穏やかの終わりに
このお話は、ユサたちがアイカたちのもとへ向かう、ほんの少し前の出来事を描いたものです。
幽刻の半ば。
港には冷たい潮風が吹きつけ、船の帆を揺らしていた。
リグラムのトラセイル港に到着したユサとタイガは、出迎えに来ていたネシュカから任務の報告と、まとめられた記録書を受け取ると、足早にナサ村へ戻るための舟へと向かった。
――と、背後から勢いのある声が響いた。
「待ってくださーい! 隊長ー!」
振り返ると、一台のラゴンがこちらへ近づいてきていた。その中から、大きく手を振っている人影が見える。
(……シアン?)
ラゴンがぴたりと止まり、守攻機関副隊長のシアンが飛び降りてくる。運転手に簡単な礼と支払いを済ませると、彼は笑顔でユサたちへ駆け寄った。
「隊長! 僕も一緒に乗せてください!」
「……いや、その前に。おまえ、休暇中じゃなかったか? どうしてここに?」
戸惑いを浮かべながら尋ねるユサに、シアンが答えようとしたそのときだった。
「ユサ、そろそろ行かねば間に合わんぞ」
タイガが穏やかな口調で声をかける。その一言に、ユサも我に返ったように頷いた。
「……ああ、そうですね」
ユサが返事をすると、タイガは今度はシアンのほうを見やった。
「シアン、一緒に乗っていて良いぞ」
「ありがとうございます!」
シアンは満面の笑みを浮かべて深く頭を下げた。こうして三人と舟手の二人を乗せた舟は、ナサ村へと向かっていった。
◇◇◇
舟が港を離れてから、およそ四時間が経過した。
海面を渡る風は穏やかで、舟内にはネシュカから受け取った記録書を囲む三人の会話が続いていた。
「クレムは一度、報告のために戻ってきますが……応援には向かわせるのは難しいですね」
「そうか。なら、セイスではどうだ?」
「……セイスだと、今回の任務は暴走する可能性があります。アオイも……まだ難しいでしょう」
言いよどむユサに、シアンが身を乗り出すように言った。
「あ、イオリが良いと思いますよ! 一番冷静に対処できます!」
あまりに迷いのない言葉に、ユサとタイガが一瞬だけ顔を見合わせた。
「イオリか……本人が了承すれば、確かに適任かもしれないな」
「イオリは任務なら行ってくれます! そこは僕が保証します!」
きっぱりと断言するシアンに、タイガが少しだけ微笑を浮かべた。
「そういえば、イオリを育てたのはお前だったな」
「はい! 素直で飲み込みも早かったですし、教えるのが楽しかったです」
その言葉には、どこか師としての誇らしさが滲んでいた。
ふと、話題が変わる。
「そういえば……アイカちゃんとレイサくん、合格したんですよね?」
「……ああ、なんとか、な。アイカもすごく喜んでいたよ」
タイガが優しい口調で答えたその横で、ユサは短く息を吐いた。
「合格したよ」
声の調子が僅かに落ちた。
隊長として誇らしいはずなのに、そこににじむのは、拭いきれぬ不安と哀しみ。
シアンもすぐに察したようだった。
「……おめでとうございます。でも……そうですよね。少し、複雑ですよね」
顔を少し伏せて言うと、ユサもわずかに口角を上げて返した。
「隊長としては嬉しいさ」
それだけを静かに告げた。
その言葉に、タイガとシアンがユサを見つめた。
ナサ村を守る守攻機関に、新たな才能が加わった。それは喜ばしいことだ。だが、父親としては、どこかでずっと望んでいたのかもしれない。穏やかな人生を、平凡な幸せを、レイサに――。
◇◇◇
さらに三時間が過ぎたころ、市刻の半ば。
舟はようやくナサ村の北門が見える場所まで近づいていた。
船着場に滑るように接岸すると、ユサ、タイガ、シアンの三人が静かに舟を降りた。
「タイガ村長、ユサ隊長。お帰りなさい」
振り向けば、門の方から手を振りながら近づいてくるイナトの姿があった。
軽く一礼すると、イナトはふとシアンに気づく。
「あれ、シアンさんも帰ってたんですね」
「うん。ちょっと早めにね」
軽い調子で返すシアンに、イナトは「そうなんですか」と言って微笑む。
そして、ユサへと顔を向けて続けた。
「今、アオイたちがアイカたちに見回りのやり方を教えてます。イオリとアイカが東側で──」
チチチチッ
突然、耳慣れない鳴き声が背後から響いた。
四人が同時に振り返ると、一匹のイタチが小さく鳴きながら足元をちょろちょろと駆け回っている。
「……イタチ?」
「森から迷い出たんですかね?」
シアンとイナトが顔を見合わせて首を傾げる。だが、ユサは一歩も動かず、その場でじっとイタチを見つめていた。
目を細め、わずかに眉をひそめる。
タイガがその横顔に気づいた。
「……襲撃者が来た」
ユサが低く、冷ややかな声で言った。
「えっ……?」
思わず声を上げたシアンに、ユサは背を向けたまま命じる。
「イナトは南。シアンは東を確認してこい。俺は西側へ行く」
「……はい」
「了解です」
一瞬の緊張が空気を刺す。
二人はすぐに返事をし、それぞれの方角へ走り出した。駆け出していく背を見送り、ユサはタイガに顔を向けた。
タイガはにこりと笑う。
「わしの護衛は良い」
その言葉に、ユサは深く頭を下げる。
「……申し訳ありません」
そのまま、村の西へと駆け出した。
靴音だけが、ひときわ大きく響く。
村の空気が、一変したように冷たくなる。
風が、草葉を鳴らしていた。
神血の英雄伝 第二八話
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