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※1話目で、早坂さんが男性のような記述をしていましたが、女性社員だということを思い出しました。

 制服に着替えて、今日の会場のバックヤードに向かうと、上原君が一番乗りだった。私も早く来たな、と思ってたけど、私より早く来た人がいたんだ。


「今日はよろしく。久しぶりだね」

「そうですね。よろしくお願いします」


 上原君と一緒の会場になることは全くなくて、気が付けば2か月経っていた。もう、梅雨も明ける。


「仕事は慣れた?」

「あんまりシフトには入ってないので、まあまあ、ってところです」

「そっか。まあ、学業に支障が出てもいけないしね」


 先に上原君が始めていたグラス磨きを、私も手伝う。今日のお客様の数は多いので、グラスの数も膨大だ。


「坂田さんは、今4年なんですよね?」

「そうだよ」

「就職活動とか、良いんですか?」

「それは大丈夫。もう終わったから」

「そうなんですね。おめでとうございます」

「ありがとう。だから、バイトやってても、大丈夫なの。安心して」


 きっと4年生の私がバイトに来てるのが不思議だったんだろう。ぼちぼち皆も復帰するころだとは思うけど、ここのところは4年がシフトに入れないからと、社員の早坂さんが嘆いていた。4月5月で新しい人は増えたけど、この時期はまだ仕事に慣れきっていないので、ベテランの4年生が抜けるのは、痛いらしい。


「と、これでいいかな」


 上原君はその段のグラスを磨き終わったらしい。


「あ、私やるよ? 指とか怪我しちゃまずいんじゃないの?」


 グラスのケースを持ち上げようとした上原君を制して、私が持ち上げようとすると、上原君が首を横に振る。


「それぐらい大丈夫です。僕はプロになるつもりじゃやってないですし、そこまでデリケートにならなくても大丈夫なんで」


 そうなんだ、と私がぼんやりしてる間に、上原君がケースを移動させてしまった。

 隣に立って、ふと思う。


「上原君、身長伸びた?」


 さっきまで気が付かなかったけど、近くに並んでみると、心なしか前より目線が高くなってるような。


「そうみたいです。2センチぐらいですけどね。ここに来て伸び始めたのかな、と思ってます」


 男の子は20歳くらいまで背が伸びるとは言うよね。

 それでも、上原君には今のところ苦手意識はない。


「おお、今日は坂田入るのか。よろしくな」


 バックヤードに顔を出した社員の木島さんが、私の肩をポンポンと叩いて会場の中に入っていく。


「お願いします」


 木島さんが会場に去って行ったのを見て、ほっと息をつく。


「あの社員さんのこと、苦手なんですか?」


 上原君が尋ねてくる。私はまたグラス磨きの続きを始める。


「男の人って、苦手なんだよね」

「え?」


 驚いた顔の上原君に、上原君も男性だったな、と思う。


「上原君のことは、たぶん前に説明した通りで大丈夫なんだけど、男の人に対して苦手意識があって。それを克服しようと思って、こんなバイトしてみてるんだけど……」


 今のところ、苦情はもらってないから、お客様の対応は大丈夫なんだと思うけど。


「おはようございます。あ! 天音久しぶり!」


 バックヤードのエレベーターから出てきたのは、貴子と同じく付き合いが4年になるひかりだ。


「ひさしぶり! シフトに復帰したってことは、就職決まったの?」

「決まったよう!」

「おめでとう! 教えてくれればよかったのに」

「シフトに復帰するって早坂さんに電話したら、天音もこれにいるって言うから。直接教えようと思って!」

「今度、お祝い会しようね!」


 光と話していたら、次々とこの宴会のためのメンバーが集まってきて、一気にバックヤードが騒がしくなった。



 ***



「ねえ、坂田さん。これ、連絡先」


 ネームプレートを見て私の名前を覚えたこのお客様は、さっきからずっとこの調子だ。


「お客様、申し訳ございませんが、こういうことはお断りしておりますので」

「そんなこと言わないでさ」

「申し訳ございません。あちらのお客様がお呼びの様ですので、失礼いたします」


 さっきから、この人本当に面倒! お客様は神様だと思うけど!

 酔っ払ってると、気が大きくなる人もいて、時折対応に苦慮することがある。それでも、今までは何とかあしらうことができてたのに。

 ……そもそも、これまでは単発のセクハラだけだったから、何とかあしらうスキルを身に着けたけど、ずっと続けてこういうことされるのは初めてで、どう対応していいのか戸惑う。


 このテーブルの担当だから、今更担当変わるわけにもいかないし。今のところは、問題になってるわけではないから、私が我慢すればいいだけだし。

 呼ばれたお客様のところで、飲み物の注文を受けて、一度バックヤードに戻る。

 ため息をついたところに、上原君が入ってきた。


「大丈夫ですか?」

「うん。大丈夫だよ。上原君も、珍しいドリンク頼まれたの?」


 あんまり出ないドリンクだと、会場内に用意してなくて、バックヤードに戻る必要があるから。


「白ワインって言われて」

「ああ。あっちの棚にあるよ。出そうか?」

「知ってるので、大丈夫です」


 私も自分が頼まれたドリンクを用意する。


「グラスの場所も大丈夫?」

「はい。あの、坂田さん?」


 バックヤードから出ようとした私を、上原君が呼び止める。


「何?」

「あのお客様、大丈夫ですか?」


 あ、見てたんだ。上原君のテーブルからだと、あのお客様の席、良く見えるかもね。


「今のところは大丈夫だから」


 私は笑顔でそれだけ言って、バックヤードを出る。



 ***



「ねぇ、坂田さん」


 ……また、呼ばれた。

 私の手が空くと、あのお客様が見計らったように、私を呼ぶのが続いている。

 もちろん、同じテーブルの席のお客様は気付いていて、私がそのお客様に近づくと、面白そうに私たちを見ている。

 見世物になるためにいるんじゃないんだけど。


「坂田さん、こういうの好き?」


 このお客様は相変わらずで、私の名前を呼んでは、スマホで調べた場所や食べ物などの情報を私に見せて、好きかどうか確認してくる。

 いや、もういい加減にしてほしいです。


「お客様、申し訳ございませんが、仕事中ですので、そういった話は出来かねます」


 もう、使っている言葉遣いが正しいのかどうかすらわからない。だって、こんな用語、使ったことないんだもん。


「お客様、どうされましたでしょうか? うちの坂田に何か問題があるようでしたら、担当を代えさせていただきますが?」


 私とお客様の間を埋めるように、木島さんがお客様に声をかけた。


「……いや、なんでもないんです。坂田さん話しかけやすいから、つい呼んじゃって。すいません」


 ああ、男性には弱い人なんだ。女性とか弱い立場の人には強く出るタイプの人なんだ。


「いえ。問題がないようでしたら、安心いたしました。問題があるようでしたら、すぐに担当を代えますので、お申し付けください」


 そう言って、木島さんはテーブルからは離れるけど、私たちの会話が耳に入る位置には立ってる。


「坂田さん、もういいよ」


 お客様はそう言って、私を解放してくれる。

 私は何も言うことがないので、丁寧にお辞儀だけして、テーブルから一旦離れる。

 その後は、そのお客様に絡まれることはなかった。



 ***



 宴会がお開きになった後、木島さんが話しかけてくる。


「あのお客様、いつから坂田に絡んでたの?」

「割と最初からです」

「いつもは、上手くあしらってるのに、今日に限って?」

「すいません。ご迷惑おかけしました」


 私の言葉に、木島さんがため息をつく。


「まあ、何もなかったからいいんだけど」

「すいません。助かりました。ありがとうございます」

「お礼なら、上原に言っとけよ。あのお客様のこと俺に言ってきたの、上原だから。今日の人数だと、俺も目が届かなくてな。気付かなくて悪かったな」

「いえ。上手くあしらえなかった私の対応にも問題があるので。上原君には後でお礼を言っておきます」


 そうは言ったものの、片付けでバタバタしているうちに、上原君に話しかけるタイミングもなくて、気が付いたら、解散になってしまって、上原君の姿は見失っていた。



 ***



「坂田さん!」


 私が自転車置き場で自転車を出していると、大きな声で呼ばれる。

 見ると、上原君が従業員用の出口から、走ってきている。

 私のところまで走ってくると、肩で息をしながら、呼吸を整えている。


「大丈夫? あ、今日はありがとう。本当に助かった」

「いえ。僕が出て行って効果があればもっと役に立てたんでしょうけど、僕じゃきっとなめられちゃうだけだろうな、と思って、木島さんにお願いしたんです」


 ああ、なるほど。確かにあのお客様だったら、上原君の言うことは聞いてくれなかったかも。


「あれは良い判断だったと思うよ。本当に助かった。ありがとうね」

「いえ。役に立てたんだったら、良かったです」

「ありがとう。ところで、何で私呼び止められたの?」

「事務所で木島さんに会って、もう坂田さんは帰ったんじゃないか、って言われて、慌てて出てきたんです」


 だからか。さっきから気になってたんだよね。


「ボタン、ずれてる」


 上原君の着てるシャツのボタンが、一つずつずれてる。


「あ」


 私が首元のボタンに触ると、上原君が恥ずかしそうにしながら、ボタンをはめ直す。


「で、何で慌てて出てきたの?」


 上原君が慌てて出てくる理由が、見当たらない。


「あのお客様が坂田さんを待ち伏せしてたらいけないな、と思って」


 ああ、その心配をしてくれたんだ。


「ありがとう。でも、それは、大丈夫じゃないかな。今まで、そんなことなかったし」

「でも、今までは、上手くあしらってたんですよね? 木島さんが言ってましたよ。今日はどうしたんだろう、って」


 事務所でそんな話になったんだ。


「今までは、なんというか、どちらかと言えば単発みたいな感じで、1人の人に対して対処する時間が短かったから、あしらうことができてたんだけど、今日の人はずっと関わろうとされて、連絡先渡されたりとか、逆にどうしていいか良く分からなくて」


 木島さんには説明できなかったけど、上原君にはすんなり説明できる。


「どちらも、迷惑さで言えば一緒だと思いますけど」

「そうなんだけどね。ああいうのは初めてで、どうしていいかわかんなくなっちゃったんだよね」


 上原君が首をかしげる。


「今まで、告白されたりとかなかったんですか?」

「何で告白されるとかの話になるの?」

 

 予想もしない内容に、私も首をかしげた。


「……今日のお客様、坂田さんにアプローチしてたってことですよね?」

「違うでしょ。あれは、私を困らせて楽しんでたんじゃないの?」

「……坂田さんは、きっと気づいてないだけで、アプローチとかされてるはずですよ」


 話がずれた。

 でも、きっとこれは上原君なりの慰めのつもりなんだろうな。


「まあ、いつもと違った感じだったんで、今日は上手くあしらえなかっただけで。だから、大丈夫だよ?」

「でも、一応、家まで送らせてください」


 上原君は正義感が強いんだ。


「大丈夫だよ、って言っても、心配なんでしょ? じゃあ、お言葉に甘えて、送ってもらいます」


 上原君には申し訳ないけど、もうここで押し問答するよりも、帰って寝たい。

 上原君が自転車を準備するのを待って、自転車に乗り込む。

 並んで走り出すと、上原君が口を開いた。


「どうして男の人苦手なのか、聞いてもいいですか?」


 まあ、隠すようなことでもないし、言ってもいいかな。


「小6の時に、レジで並んでるところを、後ろに立った男の人に痴漢されて」

「痴漢、ですか?」

「そう。おしりなでられただけなんだけど。そんなんで、って思うでしょ?」


 上原君はなんとも返事がしづらそうだ。


「一瞬のことで、あれ? って思ってるうちに、その人が後ろから去って。嫌だ! って思ったときには、その人はいなくなってるし、気持ちのやり場もないし、どうしていいかわからなくてちょっと混乱して。それからかな。それでも同級生の男子に対してはそんなに何も感じなかったから、あんまり気にもしてなかったんだけど、中学になると、男子って身長が伸びだすでしょ? そしたら、痴漢された男の人とダブっちゃって、男子とは話さなくなったよね」


 この話、一部の友達には話したことはあるけど、異性に説明するのは、初めてかも。


「でも、学校生活とかで話さないといけないことってあるんじゃないですか?」

「流石に、必要最低限の会話は可能だよ? 気合は必要だけどね」


 そうなんですね、と上原君が相槌をうつ。


「でも、このままだと、社会人としてどうなの? って思ったから、人と沢山関わりそうなバイト選んだんだよね」

「克服は、できそうですか?」

「どうなんだろうね。セクハラへの対処の仕方は学んだけど、苦手意識は消えないよね。未だに付き合いの長い社員さんともバイト仲間とも、仕事以外じゃほとんどしゃべらないし」

「僕って、逆に、男としては意識されてないってことなんでしょうか?」


 あ、そういうことに、なるのかな?


「そうなのかな? 上原君は私にとっては話しやすいことは確かだけどね」

「他に、僕みたいに話せる異性って、いるんですか?」


 上原君の質問に、私は首を傾げる。


「家族くらいかな」

「……僕には普通に話せるってことですよね?」

「それは、間違いないよ」


 そこまで話したところで、前に別れた道の所に来る。


「右に曲がるんでしたよね? 大学から離れませんか?」

「いや。それほどでも。うちの学部の校舎は、こっちよりだから」

「坂田さん、何学部なんですか?」

「経済学部だよ」

「あ、それだとこっち側だと近いんですね。経済学部の校舎って近寄りもしないので」

「教育学部とは校舎が端と端だもんね」


 うちの大学はだだっ広くて、経済学部と教育学部の間を移動しようと思うと、結構時間がかかる。教職を取ってたの友達が、移動が大変と嘆いていた。

 あっという間に、うちの前に到着する。


「ありがとう。上原君も、気を付けて帰ってね」


 私が手を振ると、上原君が自転車から降りて、カバンから何かを取り出す。


「坂田さん。学期末に、教育学部の音楽科の発表会があるんです。来てもらえませんか?」


 上原君が街灯の下で出したのは、手作りのチラシだった。


「そんなの、あるんだね」

「僕も出るので」


 上原君が、プログラムの一つを指さす。


「私、クラシックとか全くと言っていいほど聞かないんだけど、大丈夫?」


 私の言葉に、上原君が笑う。


「大丈夫だと思います。今回の演目は、CMとかで使われたりしてる曲なので、聞いたことある曲ばっかりだと思います」

「へえ。それなら大丈夫かも」

「来てくれますか?」

「いいよ。じゃあ、見に行くね」

「お願いします。それじゃあ、帰ります」

「今日は色々とありがとう。またね」


 上原君は自転車にまたがると、颯爽と元来た道を戻っていった。

 バイオリンを拾ったお礼も込めて、なのかもね。

 私は自転車置き場に自転車を置くと、2Fに上る階段を登った。

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