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金の糸 ~追放聖女は旅をする~  作者: 川霧莉帆
第三章 金糸を辿って
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36.夜の異変

 夜が深まり、皆は食後の後片付けと火の始末を念入りに行なった。スヴェン曰く、小屋周辺には残飯を狙うリスがいて、物怖じしないので少々危険らしい。

 荷物を完璧に小屋へ入れたら解散となった。クレリアたちは二階のそれぞれの部屋、スヴェンは一階の部屋へ向かった。


「何かあったら起こしてください」

「はい。二人ともおやすみなさい」

「おやすみー」

「おやすみなさい」


 クレリアはミンミと並んで寝袋に寝そべった。一人用の寝袋なので一緒に入るには余地が足りないことをミンミは残念そうにしたが、やがて寝息を立て始めた。

 森の夜は静かだが、圧迫感のある無音というわけではなかった。崖下の川の流れや、僅かな葉擦れが聞こえない程度の音を立てているのだろう。

 それでもしばらくは眠れなかった。床に寝袋を敷いただけの寝床は柔らかさが足りないので寝苦しいのだ。それに床に寝転ぶと、天井の遠さも気になる。

 手を伸ばして天井までの距離を測ったりして遊んでいると、ふと、クレリアは背中に僅かな振動を感じた。

 最初は気の所為かと思ったのだが、二度目、三度目と繰り返す度にドシン、ズシン、と揺れが強くなってくる。何かが近づいてきているのだ。

 寝床を這い出して膝立ちで窓の外を覗いてみたが、高い木々の枝が窓をほとんど覆っているし、月明かりも届いていないので何も見えない。振動の度により強く揺さぶられる枝葉がざわざわと鳴る音は聞こえる。


「くぅん……」

「ミンミ?」


 いつの間にか起き上がっていたミンミが小屋の外へ向かって喉で鳴く。すると、弾かれたようにドアへ向かい、手でひっかき始めた。開けてほしい時の合図だと分かりはしたが、クレリアは困惑した。


「怖いの?」

「くぅーん……」


 抱きしめてやってみたが、そうではないと言わんばかりに更にドアを引っ掻く。仕方なく開けてやると、ミンミは腕の中から滑るように抜け出して部屋を飛び出してしまった。


「ミンミ……?」


 廊下に置いてあるランタンの光が四足歩行の影を追う。ミンミは階段を降りていってしまったようだ。

 そこへエリーアスとラザも部屋から姿を現した。


「なんか揺れてねぇか?」


 寝ぼけ声でラザが言った直後、小屋が殴られたように横方向に揺さぶられた。しゃがんでいたクレリアは思わず手を突き、二人は咄嗟にしゃがんだ。

 突然、一階から甲高く長い吠え声が響く。


「ミンミ、ですか? この遠吠えは……」


 クレリアは立ち上がると廊下の手すりを頼りに一階へ降りた。二人もランタンを持って後に続いた。

 一階ではスヴェンがすっかり目が覚めた顔で、こちらもランタンを掲げていた。三人がやってくると、無言で小屋の奥へ視線を向けた。

 そこは共用の洗面所などに通じる短い廊下がある。その奥の小さな窓に向かってミンミは座り込んでいた。

 また小屋に衝撃が走り、人間たちは姿勢を低くする。ミンミがまた遠吠えを放つ。

 すると、小屋の外から恐ろしいだみ声のような唸りが返ってきた。


「い、今のは、熊……!?」

「熊ぁ? 山の向こうにしかいないはずだろ」


 ラザが呆れるが、スヴェンは小刻みに首を横に振る。


「確かです。プラエスの森に薬草を取りに入った時に聞いたことがあります……」


 再び小屋が揺れる。今度は窓のガラスが危ない音を立てるほど大きい。ミンミが応えるように遠吠えを繰り返す。


「あの子は何をしているんですか? 吠え返してくれればいいのに……」


 それはクレリアも思っていたことだった。今まで色々な場面をくぐり抜けてきたのに、なぜか今に限って鈍感に見える。


「ミンミ……!」


 願うように呼びかけると、ミンミは素直に振り向いた。

 その目が一瞬、赤く光る。

 全員がそれを見た。だが、次の瞬間にはもうミンミの目の色なんて暗がりに紛れて分からなくなっていた。だから誰もが、ランタンの光のせいだろう、くらいにしか思わなかった。

 次の揺れは小屋がひっくり返される恐ろしい未来を思わせた。エリーアスが決断を下す。


「全員、外に――」


 また熊が唸った。長く、力を抑え込んだ唸り声は、何かを惜しんでいるかのようだった。ズシン、ドシンという足音と揺れがまた始まるが、遠ざかっていく。

 それきり全ては終わった。ミンミが窓辺から離れて、縮こまって身を寄せている四人の人間たちを不思議そうに見つめる。

 クレリアがそっとミンミに手を伸ばすと、次は自ら腕の中にやってきた。それがとても嬉しく、安心したので、温かい体躯を思いっきり抱きしめた。他の皆も安堵に息をついている。


「よかった、助かった……あぁ、一体何だったんでしょうか」

「夕食の残り香を嗅ぎつけたんでしょう……きっと」

「ふぅ、熊とやり合うことになったらどうしようかと思ったぜ」


 栗色の短髪に炒り豆のような黄土色の目を持つ好青年が呟く。

 皆はラザが仮面を外していることに気づいた。


「え、何?」

「寝る時は普通なんだね」


 クレリアの言に他の二人は頷いた。ラザは呆れたように眉を上げる。


「そりゃ、寝る時もあれ着てたらシワができちゃうだろ」


 どこか噛み合わない会話が時間が経つにつれて笑いを誘った。和やかな雰囲気を取り戻したところで、話は明日の朝することに決めて、皆はもう一度挨拶をしてそれぞれの寝室に戻った。

 クレリアはもう一度ミンミと並んで横になった。遠吠えをしていた時が嘘のように、ミンミの様子はいつもと変わらない。


「ミンミ」


 呼びかけてみると、両目は閉じたままだが、耳を器用に片方だけ立てて見せる。


「さっきは熊に帰るように言ってくれたの? ……きっとそうだよね」


 一方的にそう話して、丸められた背中をそっと撫でてやった。自分の不安をなだめるために。

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