9
卒論発表会が行われた週末、バイト先で、4年生の送別会が開かれた。
私も1月2月とバイトに復帰はしたけど、もうバイトは2月末でやめる。
3月になると、卒業旅行とか、実家に帰るとかで、もうほとんどこっちにはいないからだ。
私はいつもの通り、女子の集団の中にいた。
今日は智も参加しているけど、そもそも智と私が仲がいいということをバイト先で知っている人もいないし、智は同学年の女子の集団に囲まれてるから、こっちに来ることはないだろう。
智、やっぱり、ここでもモテてる。
仕事中はほとんど話す暇なんてないから、バイト仲間の中で話そうとすると、こういう飲み会をきっかけにするしかないよね。
貴子は今日は参加したがっていたけど、用事があるとかで不参加だ。
「ところで天音先輩。上原君と付き合ってるんですか?」
右隣に座っていた後輩の三田さんに小さな声でそう言われて、私は飲んでいたビールを吹き出しそうになって、堪えて、むせる。
息を整えて、三田さんを見る。
「はい? どうして?」
「えっと、私、学食でたびたびお二人が会っているのを見てます」
見てる人がいたんだな。
そう言えば、三田さんも同じ大学だったな。
「それって、他に見てる人っているかな?」
「わからないですけど、見ててもおかしくはないんじゃないですか。半分くらいはうちの大学の人ですから」
「そっか。それで、お答えなんだけども、付き合ってません」
三田さんが目を見開く。ただでさえ目が大きいから、目が零れ落ちそうだな。
「目、落ちない?」
「天音先輩、始まったそうそう、酔っ払わないでください。ところで、本気で言ってますか?」
「目、落ちないか?」
「それじゃありません。付き合ってないって」
首を大袈裟にふる三田さんに、私は大きく頷く。
「私たち、何にもないよ。そもそもあれ、CDを借りたり返したりしてるだけだし」
「そうなんですか? いつも何か受け渡し終わったら、お二人で仲良く出ていくじゃないですか」
「え? あれは、解散してるだけだよ。あの後はお互いに別々に帰ってるんだよ」
「えぇ。あれは、そんな雰囲気じゃない……」
何だか途方に暮れたように、三田さんが肩を落とす。
何か、悪いこと言った?
「上原君から、何か言われたりとか、ないんですか?」
「いや。特には」
私の返事に、三田さんはぶつぶつ何かを言いながら、項垂れる。え? 何で?
「天音先輩!」
今度は左隣に座った楠本さんが私の袖を引っ張る。
「三田さんとこそこそ何話してるんですか?」
「いや。世間話?」
何とも言い難い。
「そうそう、先輩、聞きたいことあったんですけど」
「何?」
もう私も卒業だからな。仕事のこととか、聞いときたいのかな。
私は気分を変えるために、ビールを一口飲んだ。
「上原君は彼氏ですか?」
また、むせる。
今日は、何の日?
「大丈夫ですか?」
大丈夫じゃない。しかも、楠本さんのせいだし。
「えっと、楠本さんはどうして、そう思うわけ?」
「え? だって、夜のシフト、上原君と一緒になったら、一緒に帰ってますよね? 一度上原君の家の場所聞いたら、天音先輩と逆方向だったし」
「いつ見たの?」
帰り、一緒になることなかったよね?
「いつだったかな。でも、結構何人か一緒に帰ってるって、言ってましたよ」
まあ、バイト帰りだったら、見られてるか。
「あれは、たまたま、だよ」
そう言うしか、ないか。
「またぁ、天音先輩嘘ついちゃいけないですよ。だって明らかに、天音先輩、上原君が来るの待ってましたもん。上原君も、天音先輩に気付いて走って自転車置き場に行ってましたし。見た人は皆、どっちかが待ってたよ、って言ってましたよ」
……それは、待ってなかった、とは言い逃れできなさそうだな。
「……あれは、上原君が私を心配してくれて、送ってくれる話になってただけで。別に付き合ってるとか、ないから」
「えぇ。あの雰囲気で、それはないでしょう」
楠本さん、酔うと絡んでくるんだよな。もう、酔っ払ってるのかな。
「ないよ。ない。上原君にも聞いてくれていいけど」
「それは、上原君が不甲斐ないのであって、天音先輩のせいではないと思いますけど」
既に意味不明。これは、もう酔っ払ってるな。
「どうしたの? 天音」
ああ、助かった。
「光、楠本さんもう酔っ払ってるんだけど。ちょっと、どうにかして?」
楠本さんが酔っ払ったときは、光がどうにかしてくれる。私に酔っ払った楠本さんの相手は困難です。楠本さんは光のサークルの後輩らしいのだ。
「楠本! 天音に迷惑かけるんじゃないよ」
「すいません!」
体育会系のサークルの様で、上(光)の命令は下(楠本さん)は従うようになっているらしい。
「ほら、あっち行って」
楠本さんがよろよろと別のスペースに移動する。楠本さんが移動して空いたところに、光が座る。
「ああ、光。今日で最後だね」
「そうだね、天音。4年間頑張ったよね、私たち」
二人で乾杯をして、ビールを流し込む。
「もう、4年で残ったのも、私らと貴子と、男性陣合わせても、5人だもんね。寂しいもんだね」
光の言葉に頷く。4年に上がる前に、就職活動でやめてしまった人たちも結構いたしな。
「このバイトも、いい思い出になったよね?」
私が光にそう言うと、光がニヤッと笑う。
「そうだね。天音は最後の最後で彼氏ができたしね」
一瞬、光に何を言われたのかわからなかった。
「彼氏?」
私は首を傾げるしかない。
「やだ。しらを切らない。貴子からも聞いたよ。上原君と付き合ってるって?」
「そんな情報、鵜呑みにしないでよ」
入れ代わり立ち代わり、何で今日はこの話題なんだろう。
「だって、私も見たよ、名前で呼び合ってるの。ラブラブだったじゃない」
「え? ……どこで?」
私と智は、バイト先ではそれほどしゃべることもないし、バイトの時には、苗字で呼んでる、はず。どこかで光に会ったような記憶も、ない。
「それが、隣のテーブルに座ってるのに、二人とも全然気づいてないんだもん。二人の世界、だったね」
「どこで?」
「学食。確かね、初詣の計画を立ててたよね?」
うわぁ。どうしてそんなタイミングで、光に遭遇してるんだろう。
光の笑顔が、恐い。
「嘘、ついてないよ。色々あって、行くことになって……」
「デートでしょ?」
「……上原君が、行きたいって言うから……」
「で、何かあった?」
「ううん。何も」
私はしっかりと首を振る。
「何もないとか、それはない。1月のシフトから、明らかに天音と上原君の様子が変わったのに」
「そんなこと、ない」
「いや、ある。天音は自分で気づいてないだけだよ。周りは気付いてるよ」
さっきの楠本さんに絡まれてる方が、いくらかましだったかも。光の追求が厳しい。
「周りも……って。何が?」
「失恋者多数、ってところかな」
「はい?」
光の言ってる意味が分からない。
「天音、1月から、上原君と同じ会場になったの何回ある?」
何だろう、その質問。でも、思い出して数えてみる。
「3回、くらいかな」
同じ会場にならなかっただけで、一緒に帰ってたのはもう少しあるけど。
「天音さ、気付いてないかもしれないけど、立て込んでるとき、上原君のこと、下の名前で呼んでる。しかも、その時は、上原君も天音さん、って返してる」
嘘!
「私は1回しか二人と同じ会場になってないけど、3回も同じ会場でやってたら、絶対、天音は上原君のこと、何度か名前呼びしてるね」
「……えっと……気を付けてたんだけど……」
「知ってる。だから、誰も突っ込まないであげたんでしょ?」
私たちの先輩で、バイト内で恋愛をしてる人がいて、その人たちが所構わずイチャイチャするもんだから、すごく迷惑だったことがあった。それからバイト内では、付き合うのは構わないけど付き合ってる雰囲気をオープンにするのはやめよう、という不文律が出来上がった。
それは私が大学一年の時にできたもので、私はそれを良く知ってるから、付き合っていないと言え、私が男の人に名前呼びを許してるだけでも、色んな憶測を呼びそうなので、バイト先では名字で呼ぶように智には言っておいたし、私も気を付けていたんだけど。
「気付いてたんなら言ってよ。何もやましいことはないけど、他の人が嫌な気分になるのか嫌だし」
「天音は仕事きちんとやるの知ってるから、誰も文句は言わないよ。上原君も真面目だしね。人が嫌がる仕事先頭切ってやってくれるでしょ。だから、誰も言わないことにしたんだよ」
ん?
「誰も言わないことにしたって、話し合いか何かあったみたいな言い方だね?」
「え? あれ見たら、終わった後話題に上るって。天音がだよ、男の名前呼び捨てとか、有り得ないし」
「ところで、誰との話題に上ったの?」
「それは、あの不文律ができたころのメンバーだよ」
ああ、4年生だけか。それなら……まあ良くはないけど、もういなくなるし、いいや。
「気付いたのは、4年だけなんでしょ」
「話、聞いてる? 一緒の会場に入った子らは名前呼びには気付いてるよ。私らが注意しないんだから、下は注意しないでしょ」
「えーっと。結構な割合で名前呼びに気付いてたってこと?」
私の言葉に、光が笑う。
「そうなるんじゃない? でも、名前呼んでるってだけじゃ、付き合ってることにはならないからね」
光の言葉にホッとする。
「そうだよね。わかってくれて良かった」
「もう天音酔っ払ってるんじゃないの? 最初の話聞いてなかった? 私はデートの計画立ててるところに遭遇したって言ったでしょ」
「いや、だから、あれは……」
「上原君に、何も言われてないの?」
「ないよ。何もない。さっき、楠本さんにも言ったけど、上原君に確かめたらいいよ」
私の言葉に、光が舌打ちする。
「光、舌打ちやめて」
「あいつ何やってんの」
えーっと、あいつって、智のことだよね、きっと。
「いや、特にそんなことは考えてないと思うよ?」
一応、フォローしとく。
「それはそれで問題あるね」
……何もフォローにはならないようです。
光はジョッキを持って立ち上がる。追及から逃れられて助かったけど、次、智の所に行く気じゃないだろうか。
じっと光の動きを見る。光は楠本さんの隣に滑り込んだ。大丈夫だ。
ほっとしたところで、隣にグラスが置かれた。誰?
「先輩! 卒業しちゃうんですか?」
ああ、智の同期の森下さんだ。2年になってからバイトを始めたから、一個下の子らともロッカールームでよく話しているのを見かける。あれ、あのグループから抜けてきたのかな?
「卒業は、するよね」
「嫌です! 留年してください!」
留年なんてしません! 誰か、森下さんに飲ませちゃった?
「しないって。もう決まってるから。諦めて」
「彼氏の上原君はあと3年は大学に在籍しますよ」
あと3年私にもいろってこと? それに。
「彼氏じゃないし」
「先輩、そんな嘘言っちゃいけないです!」
ああ、もう今日はやってられないな。ビールを飲み干して、次のビールを頼む。
「上原君もそう言うって」
「だって、バレンタインデーのチョコ、上原君以外にあげてないじゃないですか」
「どうして?」
それを、知ってる?
「私たち、上の先輩から話聞いて、バレンタインデーに先輩のチョコもらえるの楽しみにしてたんです。なのに、先輩今年はくれなかったし」
そんなに欲しかったんだ……。いや、聞いてるのは、それじゃない。
「上原君にあげた証拠はないでしょう?」
そうだ、しらを切りとおせばいいんだ。
「先輩、私たち、今さっき、上原君に吐いてもらいました。今年、先輩のチョコは上原君しかもらっていないはずだと」
智が言ってしまったのか……。それで、同期に囲まれてたの?
「先輩! まだいてくださいよ……」
そこまで言うと、森下さんはぱったりと突っ伏した。肩が上下してるので、寝てるだけだ。飲み慣れないお酒飲んだのかな。
顔色も悪いわけではないし、もう、放っておこう。
「天音先輩」
反対側から声を掛けられる。次は誰?
「ああ、高橋さん」
高橋さんは大学の夜間部に通っているので、土日のシフトで一緒になることが多い。
たぶん、智と一緒の時に同じ会場の担当になったことは、ないはず。だから、話は振られない、かな。
「これ、どうぞ」
おお、気が利く。私の手元に、ビールのジョッキが。二人で乾杯をして、半分くらい飲む。今日は、飲まないとやってられません。
「天音先輩。着物、似合ってましたね」
嘘。
「いたの?」
どこに、とは聞かない。こっちで着物を着たのは、あの時だけだ。
「はい。私の家、あそこにいつも初詣行くので」
「そうなんだね」
としか返せない。
「天音先輩と上原君かぁ、と思って。アリだな、と思いました」
「何がアリ?」
「天音先輩は、バイトの後輩の目標なんです。上原君はまだ一年も経たないですけど、結構皆、一目置いてます」
さっきも、光がそんなこと言ってたな。
「でも、付き合ってないよ」
「まあ、天音先輩は、そう思ってるのかもしれませんけど」
何?
「私は上原君応援してますよ。素敵な二人に付き合ってほしいじゃないですか」
新しいタイプだぁ。
「というか、今日は、皆して何なの?」
「え?」
え? って、何? 皆で話し合って、こんなことしてるんじゃないの?
「何のことですか?」
高橋さんは本気で分かっていないみたいだ。と、言うことは、皆各々私に言ってきてるってこと?
「今日、私にこんなこと話すって、誰かに話した? それか、誰からか聞いた?」
「そんなこと話してません」
じゃあ、本当に、個別で私に話にきてるってこと?
仕事中は、こんな話する暇ないけどね。でも、よりにもよって、送別会に総攻撃とかやめてほしい。
私はジョッキに残ったビールを、煽った。
この掛け合いが、今の私の作品の原点でもあります(笑)。
以前どなたにお褒め頂いたのかは失念してしまったんですが、褒めて下さった方、本当にありがとうございます。