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「ここはいいところだと思うけどね」
智は地元で就職とか考えてないのかな?
「……そう言えば、天音さんは、どうしてこっちに来たんですか?」
あ、智には初めて質問されたかも。大体の人が、私が東京から来たって言うと、最初に質問されるんだけど。
「星が見えるところに行きたかったんだよね」
「……そんな理由ですか?」
「そんな理由。しょうもないでしょ?」
自分でも、しょうもないのは知ってる。だから、いつも他の人には、皆が納得できるような理由を説明する。智には、ごまかさなくていいかな、と思った。
「東京って、星、見えないんですか?」
疑問は、そこか。
「ちょっとくらいは見えるよ。たぶん、東京でも緑が多い方に行けば、もっと見えるんだと思うし。だけど、緑が多いところは、一人暮らしする意味がないって言われるだろうから、最初から考えたこともなかった」
「でも、ここよりもっと、星の見えるところはあると思いますけど」
そうだよね、そう思うよね。
「いかんせん、便利なところで育ったから、不便なところには行けないな、と思って。ここはそう言う意味で、丁度良かったんだよね。星が見えて、生活にはそれほど不便はなくて。足を伸ばせばすぐ神戸とか大阪に行けるし」
「うーん。僕にはよくわからない理由ですけど……」
星が見たいって理由で大学を決めたけど、私に後悔は全くない。
「あと、成績かな。その時の成績で行けそうな大学で、星が見えて、それほど不便じゃないところ、って探した」
智がため息をつく。
「そんな大学の探し方する人、初めて聞きました」
「そうだろうね。私以外に聞いたことはない」
時折、私でも、え? と思うような理由を言う人はいるけど、まれだ。それに、私とは大学の決め方とも、やっぱり違う。
「皆、何て言いますか?」
「智以外に言ったことないから」
「え?」
智が私をまじまじと見る。ちょっと、智、前見て運転して!
「危ないから、前見て!」
「はい」
智が前を向く。前に車がほとんどいないから、良かったけど。
「ご両親にも、ですか?」
智は前を向いたまま、口を開く。
「そんなこと言ったら、反対されるだけじゃない。言えません」
すぐ却下されて、私は東京の大学に行かされてただろう。
「そうですよね。僕が親でも反対します。もうちょっとまともな理由考えろって」
ほらね。
「だから、言えるわけないって」
「それで、大学でこっちに来て、星を見るのは満喫できたんですか?」
智の声は、苦笑交じりだ。
「そうだね。ベランダから星が見えやすい部屋を選んだから、結構満喫したんじゃないかな」
「……そうなんですね。そう言えば、星が有名な町ありますけど、行ったんですか?」
智の言ってるその町は、どうやっても車がないと行けないところだ。
「いや。行ってみたいな、とは思ってたけど、友達には車持ってる人いないし」
「行きますか?」
智の提案に、つい素直に喜んでしまう。
「また車借りてくることがあったら、連れて行ってもらえる?」
「今日、このまま行ってもいいですけど」
窓の外には、見慣れた街並みが戻ってきた。
「嬉しい申し出だけど、今日はいいよ。夜中に運転して、疲れたでしょ?」
「そうでもないですけどね」
若いからか。私はもうそろそろ、徹夜は厳しい。
「私、今日は着物だし。ちょっと星を観察するには適さない格好だから」
「じゃあ、近いうちに、行きましょう。卒論発表の準備の息抜きにでも」
「それは、ありがたい」
「卒論発表の準備に行き詰ったら、連絡ください。車借りてくるので」
「うん。ありがとう」
何だか、智にはお世話になりっぱなしだな。
話をしてたら、あっという間に家に着いた。
智がさっき降りた時と同様に、助手席のドアを開けてくれる。智の手を取って私が車を出ると、智が小さく欠伸をした。
「やっぱり、眠いんでしょ?」
「きちんと仮眠は取ってたんですけどね」
私に欠伸を見つかって、ばつが悪そうに智が答える。
「あのさ、これ智に言うと怒るだろうな、とは思うんだけど、一応言っていい?」
「何ですか?」
「うちでコーヒー飲んでいく?」
智が止まる。やっぱり怒るか。
「いや、このまま運転して帰って事故されると困るし。この格好じゃコーヒー部屋で作って、それこっちまで持って来てって難しいし。うち、マグカップくらいしかないから」
一応言い訳はしておく。
「天音さん」
……ああ、やっぱり怒られる?
「ああ言っておいて何ですけど、お願いしても、良いですか?」
あれ、怒られなかった。
「怒らないの?」
「まあ、言いたいことがないとは言えませんが、僕も事故すると困るので」
そうだよね。困るよね。……はぁ、良かった。
「じゃあ、どうぞ」
智は車に鍵をかけると、私の後ろからついてくる。
私の部屋はアパートの二階だ。
「車、このままでいいですか?」
「大丈夫じゃない? 他の住人は、ほとんど実家に帰るって言ってたし。残ってた人も、彼氏んちに行くとか言ってたよ」
「良く他の住人のこと、知ってますね。僕知らないですよ」
「ここ、女の子ばっかり入っててね。何でだろう? 私は良く話すよ。向うから話しかけてくれるって言うか」
ここの住人には慕われている気がする。
「天音さん、女子高だったら、モテてたと思いますよ」
「そうなの?」
「バイト先の天音さんの後輩たちを見てたらそんな気がします。きっと、地元に戻った人たちは、お土産持って来てくれるんですよね?」
「良く分かったね。私も地元に戻ったら、お土産買ってきて配るからなんだと思うけどね。あと、お菓子も良く配ってるし」
部屋に入ると。部屋の電気をつけてからエアコンをつけて、智を部屋の中に呼び入れる。
物も少ないから、片づけるほどの状況じゃない。
「お邪魔します」
「じゃあ、ゆっくりしといて。何もないけどね。CDかける? パソコンの音で申し訳ないんだけど」
「いえ。大丈夫ですよ」
智が少し落ち着かない様子でいる。居心地、悪いかな?
私は急いでケトルのスイッチを入れる。
ちらりと智を見ると、ばっちり目が合った。
「ごめんね。ちょっとだけ待って」
「謝ってもらわなくて大丈夫ですよ」
智が苦笑する。
お湯が沸いて、私は準備していたマグカップにお湯を注いだ。
「コーヒーどうぞ」
「ありがとうございます」
コーヒーを一口すすって、智がカップを包むように持つ。
「目、覚めそう?」
「今も、そんなに眠いわけじゃないですから。これ飲めば、大丈夫だと思います」
「それならいいけど」
私は紅茶のティーパックをお湯の中で揺らす。
「天音さんが女子だけにお菓子配るとかで、良かったです」
智がさっきの話をまた持ち出す。
「どうして?」
「たぶん、男子もそれだったら、勘違いする奴が大量生産されますよ」
「そうなの? 良かった、やらなくて」
「え?」
智が止まる。そんなに驚くようなことなのかな?
「最初にバイト先で配った時、男性陣にも配った方がいいかな? って女性陣に聞いたら、やめときなって言われて、やめたんだよね」
「……皆、良い人たちですね」
「今思うと、そうだね」
智がため息をつく。
「僕以外には、お菓子、あげないようにしてくださいね?」
「智以外にやろうとは思わないから、大丈夫だよ?」
「天音さん……」
なぜか、智が脱力している。何か変なこと言ったっけ?
「だって、今更、智は勘違いはしないってことでしょ?」
智がまた、ため息をつく。
「天音さん。どうして……」
「何? 私変なこと言った?」
「……いえ。良いです。それが、天音さんの、天音さんたるゆえんですよね」
智が一人で納得している。
「私が何?」
「いえ。天音さんは、そのままが一番いいですってことです。星を見るために大学選ぶような天音さんで良かったな、と思って」
「本当に?」
何だか疑わしくて眉を寄せると、智が慌てる。
「それは、本当ですよ。だって、天音さんがそんな理由でこの大学選んでくれなかったら、僕の悩みは晴れないままだったんですから」
あ、そっか。私、智の恩人なんだった。
「そうだよ。感謝して。まあ、最近は、私がお世話になりっぱなしの気がするけど」
「そうかもしれませんね」
智が笑う。何だか、年上としての威厳が失われている?
「そうそう。やっぱり、感謝の気持ちとして、何か智の好きなお菓子作るよ」
「好きなお菓子……ですか?」
智がちょっと考える。そして、ハッと顔をあげる。
「あの、バレンタインデーのチョコ、欲しいんですけど」
「え? それでいいの?」
私の返事に、智はコクコクと頷く。
「チョコレートは、手作りできるんですか?」
「えっと、手作りはするよ。ケーキ系? それとも生チョコ系? その二択しかないけど」
「えーっと、生チョコ系で、あんまり甘くない感じでお願いします。大丈夫ですか?」
「生チョコ系は簡単だから、大丈夫だよ」
簡単だから、チョコ作るなら、つい生チョコで終わらせてたな。
「……今までも、作ってたんですか?」
「友チョコだね。知ってのとおり、男の人は苦手なので」
「じゃあ、僕って初めて、男性……?」
「あ、それは違う」
私が首を振ると、智が瞬きした。
「え?」
「父と兄にあげてたから。こっちに来てからは、あげてないな。今年はあげようかな」
智がため息をつく。今日はため息多いけど、やっぱり、疲れちゃったのかな。
「今年は、僕だけに作ってほしいって言ったら、困りますか?」
え? 智だけに?
「別にいいよ。友チョコも、私が好きで作ってただけだし」
今年は卒論発表の準備で、そんなに量も作れそうにないしな。
「じゃあ、お願いします」
「はい。確かに承りました」
私の言葉に、智が笑う。
「じゃあ、僕、帰ります」
智は残りのコーヒーを一気に飲み切ると、立ち上がった。
「気を付けて帰ってね」
「コーヒーごちそうさまでした」
「いえ。インスタントしか用意がなくて、ごめんね」
「学生なら、十分だと思います。」
智が靴を履きながら答える。履き終わったのを見て、私は手を伸ばして、鍵を開ける。私がドアノブをまわそうとするのを見て、咄嗟に、智がドアノブを掴む。かすった手に、ちょっとドキッとする。
「じゃあ、また。あ、天音さん」
一旦ドアを出掛けた智が、振り返る。
「何?」
「コーヒーを飲ませるのも、僕だけにしてくださいね?」
「はいはい。わかりました」
私のぞんざいな答えに、智は苦笑する。
「じゃあ、戸締り、きちんとしてくださいね」
智がゆっくりとドアを閉める。
本当に、今日は最初から最後まで、智はお母さんみたいだったな。




