訓練
気づけば、正午を過ぎていた。
長く続いた説明を終え、ようやく休憩の時間となる。
三人はそれぞれ、持参した飯箱と飲み壺を机に並べた。
アイカとレイサの飯箱は、竹で編まれた素朴なもの。中には麦米の握り飯が二つずつ、きれいに詰められている。
一方、ハナネの飯箱は滑らかな木製。飲み壺は重厚な鉄製で、中には温かい湯が入っている。
そしてその飯箱の中には、半分に詰められた麦米。その隣に焼いた魚と野菜、彩りのいい卵巻きまで添えられていた。
その手際のよさを感じさせる内容に、思わずアイカが目を丸くする。
「それ、ハナネが作ったの!?」
身を乗り出して尋ねるアイカに、ハナネはぴしゃりと視線を返した。
「だったら何?」
冷たく、氷の刃のような声。
だが、アイカはまったく動じず、満面の笑みで言った。
「え、すごい!めっちゃ美味しそう!ハナネってご飯作るの上手なんだね!」
「……え?」
その言葉に、ハナネの目が一瞬だけ揺れる。
嘘でも皮肉でもない、あまりに真っ直ぐな褒め言葉に、彼女の中で何かがかすかに崩れそうになった。
だが、それを自分で押し留めるように、すぐに視線を逸らす。
「……褒められることじゃない」
「いやいや、ほんとすごいよ!この卵巻きどうやって作ったの!」
アイカは楽しそうにぐいぐい話しかけるが、ハナネはそれに返事をせず、黙って箸を取り飯箱へと向き直った。
レイサはそんな二人のやり取りを横目に、自分の握り飯に黙々と集中している。
机の上に、互いの温度が交わらないまま、静けさだけが落ちていた。
◇
食後。
三人は備えの間から木刀を取り出し、北東の森へと向かった。
イナトから「午後は森で訓練するから、木刀を持ってきてね」と言われていたのだ。
森の入り口には、すでにイナトが立っていた。風に揺れる木々のざわめきの中、彼は三人を見つけて軽く手を振る。
「あっ、来たね!」
相変わらずの朗らかな笑顔――そのまま、さらりと告げる。
「午後は、三人の実力を見せてもらいます! 実戦形式でね!」
「えっ、戦うの!?」
アイカが驚いて声を上げると、イナトは軽く頷いた。
「うん。どれくらい動けるか、今のうちに見ておきたいしね。もちろん怪我をしない程度に。今回は神選者の力は禁止。純粋な体術と武器だけで」
「了解」
レイサは気楽そうに肩をすくめ、木刀を肩に担ぐ。
「じゃあ、最初はアイカとレイサ。出てきて」
イナトが手を差し出すように言うと、二人は無言で頷いて前へ進む。
互いに木刀を構え、一定の距離を取って向き合った。
森の風が、わずかに葉を揺らす。
緊張と沈黙が空気を満たす中、イナトの声が響く。
「それじゃあ、始め!」
空気が変わった。
風を裂く音が一閃――先に動いたのはレイサ。
「っ!」
低く踏み込み、アイカの足元を狙って木刀を振り下ろす。
ガンッ!
だがアイカも即座に木刀を地面に突き立て、衝撃を受け止めた。その反動を利用し、逆足でレイサの左腹部に蹴りを放つ。
「うおっ」
レイサは反射的に身をひねり回避。その隙を突いて、アイカが木刀を振り上げる――が、レイサもすかさず防ぐ。
木刀がぶつかり、乾いた音が森に響く。
互いに一歩も引かず、目線すら逸らさない。
ハナネは、ただ静かにその様子を見つめていた。
目を逸らすことなく、まるで何かを確かめるように。
再び構え直した二人。
呼吸が整っているのが分かる。緊張の中に、集中が漂っていた。
レイサが今度は正面から踏み込む。斜めに振りかぶった木刀が、アイカの肩を狙う――
「甘い!」
アイカは腕を伸ばして、素手でその攻撃を受け止めた。
「……!」
ハナネの瞳がかすかに揺れる。
それは、二次試験の時に見た、アオイの技――アイカがそれを“模倣”しているように見えた。
そしてもう片手で拳を握り、レイサの腹部へと突きを入れようとする。
「……っ!」
レイサが危険を察知し、瞬時に木刀を捨て距離をとった。
その動きの直後ーー
「そこまで!」
イナトの声が、森に澄んだように響いた。
イナトが静かに歩み寄り、二人の間に立った。
「いい動きだったよ。ちゃんと力を抜かず、でも相手を傷つけることもなかった。……想像してたより、ずっといい仕上がりだね」
その言葉に、二人はほっとしたように近くの地面に腰を下ろす。
額から流れる汗が頬をつたい、呼吸の音が白い吐息になって揺れた。
イナトは、そんな二人をにこやかに見守りながら、心の中で呟く。
(速さや反射は、やっぱりレイサが上だな。動きのキレもいい。けど、力は圧倒的にアイカ。正面からぶつかったら、レイサでも押し負ける)
評価する目は柔らかいが、その観察は正確だった。
しばらくの休憩を挟んだのち、イナトがそっと声をかける。
「じゃあ、次は……ハナネとレイサ。レイサ、いける?」
肩を回しながら、イナトが尋ねる。
レイサは息を整えながらも即答した。
「いけます」
先ほどの疲れを引きずらないその様子に、イナトは満足げに頷いた。
一方、名前を呼ばれなかったアイカは、ちょっとだけ唇をとがらせた。
「えー、私もう終わりなの?」
不満げな声を漏らしながらも、彼女は素直に退き、今度はハナネと交代する。
アイカが腰を上げ、ハナネとすれ違いざまに軽く笑いかけるが――ハナネはそれに反応せず、静かに前へと進む。
入れ替わるように、再び場に張り詰めた空気が戻ってきた。
ハナネとレイサ。二人の視線が交わると、辺りの木々のざわめきすら遠く感じられた。
レイサとハナネが向かい合う。空気がぴんと張り詰めた。
風が葉を揺らし、木漏れ日がふたりの足元に差し込む。
「それじゃあ、始め!」
イナトの合図と同時に、レイサが鋭く地面を蹴った。
(来る──っ)
木刀が一直線にハナネの肩を狙う。
さっきの戦いで疲れているはずなのに、レイサの動きはまったく鈍っていなかった。
(速い……!)
ハナネは防ぎきれないと判断し、一歩だけ後ろへ退く。木刀はギリギリで彼女の袖をかすめた。
(避けられた?)
レイサが少し目を見開く。
一方で、イナトは静かに観察していた。
(反応はできるか……)
ハナネは無言のまま、次の一手を読むように相手を見つめている。
レイサが再び仕掛ける。
先ほどよりもさらに速度を上げて。
ハナネの脳裏に、アイカとの試合がよぎった。
──右からの攻撃には鋭く反応していたが、左からのときだけ、ほんのわずかに遅れる。
(……左目が見えにくい?)
確信に変わったハナネは、わざと大きく右へと移動する。視界の外へ回り込むように。
「っ!」
レイサが振り向いた。しかし動きにほんの一拍の遅れがある。
(やっぱり……)
ハナネが木刀を構えた、まさにそのとき──
レイサが体を浮かせ、的確にハナネの木刀の持ち手近くを蹴り飛ばした。
ガンッ!
バランスを崩した木刀が宙を舞う。
そしてすぐに、自分の木刀をハナネの顔の前へ突きつける。
「そこまで!」
イナトの声が森に響くと、ふたりは動きを止めた。
「はあっ、はあっ……」
レイサが軽く肩で息をしながら木刀をおろす。
「やるじゃん、ハナネ……まさか避けられるとは……アイカですら時々反応が遅れるのに」
ハナネは無言でレイサを見つめた。
ただ、冷えた瞳の奥には、わずかに闘志のような光が揺れていた。
イナトがふたりに歩み寄る。
「いい読みだったね、ハナネ」
ハナネは何も言わず、肩の埃を軽く払う。
(……まだ力も反射も足りないけど、考える力なら、あのふたりに負けていない)
それを見ていたアイカは、目を丸くしながら思った。
(やっぱりハナネも強いんだな……)
一方で、レイサは左目のあたりをそっと手で押さえ、小さく苦笑する。
(まいったな……気づかれてたか。隠せてると思ってたのに)
イナトの目が静かにレイサをとらえた。
(左目……眉の下に、薄い傷跡。過去に大きな怪我を負ったのかもしれない。もしかすると、視界が狭いのか……)
だがイナトはそのことには一切触れなかった。ただ、じっと見守るだけだった。守攻機関では、最初の三ヶ月間は第一部隊の先輩と組を組み、見回りや訓練を通じて力を高めていく。
今回の訓練は、その初月の“組み合わせ”を決めるためのものだった。
(さて……誰と誰を組ませるか)
そう考えたあと、イナトはふっと口角を上げた。
イナトの胸の内に、三人それぞれの“適所”が静かに描かれていく。
そして翌日――三人の組が、発表された。
神血の英雄伝 第二十四話
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