めいた無機質さが混じっていた。


 ゆっくりと少年たちの方へ顔を向ける。


「……さて。二人とも。どうだった?」


 その一言に、少年たちの肩がびくりと跳ねた。


 沈黙が落ちる。やがて、水色髪の少年が震える声で答えた。

 震えた瞳と声で言った。


「……その……サクヤさんが探していた人は……見つかりませんでした」

「……そっかぁ……」


 サクヤは笑顔のまま、少しだけ肩を落とした。だが、その落胆には心が感じられなかった。ただ、台本通りに動く俳優のように。


「でも、成果はあったんだよね?」


 その問いかけは、柔らかく──まるで子どもをあやすように穏やかだった。だが、その温度のなさこそが、少年たちの心に氷のように突き刺さった。


「……じゃ、邪魔が入ったんです……!」


 水色髪の少年が焦るように、声をかき消すように叫んだ。


「邪魔?」


 サクヤは小首をかしげて笑みを深める。目だけが、笑っていなかった。


「そ、そうです。あれさえなければ……! ちゃんと……できました……!」


 沈黙していた金髪の少年も、必死に口を開く。声は裏返り、喉は引きつっていた。


 それを聞いたサクヤは、小さく息を吐いた。


「……そっか。なら、仕方ないね」


 その言葉は、赦しのように響いた。


 少年たちは、一瞬だけ息をついた。喉奥で詰まっていた空気が、わずかに流れた。安堵ではない。ただ、極限の緊張が、ほんのわずかに緩んだだけだった。


 だが──その直後。


「……そういえば、二つ目の研究所から連絡があってね。ちょうど、データが不足してるってさ」


 その言葉は、あまりに何気ない調子で投げられた。だが、少年たちの背骨を氷の杭が貫いた。


「……え?」


 金髪の少年が呟くように声を漏らす。水色髪の少年は、目を見開いたまま瞬きすらできなかった。体が、石のように固まる。


「トウガ、準備して」


 その指示に応じて、背後から赤髪の青年が音もなく現れた。影のように、死の使いのように。


 無言で、少年たちの襟元をつかみ上げた。逃げようとする間もなく、腕をつかまれ、そのまま床を引きずられていった。


「ま、待ってください、サクヤさん! もう一度だけ、チャンスを……次は……次は失敗しません……! 本当に……!」

「トウガさん、離して! お願いします、嫌だ、やだやだっ!!」


 押し殺したような声で懇願しながら、少年は必死に手足をばたつかせた。

 だがその抵抗は虚しく、まるで冷たい石像に縋るようだった。


「……じゃあね」


 サクヤは、まるで友人と別れるかのように軽やかに手を振った。


「運が良ければ……助かるかもね」


 そして、ゆっくりと言葉を添える。


「君たちに──神血(イコル)の導きがあらんことを」


 その声は、祈りのように優しく、温かかった。


 けれど──そこに救いはなかった。あるのは、ただ冷たく閉ざされた、出口のない檻だった。


 その言葉が意味するものを、少年たちはもう知っていた。

 あの言葉のあとに待つものが、どれほど酷く、取り返しのつかないものかを。





 少年たちが引きずられていったあと、沈黙が落ちた部屋に、ぱっと花が咲くような声が響いた。


「あっ、ねぇねぇ聞いて! そうだ、私、見たよ!」


 ミアラが、明るくサクヤに向き直った。満面の笑顔を浮かべ、ぴょこんと弾むように歩み寄る。

 さっきまで叫び声が響いていた場所に、明るい声が落ちた。あまりにも軽すぎて、場の空気を裂くようだった。


「サクヤが探してた子! 九番は見つからなかったけど……でも、あの子、ぜったい違わない!」


 褒めてもらえると信じて疑わぬ調子だった。


「ミアラの方だったんだ」


 サクヤは優しい声でそう言うと、ミアラの肩に添えられていた腕をするりとほどき、ゆっくりと茶髪の少女の方へと歩き出した。


「……え」


 ミアラはその場に取り残され、むっとしたように口を尖らせる。さっきまでの甘えた笑顔がしぼみ、不満そうな視線がサクヤの背中に突き刺さった。

 サクヤは、茶髪の少女の目の前でぴたりと足を止めると、いつものようにやわらかな笑みを浮かべて口を開いた。


「君じゃなかったのは、少し残念だな」


 緑の瞳を細めながら、まるで失望などしていないような口調で言う。


「……君は、何か成果を出せた?」

「……いいえ。すみません」


 少女はうつむいたまま、短く答えた。それ以上、言い訳もしなかった。


「そっか」


 サクヤは頷くと、さらに笑顔を深めた。


「でも、君には特別にチャンスを与えてあげる。よかったね」


 その口調はまるで、慈愛に満ちた教師のようだった。だが、慈悲はなかった。


「あの子たちと同じ場所へ行くか、もう一度、成果を出すために頑張るか。どちらがいい?」


 少女の身体がこわばった。

 短い沈黙のあと、かすれるような声が落ちた。


「……頑張ります」


 それを聞いたサクヤは、少女の頬にそっと片手を添えた。爪の先が肌にわずかに食い込む。けれど、指の動きはあくまで優しく、なでるようだった。


「君を見たら、青目ちゃん……あの子は、きっとすごくいい顔をしてくれるだろうね」


 サクヤはそのまま、少女の瞳を覗き込んだ。

 彼の笑顔は、まるで嬉しそうだった──まるで、もう壊れる寸前のものを愛でる者のように。

神血の英雄伝(イコルのえいゆうでん) 第三十話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです(՞ . .՞)︎


十三話ぶりにサクヤの登場です♪

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