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いっしょに暮らそっ!(起)

作者: 雪芳

 小さい頃の俺は、いつも災害におびえていた。地震雷火事なんたら。眠る前は必ず、災害が来ないことを祈って目を閉じる。

 だがいつしか、俺の心から災害の驚異は薄れていった。いわば幽霊みたいなものだ。遭わなければ、現実味はなくなっていく。

 しかし。

 運命とはかくも厳しく過酷だ。災害は忘れた頃にやってくる。神は人が忘れるのを見計らって不幸を爆撃してくるサディストなのだ。

「ジーザス!!」

 炭色に染まったマンションを目にしたとき、だからこそ俺、二宮虎次はそう叫んだのだ、もちろん心の中で。


 原因は兄の寝タバコだった。

「悪いと思ってるってぇ」

 実兄である竜一はニヤニヤしながらそう言って、タバコをふかした。

「ぜんぜん反省してないだろっ!」

 俺がズビシと突き返すと、だから俺様の部屋に住めばいいだろ、と平然とのたまう。

 夜色に染まった公園はまだ寒く、ぴゅるりと寂しい音をたてる。俺は思わず涙をこらえながら、ダメ兄の下に生まれた自分の運命を呪った。


 冬に大学の推薦が決まり、みんなより少し早めの春休みを使い上京、ようやく見つけた安めのマンションを兄に燃やされたのである。呪う以外のなにが出来よう。

 しかもこのクソ兄は、タバコでボヤ騒ぎを起こしマンションを追い出されたことを隠蔽しようとしているのだ。


「火事でアパートを追い出されました、なんて親父たちにバレたら殺されちまうだろ。それにさ、一緒に住めば仕送りが浮くだろ?」

 いかにも自分が当然のことを言っているかのような口振りで前髪をいじる兄。

 昔から変わらない。不真面目でガサツ、常識がない。金髪をハリネズミのようにたてて革ジャンを羽織り飄々と人に迷惑をかける。


 このアホ兄の影響によりまじめに育った俺は、両親から絶大な信頼をおかれ、不動産関係から水道高熱費までの支払い全てをまかせられている。たしかに内緒のまま二人で暮らせば、仕送りが十万近く浮くことになるだろう。


 だけど俺は、一人暮らしを楽しみにしてたのだ。真面目に生きすぎて面白味のなかった自分を変えるチャンスだと思っていたのに。デザイナーズマンション選んだのに。


「殺されるのは兄貴だけだろ、タバコ吸ってたのは俺じゃない!」

「つれないこと言うなよ」

 兄貴はしっかと俺の両手を握りしめると、まるで雨にぬれた子犬のような弱々しい瞳で俺を見つめた。

 夜の公園にまだ肌寒い春風。兄と同じ大学に入ることが決まった俺。入学式の三日前においだされてしまった家賃八万のマンション。全てが寂しく運命を奏でる。

 こうして俺は兄貴と一緒に暮らすこととなった。


 ……と、ここで終わらないのがウチのクズ兄貴である。


 原因は兄の色恋沙汰だった。

「悪いと思ってるってぇ」

 実兄である竜一はデレデレしながらそう言って、ニコレットを噛んだ。

「ぜんぜん悪いなんて思ってないだろっ!」

 俺がズビシと突き返すと、お前も真実の愛を知れば俺様の気持ちが分かる、と平然とのたまう。

「分かってたまるかっ。タバコで俺を家なしにしておきながら、家から出てけとはどういうことだよっ!」

「だーかーら、彼女が同棲したいって言ってんだよ。ひとつ屋根の下に女と男を一緒にはできないだろ」

 クズ兄の返答に、俺は思わずギィイ〜ッと奇声を発した。静かな喫茶店のあらゆる視線が俺と兄貴に集中する。

 構うものか。ここで体裁を気にしていたら俺に明日はない。


「そういう意味じゃないっ。それに兄貴だって男だろ。しかも俺は兄貴の弟だぞ!」

 俺の訴えに対し、カス兄はチッチッチと舌を鳴らしひとさし指を振る。


「俺様は彼女のナイトだが、お前は居候だ。それに俺様の血を受け継いでるお前は驚異だ。さては彼女の魅惑的な体に飛び込むつもりか?」

「ふざけんなっ! 父さんと母さんにチクってやる」

「ほう、やれるもんならやってみな」

 兄貴はそう言うと、テーブルの下からテープレコーダーを取り出した。カチリとボタンが押され、テープがゆっくりと巻かれる。


『タバコを吸ってたのは俺!』


 瞬間、衝撃が俺の頭を強打した。

 信じられない。それは正に俺の声だった。

「な、なんだよソレ……俺はそんなこと一言も、」

 ハッと息を飲み込む。千文字くらい前に似たようなせりふを使った記憶がある。確か……。

「“殺されるのは兄貴だけだろ、‘タバコ吸ってたのは俺’じゃない!” ――お前の言葉だよ」


 兄貴はニタリと唇を歪めると、ニコレットを紙ナプキンに吐き出した。

「アナログな親父たちがコレを聞いたらどう思うかな」

「ひ、卑怯者! ってか何でそんなの録音編集してんだよっ!」

「保険だよ、保険」

 勝ちほこった笑みを浮かべるサド兄。悪魔だ。いつもはボケボケなのに変な部分で抜かりない悪魔がここにいる。


 俺は完全なる敗北を認めた。


「まぁ、可愛い弟のために俺様が親友にたのみこんでやったからよ、お前はそこに住め。迷惑かけないようにしろよ〜」

 タコ兄はそう言うとカウンターを指さした。

 カウンターの向こう側、コップを拭きながら俺を見つめているのは――喫茶店でアルバイトをしている兄貴の親友、狗井翼さんだ。

 黒縁眼鏡に長めの茶色い髪。繊細そうな容姿によくあう微笑をたたえると、翼さんは呟いた。

「ごめんね。竜一わがままで」

 それはこっちのセリフです……。


 ぽかぽかと陽気漂う喫茶店。兄と同じ大学に通う優しい狗井翼さん。入学式の前日に決まった新しい共同生活。全てが悲しく運命を奏でる。

 こうして俺は兄貴の親友と一緒に暮らすこととなった。


 ……と、ここで終わらないのが俺の運の悪さである。


 翼さんのバイトが終わる頃には夜はすっかり更けていた。

「普段は物置がわりにしてるから少し散らかってるけど」

 そう通された部屋はきちんと整理整頓されている。しっかりとした性格をなんだなと思う。

「本当にすみません。がんばって部屋探すんで」

「無理しなくてもいいからね。時期的にもう良い場所は取られてるんだから。僕はまだ後二年はここに住むつもりだし」


 まぶしい。なんて良い人なのだろう。にこやかなオーラは天使そのものだ。なんでこんな人があの悪魔の親友なのか。世の中は不条理だ。

「虎次君は経済学部だっけ。僕と一緒だね」

 翼さんは布団を一枚敷くと、手を差しのばした。

「よろしく」

「宜しくお願いします」

 俺は感激しつつ握手をすると頭を垂らした。布団が目に入る。布団さえも人柄の良さを表したような柔らかな緑の色調……ん?

「布団の予備ってあるんですか?」

 俺は素直に疑問を口にした。すると翼さんは少し気まずそうな顔で。

「俺は床で寝るけど気にしないでね」

「えぇっ!?」


 思わず俺は狼狽した。

 当たり前だ。ここまで迷惑をかけて挙げ句の果てに床に寝かせるなんて。

「そんなわけいきませんっ」

「いやいや君はお客様なんだから」

 翼さんもまた狼狽して反対する。だがここで折れるわけにいかなかった。ここで折れたら竜一と同じ人間の風上にもおけない奴になってしまう。

 だが翼さんも折れなかった。ちくしょう、なんでこんなに仏なんだ。


 長い押し問答の末、俺はひとつの打開策を打ち立てた。

「一緒に寝ましょう!」

 翼さんがぱちくりと目をしばたく。

「明日ちゃんと布団を買ってきますから。今日だけ狭いの我慢して下さい!」

 俺の剣幕に押されたのか、翼さんはしばしの間かんがえ……ついにコクリと肯いた。


 その夜。

 翼さんの後に風呂をいただいて俺は布団に滑り込んだ。案の定、翼さんは気を使って布団の端の方に丸まっていた。しかも布団から足が出ている。

 本当に兄貴の親友とは思えない人だ。性格も容姿も優しいという字を形容しているかのようで、兄貴とは正反対。だからこそ引かれあうのかもしれないが。

 そういえば兄貴は翼さんが注意したからタバコをやめたらしい。昼間は仕方なくニコレットを噛んでいた。翼さんには弱いのかもしれない。

「ともあれ、ありがとうございます」

 感謝し、俺は翼さんに布団を掛けなおした。その瞬間、俺は無意識に後ずさった。


 この人、良い匂いする!

 くんかくんかと鼻を動かすと、なにやら布団からも匂ってくる。兄貴のタバコが染み着いて気づかなかったのかもしれない。

 翼さんは俺の行動をしるはずもなく、スヤスヤと寝息をたてている。白い皿みたいにツヤツヤな肌に整った容姿。驚くほど睫が長い。厚い黒縁眼鏡の中にはこんなにかわいらしい人が隠れていたのか。

「……って、いやいや」

 気を引き締めて俺は布団をかぶった。そんなケは俺にはなかったはずだ。これ以上もんだいをふやしてどうする。

 きれいな人が珍しかっただけだ、うんうん。

 俺は自分に言い聞かせつつ瞳を閉じた。


 次に目を開けると、俺は暗闇の中で立ち尽くしていた。


 ぼんやりとしていると、頬に光が差し込んだ。熱っぽい光だ。

 見上げてみると、汗水たらしてやっと見つけたデザイナーズマンションが燃えているではないか!

「もえろ〜♪もえろ〜♪」

 歌声に反応して振り向くと、兄貴が火のついたタバコをじゃんじゃかマンションに投げている。

「こ、このヤロウ!」

 俺は逃げる兄貴の背中を追った。グングンと距離を縮めていく。

 意を決して俺は、兄貴に抱きついた。

 プニッ。

 まか不思議な擬音にクエスチョンマークがはじける。

 プニップニプニッ。


 おかしい。なぜ兄貴に乳があるんだ?

 肉まんほどの小振りな乳房が――。


 次の瞬間、俺は悲鳴で飛び上がった。

 どうやら眠っていたらしい。俺は空中を揉みながら周囲を見渡した。何事か。よくみると、翼さんが隅っこでうずくまっている。


「翼さん?」

「来ないで!」


 暗闇でも分かるくらい、翼さんの顔は真っ赤だ。胸元を押さえ震えている、んんっ!?


「翼さん、え? なんでオッパイ……まさか……」

「竜一には言わないで!」


 翼さんの絶叫。それは男性とは思えないくらいに高いものだった。いや、翼さんの声はたしかかに普通の男性より高かったけど。

 背は俺と同じ百七十センチくらいで、顔だって中性だけど。ジャニーズっぽいけど。いやまさか。冗談だろ?


 翼さんは女の子だったのだ。


「翼さん、どうして」

 俺の問いかけに翼さんはギュッと目を閉じると、

「……私、竜一が好きなんだ」。

 衝撃が体を貫く。

 口をあんぐりとあける俺。そんな俺に、翼さんはハッキリとした口調で語り始めた。


 翼さんは当たり前だが最初は女の子として大学に入学した。入学してから初日、兄貴と出会い、友達になったらしい。

「一目惚れだったんだ」

 翼さんは兄貴のことが好きでよく遊んでいた。ある日のことだ、兄貴はこんなことを翼さんにたずねた。


 翼さぁ、気にしてる女とかいる?


「バカ兄貴、翼さんのこと男だって勘違いしてたわけ? なんで訂正しなかったんです? 好きなら告白すればいいじゃないですか」

 質問したいことが後から後からわいてくる。

 兄貴は高校時代から付き合っている彼女がいる。それでも、そんなたいそれた嘘をつくなんて道理じゃない。だって現実的じゃない利益もない変だ。

 しかし、翼さんは動じなかった。


「関係を壊したくない」

 翼さんの瞳は真剣そのものだ。真剣だけど、恋をした瞳。

「ずっと竜一のそばにいたい。一番の親友としていられれば十分なんだ。私は、それだけでいいんだ。だから」


 そう言って翼さんは姿勢を正すと、俺に土下座をした。

「お願いだから、内緒にしてて!」

 翼さんがどれだけ真摯な気持ちで兄貴を思っているのか。その姿を見れば分かる。たまらなく苦しい。

「うん。絶対に内緒にするよ。だから顔をあげてください」

 翼さんが体をおこす。真っ直ぐな無垢の瞳が胸を刺す。

「ごめん」

「謝らないでください。俺こそ」

 思い出して赤面する。寝ぼけていたとはいえ、俺は翼さんの胸を揉みしだいてしまったのだ。

「俺、あのっ、すぐ出てきますから」

「ダメ!」

 ふいに翼さんが俺の袖口を掴んだ。

「君がすぐ出てったら変に思うに決まってる。竜一がおかしなトコで頭いいの知ってるでしょう?」

 知ってる。知っているけれど。

「でも俺、男だし……」

「大丈夫!」

 捕まれた袖口から翼さんの体温が伝わる。ジンジンと、熱いくらいに。

「私は男っぽいしさ。変なことしないよ。ねっ、いっしょに暮らそっ!」


 運命とはかくも厳しく過酷だ。災害は忘れた頃にやってくる。神は人が忘れるのを見計らって不幸を爆撃してくるサディストなのだ。


「ジーザス!!」

 朱色に染まった彼女の頬を目にしたとき、だからこそ俺、二宮虎次はそう叫んだのだ、もちろん心の中で。


 よりによって俺は、兄貴の親友に一目惚れしたんだから。

続きは『起承転結』『いっしょに暮らそっ!』で検索、または神崎さんの作品一覧からご覧ください。

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