糸送り
陽が傾き始めた頃。
裏庭へ戻ると、食事の跡はすでにユサとイナトによって綺麗に片付けられていた。
五人の姿を見たイナトが、ふと問いかける。
「セイスが宿に戻ったはずだけど……会わなかったか?」
その言葉に、イオリがどこか気まずそうに笑みを浮かべた。
「ええ……少し、セイスを怒らせてしまいまして」
イオリの表情から察したのか、ユサはわずかにため息をつく。
「俺が行こう」
そう呟いて革靴を脱ぐと、ユサは端板を渡って室内へと入っていった。
彼の姿が見えなくなった頃、イナトが五人に小さな白い糸を一つずつ手渡し始めた。
「今日だった」
糸を受け取ったアイカとレイサが、同時に思い出したように声を上げる。
一方で、ハナネは少し不思議そうな顔をしていた。村に来て間もない彼女には、この糸の意味がわからなかったのだ。
それに気づいたアイカが、ハナネの方へ向き直り、穏やかに説明する。
「今日は、糸送りの日なんだ」
慣れた口調でそう言うアイカに、ハナネが首を傾げる。
「糸送り……?」
「そう。命を落とした人が、未練なくあの世へ行けるようにって、広場の焚き火にこの糸を入れて祈るんだよ」
まだ完全には理解できない様子のハナネに、今度はレイサが補足した。
ナサ村では、新陽の月の終わりに、命を落とした者のため祈る「糸送りの日」が行われる。
「未練が強いままだと、死んでもこの世に残っちゃうからさ。……だから、一年に一度、こうして祈るんだ。ほんとに効果があるかは分かんないけどね」
レイサは少しだけ苦笑いをした。
「未練が強すぎる者は、一度だけ姿を現す……なんて、言われてるらしいですよ」
イオリが片手に糸を持ち上げ、どこか興味深げに呟いた。
やがて、ユサが戻ってきた。
「セイスは、入り口の外で先に待ってるそうだ」
そう告げたあと、彼はイオリに顔を向ける。
「……イオリ。あまり先輩に舐めた態度をとるな」
その言葉には、少しばかり圧がこもっていた。
「はい。申し訳ありません」
イオリは笑顔のまま、しかし深く頭を下げて応じた。
「先輩……?」
アイカが思わずつぶやくと、アオイが淡々と答える。
「ああ。セイスが第一部隊になったのは、俺たちと同じ時期だけど……守攻機関での経験は、セイスの方が三年長い」
「そっか……」
アイカは小さく返し、一行はセイスの待つ入り口へと向かった。
セイスは、不機嫌そうな顔でじっと立っていた。
その側へイナトが歩み寄り、他の者たちと同じように白い糸を差し出す。
セイスは黙ったまま、それを受け取った。
「それでは、行こう」
ユサの合図で一同は歩き出す。
先頭にはユサ、すぐ後ろをアオイとイオリが歩き、その後ろにアイカ、レイサ、ハナネ。
最後尾にはイナトとセイスが並ぶ。
◇
広場に着くと、すでに多くの村人が集まっていた。焚き火のそばには、村長であるタイガの姿も見える。
守攻機関の姿を見つけた村人たちの視線が、一斉に彼らへと向いた。
「新しい隊員たちだって!」
「まだ子どもじゃない」
温かい眼差しもあれば、冷たい視線もある。
それでもアイカたち三人は、胸を張った。守攻機関の一員となった自分たちが、背をすぼめていてはならないと、そう思っていたからだ。
それを見ていたアオイやイオリ、イナトの肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。
セイスは、無言のまま、三人の背中を見つめていた。
やがて順番が来て、八人は一人ずつ焚き火に糸をくべ、両手を合わせて祈りを捧げる。
――しっかりと、心の奥から。
祈りを終え、少し離れた場所へ移動すると、男の子と女の子が勢いよく駆け寄ってきた。
アイカとレイサに思いきり抱きついてくる。
「アイカ姉! 似合ってる、かっこいい!!」
「お兄ちゃん! かっこいい!」
それはチタとサユだった。後ろには、トワとカイの姿もある。
無邪気な声で称える二人に、レイサもアイカも思わず笑みをこぼした。
トワは後ろで小さく頷いている。
いつも堅物なユサが、少し残念そうにそれを見ていた。
彼は、知る人ぞ知る“親バカ”なのだ。
「お姉ちゃん、似合ってるね」
カイがハナネに声をかけると、ハナネは短く返した。
「……そう」
だがその顔には、いつもの氷のような冷たさはなかった。
優しく微笑む、姉の顔。
その様子を見たレイサは、驚いたように目を見開いた。
(そんな顔もするんだ……)
心の中で、そう呟いた。
「なんで私には笑わないの!」
拗ねたような声でアイカが言うと、ハナネはすぐに氷の面を取り戻す。
「笑わないといけない理由がない」
そんなやり取りをしていると、村長のタイガが近づいてきた。
どうやら村人全員の祈りが終わったようだ。
「三人とも、まだ入って間もないし、分からないことも多いだろう。でも、頑張ってくれ」
穏やかな声で、そう告げる。
三人は頭を下げ、タイガもまた静かに頷いて去っていった。
そして、また一人――八人に近づいてくる姿があった。
コンだった。
彼はゆっくりと歩み寄り、レイサの前で足を止める。
「あ……」
レイサはコンを見て、思わず声を漏らしたが、すぐに言葉に詰まった。
同じ組で戦った仲間。
けれど合格したのは、自分だけ。
何を言えばいいのか、どう言えば傷つけずに済むのか――迷いと戸惑いが胸を満たしていく。
そんなレイサに、コンが先に口を開いた。
「合格、おめでとう! レイサならきっと受かるって思ってたよ」
言葉はまっすぐで、笑顔もあった。
「俺は……全然ダメだった。正直、試験のこと、どこかで甘く見てたのかもしれない。……でも、次は絶対に合格する! レイサに、すぐ追いつくから!」
「……ああ。待ってる!」
少し間を置いて、レイサもまた笑顔で応えた。
陽が完全に沈み、辺りが暗くなった頃。
「これで、今日はお開きになります。皆さん、気をつけて帰ってください」
イオリが笑顔で呼びかけた。
「明日は朝刻に、守攻機関の第二部隊室に集まってね」
イナトも軽く手を振って言い、北東にある守攻機関本部へ、アオイ・イオリ・セイスと共に戻っていく。
イナトは家がある南の方角へと向かい、アイカはトワとチタを連れて、東南東にある家へ帰る。
アイカがハナネを誘うが、案の定、冷たく断られる。だが、駄々をこねるカイに根負けし、結局は五人で連れ立って帰っていった。
「用事がある」と言って、レイサは一人別の道へ。
兄と帰れなかったサユは少しすねていたが、少女ひとりを夜に帰すわけにもいかず――
息子に負けたような顔をして、どこか納得のいかないユサとともに、北北西へと帰っていった。
アイカは、相変わらず厚かましくハナネに話しかけていた。
だがハナネは、いつものようにぴたりと黙ったまま、視線すら向けようとしなかった。
それを見たトワは、呆れたような顔をしながらも――どこか「頑張れ」とでも言いたげな目を向けていた。
チタとカイは、もっと素直に、心の底から応援するような視線をアイカに送っていた。
やがて、家のそばまで来た時のことだった。
家の前に、ソウヤが立っていた。
ハナネとカイを待っていたのだろう。背を伸ばし、道の先をじっと見つめていた。
二人の姿を見つけると、ソウヤはゆっくりと歩み寄ってくる。
「お帰り。二人とも」
どこか気まずそうに、ぎこちない声でそう言った。
カイはにっこりと笑って、「ただいま!」と元気に答えた。
だがハナネは何も言わず、そのまま引き戸を開けて家の中へ入っていってしまう。
ソウヤはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがてアイカたちに目を向け、口を開いた。
「……ハナネは、父親のことが嫌いみたいでさ。その親友の俺のことも、きっとあまり良く思ってないんだと思う」
そう言って、少し困ったように笑った。
事情はよくわからなかったが――
それでも、アイカの目には、そのやりとりが妙に胸に残った。
ソウヤのほうは、本気で落ち込んでいるように見えたのに、ハナネは一瞥もくれず、まるでソウヤの気配ごと拒むようだった。
その冷たさが、アイカには少しだけ残酷に見えた。
神血の英雄伝 第二十二話
読んでいただきありがとうございました。
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新陽の月→五月
ここまでの登場人物人物
ハナネ・ノセラ:十五歳、アイカたちと同い年。お嬢様っぽい雰囲気。アイカにはものすごく冷たいが、他の人にはやや冷たいぐらい。
コン・ルニマ:十五歳。守攻機関の兄と姉がいる。元気で明るい男の子。末っ子。
アオイ:十六歳。無口。話すのが苦手。怖そうな印象だけど話すと意外と可愛いかも…。
イオリ・セイラン:十八歳。よく話す、常に笑顔。表情が読み取れない。人で遊ぶのが好き。
セイス・クレオス:いつも怖い雰囲気なので、良く子どもに泣かれる。実は努力家で優しい一面も。




