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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
一章 始まり
23/83

糸送り

 陽が傾き始めた頃。


 裏庭へ戻ると、食事の跡はすでにユサとイナトによって綺麗に片付けられていた。

 五人の姿を見たイナトが、ふと問いかける。


「セイスが宿に戻ったはずだけど……会わなかったか?」


 その言葉に、イオリがどこか気まずそうに笑みを浮かべた。


「ええ……少し、セイスを怒らせてしまいまして」


 イオリの表情から察したのか、ユサはわずかにため息をつく。


「俺が行こう」


 そう呟いて革靴を脱ぐと、ユサは端板を渡って室内へと入っていった。

 彼の姿が見えなくなった頃、イナトが五人に小さな白い糸を一つずつ手渡し始めた。


「今日だった」


 糸を受け取ったアイカとレイサが、同時に思い出したように声を上げる。

 一方で、ハナネは少し不思議そうな顔をしていた。村に来て間もない彼女には、この糸の意味がわからなかったのだ。

 それに気づいたアイカが、ハナネの方へ向き直り、穏やかに説明する。


「今日は、糸送りの日なんだ」


 慣れた口調でそう言うアイカに、ハナネが首を傾げる。


「糸送り……?」

「そう。命を落とした人が、未練なくあの世へ行けるようにって、広場の焚き火にこの糸を入れて祈るんだよ」


 まだ完全には理解できない様子のハナネに、今度はレイサが補足した。

 ナサ村では、新陽(しんよう)の月の終わりに、命を落とした者のため祈る「糸送りの日」が行われる。


「未練が強いままだと、死んでもこの世に残っちゃうからさ。……だから、一年に一度、こうして祈るんだ。ほんとに効果があるかは分かんないけどね」


 レイサは少しだけ苦笑いをした。


「未練が強すぎる者は、一度だけ姿を現す……なんて、言われてるらしいですよ」


 イオリが片手に糸を持ち上げ、どこか興味深げに呟いた。

 やがて、ユサが戻ってきた。


「セイスは、入り口の外で先に待ってるそうだ」


 そう告げたあと、彼はイオリに顔を向ける。


「……イオリ。あまり先輩に舐めた態度をとるな」


 その言葉には、少しばかり圧がこもっていた。


「はい。申し訳ありません」


 イオリは笑顔のまま、しかし深く頭を下げて応じた。


「先輩……?」


 アイカが思わずつぶやくと、アオイが淡々と答える。


「ああ。セイスが第一部隊になったのは、俺たちと同じ時期だけど……守攻機関での経験は、セイスの方が三年長い」

「そっか……」


 アイカは小さく返し、一行はセイスの待つ入り口へと向かった。

 セイスは、不機嫌そうな顔でじっと立っていた。

 その側へイナトが歩み寄り、他の者たちと同じように白い糸を差し出す。

 セイスは黙ったまま、それを受け取った。


「それでは、行こう」


 ユサの合図で一同は歩き出す。


 先頭にはユサ、すぐ後ろをアオイとイオリが歩き、その後ろにアイカ、レイサ、ハナネ。

 最後尾にはイナトとセイスが並ぶ。





 広場に着くと、すでに多くの村人が集まっていた。焚き火のそばには、村長であるタイガの姿も見える。

 守攻機関の姿を見つけた村人たちの視線が、一斉に彼らへと向いた。


「新しい隊員たちだって!」

「まだ子どもじゃない」


 温かい眼差しもあれば、冷たい視線もある。

 それでもアイカたち三人は、胸を張った。守攻機関の一員となった自分たちが、背をすぼめていてはならないと、そう思っていたからだ。


 それを見ていたアオイやイオリ、イナトの肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。

 セイスは、無言のまま、三人の背中を見つめていた。

 やがて順番が来て、八人は一人ずつ焚き火に糸をくべ、両手を合わせて祈りを捧げる。


 ――しっかりと、心の奥から。


 祈りを終え、少し離れた場所へ移動すると、男の子と女の子が勢いよく駆け寄ってきた。

 アイカとレイサに思いきり抱きついてくる。


「アイカ姉! 似合ってる、かっこいい!!」

「お兄ちゃん! かっこいい!」


 それはチタとサユだった。後ろには、トワとカイの姿もある。

 無邪気な声で称える二人に、レイサもアイカも思わず笑みをこぼした。

 トワは後ろで小さく頷いている。


 いつも堅物なユサが、少し残念そうにそれを見ていた。

 彼は、知る人ぞ知る“親バカ”なのだ。


「お姉ちゃん、似合ってるね」


 カイがハナネに声をかけると、ハナネは短く返した。


「……そう」


 だがその顔には、いつもの氷のような冷たさはなかった。

 優しく微笑む、姉の顔。

 その様子を見たレイサは、驚いたように目を見開いた。


(そんな顔もするんだ……)


 心の中で、そう呟いた。


「なんで私には笑わないの!」


 拗ねたような声でアイカが言うと、ハナネはすぐに氷の面を取り戻す。


「笑わないといけない理由がない」


 そんなやり取りをしていると、村長のタイガが近づいてきた。

 どうやら村人全員の祈りが終わったようだ。


「三人とも、まだ入って間もないし、分からないことも多いだろう。でも、頑張ってくれ」


 穏やかな声で、そう告げる。


 三人は頭を下げ、タイガもまた静かに頷いて去っていった。

 そして、また一人――八人に近づいてくる姿があった。


 コンだった。


 彼はゆっくりと歩み寄り、レイサの前で足を止める。


「あ……」


 レイサはコンを見て、思わず声を漏らしたが、すぐに言葉に詰まった。

 同じ組で戦った仲間。

 けれど合格したのは、自分だけ。


 何を言えばいいのか、どう言えば傷つけずに済むのか――迷いと戸惑いが胸を満たしていく。

 そんなレイサに、コンが先に口を開いた。


「合格、おめでとう! レイサならきっと受かるって思ってたよ」


 言葉はまっすぐで、笑顔もあった。


「俺は……全然ダメだった。正直、試験のこと、どこかで甘く見てたのかもしれない。……でも、次は絶対に合格する! レイサに、すぐ追いつくから!」

「……ああ。待ってる!」


 少し間を置いて、レイサもまた笑顔で応えた。



 陽が完全に沈み、辺りが暗くなった頃。


「これで、今日はお開きになります。皆さん、気をつけて帰ってください」


 イオリが笑顔で呼びかけた。


「明日は朝刻に、守攻機関の第二部隊室に集まってね」


 イナトも軽く手を振って言い、北東にある守攻機関本部へ、アオイ・イオリ・セイスと共に戻っていく。


 イナトは家がある南の方角へと向かい、アイカはトワとチタを連れて、東南東にある家へ帰る。


 アイカがハナネを誘うが、案の定、冷たく断られる。だが、駄々をこねるカイに根負けし、結局は五人で連れ立って帰っていった。


「用事がある」と言って、レイサは一人別の道へ。


 兄と帰れなかったサユは少しすねていたが、少女ひとりを夜に帰すわけにもいかず――

 息子に負けたような顔をして、どこか納得のいかないユサとともに、北北西へと帰っていった。



 アイカは、相変わらず厚かましくハナネに話しかけていた。

 だがハナネは、いつものようにぴたりと黙ったまま、視線すら向けようとしなかった。


 それを見たトワは、呆れたような顔をしながらも――どこか「頑張れ」とでも言いたげな目を向けていた。

 チタとカイは、もっと素直に、心の底から応援するような視線をアイカに送っていた。


 やがて、家のそばまで来た時のことだった。


 家の前に、ソウヤが立っていた。

 ハナネとカイを待っていたのだろう。背を伸ばし、道の先をじっと見つめていた。

 二人の姿を見つけると、ソウヤはゆっくりと歩み寄ってくる。


「お帰り。二人とも」


 どこか気まずそうに、ぎこちない声でそう言った。


 カイはにっこりと笑って、「ただいま!」と元気に答えた。

 だがハナネは何も言わず、そのまま引き戸を開けて家の中へ入っていってしまう。


 ソウヤはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがてアイカたちに目を向け、口を開いた。


「……ハナネは、父親のことが嫌いみたいでさ。その親友の俺のことも、きっとあまり良く思ってないんだと思う」


 そう言って、少し困ったように笑った。


 事情はよくわからなかったが――

 それでも、アイカの目には、そのやりとりが妙に胸に残った。


 ソウヤのほうは、本気で落ち込んでいるように見えたのに、ハナネは一瞥もくれず、まるでソウヤの気配ごと拒むようだった。


 その冷たさが、アイカには少しだけ残酷に見えた。


神血の英雄伝(イコルのえいゆうでん) 第二十二話

読んでいただきありがとうございました。

次回も読んでくださると嬉しいです(՞ . .՞)︎


新陽の(しんようのつき)→五月


ここまでの登場人物人物

ハナネ・ノセラ:十五歳、アイカたちと同い年。お嬢様っぽい雰囲気。アイカにはものすごく冷たいが、他の人にはやや冷たいぐらい。

コン・ルニマ:十五歳。守攻機関(クガミ)の兄と姉がいる。元気で明るい男の子。末っ子。

アオイ:十六歳。無口。話すのが苦手。怖そうな印象だけど話すと意外と可愛いかも…。

イオリ・セイラン:十八歳。よく話す、常に笑顔。表情が読み取れない。人で遊ぶのが好き。

セイス・クレオス:いつも怖い雰囲気なので、良く子どもに泣かれる。実は努力家で優しい一面も。

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