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金の糸 ~追放聖女は旅をする~  作者: 川霧莉帆
第一章 再出発
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05.情けは人の為ならず

 アレッシアは修道院で育ち、聖宮に四年間いたため、年齢とほぼ同じ年数を外界と関わらずに穏やかな場所で過ごしてきた。すると、王都のような刺激の多い場所に耐性がないため、感じるものは楽しさよりも疲労が勝ってしまう。なので王都をまっすぐ通り抜けた。

 それに目的地があるのだ。アウロラ修道院は王都から歩くと六時間ほどの丘陵地帯にある。太陽が既に高い今からだと、途中で暗くなって道が見えなくなるかもしれないが、道中に宿はないのでできるだけ急ぐ他ない。

 その前に、背負い鞄を下ろして中身を確かめた。司祭が言っていたことを思い出して、一番上にある包みを取って開いた。生野菜とハムとゆで卵の大きなサンドイッチだ。革の水筒もある。試しに二番目の包みを隙間から覗くと、揚げた芋と魚が入っていた。底に近づくにつれて日持ちするよう調理されているのだろう。

 アレッシアはサンドイッチ以外を丁寧に閉じてまた鞄を背負うと、昼食を食べながら歩くことにした。行儀を教わって育ったアレッシアにとって初めての経験だ。しかも咎める人がいないと思うと、妙に高揚感を覚えた。

 王都の瀟洒な家並みとは打って変わって、王都の周囲は豊かな自然が残されている。街道は背の高い木が落とす木漏れ日に彩られ、季節の草や野花が石畳の道の縁に好きな形で茂っている。昨夜の嵐で飛び散った千切れた葉や花びらも、美しい景色の一要素だ。



 アレッシアは丘陵へ登るため途中で脇道へ逸れ、一時間ほど歩き詰めた。久しぶりにたくさん歩いた脚が早くも疲れてしまったので、少し休憩することにして、そばにあった岩の縁に腰を下ろした。

 水筒を出して中身のハーブ水で喉を潤す。そこへ、後ろから小さな動物の鳴き声が聞こえてきた。

 振り返ると、きゅんきゅんと悲しげな鼻声を出していたのは茶色い野兎である。低木の陰から耳を伏せ、長い手足を縮めて這いずるように出てきた姿を見て、アレッシアは目を見張った。その背中が血まみれになっていたからだ。


「助けてほしいの……?」


 野兎の黒い目は憐憫を誘っていた。堪らず、アレッシアは周囲に誰もいないことを確かめると、岩を降りて野兎へ両手を広げた。

 助かるため人を頼りに来たこの野兎には鋭い嗅覚があったのかもしれない。なぜならアレッシアは秘術師で、怪我を即座に癒やすことができるからだ。


「ちょっと待ってね」


 小声で呼びかけ、異物が埋まってないことを確認し、傷口に手を近づけて意識を集中させる。すると単純な傷だったので数秒で塞がった。

 野兎は秘術の淡い光に少し驚いたようだが、身じろぎしても痛みがないことに気づくと、癒えたことを喜ぶように手足と耳を伸ばして一度跳ねた。目にすっかり元気が満ちている。


「良かったね」


 微笑むと、野兎はじっと顔を見つめた。しかも、アレッシアが鞄を背負い直して歩き出すと後ろを着いてくるではないか。


「お腹空いたの?」


 と、動物相手に尋ねてみても当然返事はない。試しに水筒の水を手のひらに少し零して近づけてみたが、要らないのか、あるいはハーブの香りのせいか、顔をそむけられた。

 しかし心配しなくても、こんなに自然豊かなのだから野兎が食べられる草はどこにでもあるだろう。そういうことにして、アレッシアは自分の目的へ戻ることにした。

 土がむき出しの細い道が、野原に緩やかな上り下りを繰り返して延々と続いている。時には小麦畑の風車や騒々しい製材所がぽつんと建っているが、人が見えないのでまるで建物自身が働いているようだ。

 そんなことを思いながら歩いていると、不意に木立の中からガサガサと大きな葉擦れの音が近づいてきた。驚いて足を止めたアレッシアの目の前に現れたのは、なめし革のベストを着て弓矢を背負った中年の狩人だった。


「その兎、俺が今朝仕留めそこねた奴だと思うんだよ」


 藪から棒にそう言い出し、アレッシアの足元で耳を伏せている野兎を指差す。


「背中にうっすら黒い線があるだろう?」

「はい……」

「そこ目掛けて射掛けたんだ。でも少し外して腰に当たった。間違いない。今はなぜか傷がないが……あんたの兎じゃあないんだろう?」


 アレッシアが曖昧に頷くと、狩人は眉を困らせた。


「狩りでいつも一緒だった俺のサバントが最近元気がなくてね、何か滋養のあるものを食わせたいんだ。もう十二歳だから寿命が近いんだろうが……できることをしてやりたいと思うのは飼い主として当然だろう?」

「…………」


 アレッシアも困った顔をした。ペット、あるいは狩りの相棒を大事にしたがる気持ちは理解できるが、足元から野兎が潤んだ目で見上げてくるのだ。


「もちろんタダで引き渡してくれとは言わない。あんた、この先もずっと歩いていくつもりのようだから、膝の固定ベルトをあげよう。街で人気の商品の一つなんだ」

「固定ベルト?」

「そう。付けると膝が痛まずにいられるって、色んな職業の人から好評なんだ。革製で長く使えるよ」


 板挟みだった気持ちが傾いた。なにせあと四、五時間は歩かなければならないのだ。

 アレッシアは後ずさって野兎を狩人の前に差し出した。素早く耳を掴み上げられた野兎は、少し暴れて抵抗したものの、甲斐がないと悟ると目をうるうると濡らした。それが野兎の最後の姿だと分かってはいたが、だからこそ見ていられなくて目を背けた。

 狩人は一旦家へ帰ると、急いでアレッシアのところへ戻ってきた。


「どうもありがとう。あいつ、兎を見たら久しぶりに目をギラつかせたよ。さあ、約束の物だ」

「ありがとうございます。お大事に」


 狩人は機嫌よく帰っていき、アレッシアはまた修道院へ進んだ。

 後になって、射掛けられた野兎を癒やした一方で、寿命が近いという人のペットを診てやらないのは、変かもしれないと思った。

 しかしもう過ぎたことだ。膝を包む固定ベルトはアレッシアの歩みをしっかり守ってくれたのだった。

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