騎士団長様は私の恋心を全然受け取ってくれない
ピンクの花束を抱えて城のバルコニーで待っていた。
今回のノースの森での魔物討伐、その一番の功績者。我が国が誇る最強の騎士団長を。
「わ……! いらっしゃったわ……!」
身に着けた鎧の音が鳴り、掲げた剣はきらりと輝く。
馬に乗った騎士団を率いるように、先頭を行くのは待ち望んだ騎士団長──マクスウェル様だ。
彩られた城下の中央通りを進むたび、あちこちでカラフルな花びらが舞う。討伐の成功と帰還を祝うお祭りだった。
だんだん近づいてくるマクスウェル様を見ていると、まるで私に会いにきてくれているみたいで、心が弾んだ。
「マクスウェル様ーーーー!」
ぶんぶんと大きく腕を振った。気づいて小さく手を挙げてくれたので、ますます嬉しくなる。
駆け出したくなるもののぐっと堪えた。待っていれば必ず寄ってくれるのだ。
どうせなら、会いに行くより、会いに来てほしい。
「ええと、まずは、お疲れ様、でしょう。それからにっこり笑って花束をプレゼントするのよ。受け取ってもらえるかしら」
自分の瞳と同じピンク色の花。
教えてもらいながら、花を厳選して、花束も自分で作った。マクスウェル様は喜んでくれるかしら。
待ち遠しくて仕方ない。
それから間もなくして現れたマクスウェル様はやはり格好良かった。
短く刈上げた銀の髪が歩くたびに揺れ、爽やか。周囲には葉や風が見える気さえする。
すらりとした細身の身体は、騎士服ではなく文官服を着ていれば、騎士には見えないかもしれない。
「お帰りなさいませ。マクスウェル様。ご無事で何よりです」
復習した甲斐あって、労いはすぐに口を出た。
いつもなら格好良さに見惚れて忘れてしまうこともあるけれど、ここまでは大成功だ。
にこりと笑って近づくと、マクスウェル様も目を細めて微笑んでくれた。目元にできる皺は優しくて大好きなところの一つ。
「ありがとうございます。姫様に出迎えられるとは嬉しいですね。急いで戻ってきた甲斐があったというものです」
「マクスウェル様にはいつも感謝しておりますし早く一目会いたくて。……少しはときめきました?」
「ふふっ、ええ、もちろん。いつも私に元気を与えてくださるのは姫様ですから」
大きな手で金の髪を撫でられる。
まるで幼子にするようで、それには少し不満はあるけれど。
その優しさも温かさも、手の大きさも、私は小さい頃から大好きなのだ。
「あ、それでね、この花束……」
準備していた花束をマクスウェル様へ差し出した。
「頑張って作ったのですが……受け取っていただけますか?」
何度も練習した。照れはしたものの言えたことにほっとした。
マクスウェル様を窺うと、表情は全く変わらない。
「いつもありがとうございます。素敵な花束ですね。お上手になられました。ただ、受け取ることはできませんと、いつも申しているでしょう」
申し訳なさそうにするでもなく、毎回笑顔のまま言われるのはつらいものがある。
泣きたくはなるけれど挫けない。
「どうしてですかぁ。今日は受け取ってくれてもいいでしょ」
押し付けた花束は、しかし簡単に押し戻される。
ピンクの花束は自分の手元で可愛く佇んでいた。おかしい、マクスウェル様の腕の中にあるはずだったのに。
「今日も明日もいけません。何度されても変わりませんよ。いつも申しているでしょう。姫様の心がこもったプレゼントは受け取れないのです。……この花束は姫様が一生懸命作られたものでしょう? ──私を想って」
「ええ! そうなの!」
思わず頷いたが、慌てて口を塞いだ。
にこにこ顔のマクスウェル様は「学習しませんね」とようやく呆れが混じる。
「一介の騎士である私が、姫様の想いを受け取ることはできませんよ。姫様の大切な気持ちは、こんな老いぼれではなく、未来ある若者に向けられるべきです。今はまだ……気になる方はいらっしゃらないのかもしれませんが、いずれ姫様が本当に想いを告げたいと思う方が現れるでしょう」
「むう、そんなの現れないって言ってるでしょう」
「姫様はまだまだ若い。これから先のことはわかりませんよ」
「……お父様だって、マクスウェル様と結婚したいと言ったら笑って許して下さったわ」
「それは、国王様も可愛い姫様には甘いですから。姫様を喜ばせたいと思われたのでしょう。決して本心ではございませんよ」
そうして結局、今回もまた花束は受け取ってもらえず。
報告の為だろう、マクスウェル様は国王であるお父様の元へ向かってしまった。
もちろん私の元から去っていく後ろ姿すら格好良かった。ずるい。
◇◇◇
私──フィレンティアはテムール国の王女。
マクスウェル様は物心がついた頃からテムール国の騎士団長様だった。
わんぱくでおてんば姫だと有名だった私は、よくマクスウェル様が護衛をしてくれた。
今思えば護衛に騎士団長とはずいぶんと甘やかされたものだと思うけれど、昔、魔物に襲われたことのある私は、その時に助けてくれたマクスウェル様にべったりと懐いてしまった。
それからというもの、お父様が(おそらく無理を言って)マクスウェル様を護衛にと任命したらしい。といっても騎士団長なので、騎士団の仕事が少ないときに限ってだ。
「だから護衛してもらえる時は、とっても嬉しかったの」
頬を染める私を、お付きの侍女が冷たく突き放した。
「フィレンティア様……それは今もでしょう」
「~~~~もう! わかってるわ。今も昔も私はマクスウェル様が大好きなのにぃ。ずっと護衛してくれたっていいくらいなのにぃ」
「ええ、ええ。そうでしょうね。今日も花束は受け取っていただけなかったのでしょう? いい加減諦めては……?」
「嫌よ~~~~。マクスウェル様より素敵な人は現れないんだから!」
「……そうは申されましても。いつも同じことを繰り返し、いつも愚痴を聞かされる私の身にもなっていただきたいですね」
「リンってば冷たい!」
侍女のリンが言う通り、マクスウェル様はどんなプレゼントも受け取ってくれない。
花束はもちろん、騎士として持っていても困らないような剣や武具、手入れ用品も受け取ってくれなかった。かといって宝石を渡しても不必要だと断られ、頑張った刺繍入りのハンカチも自分の身には余る代物だと突き返された。
「……回復薬なら、と思ったのに」
「そちらも駄目でしたねえ」
私は回復魔法が使えた。先祖である聖女の力を受け継いだらしい。といっても聖女と比べては貧弱な魔法だが。
「せっかく作ったのになぁ」
「マクスウェル様は、フィレンティア様の身を案じてくださったのでしょう? 私ですらあの時は気が気ではありませんでしたよ」
「せめて、リンに伝えてから、作るべきだったわ。それは反省点ね」
「重要な時のみ魔法は使うよう、国王様から厳重に言われていますからね? くれぐれもやめてくださいよ」
「え~~」
「えー、じゃありません。マクスウェル様もお怒りでしたよ」
「そう、あれは怖かったわ……」
貧弱な回復魔法は、回復薬を一度作ると、五日間眠ってしまう。
意識を取り戻した私が目にした光景は、お父様とお母様の心配そうな顔と、マクスウェル様の怒りがこもった顔。
そんな中、完成していた回復薬を用意しておいた可愛い小瓶に詰めて、リボンを掛けた。いそいそとマクスウェル様へと差し出したところ、お父様の前だというのに遠慮もなく、怒られてしまったのだ。
「うーん、瓶が好みではなかったのかしら。ピンク色の可愛い小瓶だったんだけど。マクスウェル様の雰囲気に合う透き通った水色の方が良かったかしら」
いくら貧弱な魔法とはいえ、元は聖女の力。完成した回復薬自体は、何でも治せる万能薬だ。
失った手は戻らないが、見えなくなった目は視力が復活するほどの。
マクスウェル様の役に立つかもしれないし、いつか騎士団で必要になるかもしれない。薄めて使えばよく効く傷薬にだってなる。
名案だと思ったのに、これもまた受け取ってもらえなかった。しかもお怒り付きだ。
「っ、もう! 二度と! やらないでください!」
「そうね。さすがにあんなに怒られたら、しばらくはできないもの」
ぎゃあぎゃあと喚くリンを無視して、私は偶然聞いてしまったお父様とマクスウェル様の言葉を思い返していた。
どれだけ想いを告げても、どんなプレゼントを贈ろうとしても、マクスウェル様はひらりと躱してしまう。
──やっぱり、あれは、そういう意味なのかしら。
お父様とマクスウェル様の会話を聞いてしまったのは、ノースの森での討伐前だった。
マクスウェル様に会いたくて、邪魔になるかもしれないとわかっていながら、お父様の部屋を訪れた。
もう報告が済み、帰るところだったのだろう。部屋の前での立ち話だった。
『……いつも無理を頼んでいるとは思うが、今回も頼むぞ』
『ははあ、らしくないですね。国王様。私の腕はよく知っておられるでしょうに』
『そうか、そうだな。一度もお前には勝てなかった。私もそれなりに鍛錬はしていたが、年下のお前にいつもやられてばかりだった……普通、王族相手には手加減するものではないか?』
『それでは面白くないでしょう? 私が』
『…………こういう奴だよお前は……。ああ、いつも言っているが、フィレンティアを泣かすことは絶対にするなよ。いくら懐いているとはいえ』
『あぁ、弾みで言ってしまったんでしたね? 私が姫様の想いに応えたら結婚を許す、と。親になるのも大変ですね。約束は守らなければならないし、私に大事な姫様を託したくはないし、と。いやはや大変ですねぇ』
『本っ当、いい性格だよ。それをフィレンティアの前でやるんじゃないぞ』
『え? 姫様に嫌われた方が国王様としてはよろしいのでは? まあ、私も姫様に嫌われたくはないのでやりませんが。……私も考えているんですよ、これでも。むやみに姫様から何か頂くことはしませんよ』
とまあ、こんな話だった。歩き出してしまったので、これ以上は聞けなかったが。
マクスウェル様がいつもとは少し違う雰囲気だったのも気になったけれど、とにかく私からの贈り物は受け取らないと二人で取り決めているようだった。
つまり、いつも通りのことをしたところでずっと受け取ってもらえないのだ。
しかし良い収穫もあった。マクスウェル様が私の想いをたっぷり込めたプレゼントを受け取ってくれたら──応えてくれたら、結婚できるということだ。
「どうしたら、プレゼントを渡せるのかしら。無理にでももらっていただかないと」
不穏めいた台詞にリンがぎょっとしていたけれど、気にしない。
うぬぬと王女らしからぬ顔で思案していたが、その機会は唐突にやってきた。
──望まぬ、最悪な形で。
◇◇◇
マクスウェル様の顔を見るなり、泣いてしまった。
「マクスウェル様……!」
「おや、姫様。そんな顔をしてどうされました?」
「だってその足……!」
片足を引きずるマクスウェル様の手には、剣ではなく、杖がある。
「少しばかりヘマをしてしまいまして」
変わらず穏やかな笑みを浮かべるマクスウェル様は、魔物討伐の際、倒れた団員を守るため無理をしたらしい。
魔物の爪で切られた足は、腱を負傷し、歩くことが困難になってしまった。
風を切って歩く姿がもう見られないかと思うと、悲しくなって涙が落ちた。
「……これ、もらってください」
持ってきた籠から取り出したのは、ピンク色の小瓶。一度はあっさりと断られたプレゼントだ。
「絶対にその足、治してみせます。絶対に治ります。治ったからといって結婚してなんて絶対に言いません!」
だから、と。
押し付けた小瓶は、戻ってはこなかった。
そっと持ち上げられた瓶は、マクスウェル様の指の先できらきらと輝く。
「……姫様がご存知かわかりませんが、私は、もう三十半ばです。ですから、そろそろ若い者に団長を任せるのも良いかと思っていたんですよ。足をやられた時に、思うようには動かなくなるだろうと予想はしましたし……良い機会だと思ったんです。けれど、いざ団長を退いた後のことを考えると、面白くないなと思ってしまったんですよ、愚かにも」
「ずっと団長をされてましたから。そう思われるのも当然でしょう。ですから、その薬を飲んで、足を治して、また団長を続ければよいのです」
真面目に答えたのに、マクスウェル様は目を細めて笑う。
慣れた手つきで私の頭を撫でた。それはいつもと同じ、幼子にするような。
「全く、私がどんな思いで登城していたとお思いですか? こどもだと思わなければ耐えられませんよ。姫様は美しい。美しい女性に愛を囁かれて、靡かない男がいるとでも?」
するりと金の毛束を長い指に絡めた。
そのまま口づけを落とす、その美しい姿から目が離せない。
「……騎士団長を退けば、姫様と会う機会はほとんどなくなるでしょう。いくら冷静になれと言い聞かせても、嫌だと思ったんです。姫様を守る騎士が私ではなくなることが」
目が合った。
冷静にならなきゃと思うけれども、顔が火照る。火照った頭では、どうにも自分に都合よく捉えてしまう。
これは熱烈な告白ではないの。違う?
「じゃ、あ。怪我を治して、騎士団長のまま、私のそばにいてくれたらいいでしょ……?」
回復薬を使えば、可能だ。
足は治り、騎士団長を続けても問題ない。その回復薬は今、マクスウェル様の手にある。
躊躇する理由がわからず、どぎまぎしながら首を傾げた。
「この薬は、私を想って姫様が作ってくれたプレゼント。身分も年齢も違う姫様には私は相応しくない。そう自らに言い聞かせて、何も受け取らないことで自制していましたが、一度受け入れてしまえばもうできなくなる。今後、別に想う方が現れたとしても、きっと手放してあげることはできないでしょう。それでも?」
歳の差は十五。
初恋は実らないと言うし、叶わない恋だと思っていたけれど。
騎士団長の地位と自分の片足。天秤にかけるものが私の恋心だなんて、そんなのってある?
結婚も視野に入れている私の答えなんて、一択だ。
「そんなの、望むところです」
聞くや否や、マクスウェル様は小瓶の中身を飲み干した。
細かい傷が消えると、庇うように立っていた足も真っ直ぐに伸びた。杖はからんと音を立て倒れてしまった。
「──ありがとうございます、姫様。おかげですっかり治りました」
軽く足踏みを見せてくれたマクスウェル様は、そっと抱きしめてくれた。
こんなのされたことない。心臓だってばくばくだ。
「つ、つくっておいて良かったでしょう?」
目を泳がせた私を、逃さないとでも言うように。
そっと頬を大きな手で包まれた。
「……ええ。姫様には感謝しかございません。足を治してくださり、私もそばに置いてくれると仰る。しかもこんな私を想ってくださる、愛することを許してくださる──愛しています、姫様」
おでこに落とされた体温は、全身に広がった。
「いいい今! もしかしてキス……!」
真っ赤だろう私を、愛おしそうに見つめられるのも悪くなかった。
「ふむ、それはそれで可愛らしいですが、私の妻としては少々純情すぎて」
「つつつつ妻!?」
「ええ、私が姫様からの心のこもった贈り物を受け取れば国王様も結婚を認めてくださるのでしょう? 姫様もご存知ですよね」
さも当然のように言うマクスウェル様。もしかしてあの日の盗み聞きはバレていたのだろうか。
妻だとか結婚だとか、急に飛躍した話にぽかんとすると、マクスウェル様は残念そうに眉を下げた。
「もしかして釣った魚には興味がなくなりますか?」
「あええ、そうではなくて。結婚してくださるのですか? 何か、お父様と約束されていたようですが」
マクスウェル様との結婚を認めないために、私からのプレゼントは受け取らないよう決めてあったはずだ。
年の離れた相手──マクスウェル様は私よりもお父様の方が年齢が近いから、お父様は認めたくないのかもしれない。
しかし、不安を取り除くようにマクスウェル様は即答した。
「国王様との約束と、姫様とを考えた時、私は姫様のそばがいいと思ったんですよ。……国王様には怒られるでしょうが。まあ怒られればいい話で」
「えぇ……?」
いつもとは雰囲気の違うマクスウェル様に、戸惑いつつも。
「あの、マクスウェル様……」
「なんでしょう」
目線を合わせてくれたマクスウェル様にキスするくらいに浮かれていて。
見慣れない驚いた顔も、力を込められた腕も、マクスウェル様の全部が心地よくて、私は幸せを噛み締めたのだった。
おしまい