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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
第三章 孤獣と氷華

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アイカとセイス 一

 朝刻の終わり頃。


 柔らかな朝の光が村をゆっくりと満たし始めていた。

 東側の見回りを任されたアイカとセイスは、本部から役場、物資を保管する倉庫、避難所、飼育小屋を抜け、作業小屋の並ぶ一帯を歩いていた。


 いくつかの作業小屋からは、すでに仕事を始めている音が聞こえてくる。

 木槌が打ち鳴らされる乾いた音や、金属を削るかすかな響きが、朝の静けさの中にぽつぽつと広がっていた。


 朝の作業に取り掛かろうと、職人たちが忙しなく小屋の内外を行き来している。

 まだ低い太陽の光が、その背中を斜めに照らしていた。


 作業小屋が集まる場所から少し離れたところには、ひと回り小さな小屋が建っている。


 その隣には、四本の柱に屋根だけを載せた簡素な建物があり、その下では二人から五人ほどの子どもたちが小鳥のように楽しげな声を弾ませていた。


 そばでは五十代後半ほどの女性が、穏やかな笑みを浮かべながらその様子を見守っている。


 ナサ村では、学び舎に入学する年齢に達していない子どもたちを、親が仕事へ行っている間、子守り屋に預ける者も少なくない。


 子守り屋は全部で三つある。

 今、アイカとセイスが見回っている東側のほか、学び舎や市場のある西側。そして、多くの村人が住む住宅の集まった南側だ。


 どこの子守り屋も、世話役は二人から三人ほど。大抵は子育てを経験した女性が多く、子どもの世話にも慣れている。

 しかし最近では、十代後半や二十代の、まだ子育てを経験していない者が「やりたい」と言い出すことも増えてきていると、アイカはタイガから聞いたことがあった。


「おいっ!」


 そんな光景に気を取られていたアイカに、隣を歩くセイスの荒々しい声が飛んできた。


 アイカはその鋭い声にびくりと肩を揺らし、思わず足を止める。


「何、同じとこばっか見とんねん。ぼーっとしてんちゃうぞ、集中せぇ」


 セイスはそう言いながらも足を止めることなく歩き続け、辺りへ鋭い視線を巡らせた。


「あ、ごめん。つい」


 見回り中にもかかわらず、一点ばかりに意識を取られていた。

 アイカは慌てて足を動かし、少し小走りで前を行くセイスに追いつこうとする


「いつ、どこで何が起きるかわからんのやぞ。そんな能天気で対応できる思うとんのか」


 荒々しい口調だったが、その言葉には真剣さがあった。


 きっと前回の襲撃のことだろう。子どもを危険な目に遭わせてしまったこと。

 二度と同じことを起こさないように。そんな思いが滲んでいる。


「西と東は特に気ぃ付けなあかん。そんなぼけっとして動けんかったら、半殺しにするぞ」


 追いついたアイカへ視線も向けず、セイスは言った。

 その言葉には冗談の色はなく、実際に半殺しにされそうな迫力がある。


(……ほんとにやられそう)


 アイカは内心でそう思った。


 セイスが黙って辺りに視線を巡らせる中、今度はアイカが口を開く。


「じゃあ、東の見回りで気をつけることは?」


 同じように周囲へ目を配りながら尋ねる。

 セイスはぎろりと細い瞳をアイカへ向けた。

 しかし何も答えず、そのまま歩き続ける。


(うわ、無視……)


 アイカが心の中でぼやいた、そのとき。


 セイスは数歩進んだところで、ぴたりと足を止めた。

 そして作業小屋の並ぶ方へ、長身の身体を向ける。


「例えば、あの武器工房――」


 ほんの少しだけ口調を緩め、顎でそちらを示した。

 アイカもつられて武器工房へ身体を向ける。


 木造でできたその建物は、年季の入った佇まいをしていた。

 ナサ村で唯一、武器を専門に扱う工房だ。

 今アイカが手にしている斬槍ざんそう)も、この工房で作ってもらったものだ。

 おそらくセイスの武器もそうだろう。


「建物も修繕はしとるけど、全体的にガタきとる。それに周りには縫製小屋もある。火事でも起きたら、一気に広がるやろ」


 荒々しい言葉の中に、どこか冷静さを感じさせる口調。

 アイカはそっとセイスを見上げた。


(ちゃんと教えてはくれるんだよな)


 ここまでの見回りでもそうだった。

 粗暴な態度ではあるが、アイカが何か尋ねれば、なんだかんだで答えてくれる。


 くだらない話でも、嫌そうにしながら何かしらは返してくれる。


(態度悪いけど)


 もっとも、言動については自分も人のことを言えない。

 そう思ったアイカは、その言葉だけは口に出さなかった。

 説明が終わると、セイスはとっとと見回りに戻ろうと身体の向きを変え、そのまま歩き出した。

 砂を踏む足音が、静まりかけた地面に小さく響く。


 アイカも後を追おうと一歩踏み出しかけた、その時だった。


「あー! クガミの人だー!」


 建物が並ぶ方角から、幼く高い声が夜の空気を突き抜けるように飛んできた。


「ああ?」


 声に反応して、歩いていたセイスが露骨に嫌そうな声を喉から漏らす。

 アイカも足を止め、声のした方へ顔を向けた。


 すると二人の視界に映ったのは、先ほどまで軒下の影に集まり、地面にしゃがみ込んで楽しそうに話していた子どもたちのうちの一人だった。


 その子どもは、面白いものを見つけたとでも言うように目を輝かせ、腕を伸ばしてアイカの方へ人差し指を向けている。


 そしてその声に釣られるように、他の子どもたちも次々と顔を上げ、アイカたちの方を見た。


「ほんとだー!」

「かっこいい!!」


 制服姿を見つけた途端、子どもたちの目がぱっと輝く。

 次の瞬間には立ち上がり、ぱたぱたと裸足や草履の足音を鳴らしながら、一斉にこちらへ走ってきた。


「いまおしごとしてるの?」

「なんのおしごと?」

「そのキラキラしたのなに?」

「へんなまもりどうぐー!」


 あっという間に目の前まで来た子どもたちは、小さな身体で二人を取り囲み、ぐいっと顔を上げて次々と質問を投げかける。

 制服の裾や腰の装具を興味深そうに覗き込む子もいた。


「え、今は、えと……」


 矢継ぎ早に飛んでくる言葉に、アイカは思わず言葉を詰まらせた。子どもと話す機会など、ほとんどない。むしろ苦手な方だ。どう返せばいいのか分からず、アイカは戸惑いながら口を開きかけた。


 一方、同じく子どもに囲まれたセイスは、露骨に眉を寄せた。

 厄介なものに絡まれたと言わんばかりに視線を逸らし、大きくため息を吐く。


 その時だった。


 セイスの足元まで寄ってきた一人の子どもが、下から顔を覗き込む。


 そして、きょとんとした顔で尋ねた。


「なんでおこってるの?」

「はぁ?」


 セイスは、今日一番ドスの利いた声を子どもに投げつけた。


 その低い声に、アイカも他の子どもたちも一斉にセイスへ顔を向ける。


「だっておかおぷんぷんしてるもん」


 子どもは、そんなセイスの態度にもまったく怯えた様子もなく続けた。


「おとななのに、かっこわる〜い」

「なっ……コイツ……」


 子どもはセイスを指差して言う。


 セイスは片方の口角をぴくりと引き上げた。

 その瞳もわずかに引きつっている。


 ――なぜこんなガキにそんなことを言われないといけないのか。


 きっと、そんなことを思っているに違いない。


「げっ」


 子どもの言葉に、アイカは思わず声を漏らした。


 セイスの性格なら、こんなことを言われて黙っているはずがない。

 ……いや、さすがに子ども相手に本気で怒ることはないだろうか。


 アイカが心の中でそう思った、その直後だった。


 セイスは一気に腰を落とした。

 足を大きく広げ、今から相撲でも取るのかというような構えになる。


 そして怒気を含んだ鋭い視線を、真正面から子どもへ叩きつけた。


「どこ見て俺がお前らなんかに怒っとる思ったっ!!!」

「ひっ」


 子どもに言われたのが、そこまで気に障ったのか。

 セイスは低い声で、怒鳴りつけた。


 その態度に、周りの子どもたちは一斉に固まる。


 さっきまで騒いでいた小さな身体が、みるみる縮こまっていく。

 その様子は、まるで肉食獣を前に逃げ道を失った小動物のようだった。

 その光景を見て、アイカはふと思い出す。


『いい? 見回りの時は周囲をよく見ることも大事だけど、村の人たちとの関わり方も大切だよ。

守攻機関はこの村を守る人なんだから、僕たちの態度が悪いとみんな不安になるからね』


 リグラムへ行く前、イナトが教えてくれた言葉だ。

 村のみんなに安心してもらえる態度を心がけること。

 これは、もう何度も聞かされた話だった。


 だが、今どうだろう。


 アイカの目の前にいる先輩は、今にも子どもを泣かせそうな顔をしている。


(どこをどう見たら、安心してもらえる態度に見えんの)


 アイカは、どこから現れた不良のようなセイスの横顔を見ながら思った。


 結局、子どもたちは完全に怖がってしまい、そそくさと守り屋のところまで走っていく。

 そしてその背中に隠れるようにして、セイスから距離を取った。

 半泣きで逃げられたのが気に食わなかったのか、セイスは小さく舌打ちをする。


 そして無造作に立ち上がると、そのまま歩き出した。

 振り返りもせず、背中越しに一言だけ言う。


「行くぞ」

「は!? 待ってよ!」


 構わず先へ進むセイスの背中を追い、アイカは歩幅を速めた。


 東の森沿いの道には、少しずつ高く昇ってきた太陽の光が差し込み、二人の影を長く地面に落としている。

 アイカが、自分よりも大きいセイスの影を追い越し、ようやく隣へ並んだときだった。


 セイスの横顔には、暑さのせいか小さな汗がにじんでいる。

 それでも眉間にはまだ皺が寄り、鋭い視線は変わらないままだった。

 口は悪いし、誰に対しても荒っぽい態度を取る。

 セイスは、とても村を守る守攻機関の隊員には見えない。


 けれど――


 襲撃のときは子どもを庇ったし、リグラムへ行ったときには手巾を買ってくれた。

 これまで見てきたセイスの姿を思い返しても、結局のところ優しいのか、怖いのか。

 アイカにはよく分からなかった。


(セイスって、なんで守攻機関に志願したんだろ)


 本当に単純な疑問だった。

 そんな疑問が、アイカの頭の中をふとよぎる。

 聞いてみよう。そう思い、わずかに口を開いた。

 だが、開きかけたその口を、アイカはすぐに閉じた。


 もし今聞いたら、セイスのことだ。

 きっとまた機嫌が悪くなるだろう。

 よし、また今度聞くことにしよう。


 なんとなくそう思い、アイカはセイスから視線を外して周囲へ向けた。


 東側には特に異常はない。

 子どもたちのはしゃぐ声と、職人たちが仕事をする音や話し声が、朝の空気の中に響いている。


 昨夜、イナトと交わした約束が頭をよぎる。


 もし何かあって、セイスが無理をしそうになったら。

 何を言われようが、意地でも止めてやる。


 そう決めて、少し気を張って見回りに臨んでいた。


 だが、今のところ目につく異変はない。

 このまま問題なく終われそうだった。


(これなら、大丈夫そう)


 アイカは胸の中で小さく安堵し、そっと息を吐いた。

 しかし――その安堵は、長くは続かなかった。


神血(イコル)の英雄伝 第九十二話

お読みいただきありがとうございます。

次回も読んでくださると嬉しいです૮꒰ྀི⁔.⸝⸝⸝⸝.⁔꒱ྀིა


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