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神血の英雄伝  作者: 小豆みるな
第三章 孤獣と氷華

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イオリとレイサ 

 子どもたちがはしゃぎながら中央広場を横切り、学び舎へと向かっていく。

 一方、長椅子に腰掛けた老人たちのもとからは、のんびりとした会話が絶え間なく聞こえてくる。


 そんな穏やかな喧騒の中、イオリとレイサは周囲に視線を配りながら、村の南側へと歩を進めていた。


「ん〜。今日も暑いですねー。リグラムとは比べものにならない暑さです」


 強い日差しの下、住居が立ち並ぶ南を目指して土道を歩きながら、イオリは右手で軽く額を覆い、楽しげに言う。

 本来なら、その声は隣を歩くレイサから、もう少し弾んだ反応を引き出したかったのだろう。


「……そうっすね」


 しかし返ってきたのは、そっけない相槌だけだった。

 レイサは周囲を警戒するように視線を巡らせながら、感情をほとんど表に出さない。


 イオリを特別嫌っているわけではない。

 ただ、距離を詰めすぎたくない。それが、レイサの率直な気持ちだった。


 もっとも、人の感情の機微に長けたイオリが、その変化に気づかないはずもない。

 レイサの反応を確かめるように一瞬だけ横目で見て、イオリはくすりと笑った。


「先輩が話しかけているというのに、少し反応が薄くありませんか?」

「そんなことはないと思いますけど」


 軽やかな口調のまま視線を前に向け、イオリは言う。

 レイサも同じように前を見据えたまま、淡々と返した。


 するとイオリは、わざとらしく声の調子を上げる。


「あー、それとも、もしかしてですが。二次試験で私に負けたことが、ものすごく悔しいとか?」


 挑発するような言い回し。

 その意図どおり、レイサの足が一瞬止まった。


「……はい?」


 わずかに苛立ちの滲んだ声。

 鋭さを帯びた視線がイオリへと向けられる。


 その様子を見て、イオリは狙いどおりだと告げるような笑みを浮かべた。


 二人の間に流れかけた、わずかな緊張。


 だが、それは次の瞬間、甲高い声によって断ち切られる。


「おにーーいちゃーーん!」


 弾けるように明るい、愛らしい声が中央広場に響いた。


 何千回、何万回と耳にしてきた声だ。

 レイサは反射的に顔を上げる。イオリもつられて視線を向け、周囲の村人たちも一斉に声の主を探した。


「あれは……」


 日差しを手で遮りながら、イオリが目を細める。


 視線の先には、小さな三つの影。


 夏の日差しの下、白い肌がやや浮いて見える少年がいた。

 澄んだ青い瞳は、光を受けて宝石のように輝いている。トワだ。


 その隣には、少し焼けた肌と茶髪のカイ。


 そして、二人の前には、夏の陽に映える橙色の髪を横でひとつに結んだ少女。


 髪を揺らしながら、満面の笑みで手を振っている。

サユだった。


「サユ?」


 レイサの声は、喜びよりも戸惑いを含んでいた。


 気づいてもらえたと分かるや否や、サユはさらに笑顔を弾ませ、二人のもとへ駆けてくる。

 トワとカイは、その後ろをゆっくりと追った。


「おにいちゃん、今見回りしてるの?」


 息を弾ませながら、真っ先にレイサを見上げる。


「ああ。そうだけど……」


 レイサは視線を落とし、サユの手に提げられた鞄を見る。


「学び舎は、こっちじゃないだろ」


 今日、サユが学び舎へ向かうことをレイサは知っていた。

 家から学び舎へ行くのなら、中央広場は本来、逆方向のはずだった。


 するとサユは、少し照れたように両手を背に回した。


「トワたちと行こうとしてたんだけど、さっきこっちでお兄ちゃんの声が聞こえたから、走ってきちゃった」


 頬を淡く染め、いたずらっぽく笑う。


 やがて追いついたカイが肩を竦める。


「本当にレイサさんいた。あんな距離でよく聞こえたな。どうせならアイカさんも一緒にいてほしかったけど」

「サユちゃんは耳がいいからね」


 トワが穏やかに補足する。


「ほんとにサユは……」


 呆れたように息を吐きながらも、レイサの口元はわずかに緩んでいた。

 可愛い可愛い妹が、自分のためにわざわざ会いに来てくれたのだ。嬉しくないはずがないだろう。


 どこからどう見ても仲睦まじい兄妹。

 そんな光景を横で見ていたイオリは、静かに口角を上げた。


「ああ。あなたがサユさんですね」

「え?」


 まるでご馳走を前にしたかのように、上機嫌な声色でイオリは上体をかがめて楽しげに声をかける。


「前は遠目でしたから。ですが、こうして見ると、確かに隊長とレイサくんにそっくりです」


 うっすらと瞼を開け微笑みながら、細い瞳でじっと顔を覗き込む。


 サユは困惑しつつも、守攻機関の制服を見て小さく背筋を伸ばした。

 イオリの態度に、レイサの瞳に僅かに力が入る。


「おっと、失礼しました。私としたことがいけませんね。女性の顔をいきなり覗き込むなど」


 イオリは両手を合わせて肘を曲げ、右頬のあたりまで持っていくと、首を軽く傾けた。そして右手を自分の胸元へと当てる。


「私はイオリ・セイランと申します。守攻機関の第一部隊に所属しております。サユさんのことは、隊長とレイサくんから、よ〜く伺っていますよ。なんでも守攻機関の隊長になりたいとか……」


 そう言いながら、イオリはゆっくりと視線をレイサへ流した。


「何か知りたいことがあれば、いつでも私を頼ってください」


 そう言って、右手を差し出す。

 丁寧で優しげな口調に、育ちの良さを感じさせる立ち姿だった。


 第一部隊。

 その言葉に、サユの胸が小さく跳ねる。


 もし二年後、自分が守攻機関に入隊することができたら、この人は自分の先輩になる。

 緊張と同時に、父に反対されている中で、イオリの態度が自分を認めてくれているように感じられて、嬉しさが込み上げた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 手を伸ばしかけた、そのとき。


「サユ」


 低く、はっきりとした声。

 サユのぴたりと動きが止まる。


「もう行かないと遅れるぞ」


 声の方へ顔を向けると、そこには、いつもの優しい兄とはどこか違う、曇った表情のレイサが立っていた。

 声色は穏やかだが、有無を言わせぬ響きがある。


「え、でも……」


 まだ学び舎が始まるまでには時間がある。

 それに、この機会を逃すわけにはいかないと思ったサユは、戸惑いの声を漏らした。

 そんなサユに、レイサは反論を許さないように続ける。


「母さんから聞いた。この前、遅刻したらしいな」

「ゔっ……なんでお兄ちゃんが……!」


 一歩後ずさるサユ。


 兄には絶対に秘密にしてほしいと、母親のレイカとあれほど約束を交わしたのに、レイサにばれている。


(お母さん……)


 心の中で小さく抗議する。

 レイサは両手を腰に当てた。


「今からちゃんとしておかないと、隊長なんてどんどん遠のくぞ」


 なお、この男はサユよりもよほど教師を泣かせてきた問題児である。


 レイサの静かな圧に押されたサユは、すんなりと身体を学び舎の方角へ向け、そのまま歩き出した。


「い、行ってきま〜す」


 気まずそうな声を残しながら、小走りで先ほど来た道へと戻っていく。


「俺たちも行こうぜ」


 アイカに会えなかったのがそんなに残念なのか、ため息を混じらせながらカイが隣のトワへ声をかけ、自分も歩き出した。


「……うん」


 カイの言葉にトワも歩き出し、学び舎へと足を向ける。

 しかし身体を向ける直前、トワはそっとレイサへ視線を送った。


「お気をつけて」


 三つの遠ざかっていく背中に、イオリはにこりと笑みを浮かべ、サユと握手を交わさずに終わった右手をひらひらと振る。

 レイサもまた、三人の背中をじっと見送っていた。







「特に異常はないようですね」


 中央広場から住宅が並ぶ南側へ来たイオリとレイサは、一通りの見回りを終え、避難時の経路確認も済ませていた。


 両手を背中の後ろで組み、イオリは夏の日差しには似合わない涼しげな笑みを浮かべ言った。


「今日の見回りはこれでおしまいです。あとは本部に戻って報告ですね」


 左足のつま先を開き、踵でくるりと体を返す。その動きは、風に舞う葉のように軽やかだった。


「はい。分かりました」


 何を考えているのか分からない愉快そうな笑みを浮かべるイオリに、レイサは先ほどのサユとのやり取りを思い出す。

 胸の奥に小さな棘が刺さるような感覚を覚えながら、わずかに警戒を含んだ声で答えた。


 そして、にっこりと笑ったまま動く気配のないイオリより先に、レイサは本部へ戻る方角へと足を踏み出す。

 イオリが動かないのは、自分を先に歩かせたいからかもしれない――そんな考えが頭をよぎった。


 しかしイオリは、二歩三歩と遠ざかっていくレイサの背中を、ただ口角を上げたまま見つめていた。

 その笑みは、まるで面のように貼り付いたまま微動だにしない。


 レイサが十歩ほど進んだ、その時だった。

 上がったままの口元が、静かに開く。


「レイサくん」


 鳥のかすかな鳴き声が漂う空気を、細い糸のようにイオリの声が通り抜けた。


 その声にレイサは足を止め、後ろを振り返る。


 振り返った先で、イオリは相変わらず同じ笑みを浮かべていた。


「隊長になる条件をご存知ですか?」


 落ち着いた口調でそう言った瞬間、生ぬるい風が森を撫でた。

 地面に落ちていた葉がくるりと舞い上がり、イオリの長い白髪を白い旗のように揺らす。


「条件……?」


 風はまだ止まない。


 レイサの髪もふわりと揺れ、隠れていた左瞼の上の傷跡が、薄く覗いた。


「隊長に認めてもらう……とかですか」


 レイサは一度視線を落とし、小さく呟く。

 それから再び顔を上げ、真っ直ぐイオリを見た。


 その視線を受け止めながら、イオリは笑みを崩さない。


「条件は大きく分けて四つあります」


 そう言って右手を頬のあたりまで上げ、指を立てた。


「まず一つ。レイサくんの言った通り、現隊長に認めてもらうこと」


 イオリは一本目の指を立てた。


「二つ目は、希望している本人が十八歳に達していること」


 静かに指を二本に増やす。


「三つ目は、副隊長を含めた隊員の過半数に賛同してもらうこと」


 さらにもう一本、白い指がゆっくりと立てられた。


「そして最後、四つ目。試練に合格することです」


 四本の指を示したあと、イオリは右手を背中の後ろへ戻す。

 まるで何事もなかったかのように、また穏やかな笑みを浮かべた。


「二つ目の条件ですが……過去の記録を見る限り、守攻機関の合格者は毎年平均で〇人から四人ほどです」


 穏やかな声が、淡々と続く。


「レイサくんが隊長に就任できる年齢になるまで、あと二年。その間に新しい隊員も入ってくるでしょう。多く見積もって八人。今の隊員数が十人ですから……合わせて十八人ですね」


 イオリはまるで簡単な計算でもするように言い、にこやかなまま続けた。


「つまり――」


 わずかに間を置く。


「最低でも、十人に認めてもらう必要があります」


 イオリは穏やかな笑みを浮かべたまま言った。


「まぁ……少なくとも一人は、確実に君が隊長になることを認めないでしょうけど」


 揶揄うような口調だった。

 その言葉に、レイサが問い返す。


「それは現隊長ですか?」

「それを言ってしまったら面白くありません」


 イオリはくすりと笑みをこぼした。

 そしてゆっくりと身体の向きを変え、横へ歩き出す。


「その人だけではありません。君に隊長としての実力がないと思えば、他の隊員も賛同してくれないでしょう」


 静かな声が続く。


「……もちろん、私も。君に隊長としての器が感じられなければ同意はしません」


 イオリは少しずつ斜めへと歩みを変えていく。その足取りは、まるでレイサを囲むように円を描いていた。


 レイサは黙ったまま、その姿を目で追う。


「隊長になる“だけ”なら、意外と簡単なんですよ」


 イオリは肩をすくめるように言った。


「裏で取引をするなり、優遇するなり……方法はいくらでもある。ですが、そんな隊長なら隊員は必ず離れていく」


 ゆっくりと歩みを進め、レイサの左側まで来たところで、イオリはぴたりと足を止めた。


「守攻機関をまとめるには、最終的に隊員全員との信頼関係――あるいは、対等な関係を築かなければならない」


 そして、静かにレイサへ向き直る。


「君は、あと二年の間に隊員全員と、そんな関係を築けると思いますか?」


 試すような声だった。


 その笑みは、二次試験の時に見せた。あの、心底楽しそうで不気味な笑みによく似ていた。


 ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。


 体温がわずかに下がったように、レイサの血の気が引いた。

 まるでその笑みが、「君には無理だ」と告げているかのようだった。


 レイサは腰に差した剣の柄へ、そっと右手を添える。


 そのとき、脳裏に浮かんだのはサユの笑顔だった。


 無邪気で、あどけなくて、守りたくなるような笑顔。

 あの笑顔を守るために、自分は隊長になるのだ。


「……やってみせます」


 握った柄に、ぎゅっと力がこもる。


 静かだが、確かな決意の宿った声だった。

 レイサはまっすぐにイオリを見据える。


「そうですか」


 イオリは、ただ微笑んだ。


「長話が過ぎましたね。そろそろ戻りましょうか」


 そう言うと、帰路の方角へ身体を向け、静かに歩き出す。

 その足取りは、まるで学び舎を終えた子どもたちが解き放たれ、浮き立つ気持ちのまま帰途につくかのように軽かった。


 なぜ、隊長になるための条件を突然自分に話したのか。


 レイサは、真意の読めないイオリの背をじっと見つめる。

 そして、先ほどの会話の中で引っかかっていた言葉を、低く問いかけた。


「試練……って、何ですか」


 その声に、イオリの歩みが止まる。


 やがて彼は静かに振り返り、レイサへ身体を向けた。


「さあ――それは、私にも分かりません」


 そう言って、イオリは再び帰路へ歩き出した。

その軽い足取りとは裏腹に、レイサの胸には重い疑念だけが残る。


 レイサはしばらくその背を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、黙ってその後を追った。


 肌を刺すような日差しの中を、二人は黙って歩いていった。


神血(イコル)の英雄伝 第九十一話

お読みいただきありがとうございます。

次回も読んでくださると嬉しいです૮꒰ྀི⁔.⸝⸝⸝⸝.⁔꒱ྀིა


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