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 その後、上原君とはバイトのシフトは一緒になることはなくて、音楽科の発表会の日になった。

 教育学部の校舎に入るのって初めてで何だか緊張する。

 教育学部の入り口に今日の発表会の案内が張ってあって、音楽棟であると書いてある。地図を見て、とぼとぼと音楽棟へ向かう。

 知らないところを歩くのって、心細い。


「坂田さん!」


 見ると、音楽棟の入口らしいところに上原君が立っていて、ほっとする。


「上原君、準備は良いの?」


 きっと、一年生だと準備に駆り出されるんじゃないだろうか。


「準備は終わったので。会場に坂田さん見えなかったので、坂田さん道に迷ってないかな、と思って、ちょっと出てきてみたんです」

「あれ、ギリギリだった?」


 私は時計を見る。まだ、余裕はあるはずだ。


「まだ、大丈夫ですよ。こっちへどうぞ」


 私を連れて上原君が校舎に入ると、受付に立っている女の子から私が睨まれる。……いえ、ただの知り合いですから。

 上原君はその女の子に声をかけると、パンフレットを一部取って私に渡してくれる。

 私と上原君が連れ立って歩くと、私たちを見てひそひそと話す人たちに遭遇する。教育学部、女子率高い? ほぼ女子なんだけど。一つ間違いなく言えるのは、上原君が狙われてるってことだね。


「上原君、もう戻った方が良いんじゃない?」


 会場に到着する前に、上原君に声をかける。流石に視線にさらされ続けてるのも、耐えがたい。女の子の鋭い視線をこんなに浴びたことないから。


「大丈夫です。会場に案内するくらいの時間は取れますから」


 私が大丈夫じゃないんだけどな。

 上原君って、鈍いんだろうか。まあ、この女性社会だと、鋭いと疲れちゃうかもね。


「上原君、知り合い?」


 校舎に入って、初めて上原君が話しかけられる。私を見る目も優しい。


「先輩。例の……」

「あ、恩人さんね」


 二人の声は潜められている。やっぱり、楽器をなくしそうになった話って、こんなところじゃあり得ない話で、しにくい内容なんだろうか。


「噂はかねがね。4年の立花と言います。バイオリンをやってます」


 噂? バイト先でも、そんなに会ってないけど。社交辞令ってやつかな。


「えーっと、上原君のバイト先が一緒の坂田です。経済学部4年です」

「今日は、ゆっくり聞いて行ってくださいね。上原君、坂田さん案内したら、最終調整するわよ」

「はい」


 立花さんはそれだけ言うと、去って行った。


「私のことはいいから、行ったら?」

「いや、先輩も案内したら、って言ってくれたので、部屋までは案内します」


 部屋までって、もう目と鼻の先なんだけどな。きっと上原君は引き下がらないだろう。諦めて後ろをついていく。


「ここ、小さいけどホールになってるんです」


 部屋の中に入って、私が、おお、と歓声を上げると、上原君が説明してくれる。

 こんな部屋が大学内にあるとは驚きだ。


「それじゃ、楽しんで聞いていってください」


 上原君が私にぺこりとお辞儀をして、去っていく。あとに残された私に刺さる視線はまだ鋭い……。どこかに座って、この視線から逃れよう。

 座席に座って、プログラムを読み始めると、視線は気にならなくなった。



 ***



 確かに上原君が言った通り、演奏された曲はどこかで聞いたことのある曲ばかりで、楽しむことができた。あまり完成度の高くない演奏もあったけど、学生だから許容範囲なんだろう。上原君と立花さんたちの演奏は、完成度が高いと感じられる演奏だった。

 これだけ弾けたら、楽しいのかもしれないなぁ。

 演奏が終わると、私はさっさと席を立った。特に知り合いもいないから、話しかける相手もいないし。

 上原君には、今度バイト先で会ったときに感想伝えればいいでしょ。きっと後片付けとか忙しいだろうし。


 音楽棟を出ると、腕を掴まれる。


「へ?」


 振り返ると、上原君が息を切らして、私の腕を捕まえていた。


「坂田さん、呼んでるのに気付かないから」


 呼ばれてた? 自分が呼ばれるとは思ってなかったから、声なんて拾ってなかったかも。


「ごめん。上原君忙しいだろうな、と思って、感想はまた後日伝えるつもりでいたんだよ?」

「どうでした?」

「楽しかった。クラシックって敬遠してたけど、結構いろんなところで聞いてるもんだね」


 私の言葉に、上原君が嬉しそうな笑顔になる。


「興味が出たなら、聞いたことがありそうな曲とかの入ったCDとか貸しましょうか?」


 確かに、買うほどでもないけど、貸してもらえるなら、貸してもらおうかな……。


「でも、あんまりバイト先でも会わないでしょ?」

「僕、8月は結構入る予定です」

「私も8月は結構みっちり働く予定だから、8月は会うかもね」

「じゃあ、バイトの時に持って行っておくので、会えたら貸しますね」

「それじゃあ、よろしく」

「はい。じゃあ、また」


 踵を返した上原君に、言ってなかったことがあったのを思い出す。


「上原君、上原君の演奏、感動した」


 上原君は振り返ると、今までに見たことがないほどの笑顔を見せてくれた。

 やっぱり、褒められると、嬉しいんだろうな。



 ***



 夏休みに入って、8月になると、確かに、上原君に遭遇する率は上がった。それまでほとんど会わなかったから、週に1回でも会うと、会ったような気がするんだけど。

 CDを貸してもらうのは、同じシフトに入って帰りが一緒になるときだけど、同じ会場の担当になるときは、大抵帰りは一緒になった。そして、上原君は当たり前のように、私を家まで送ってくれる。

自転車置き場で、上原君からCDを受け取る。


「この間の曲気に入ったって言ってたので、たぶん、これも好きじゃないかと思います」


 タイトルを見ても作曲者を見ても、私には全くよく分からないけど、上原君のセレクトは割と良い。クラシックに苦手意識のあった私だけど(さすがに言えなかったけど)、上原君セレクトは、聞いてて楽しいし、好きだ。

 このCDの貸し借りも3回目になる。でも、次は会うことができるんだろうか?


「上原君、来週のシフト、どこか入ってる?」

「え? どうしてですか?」

「もう8月終わったら、私、バイト出ないことにしてるから、もしかしたらこのCD返すタイミングがないかも、と思って」

「え?」


 上原君が、びっくりした顔をする。


「どうしてですか?」


 どうしてって、私の学年を忘れたのかな?


「卒論、そろそろ本腰入れないといけないから。バイトは休んで、勉学に励む予定」

「あ」


 なにその返事。他の4年生だって、そうする人多いし。この時期になれば、4月に入った新しいバイトのメンバーも仕事に慣れてるから、4年が抜けても、それほど大変ではない。


「私が、バイトに明け暮れてるから、卒論なんて適当に書くと思ってたんでしょ?」

「いえ、違いますけど。坂田さんってまじめだな、と思って」

「学生の本分は、勉強ですから。そう言う上原君だって、いつもはほとんどバイトしてないでしょ? あんまりシフトに入ってないのも、バイオリンの練習のためとか言ってたでしょ?」



 部屋も楽器OKの部屋をわざわざ借りたと言っていた。楽器って、毎日練習しないとダメなんだね、と、私には無理だなと思った。


「そうですけど」

「上原君もまじめだよね」


 私の言葉に、上原君が視線を落とす。

 あれ? 私変なこと言った?


「恐いんですよね。一度練習辞めちゃうと、どうなるのか」


 んー。私にはよくわからない世界だけど、大変そうなのはわかる。

 あの時は、練習欠けなかったんだろうか?


「バイオリン忘れた時、練習は一日欠けたりしなかったの?」

「あの後すぐあの駅に戻ってバイオリン取りに行ったので、大丈夫でした」

「そっか。あのままには、しとけないよね」


 私の言葉に、上原君が自嘲したように笑う。


「あの時、もうバイオリンなくしてもいいかな、って思ったんです」

「……私で良ければ話聞くけど、立ち話はなんだから、せめてファミレス行かない?」


 私にはわからない話かもしれないけど、話を聞いてあげたほうがいいのかな、と思う。


「そうしても、いいですか?」

「私で良ければだけど」

「坂田さんに、聞いてほしいです」


 随分、信頼されたもんだ。


「明日は、シフト入ってる?」

「いえ」

「私も休みだから、今日なら、何時になっても大丈夫だし」


 もう11時に近い。お腹もすいたし。


「じゃあ、行こうか?」


 私の言葉に上原君が頷いて、私たちは自転車に乗って、大学近くのファミレスに向かった。





 ファミレスの席に着くと、取りあえず注文をする。夏休み中だからか、大学の近くだからか、この時間になっても、学生と思しき集団が沢山いて、ファミレスの中はざわざわしている。


「ドリンクバー、取りに行こうか?」


 財布だけ持って、ドリンクバーに向かう。


「やっぱり、これは外せないよね」


 私がメロンソーダのボタンを押すと、上原君が苦笑する。


「それ飲むんですか?」

「飲む以外ないでしょ? 何だか好きなんだよね。この毒々しい感じが」

「僕はお茶でいいです」


 上原君はウーロン茶のボタンを押す。


「上原君は、冒険はしないたち?」

「あんまりしないかもしれません。」

「お酒とか……まだ、未成年か」


 席に戻りながら、まだ上原君が19歳だったことを思い出す。


「そうですね。本来は飲んじゃいけないので」

「今度の飲みは行くの? 私たちへの卒論がんばれって壮行会みたいなもんなんだけど」


 月末に、一旦4年のほとんどが出てこなくなるので、バイトの下の学年の子たちが企画してくれた飲みだ。


「あれは、そういう飲みだったんですね。行かないに丸しちゃいました」

「本当は未成年なら連れてくのもどうかと思うけどね」

「そう言う飲みだってわかってたら、行ったんですけど。もう他に予定入れちゃったんで」

「そっか」


 席に戻ると、一口メロンソーダを飲んだ。

 向かいに座った上原君が、私のコップを見てまた苦笑している。


「坂田さんは行くんですか?」

「行くね。大抵行ってるよ」


 頷いたタイミングで、私たちが頼んだメニューが運ばれてくる。

 いただきます、と手を合わせてから私が食べ始めると、上原君は箸を持ったまま、止まっている。どうかしたのかな?


「男の人もいるのに?」


 上原君の疑問に、私は頷く。


「うちの飲み、好きな人同士で固まって飲んでるから、男性の所に行かなければ大丈夫。」


 意中の相手がいる人は、そのグループに行ったりして飲んでたりするけど。私は最初から最後まで女子に囲まれたままで終わる。


「そうなんですね」


 上原君がほっとしたように言うと、食べ始める。私のこと心配してくれたんだな。

あ、そうだ。今日の本題。


「どうして、バイオリンをなくしてもいいと思ったの?」

「もう、バイオリンやめてしまおうかと思ったんです」


 あんなに弾けるのに?


「ごめん。私は完全な素人だけど、あんなに弾けるのにもったいないと思うよ」


 私の言葉に、上原君は首を横に振る。


「あんなの上手いうちには入りませんよ」


 ひどく哀しそうに、上原君が呟く。


「あの日は何かあったの?」

「あの日は、あの駅の近くにあるバイオリンの先生のところまでレッスンを受けに行った日で」


 だからバイオリンを持ってたんだ。私は頷く。


「あの時期は、進路を考えてる時期だったんです。音大に進むかどうか、ずっと考えてて。音大に進むなら、それ用のレッスンも受けないといけなくなるし」


 一般の学部みたいに、直前に変更とかは難しいんだ。


「それで、バイオリンの先生に相談したの?」


 上原君がこくりと頷く。


「何て言われたの?」

「僕は音大向きじゃないって言われて」


 自然と眉が寄る。


「教えてくれてたの、その先生なんでしょ?」

「そうです。小さいころから、ずっとその先生で」

「教えてた腕が悪かったんじゃないの」


 腹が立って、つい口が悪くなる。

 上原君は首を横に振る。


「有名な先生なの?」

「こっちでは、有名です。音大出て、東京でオーケストラで働いて、地元に戻ってきてから、教室開いた先生で」

「それだからって、腕がいいとは……」

「国外のコンクールでも入賞する人が習ってたりもしてる先生なので」


 反論ができなくなって口をつぐむしかなくなる。

 私が押し黙ったのを見て、上原君が口を開く。


「自分でも、限界は感じてもいたんです。コンクールに出ても、結果が残せないし」

「だからって、先はどうなるか、誰にも分らないでしょ?」

「でも、その当時の僕の指標は、その先生だけだったので」


 私は首を横に振る。


「たとえどんな腕のいい先生だとしても、わかりもしない将来を、一言で片づけるなんて、ひどい」

「きっと、先生には、僕の将来が見えたんだと思いますよ」

「それでも、言い方ってものがあるでしょ? そのせいで、上原君はバイオリンをなくしてもいいって思うぐらいだったんでしょ?」


 上原君が唇をかんで頷く。


「音楽も何もわからない私が言うのもなんだけど、それまで大切にしてた楽器をなくしてもいいって思うようにさせる先生って、先生じゃないと思う」


 言い方一つで、上原君がそんな自暴自棄にならずに済んだかもしれないのに。


「もしかしたら、先生は他の意味があって言ったのかも知れないですけど、僕はそれ以上聞けなくて」

「他に意図があったとしても、それを相手に伝わるようにするのも先生の役目だと思うけど。小さいころからの付き合いなら、上原君の性格だってわかってたんでしょ? そんなこと言ったら上原君がどう反応するかなんて、想像できそうなもんじゃない」


 怒っている私とは正反対に、上原君は穏やかな顔になる。


「何で私が怒ってるのに、上原君は穏やかになったの?」

「僕の代わりに、坂田さんが怒ってくれるので。嬉しくなって」


 ああ、上原君は、このことがずっと消化できないままだったのかもしれないな。

 音大向きじゃないって言われたってこと、親には言ったんだろうけど、他の人、特に同じ教室で習ってる人に言いたくはないよね。


「親御さんは、その話を聞いてどう言ってた?」

「……言いませんでした」

「え?」

「音楽の先生めざしたい、って言って、ここの大学目指すことにしたので。そのことは言ってません」


 親にも、言えなかったんだ。


「親御さんは、反対しなかった?」

「むしろ、賛成されました。音大に行ったからって、プロになれるとは決まってないですから。先生を目指す方が、現実的だと思ったみたいです」


 ……そうか。親はやっぱり、子供の将来も心配なんだよね。


「そしたら、先生のその話は、ずっと誰にもしなかったってこと?」

「そうです。今日、初めて言いました」


 むしろ、その相手が、私でよかったのかな?

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