第48話 兵ってそんなもん(六郎の見解です)
突如として出された降伏宣言で、広場には静寂が訪れた。
降りしきる雨が、やたら煩く甲冑を叩く。
その音はまるで、倒れ伏した仲間たちが上げる慟哭だ。
チラリと目をやれば、苦悶の死顔から「裏切り者」と聞こえてくるかのようだ。
それでも目の前の死神の声を聞くよりはマシだと、騎士達仲間の死体から目を逸した。
大仰に両手を上げ、武器も捨て、膝をつく。これはこの世界における降伏としての、一般的なポーズだ。
騎士達は六郎がこの国の人間ではない、と思っている。
見た目もそうだが、考え方が異質すぎるからだ。
それでもこの世界の人間であるなら、知っていて当然の常識を期待したのだ。
降伏した敵を殺すことの違法性を。
戦士として恥ずべき行為であることを。
降伏という宣言は、流石の六郎を相手にも、起死回生の一手になると思っているのだ。
現に、「降参する」と宣言してから、六郎は黙ったまま騎士達を見ており、騎士達の目論見は成功しているようには見える。
「こ、降参だ。これ以上の戦いは無意味。我々では貴殿を止められない……だから降参する。戦場における降伏だ……」
両手を上げ、武器を捨てた騎士達。
これが戦場だと、戦だと殊更に強調したその発言に、騎士の本音が透けて見える。
ようは、恨みつらみでの襲撃なら「参った」は通用しないが、戦であれば「貴方に負けました」が通用しますよね? と言いたいのだ。
同時に六郎という個人相手に、これは国対六郎個人の戦争だと、六郎単体を国と同等に扱う狡賢さもある。
単騎でありながら、国と戦争する貴方には勝てません。
と六郎を持ち上げているのだ。
ここまで六郎を立てているのだから、その思いは無下にしませんよね?
そういう思いが透けて見えるその発言に、六郎は「戯けん部下は戯けか……」と雨音に消えそうな声で呟いた。
今も降参を示す騎士達。そして遠くから「戦え!」と叫ぶジルベルト。
その光景に六郎はつまらなそうに鼻を鳴らし、持っていた直剣を放り投げた。
雨音に混じる「ガラン」と言う無機質な音が、騎士達には福音にすら聞こえる。
そしてその福音に、騎士達の期待が大きく膨らむ。
「……成程。全員降伏でエエんか?」
福音に続く免罪符に、騎士達は助かったというふうに顔を見合わせ、力強く頷いた。
良かった。
降りしきる雨の慟哭は止まないが、これでこの場で無駄に殺されずに済む。
そう思えば兜の中の悲壮な顔も笑顔へと変わって――
「ほな、全員そこに並んで腹ば切れ――」
――六郎の言葉に、全員が固まる。
「何しよんじゃ? 戦の負けを認めたとやろうが? サムライにとって戰場での負けは死じゃ。本来なら斬首じゃ……が、せめてもの情けじゃ。腹ば召すんを許しちゃる」
腕を組み、自分たちを見下ろす六郎に、騎士達は固まって動けないでいる。
降りしきる雨のせいで聞き間違いだろうか。
いや、そもそも斬首の情けが、腹を切る事に繋がる意味が分らない。
斬首刑から自害へとシフトチェンジしただけで、結局は死ぬではないか。
どう転んでも「死」という究極の選択に、騎士の誰もがお互いの顔を見合わすだけだ。
「早う腹ば召さんね……介錯はワシがしたるけぇ」
六郎が初めて腰の刀を抜き放った。初めて見る異質な剣に、その異様な輝きに、その場の騎士達は息を呑む。
と同時に聞き間違いなどではなかった。という恐怖が込み上げてきている。
【介錯】というのが何か分からないが、この雨天にあって尚、光り輝く刀に騎士達の命を刈り取る意思だけは見て取れるのだ。
話が通じない……そう思った騎士が駄目もとで口を開いた。
「……ほ、捕虜は殺さないのでは?」
「捕虜? 捕虜っちなんね? ワシん所の戦では降伏した兵は勝った側が好きに出来るんぞ? 余程優秀やねぇと全員斬首じゃ」
背筋が凍りそうになるのは、春なのに冷たい雨のせいではないだろう。
何だその国は……何だその習慣は……何処の蛮族だ。
叫びたい気持ちは言葉にならない。
これが酒場での与太話であれば、大いに笑えただろう。起死回生の一手だった「降伏」すら許してもらえない。そんな民族が居てたまるか、と。
……だが、現実にいる。それも目の前に。
進むも死。
逃げるも死。
立ち止まっても死。
冷たく感じる首筋に。
ガタガタと震える奥歯に。
込み上げてくる嗚咽に。
耐えられなくなった一人の兵士が「嫌だ……死にたくない」とその震える身体を抱きしめた。
そう、それは心からの叫び。
ここに座る全員が、あと一瞬その兵士の吐露が遅ければ同じ行動を取っていただろう。
そしてその行動は――
「死にたくねぇなら、初めから人を殺そうとするんやねぇの」
――眼の前の死神の逆鱗に触れる行動だと知った。
震える騎士の首を、六郎が拾い上げた直剣で叩き斬ったのだ。
力なく倒れ伏す首なしの身体。
絶えず流れる血が石畳を染める――。
気がつけば周りは死体の山だ。流れ出る血に、気がつけば雨でも押し流せない血溜まりが、そこかしこに。
地獄だ……その場の誰もが、この光景に逃げ出したくなっている。
が、それを許してはくれない。目の前の死神が―――
「そいで? 腹ば召すんか? それとも首ば叩き斬られたいんか?」
六郎の言葉に、逃げられないならと、震える足で立ち上がろうと――した騎士が膝から崩れ落ちる。
どうしようもなく怖いのだ。死ぬのが。
どうしようもなく憎いのだ。自分たちをけしかけるだけで表に立たぬ主が。
「俺……俺達は……捨て駒なんだ……」
同情を誘うつもりなどサラサラ無い。思いの粒が溢れてしまっただけだ。
だがそんな言葉を、六郎が意外にも拾い上げた。
「捨て駒か……」
その呟きに、声を発した騎士が「え?」とその顔を上げた。もしかしたら――
「当たり前やろうが。兵なんぞ駒の一種じゃ。そげな事も分からんで剣ば握っとたんか?」
――上げた先にあったのは、呆れたような六郎の顔だった。
「何を当たり前の事言いよんじゃ。兵なんぞ捨て駒。それを承知で今までタダ飯食うてきたんやろうが? 戦う時のため、主を生かすため、今まで主に生かされてきたとやろうが」
「き、貴様に何が分かる! 主と言えど、尊敬できる相手ばかりではない。好きで……好きでこんな主に――」
六郎の言葉に騎士は奥歯を噛み締め、声を張り上げた。
他の騎士達も賛同するように、「そうだ。アイツは何時だって」と愚痴をこぼし始める。
響き渡る愚痴の大合唱に、六郎は呆れたように大きく溜息をついた。
「……で? それが何じゃ? 主が好かんのであれば、何故そん鞍ば代えんかった?」
六郎の言葉に、騎士達が固まる。
主を代えておけば良かったじゃないか。そう言われて初めて、そこまでの不満が有ったわけではないと思い知ったのだ。
「主が好かんと、気に食わんと云うその口で、何故今まで主ん機嫌ば取ってきたとや?」
張り上げているわけでもない六郎の声。それでも兜を叩く雨音に負けず騎士達の耳に響いている。
「気に食わんち腹で思いながら、そん地位に甘んじ、そん地位を笠に着、飯ば貰うて、酒も食らっとたとやろうが? 好き勝手やっとったとやろうが? ならば、そん報いを今果たせ……。捨て駒にしとる? 主が気に食わん? 知らん。死に臨んでそん理由をメソメソと他人に押し付けるな。みっともなか。兵であるなら、男であるなら、武器を持ったのなら、戦え。出来なくば……死ね」
冷たく言い捨てられているその言葉に、騎士達の目から光が消える。
そこまで言われて、漸く数人の騎士が立ち上がった。
この男には何も通じない。この世界のルールも、泣き落としも。どうしようもない。死ぬならば、せめて――そんな思いで立ち上がった騎士達の前で
「重畳」
短く呟いた六郎が笑う。
笑う六郎へ、騎士が武器を構えた。
「来んか。兵なら、戦いに喜びを見出してみぃや」
突き出される斧槍、それが六郎に達することはない。根本からいつの間にか切り落とされたそれに、突き出した騎士が目を――剥くまもなく落とされるその首。
六郎の手に輝く刀が閃いた。
敵ではあるが、気概を見せた男たちへ、六郎の最大の敬意だ。
その刀で首を斬り落とすという、最大の敬意。
しかしその敬意は、六郎と恐らく立ち上がった数人の騎士にしか伝わっていない。
今も座ったまま動けない兵士や騎士たちには、先程まで隣で座っていたはずの仲間が、次の瞬間には首と胴が分かたれ、倒れ伏す姿にしか見えないのだ。
その異常事態に、先程立ち上がれなかった兵士の一人が、逃げようとするも腰を抜かし失禁――
「主ん首は要らんの――」
ただ情けなく泣き叫ぶ兵士の頭を、直剣が叩き割った。
その光景に、立ち上がるもの、腰を抜かし戦意を喪失するもの。
どちらに転んでも、六郎の振るう刃から逃れる術はなく――最後の一人が倒れ伏し、広場を包んでいた悲鳴や怒号は雨の音だけに。
折り重なる死体と、降りしきる雨をもってしても、流しきれない濃厚な血と死の臭い。
それらを背負うようにジルベルトの前に立つ六郎。
「……待たせたの」
獰猛なその笑みに、ジルベルトは震える拳を抑え込んでいる。
「……若造が――!」
震える拳を怒りだと信じ、憤怒の形相で突っ込んでくるジルベルト。
怒りにより突き出された正拳は虚しくも六郎に掴まれ、そのまま握りつぶされた。
「ぐ、うぅぅぅぅぅ――」
苦しそうに、ひしゃげた右拳を庇うジルベルト。
「……スマンの。二度目は無い。そう云うたんに、何度も見逃してしもうて」
右手を擦る左手を掴み上げ、思い切り捻る。
枯れ木を折るような音と、ジルベルトの上げる悲鳴が、雨の音に混じって消える。
「二度目に殺しとくべきやったの……すれば主も、苦しまずに済んだものを」
非ぬ方向に曲がった左腕とひしゃげた右拳。
「不格好じゃな――」
今度は右腕を掴みひねり上げる。
再び響く枯れ木を折るような音と、ジルベルトの上げる悲鳴。
あまりの力の差に、ジルベルトは踵を返し、城の中へ――
逃げるジルベルトをゆっくりと追い詰める六郎。
「主らが何処で、何を企んでようと構わん……が、ワシやリエラを巻き込んだこと……それだけは許さん」
六郎が手に持つ直剣を投擲――右脹脛を貫かれたジルベルトが、床を転げ回っている。
転がるジルベルトが振り返る先、そこに迫るのは紛れもない【死の恐怖】だ。
「わ、私はただ……命令で――」
「応。さっきも言うたの……じゃけぇその命令に殉じて死ねや」
笑う六郎がその首を掴み、ジルベルトを片手で持ち上げる。
少しずつ力が込められていく六郎の左腕が、ジルベルトの頸を少しずつ握り潰していく――
「ガ……こ、こんな……はず――」
最後の言葉を言い切れぬまま事切れたジルベルト。
それを放り捨てる六郎が腰の刀を一閃――胴から離れた首を拾い上げた。
「なに……暫くしたら主人もくるけぇ。恨み言はあの世で云いなや」
その首を片手に城の中を突き進んでいく――ちなみにリエラが何処にいるかは知らない。




